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富富富で明日に続く農業を
取材先:富山県農林水産総合技術センター農業研究所 農事組合法人KEK

  縄文時代後期に日本に伝わったとされる稲作は、弥生時代には北海道を除く全国に広がり、日本人の主食を担うものとなっていった。しかし、元々熱帯性の植物であり、冷害などの影響により凶作の年も多くあり、江戸時代には150回もの飢饉が発生。多くの悲劇を生んでいる。冷害に強い稲は、その当時の人々の切なる願いであった。明治に入ると近代国家への道を歩む過程で農作物の生産力増大が重要課題となる。その中、明治36年より本格的な米の品種改良が始まり、人工交配による交配育種法の基盤ができる。そして大正10年、耐寒性と共に多収量を実現した“陸羽132号”が生まれた。以後、これを祖として多くの品種が誕生している。昭和40年後半からは食味の向上を目的に新品種の開発が行われてきたが、近年の大きなテーマは耐高温品種の育成。温暖化が進む中、その成否が日本稲作の命運を握る。



 

▲富富富の水田▲暑さに強い▲期待を背負って市場に投入される


新品種で温暖化に対応する

 富山県は北アルプス立山連峰からの豊富な雪解け水があり、稲作に適した気候風土の中、平成27年からは3年連続でうるち米1等比率90%以上を達成するなど、良質米生産県として知られている。耕地面積に占める水田率は96%と全国1位で、農業産出額に占める米の割合も66%と全国で一番高い。さらに、全国の種もみ生産受託量も61%になり全国1位の生産出荷。全国の米作りを下支えしている。その富山県から昨秋デビューしたのが米の新品種“富富富”。近年の温暖化の影響により米の品質低下が問題になっているが、それに対応する新品種として期待がかかる。今後も進行して行くであろう温暖化に対して、日本の稲作はいかに対応していけば良いのか。富富富の開発経緯とこれからを聞き、その中にヒントを探る。

 「今年の富富富の作付面積は約1100ha。昨年が518haでした。収穫量も去年の倍を見越していますので、2500tから今年は5500tを考えています。昨年は首都圏中心の販売でしたが、今年は大阪や名古屋、九州にも広く流通させることができると思います」。そう語るのは今回話を伺った、富富富開発に携わったメンバーである富山県農林水産総合技術センター農業研究所育種課の副主幹研究員で農学博士の村田和優さん(49歳)。富山県の気候はコシヒカリの栽培に適し、市場評価も高く、平成10年以降はコシヒカリが作付けの8割を超え、同県のメイン品種となっていたが、平成11年以降夏場の高温が続き、平成14年はコシヒカリの1等米比率が53%となり、農家に大きな被害をもたらした。「米が暑さの影響を受ける一番の問題は品質面です。稲穂が出て40日程で実りますが、その前半20日間の日平均気温が27℃を超える暑さになると、白未熟粒が発生します。はっきりとしているのは、暑い年には品質が下がり、気温が低い年は品質が良くなります」。そこで、翌年以降は、今までゴールデンウィークに植えていた稲を5月中旬へ10日ほど移植時期をずらせたり直播栽培を採用することで出穂期を遅らせ、ある程度高温に対応することができた。しかし、温暖化が進み毎年記録的な猛暑などとなれば、栽培方法の工夫では対応できなくなってしまう。そこで、平成15年から高温に強いコシヒカリに代わる新品種の開発がはじまった。

 「最近のコシヒカリの作付け面積は75%程ですが、やはり富山はコシヒカリがメインです。コシヒカリというのは、環境変動にすごく弱く、三つの課題があります」。一つが登熟期間が暑くなると白未熟粒が出やすくなる。二つ目が草丈が他の品種に比べて長い。そのため、台風や長雨の影響を受けて倒伏しやすい。そして三つ目が、気温が低いといもち病が発生する。そこで、この三つの課題を克服するような品種を作ろうと開発がスタートした。


暑さに強い遺伝子を突き止め富富富が誕生

 「いもち病の抵抗性遺伝子は古くから研究されていました。草丈に関しても短くする遺伝子があることもわかっていました。しかし、暑さに強いということに関しては、全く研究の蓄積がありませんでした。私達は暑さに強い米、品種を探るところから始めました」。暑さによる白未熟粒には、胚乳の背部が白く濁る背白粒と胚の根元が白く濁る基白粒の2種類が出やすい。そこで、これらがない米の探索が行われた。「そして辿り着いたのが、インドの血を引くいわゆるタイ米と呼ばれている長粒種です。長粒種は粒全体が白い米が多い。しかし、よく見ると根元や背中側が全く綺麗なんです。それに気がついて白くなりにくい遺伝子を突き止めました」。

 富山県は他県に先駆け、品種開発に遺伝子診断を取り入れた育種を行ってきた。「単純に暑さに強いもの、病気に強いもの、草丈の短いもの、食味の良いものを交配しても、おそらく色々なものができてしまいまい、こちらの意図するものができるとは限りません。遺伝子情報に裏付けされた品種開発を行うことで、私達は苗の段階で、暑さに強い、背が低くなる、あるいは病気に強いなどがわかります」。そこで、コシヒカリと高温耐性遺伝子を持つものを交配親として交配し、その後目的遺伝領域を持った個体を選別し再びコシヒカリとの交配を繰り返す戻し交配を行って、高温に強いコシヒカリを作り出した。そして背が低いコシヒカリ、いもち病に強いコシヒカリを用意。「病気に強いコシヒカリ、背の低いコシヒカリを交配していもち病に強く、背の低いコシヒカリを作り、そこに暑さに強いコシヒカリを交配します。これをピラミディング育種と言います」。こうして平成28年にコシヒカリを遺伝背景として、高温登熟性、耐倒伏性、いもち耐病性の遺伝子を有する新品種富富富が誕生した。

 コシヒカリをベースとして生まれた富富富だが、食味においても変化があった。「食味に関しての遺伝子は何もいじっていませんが、富富富のほうがデンプンの詰まりが良くコシヒカリより糖の量が多く甘みがあります。アミノ酸の量は、旨みのグルタミン酸とアスパラギン酸の含量、甘みのアラニン、セリング、グリシンの含量どれもコシヒカリを1とした場合、富富富は2割ほどプラスされています」。コシヒカリの甘み、旨みで暑さに強い米が本来の狙いであったが、この食味はある意味偶然の産物。しかし科学的な分析をしてみると、暑さに強い遺伝子がデンプン合成経路の最初の段階でアクセルとして強く働き、これによりデンプンに加えて、アミノ酸

も沢山できるのではないかと考えらている。

 富富富の栽培で注意すべき点は、「背が低いので苗丈も短く、水に潜ってしまうことがあるので水管理はデリケートにやらないといけません。また背が低い分、上に伸びず横に伸びていくので、沢山茎を作って沢山穂ができてしまいます。そうすると養分を取り合って暑さ云々ではなくて、品質が低下するので、肥料を2割減らして植えるようにしてもらっています」。生産者にとっては肥料の削減やいもち病に強いので、薬剤をカットできる経済的なメリットもある。

対応する歩みを止めることはできない

 富富富に続いて、早生品種の“てんたかく”もブラッシュアップした。高温でも安定した収量を誇る“てんたかく81”を来年度に出す予定だ。「どんな熟期でも、早生、中手、晩生、どの品種でもしっかり実らせる事が大切です。生産者にとって気候の変動に対する不安をなくすような品種改良を常に心がけていかなければなりません」。新品種開発のベースがここにある。

 高温被害だけでなく、温暖化に伴って新たな病気も北上している。今後さらに多発する可能性がある、倒伏を招くようなゲリラ豪雨や洪水にどう対処していくのか。今から準備しないと10年後では間に合わない。「農家の方が笑顔になって、安心して米作りをして頂ける様にすることが一番大切です。気候変動に対応する歩みを止めることはできません」。村田さんは力強く語った。


富富富で明日に続く農業を

 昨年に続き今年2回目の富富富を生産する、農事組合法人KEKの組合長理事を務める宮田好一さん(72歳)にも話を伺った。

 KEKは、平成27年に富山市八尾町黒瀬谷地区の4営農組合が合併して誕生した。構成員は96名。経営面積は約102ha。その内水稲が77haになる。「去年が6.8ha、2回目となる今年は8.8haに富富富を作付けしました。富富富には期待しています。価格も良いだろうと言うことで2ha増やしました」。富富富以外は、主力のコシヒカリが約42ha、早生のてんたかくが約23ha、その他には酒米やもち米が作付けされている。

 「富富富は背丈が短いので、倒れる心配が全くありません。コシヒカリは肥料を少なくしても倒れてしまいます。それと比較すると富富富は大変作りやすいと思います。ただ、富富富の場合は栽培条件として化学農薬の使用制限があるので、雑草対策で苦労します。薬に頼らず人手による作業が増えてきます」。富富富の特徴の一つである草丈の短さは、生産現場で高評価のようだが、農薬制限による雑草対策が課題だ。

 最も重要な暑さに対してはどうか。「富富富は去年全て1等米でした。昨年の夏も暑かったですが、コシヒカリは一部2等が出たことを考えると、全量1等になったのは暑さに強い結果なのかなとも思います」と実際に生産に携わる現場生産者の率直な意見が述べられた。

 富富富のこれからの展開に関しては、今年の結果を見て考えなければならないとした上で、「営農組合としてはコシヒカリよりも高い値段で富富富が取引されることは良いことです。ただ、個人的に考えると価格がコシヒカリと変わらなくてもコシヒカリより美味しいとして沢山売れた方が、次につくる面積を増やしていけます。倒れる心配がなく、高温でも1等米比率が高ければコシヒカリをやめて全部富富富にしてもいいと思っています」。今はまだコシヒカリの生産比率の方が高いが、異常気象が頻発する中、生産現場では新しい時代を迎える気持ちは既にできているようだ。後は富富富がどれだけ消費者に認知され、そして指示されるか。期待に応え、選択されるブランドになるならば、今後の価格形成も含めて、可能性は大きい。

 「農業を維持し守るために、来年には隣の集落が営農組合に参加して、120haを超える経営面積になります。そうなれば、集落毎に品種を決め、一つの集落全てを富富富の作付けにしようかと相談しています」。来年富富富を作付予定している集落の生産者が、富富富の栽培方法を聞きに来ているとの事。「新たな事へのやる気を見せています。富富富導入は新鮮な気持ちで仕事に取り組む切っ掛けにもなっています」。気候変動に負けず未来に続く農業にするために富富富の果たす役割は決して小さくないようだ。

 令和元年度の富富富は既に収穫を終え、10月3日から県内で一斉に販売が開始される。また、10日からは県外での販売も始まる。生産者、消費者、富富富に関わるすべての人々が、“フフフ”と微笑むことができるのか。2年目の富富富に期待したい。



環境変化に対応する野菜づくり
取材先:JAあいち中央碧南玉葱部会 小笠原 諭 部会長 

  「今年の夏はいつもと違う」。そんな言葉が毎年のように聞かれるようになってきた。世界的にも異常気象が頻発し、6月、7月の気温は各地で史上最高を記録。パリで40℃、インド北西部では50℃を超えるような猛暑。北極圏の氷が溶け、山火事が相次いでいる。また、ただ気温が高いというだけではなく、国内では、いつまでも梅雨が明けず、記録的な日照不足を招き、そうかと思えば日照りが続き、残暑も長く、作物にとっても生産者にとっても過酷な状況が続いた。これまで経験してきたことのないような状況を前にして、“お天道様には逆らえない”と諦めてしまう生産者も少なくない。しかし、食の供給を止めるわけにはいかない。農業の生産現場は待ったなしだ。その場しのぎの対処療法であっても、目の前の問題に挑む現場力を発揮しながら、何とか環境の変化に対応していかなければ、農業の持続はかなわない。野菜産地の現状を追った。



 

▲広々としたほ場▲へきなんサラダたまねぎ▲盛況の即売会


有市場環境に対応して農産物を進化

 愛知県碧南市は知多半島の右隣、西三河の南部に位置する。畑地は海にも近く、矢作川下流にあって、砂壌土。この地に適した作物として大正の頃からニンジンの栽培が行われてきた。また昭和35年ぐらいからタマネギの栽培が始まり、共に中京圏に食を供給する産地として確固たる地位を築いてきた。ただそれは平坦な道のりではなかった。現在でもそうだが、ライバルがあり、消費者の嗜好、市場環境の変化があり、それぞれに対応していく道のりでもあった。同地でニンジン・タマネギを生産しJAあいち中央碧南玉葱部会の部会長を務める小笠原諭さん(50歳)に話を聞いた。

 「露地野菜ではタマネギとニンジンがメインの産地です。その間に、ダイコンやサツマイモ、昔は甘藷の作付けが多くありましたが、少なくなってきました。最近ではトウモロコシや落花生などが流行ってきています」。産地全体で直近の生産実績を見ると、ニンジンは、昨年の台風で大きな被害を受けたが、150haの作付けで出荷量が6372t、販売金額は5.5億円。タマネギは105haの作付けで出荷量が8903t、販売金額が6.54億円となっている。小笠原さんの経営は、ニンジン2.5ha、タマネギ2.3haを中心に、スイートコーンやホウレンソウなども手掛けている。労働力は本人、奥さん、両親、パートさんが1人。「昔はもう少し大きな経営規模でしたが、両親も歳を取り、あまり条件が良くない畑は返しました」。小笠原さんには中学生の息子がいるが、農業を継ぐかどうかは今の所未定。「農業を継いで欲しいとは言っていますが、やりたくなければやらなくても良い」。地域全体としては若手が多い地域だが、以前に比べると新規就農者の数も減ってきている。

 そんな地域で最近存在感を増しているのはタマネギだが、元々はニンジンの産地。ニンジンは大正時代から栽培されてきたが、面積、生産量ともに大幅に増加したのは昭和30年代に土地改良整備が行われてから。土地に合った“碧南鮮紅5寸人参”を育種し、昭和42年には国の冬人参指定産地として認められ、愛知の伝統野菜にも登録された。しかし、平成に入る頃から流通形態が変わり、量販店での販売が増えるにつれて長さが不揃いなこの地のニンジンが敬遠されるようになった。その打開策として登場したのが地元の篤農家と種苗会社を中心にJAが協力して開発された、F1品種の“碧南美人”。姿、形が良く、鮮やかな紅色で独特の臭みがなく甘みが強い。「生で食べてもらえると良さが分かってもらえる。ジュースにして飲んでもらうと砂糖が入っているのではないかと言われるぐらいです」。平成16年に“へきなん美人”のブランド名で市場展開が始まり、中京・北陸地域に出荷し、評価も高い。消費者の嗜好や市場環境の変化を捉え、それに柔軟に対応することで産地を形成し、生き残りを図り、今に至っている。お盆過ぎから播種を始めて、11月中旬から春先の3月上旬まで収穫する。冬の寒い季節は更にニンジンの甘みが増す。


サラダたまねぎで他産地と差別化

 そのニンジンを追いかけるようにして始まったのがタマネギの栽培。昭和35年から2haほどの面積で始まったが、「急に増えだしたのは30年ぐらい前からです。それ以前はタマネギを作らず、造園業や土建業などにアルバイトに行くのが当たり前でした」。ニンジンの産地ではあったが、それだけでは十分な収入にはならず、また播種時期は台風が日本に来る時期とも重なり、単一の作物に頼るリスクは大きい。そんなこともあり甘藷の栽培なども行われてきたが、「十分な利益にはならなかった」。そんな中、タマネギを作ってみると手応えがあり、「他の仕事に行かなくなりました」。中京圏の人口が密集した消費地に受け入れられるようになり、産地としての地位を上げていった。「平成15年頃まではゴールデンウィーク明けから6月いっぱいまでの2ヵ月弱ぐらいしか出荷していませんでした」。しかし1戸当たりの栽培面積が広がるに連れ、最近では3月中旬からの出荷も行われている。苗の移植はマルチをかけた畦に1列10本を手作業で植えていく。「地域の作付面積が他の大きな産地に比べると圧倒的に狭いので、一枚の畑からできるだけ多くの収量を上げるような栽培体系をとっていかなければ儲かりません」。

 その上で、他産地との競争がある。周囲には静岡産があり、高品質な淡路産や巨大供給地の北海道産も碧南産が市場とするところに出回ってくる。その中で選ばれるタマネギとして存在感を発揮していかなければ、生き残っていけない。そこで他産地と差別化が図れるものとして登場してきたのが“へきなんサラダたまねぎ”だ。「みずみずしくて辛味が少ないので、水にさらさずそのままサラダで食べることができます」。3月の中・下旬から4月の下旬まで出荷する早生もので、食味の良い期待の品種だ。5年ほど前から試験的な栽培が始まり、本格販売は昨年からで、今年2回目のシーズンを終えた。「苗もしっかりし、定植した時の病気の発生も少なく、収穫したものの首の締まり、玉の締まりも良く、形も整っています。すごく良い品種で、今、どんどん広がっています」。単価も良く生産者の意欲も高い。また一般的なタマネギは、20kgを1単位としてネット出荷しているが、サラダたまねぎは10㎏を1単位とした箱詰め出荷。「ここでも高齢化が進み、70歳くらいの人でもまだまだ現役なのですが、そういう人たちでも20kgは重いという話が出ていて、10kgの箱詰め出荷は嬉しい」。労働負荷の軽減にもなる。

 瑞々しくて新鮮な早生ものを提供するということは、生産地と消費地が近いからこそできることで、貯蔵品とは明確に異なり、遠隔地にある供給力の大きな産地との差別化に繋がる。「私たちは小さな産地ですが、比較的温暖な地域特性と消費地への近さを活かして早生もののサラダたまねぎを積極的に作り、もっともっと宣伝して売っていくべきではないかなと思っています」。JAでは碧南市、商工会議所との連携事業で、市内飲食店の協賛を得てサラダたまねぎを使ったメニューを展開している。また、交通安全市民運動に協賛し、道行く車に交通安全を呼びかけると共にサラダたまねぎの配布を行うなどのプロモーション活動を行い、認知度の向上を図っている。

 またサラダたまねぎは異常気象への備えにも繋がっている。タマネギ栽培では通常マルチを使っているが、近年の高温傾向もあって「6月に出荷するタマネギは、マルチの中が高温になって煮えてしまい、腐ってしまって売り物にならないものが出ます。私の所ではマルチで栽培するのは6月10日ぐらいまでです。それ以降のものは露地で栽培するか、早めに切り上げるかです」。それに比べ春にできるサラダたまねぎはマルチの中で煮えるということはなく、この時期のものを充実させれば高温で損なわれる品物を補うことにもなりそうだ。また、この新品種がタマネギ栽培そのものの活性化に繋がれば、台風のリスクに晒されるニンジンの備えにもなる。季節を異にして複合的に野菜を生産する産地の強さでもある。


連携することで“荒ぶる自然”に対応

 温暖化の影響で台風が大型化しやすくなっているが、昨年この地域は3つの台風に襲われた。その中の一つが、関西国際空港の連絡橋とタンカーの衝突を招いた大型台風21号。記録的な暴風を伴い各地で大きな被害をもたらし、農業への被害も甚大となった。地域では台風の接近を知り、成育中のニンジン畑に寒冷紗をかける作業を急いで行ったが、「1日やっても、5反かけるのが精一杯です。それにどこの家も栽培面積の半分を覆うことができる程度しか寒冷紗を用意していません」。その時のニンジンはお盆過ぎからの播種も終え、一番早くに播いた人でも間引きが始まる前で、ようやく背丈が10cmぐらいになった頃合い。「猛烈な風と塩害に襲われ寒冷紗をかぶせた畑以外は全滅です。一本も残りませんでした」。その後、種の播き直しを行ったが、寒冷紗をかけた所でも成長が遅れたり、結局、「収量的には4割減、収入にすると5割減になりました」。

 台風のリスクは毎年あり、小笠原さんは「播き直し用に種を余分に持っています。この辺りはそういう人も多いと思ますよ。播き直そうにも地域にストックがなかったということも過去に経験していますので」。事前に備えることで、リスクの最小化に努めている。ただそれは生産コストを押し上げることにもなっている。被害が出た後に種を購入する場合、公的な補償制度が適用されるが、事前に用意していた分は対象外。用意周到であることで損をするような事態になっている。自然災害の前では等しく被害者であると思うのだが。

 異常気象の影響は台風の大型化以外にもあり、今年はいつまでも梅雨が続き、その後は猛暑となった。その中、ニンジンに例年にないような症状が出ている。「根の成長が止まっています」。またタマネギは昨年の暖冬で「成長が進み、中分球という奇形が増え、規格外品が多く出ました」。

 荒ぶる自然に対応するたった一つの方法など存在しない。その脅威の前では為す術のない事の方が多い。特に露地栽培ではそうだ。その都度対処し、または諦め、あるいは一からやり直す。その繰り返しだが、たった一つの作物に頼らず、リスクを分散していくのは有効な方法に違いない。ニンジンは、台風のリスクがあるけれど、ブランド力があり機械化も進み作業効率は高い。一方タマネギは台風の影響は受けないけれど、移植は手作業で機械化は試行錯誤中。サラダたまねぎでは、収穫も手作業。しかしお互いが補うことで産地が持続していく力になっていく。またこの地で野菜作りを担う農家はJAや普及所との連携も強く、「こういう人たちがいるから碧南はやってこられたのです」。大きなリスクも互いに協力することで受け止めようとしている。またもし後継者が入ってくるのなら、世代を継いでリスクと向き合うことができる。今、異常気象を含めた、様々な環境変化があり、その大きな力の前に個人ではあまりにも小さい。手を結び、連携することで前に進む道を探る。明日に続く産地の一つの姿がそこにあった。



農業を活性化する強いヒロイン
取材先:奈良市 月ヶ瀬健康茶園 

  農業就業人口のうち46%は女性。約半数を占めているわけで、日本農業を支える存在であることに疑問の余地はない。農業従事者の高齢化や担い手不足が進行する中、農業を成長産業にしようと各地で様々な取り組みが行われているが、女性農家の活躍なしには成し得ないだろう。生産現場の重要な労働力であり、また女性ならではの目線、発想、ネットワーク作りなど、これらを活用することが、これからの農業において必要不可欠となってきている。農産物を単に生産するだけでは立ち行かなく成りつつあるのだから。マーケットインの姿勢が必要だし、消費者との繋がりが求められる。その中で新たな付加価値を生み出し、提供していくことに日本農業が持続していく一つの道がある。今回、栽培から加工、販売までを一貫して手掛ける茶園を訪ね、女性の強みを活かした取り組みを探った。



 

▲斜面に広がる茶畑▲丁寧に加工を行う▲製品パッケージ


有機栽培で自園、自製、自販まで行うお茶農家

 奈良のお茶は大和茶と呼ばれ、弘法大師が唐よりお茶の種子を持ち帰ったことに始まる。奈良の宇陀に植えられ、お茶の製法がその地に伝えられた。その奈良県の北東端に位置するのが今回お訪ねした月ヶ瀬地区。山間冷涼地にあって、朝晩の寒暖差が大きく、四季を通した気候、風土が美味しいお茶を育てる。お茶の栽培には適した環境にあり、歴史ある茶産地として全国に知られている。山間の斜面には茶畑が広がり、初夏になれば新緑が斜面を鮮やかに彩る。

 「女性は一人で奮闘するのではなく、その時々の役割分担をきちんと持ってチームワークで仕事を回していく事に長けているのではないでしょうか。茶園には男性もいますが特に細やかな仕事は女性で連携をとって行っています。女性一人が頑張るのではなく、弊社の場合はチームで取り組むヒロインズですね」。そう語るのは、月ヶ瀬健康茶園の岩田ルナさん。夫の文明さんと共に、この地で代々続くお茶園を営んでいる。

 同園は有機栽培を行い、お茶の生産から製茶、小分け、販売までの一貫したお茶作りに取り組んでいる。販路は、8割がエンドユーザーへの直売。2割は生協や飲食関連への卸しで、すべてダイレクトの取引を行っている。「仕入れや原料、生葉を余所に持って行って加工することはなく、すべて自園、自製、自販で行っているのが私達の茶園の特徴です」。同園の様に栽培から加工、販売まで行うお茶農家は多くないが、自販に取り組む茶農家は増えてきているという。「特に紅茶等は、自分たちで作って自分たちで販売するスタイルが伸びてきています」とルナさんは話す。

 茶園は現在9ha。その中には高齢化によって耕作放棄された茶園を借り受け、再生途中にある茶園や、開墾してお茶の種から木を育てている実生園でまだ収穫前のもの、さらに、有機肥料として茶園に施用すための草を育てている採草地を含んでいる。「夫の両親の時から、私達の代になって3倍以上の広さになりました。でも、実働の茶畑は半分もありません。この辺の茶畑は通常年4回収穫を行いますが、私達は購入した肥料を使わず、地域の草木を畑にかえすということを徹底しています。一般的な肥料を与えている茶園と同じ収量を取ると、お茶の木が弱ってくるので今年は収穫しないで休ませる畑もあります」。栽培しているお茶の品種は、以前は“やぶきた”が多かったとのこと。国内で生産されるお茶の8割近くがこの品種だ。しかし一品種の偏重は、風味、味の画一化、採茶や製茶作業の一時期集中、それによる農繁期の過重労働、設備運用の非効率などを招く。「9haになった時点で、実生在来種とやぶきた等の品種物がほぼ同じ量になってきました」。1960年以降、茶品種の普及として急速に広まったやぶきたは、樹齢40年から50年。一方、月ヶ瀬の地に根付いた在来種やその実生園は樹齢60年から100年以上になる畑まであるという。「耕作放棄地になったり手放された茶畑は、茶山という大体作業効率の悪い傾斜地が多いのですが、そういう場所は昔からお茶の栽培をされていた圃場が多く、やぶきたが世の中に広まる前から、月ヶ瀬で育ったお茶が長い年月を繰り返して育まれ栽培されてきたところです。昔からある畑が辞めてしまったら、二度と同じ畑はできません」。同園では作業効率の悪い傾斜地の茶山も預かっているが、その一つの理由がここにある。また、茶山の荒廃を防ぎ維持していくことは、農業の持つ多面的機能の役割も果たしている。「実生在来種は、月ヶ瀬のここでしか味わえないお茶になるわけです。肥料や購入した資材は使わないので、茶園ごとの味が出やすく、希少価値の高いお茶になります」。月ヶ瀬という自然環境がお茶作りに活かされている。


共有、共感することが私達の強み

 同園で働く女性は、ルナさんの他、文明さんのお母さんと従業員の道免洋子さん、そして3名のパートスタッフだ。ルナさんが企画と販売の計画を立て、経理も見ている。そして、道免さんが出荷と小分けの指示を行いパートの女性スタッフが袋詰めをして出荷を行う。農繁期になれば通常業務に加えて、収穫作業、運搬作業、茶工場での作業があり、男女、パートスタッフの別なく、全員で作業に携わる。

 「誰かが欠けた時でも、少しスライドすれば仕事が回せるように、なるべく色々な仕事を共有してやっていくようにしています。これはとても重要なことで、私達は本当に小さな規模なので、仕事の質やお客様への対応に関して、全体が見えているかどうか、一貫性を持たせると言うことが、お客様にとっても私達にとっても商品にとっても非常に重要なことだと思っています」。園としてお茶の栽培から消費者への販売まで、すべての工程を一貫して行うのと同時に、それぞれが顧客情報を共有し、誰もが一貫した同じ想いで顧客に対応し仕事を行っている。そこに顧客との信頼が生まれてくる。

 また、生産に携わるものそれぞれが、買って下さる消費者のことを知り、また消費者にも生産者の顔が見えているということは、責任感やお客様への想いが全然変わってくる。どんな人が買ってくれているのか全く分からないということよりも、消費者と生産者の相互の顔が見えることは重要なことだ。「相手の事を知りたいと思うのは、わりと女性的なスタイルじゃないかなと思います。催事出店したときにお客様とお会いしてご挨拶したりしますが、その時のことを、こんな感じだった、こんなことを喋ったと、井戸端会議で伝え、情報を共有し共感を図っています」。

 園で働く女性たちは生産者であると同時に、家庭では家族の食などを担う生活者の側面が大きく、普段から同園のお茶を飲み、安全・安心にも気をかけて暮らしている。「焙じ番茶は、この夏の時期どうやって飲んだら美味しいかとお客様に聞かれても、家庭で普段やっているので、私はこうして飲んでますと、応えることができます。また、袋詰めするときに上の方までお茶が入っていると、使う側では開けるときに切れてしまうことが分かるので、そうならないように綺麗に入れたり、普段の生活と仕事がすごく密接になっています」。生産者と消費者であっても同じ生活者としての視線を共有できることが女性の強みとなっている。

 「いいよね。美味しいよね。とか、後、あれよかったとか。じゃあ私もやってみようとか。女性は同性に対して、子供の事、主人の事、両親の事も語れます。それが仕事として繋がるものになっています。一人では絶対に盛り上がりません。それをチームで共有して、共感しているところが私達女子力の強みがあります」。共有、共感して楽しみながら仕事を行い消費者と繋がっていく。これからの農業に女性が果たす大きな役割がここにある。

キャリアを活かして茶業に取り組む

 ルナさんは2003年に文明さんと結婚し、それを機に就農した。それまでは、東京で有機食品の流通の仕事に携わっており、結婚が決まった頃に文明さんの父親から、農協に出している分のお茶を全部自分で売れたら良いなという話もあって、「それなら自分にもできそうかな」と、ルナさんなりの農業への関わり方を模索し始めた。大学を卒業した後、流通の世界にいたルナさんは、販売に関しての高いスキルを持ち、それを生かせることは嬉しいことだったに違いない。ただ、何でも売れば良いというのではなく、それまでの仕事では高い商品価値を持ち、背景にしっかりとしたストーリーのあるものを流通させる事にやりがいを感じていたこともあって、「自分の納得するお茶を作ってそれを売る」ことができれば、「ちょっと良いかもしれない」と、進む道が見えてきた。

 「農家に嫁ぐとか、そういう感覚ではなく、その中で販売ということであれば、今までのキャリアを活かした職業として、自分にもやれると感じましたし、面白いとも感じました」。

 しかし自分たちの力でエンドユーザーに販売するという事は、こなさなければならない業務が増えていくという事でもあった。農協や問屋であれば数十㎏単位で販売できるが、エンドユーザーには50gや100g単位となり、小分けして出荷しなければならない。まずは伝票類の電子化をすることから、ルナさんとお茶との関わりがはじまった。

 やれることを一つずつ行い、お茶の知識を蓄え、自販の拡大を進め、紅茶の商品化にも取り組んだ。「企画を組んで提案していくのと、単に注文を受けて出荷するだけとでは、売上は大幅に違います。エンドユーザーに対してだけではなく、生協や量販してくれるところへの提案参入に関しても、できることが色々ありました」。取引先に対して、意図を持ってしっかりプレゼンテーションし、製品のストーリーも含めて理解してもらうことが、販売拡大に繋がっていく。

 また結婚前のキャリアから、流通で何が劣化して、どのようなところに問題が起きやすいかを常に意識している。消費者が問題だと思う事を早めに察知し改善する事が、「販売量拡大に繋がる」とルナさんは話す。「例えば、無農薬だから葉っぱに穴が開いていても良いという時代ではもうありません。生産技術を高めて品質管理と事務管理を徹底する事は、販売を伸ばすチャンスです。注文したら最短で届く。これも頑張ってみるべきところです」。


お茶を飲む場が次の展開

 今後の展開として、「お茶を飲む場所があればいいなと思っています」。今は特定の場所があるわけではなく、イベントなどを開催したときに試飲として飲んでもらうことしかできていない。園では様々なお茶があり、新しいお茶にもチャレンジしている。その中には、1〜2㎏しかない少量のお茶もある。量的にみてそれらを茶葉として販売することは難しいが、お茶をいれれば100人には提供できる。これらの新しいお茶を飲むという展開が考えられているのだ。

 「カフェのような専門的なものではなく、農家として、あるいはお茶を販売するものとして、お茶を飲むというシーンをどのようにして組み立てていくかをまず考えてからやりたいです」。そこに6次産業的価値がありそうだ。またその上で生活者として消費者の気持ちを共有し、共感できる場にもなるに違いない。そこには生産者と消費者を結ぶ力があり、それが農業を変えていく。



新しい景色の中で前に進むために
「農業が持つコロナ禍と闘う力」 

  

 


▲3密を招く都会の人混み▲人口密度の低い農村▲新しい生活様式が求められる


移動の制限、3密を避ける

 こんな春、こんな初夏。新型コロナウイルスが日常をすっかり変えてしまった。先行きの見えない状況に戸惑いながらの日々が続く。長期戦の覚悟が必要だとされているが、各地の非常事態宣言が解除される中で、これまでの日常を取り戻したいとする願望は強い。不透明さに耐え切れず、もうそれは過去の出来事だとしてしまって、前に進みたいとも思う。しかし専門家は、あるいは歴史は第2、第3の流行を予想している。1918年3月頃からアメリカで確認され始めたスペイン風邪(インフルエンザ)はおよそ2年間で3度の流行の波があり、その間に当時の人口の3分の1から半数が感染し、死者数は5000~8000万人、最大で1億人に上った。日本でも大流行し4割が感染、約39~45万人が亡くなったとされる。死亡率は第2波が第1波の4倍を超える。当時は有効な治療薬やワクチンもなく、病に翻弄されながらも多くの人が免疫を獲得することで終息を迎えたと言われる。

 現代においても免疫獲得が終息の鍵であることに変わりなく、それを促進するワクチンの開発が待たれる。世界中で取り組みが行われ、かつてないペースで開発が進んでいるが、実用化され、量産体制を整え、広く供給されるまでには、1年〜1年半程度かかるようだ。それまでは医療体制が麻痺を起こさない程度の感染者数に抑えることが懸命だろう。3密を避けることが望ましいとされる生活様式は当面続きそうだ。それが社会、そして農業にどのような変化をもたらすのか。現状から先行きを窺う。

 新型コロナウイルス感染症拡大を抑制するための大きな指針は二つ。一つは移動の制限。もう一つは3密を避ける。それらが日常の活動を抑制し、多くの需要が失われてしまった。まず移動の制限により、外国人観光客の姿が消え、インバウンド消費が失われた。移動手段である交通機関も利用客が大幅ダウン。石油の消費も落ち込んだ。合わせて観光地、宿泊施設、旅行関係が大きな打撃を受けた。密閉、密集、密接の3密を避けることでは、人を集める所がまったく機能できなくなった。学校、劇場、映画館、飲食店、ナイトクラブ、レジャー施設、ショッピングモール、また会議やセミナー、スタジオ収録、撮影、加えてスポーツの試合、展示会など多くのイベントが中止となった。さらに花見や、卒業式、入学式、入社式、祭りなど季節の行事も多くが取り止めとなった。

 その代わりとなる新たな需要も生まれている。衛生グッズ、テレワーク関係、STAY HOME GOODSなど。スーパー、コンビニ、ドラッグストアが盛況で、業務スーパーを展開する神戸物産やドラッグチェーン最大手のウエルシアホールディングスは上場来高値となっている。ネット企業も好調で、メルカリは株価上昇率80%、オンライン診療システムのメドレーは210%、ユーチューバーのマネージメントを行うUUUMは56%となっている。eコマースの取り引きが増え、それを配達する宅配も忙しく動いている。アマゾンなどEC向け宅配を行っているロジネット・ジャパンも上場来高値を更新した。


業務用の需要が消え、家庭用は盛況

 もちろん農業も大きな影響を受け、各地で需要が消失している。観光農園は観光業でもあり、この春は厳しい。イチゴ狩りは5月まで開園していることが多いが、来園者が激減し、早々と営業を終了。残されたイチゴはスタッフによって摘み取られ、ジャムなどに加工する所もあったようだが、大きな損害は免れない。山形では通年6月からサクランボ狩りを始めるが、今年は観光客の受け入れを断念した。グリーンツーリズムなども大きな打撃だ。不要不急の外出は控えるようにと要請される中では、レジャーや食育の一環で農業体験などを求めて訪れることは難しい。販売先の消失では、まず休校により給食用野菜が行き場を失い、イベントの中止、外出自粛などで、ホテルや観光地などへの客足が途絶え、また訪日客の消失により、宴会や接待、贈答、旅先での飲食など比較的高価な食材の消費が落ち込んだ。和牛やメロンなどの需要は振るわない。神戸牛の生産者は出荷しても採算が取れないと嘆く。春は出会いと別れの季節。そんな節目には花がつきものだが、入学式、卒業式、イベントの相次ぐ中止で需要が激減。野菜の生産に切り換えたいとする農家も現れてきている。飲食店の営業自粛では、甚大な影響が各地に及んでいる。タマネギ生産量で全国2位の佐賀県は、4~5月に新タマネギの収穫期を迎えるが、生産量の半数以上は飲食店向け。休業により需要を失い、供給過剰で市場の卸売価格は前年比で4割ほど下落。その中、約1万t分の出荷を先送りするとしている。また特定の飲食店と契約している農家の被害も深刻となっている。振興され伸張もしてきた輸出にもブレーキがかかる。岡山県ではブドウ生産者に大きなブドウを作らないで欲しいと呼びかけている。大房は単価が高く輸出用とされているが、需要減が見込まれる中、これを減らし、内需中心に販売を進める戦略を描いている。

 輸入に関しては、移動の制限や活動の自粛などにより品薄となっている品目が出てきている。バナナは現地の移動制限で収穫が滞り、マンゴーやアメリカンチェリーは旅客機の減便などで貨物量が減少、アボガドもコンテナ船の輸送量が減少している。また豚肉や牛肉はアメリカ食肉加工工場の一時閉鎖や減産が相次ぎ、安定調達に不安が出ている。輸入減に合わせて価格が上昇し消費者にとっては喜ばしくない状況だ。さらに自国の食料確保を目的に小麦、トウモロコシ、コメなどに輸出規制を設けている国もあり、食料安保を見据えた動きも出てきている。

 影響は需要の消失だけでなく、生産現場にも大きく及んでいる。田植えの時期、例年農村ではゴールデンウィークに帰省してきた子どもたちが、農作業を手伝う姿で活気づくが、今年は一変した。滋賀県では集落の営農組合などで助け合うことを要請するなど、各地、人手の確保に苦労している。また、出入国制限が続く中、外国人技能実習生が来日できず、多くの生産現場で若い働き手を確保できていない。5月上旬時点で来日の見込みが立たない農業に携わる技能実習生は2400人を数える。多くの産地で、収穫作業などは技能実習生に頼るケースが多く、影響は大きい。

 一方、巣ごもり消費により家庭内で消費する野菜などは好調に推移している。東京市場の5月上旬の野菜卸値は平年より5%高い。またeコマースを使った直売も活況。生鮮宅配のオイシックス・ラ・大地は3月期の連結決算で、過去最高の売上高を更新している。さらに卒業式で手渡す花は売れなかったが、母の日のカーネーションがネット販売や宅配ギフトなどで伸びている。農業全体を見れば需要が全く消えてしまったというわけではなく、部門別では、あるいは販売方法により、成長している部分があり、他の業界に比べて恵まれている部分もある。人手不足解消のため休業や廃業で働き口をなくした飲食店関係者や宿泊施設関係者を受け入れている生産現場もあり、農業が苦境打開に貢献できることもありそうだ。


新しい景色の新しいライフスタイルに貢献

 困難な状況に対応するため新しい景色が生まれ始めている。生存のためより有利な環境を求める過程だと言えるかもしれない。きっかけは“密から粗”へと向かう方向だ。混雑を避けるということで、人々を一つ所に集めてサービスを提供する仕組みはことごとく今の状況に適さなくなり、多くの施設・業態が影響を受けた。“みんなが同じ場所で同じもの”は、“それぞれが別々の場所で別々のもの”になった。外から家への流れであり、パブリックからプライベートへとも言える。しかし家に引きこもっているだけでは寂しい。別々の場所に居ても何とか繋がっていたい。そこでインターネットが大きな役割を果たす。リアルからバーチャルだ。ただ、リアルとは違い単に繋がっているだけでは存在感が希薄で結びつきは心許ない。そこで発信が重視される。そのときは正直さが必要。暮らしぶりが見えるほど距離の隔たりが埋まる。プライベートは守り、隠すものから、発信し公開するものになったかのようだ。食べたもの、行った所、読んだ本など全てさらけ出していく。ビジネスでは“密から粗”の中でテレワーが普及し、今後も一定の割合で定着していくと思われる。空間の束縛がなくなることで、新しい展開も出てきそうだ。アウトソーシングの更なる普及や人材登用もグローバル化が進むのではないだろか。

 そんな新しい方向と、農的なものが重なる。例えば旅行だが、長距離を移動して混雑する観光地が避けられるのなら、農泊などはどうだろうか。少ない宿泊者で農業体験などを通し、見物などのような受け身ではない主体的な時間を過ごすことができる。また感染が広がる中、 都心を避け軽井沢などに避難する人もいたが、今後、地方に居を移そうとする人も増えるのではないだろうか。特に高齢者は、故郷に帰ることを、あるいは田舎に住むことを、老後の有力な選択肢の一つとすることに抵抗を覚える人は少ないだろう。密から粗へ、中心から縁にだ。経済活動の維持では、日本全体を考えると都市部より麻痺しにくい地方での活動が鍵となる。地方創生の流れもあり、ここを強くすることに異論はないだろう。仕事があれば人も来る。それは農村の活力を上げることにも繋がる。

 また趣味嗜好といった楽しみの問題にも、農業は役割を担える。これまではどちらか言うと、与えられるものを消費し、感動を分かち合ってきたわけだが、それができなくなって、残念な思いをしている人も少なくない。その中でものづくりが注目されている。感動は与えられるのではなく生み出すもの。料理をする人が増えている背景にも関わりがありそうだ。野菜苗を買って家で育てようとしている人も増えている。農業はものづくりであり、プライベートを充実させる一つの方法になる。インスタで、買ってきた食材を見せるより、自分が作った野菜をアップした方がインパクトは大きい。新しい景色の新しいライフスタイルに農業が一つのモデルを示せる。

 緊急事態宣言が解除されてもこれで終わりではない。第2波、第3波が懸念され、その経験を通して新しい方向が定着していく。あるいは思ったより続く波が軽く、すぐに元の生活に戻ってしまう可能性もある。しかし、感染症の危機はこれで終わりではない。新型インフルエンザを含め、次の未知なるウイルスに対するリスクは依然残っており、今回の経験を踏まえそれらに備える体制を構築し、強めていかなければならない。より生存に適した環境への移行は進む。その中で、農業が果たす役割は少なくないはずだ。


ため池の多様な役割で地域を活性化
取材先:徳島県阿波市 市場中央土地改良区 

  農作物を育てる上で最も重要となるのが水の確保。降水量の豊かな場所、大河の流域では農業が栄え、文明の興隆さえも後押しするが、それ以外の場所でも人は生き、食を求め、水を必要とする。その中で、つくられてきたのがため池だ。水が乏しい場所でも農業が可能となり、まさに地域存続の命綱として長年守られてきた。しかし、農業を取り巻く環境が変化する中で、ため池の在り方も変化し、誰がどのように維持管理していくのかが大きな問題になってきている。一方、農業用水としての供給だけではなく、憩いの場として公園化することや、洪水調整池、防火用貯水池などの防災施設としての役割が期待され、さらに、水辺の生物の生息地を提供することや土木遺産としての価値などがあり、地域社会において、ため池の持つ多面的機能が再認識されるようになってきている。今回、徳島県阿波市のため池を訪れ、そのため池の持つ多様な役割を探った。



 

▲重要な役割をするため池▲取水塔▲レンガ造りの導水路樋門


地域農業の礎となったため池

 徳島県北部は、古代、粟の生産地であり、その読みの音から阿波の国となり広くこの辺りをさす名称として定着し、現在は徳島県中央北部に位置する市の名前に冠される。今回訪れたのは、同市市場町の市場中央土地改良区。同土地改良区は三つの地区で構成され、それぞれに、農地・水・環境保全組織運営委員会があり、その下に15の地域資源保全隊を組織して、各地区に根ざした多面的機能支払交付金を活用した取り組みを行っている。市場町は中山間地域の棚田地帯から、吉野川沿いの平地まで豊かな自然に恵まれた地域で、稲作のほか、ブロッコリーの生産も盛んに行われている。阿讃山脈南斜面の扇状地に位置し、県下でも降水量が少ない地域となっている。

 「昔は桑畑と芋畑でしたが、水を得ることによって、米を作ることができるようになりました」。そう語るのは、市場中央土地改良区の松本勝理事長(75歳)。降水量が少なく、干ばつに苦しめられてきたこの地域の農民は、江戸時代後期から硬い岩山に隧道を掘り、水路を築き上げ田畑を養ってきた。しかし水が十分行き渡ったわけではなく、度重なる干ばつに耐え、米作りを広げていくためにも大規模なため池の建設による農業用水の確保を渇望した。そこで農業用水を確保するため明治43年から築池調査を進め、大正2年に起工し同4年末に金清1号池と金清2号池が完成した。「地域の人、300人くらいが出て勤労奉仕で作業したそうです。技術者が東京から来て技術指導したらしい。2号池には当時流行していた取水塔が建てられました」。また、同時に造られた導水路樋門はレンガ造りで築かれ、今もその姿を見ることができる。「当時は人力の作業でしたが、池や水路を修繕する時に、その建築技術の高さに驚かされます。技術の進歩と照らし合わせて歴史を感じることができます」。金清1号池は、貯水量14万㎥。2号池が11万3000㎥。築造から100年以上たっている2つの池の水は稲作を中心に100haの農地で利用され、現代に至っても貴重な水源となり、農業の礎としての役割を果たしている。


ため池の持つ多様な役割

 松本理事長は「9月になると農業用水の需要量が少なくなるので、水位を下げて台風や大雨による流水を貯留する調整池として、水害の抑止に繋げています」と灌漑以外の地域に根ざした防災機能としての役割について説明してくれた。また、ため池には土砂が崩壊した際に、土砂や流木を留めることにより、下流域の被害軽減にも繋がっている。

 金清池周辺は自然景観が優れ、以前から地域の小学校の遠足の場となるなど、地域住民の憩いの場としても親しまれ、親水公園としての機能を発揮している。「地元にとって金清池は生活する上で欠かせないものです。水で苦労してきたから、ありがたみもわかっています。だから、金清池をはじめ地域のため池を大事にしています」。その思いから、大切なため池とその施設を後世に残していきたいと、看板をつくり池の由来を記している。また、池の清掃や整備は池の管理組合や非農家も参加している地域の資源保全隊によって年2回実施し、それ以外に周辺の草刈りなども行っている。さらに、地元中学校と一緒に水路の清掃活動や美術部の生徒たちによる環境保全の啓蒙看板作成を行うなど、地域を挙げて金清池とその周辺の環境保全に取り組んでいる。

 これらの取り組みや土木遺産として評価を受け、「ありがたいことに、地域の財産として平成22年に徳島県で唯一、金清1号池と2号池が“ため池百選”に選ばれました」。“ため池百選”は、農林水産省が全国に約20万ヵ所あると言われているため池の中から、特に秀でた特長を有している100のため池を選定したもの。ため池の持つ多様な役割と保全の必要性を広く周知することが目的で、農業の礎、歴史・文化・伝統、景観、生物多様性、地域とのかかわり、以上の5つの視点の内1つ以上において秀でていることが求められる。

 「遠方から訪れる観光客もいます。市が金清池周辺を公園として整備する予定もあり、今後さらに観光客が増えていくと思います」と、地域の賑わいに貢献する観光資源としての役割に期待を寄せる。また、同土地改良区の吉永秀二郎事務局長は、「遊休農地を活用してコスモスや季節ごとの花を植栽し、棚田ではペットボトルでつくった灯籠を田圃の周辺に幻灯火と呼んで設置しています。そんな我々の取り組みがSNSで拡散して、それを見た他地域の方々が足を運んできています。これからは、我々も金清池の魅力の出し方を研究していかなければなりません」と、外部へ向けての主体的な情報発信の必要性を述べた。


地域全体を潤す新たな役割

 「この地区で専業農家は1割もいません。農地を維持管理するのには農家だけでは難しくなってきています。そのため、非農家の方も巻き込んで保全隊活動を行っています」。農業の担い手不足による高齢化が進み、農家だけでの水利施設の維持管理や農地の環境保全活動が難しくなりつつある。同土地改良区では、金清池への取り組み以外にも、先に出た花の植栽や幻灯火イベントをはじめ、非農家の地域住民に対して、収穫体験や調理・試食会等の交流活動も積極的に行っている。「子どもたちが参加する収穫イベントで、収穫の喜びを感じてもらう。こういうことが将来の農業に向けて大事なのではないかと思います。農家と子どもたちの交流を通して、通学の声かけや見守りにも繋がっていきます。子ども達が農業に少しでも関心を持ってもらえればと思っています」。世代を超えた交流が、地域農業を維持する上でも重要となっている。

 金清池への取り組みを通して「地域全体で水利施設を保全するという意識が高まってきているように感じています。非農家の方にも農業に関して意識を持ってもらえています。ため池をはじめとした農業施設が維持管理され、それに伴い景観や自然環境が維持されること、それは農家だけでなく非農家の方にも良いことで、一緒に住みよい地域作りをしていきたい」。多面的機能の共有が地域づくりの強い力となる。

 金清池の持つ多様な役割を、農家だけでなく、地域住民一体となって支えていこうとする姿ができつつある。田畑を潤すだけでなく地域を潤すため池となることを願う。



農業が生み出す多様な価値を守る
取材先:鳥取県湯梨浜町 門田地区 農地・水・環境保全会 

  農業の価値はただ食料を生産するということだけではなく、それを営むことでもたらされる様々な恩恵も含む。例えば水田は治水機能をもち、豪雨による洪水や土砂崩壊を防ぎ、地下水の涵養を行い、多様な生物の生育の場となり、美しい景観を維持し、農村文化の伝承も担っていく。それらを形成し維持する農村は、日本の原風景であり、我々が進むべき方向を迷った時には、立ち戻ることができる原点でもある。たやすくお金に変換できない価値がそこにある。それを農業の多面的機能として守っていこうと、様々な取り組みが各地で行われているが、高齢化は依然進み続け、異常気象が頻発し、困難も多い。また農業の成長産業化が単なる利益拡大に偏れば、多面的機能を損なうということにもなる。農地をただ維持すればそれで良いというわけではないのだから。多面的機能の維持に奮闘する集落の取り組みを追った。



 

 
▲美しい自然環境を守る▲田んぼの学校の看板▲樹園地農道の草刈作業


地域の農業を守るために保全会を結成

 農業に対して憧れを抱く人は少なくない。命に関わり、それを守り育む仕事は、生きることの根本にあってやり甲斐もあり、大きな魅力を持っている。しかし、人を惹きつけるのはそれだけではなく、多くの喜びが、農業を営むことに付随する様々な物事、あるいは農業がある暮らしの中にある。心を震わせる景色があり、心を通わせる親密さがあり、その日常が人を農村にとどめ、あるいは誘う力となる。決して小さくはない力に。しかし時の流れはその日常を変えていく。それは農業・農村が魅力を失っていくということであり、農業の持続が脅かされることに繋がっていく。

 さて、今回お訪ねしたのは鳥取県中部の湯梨浜町。平成16年に東郷町と、羽合町、泊村が合併してできた町だ。町のシンボル東郷池の湖底からは温泉が湧き、その湖畔では東郷温泉、はわい温泉と名のある湯どころが営まれている。また山間部の傾斜地は二十世紀梨の生産が盛んで、“東郷産二十世紀梨”はブランド梨として評価も高い。海岸部に行くと、砂丘地帯が広がり、夏場は海水浴客で賑わう。自然の恵みが豊富だ。その町の西部に門田地区がある。「温泉から“湯”の字、特産品の“梨”の字、浜辺の“浜”の字、町の特徴を表すそれらの字をとってきて湯梨浜町となりました」と門田地区 農地・水・環境保全会の岡本隆夫代表(69歳)が教えてくれた。他にも保全会役員の前田秀穂副代表(66歳)、生田明英書記(72歳)、前田昭夫企画部長(64歳)に集まって頂き、平成29年度多面的機能発揮促進事業中国四国農政局長表彰において最優秀賞を受賞した、農業・農村を維持するための取り組みについて聞いた。

 門田地区は、東郷池の南西部沿岸部に位置し、湖面から連なるようにして水田が広がり、山間部では町特産の二十世紀梨の栽培が盛んに行われている。「水田が約40ha、畑地が約10ha、合わせて50haほどの農地があります」。その中で農家数は43戸、非農家は39戸とほぼ半々。農業が主な産業となる農村地帯ではあるけれど、「昭和50年代に80戸以上あった農家が平成20年代には半減しました」。急激な高齢化により農地・施設の保全管理が年々難しくなり、また水稲栽培は「集落内の認定農業者さんのお世話になっています」。農地集積が行われているが、それにも限界があり、担い手の負担軽減をさらに考える必要が出ていた。そこで「平成20年3月、農地・農業用施設の保全管理と農村環境の保全を目的に門田地区 農地・水・環境保全会が設立されました」。これを国が行っている“農地・水環境保全向上対策”の受け皿として、農業、地域を守る活動を展開している。

 役員は6人。代表の岡本さんは鳥取県の新品種“星空舞”も手がける水稲農家、副代表の前田さんは水稲と二十世紀梨をつくり、生田さん、前田昭夫さんは水稲を栽培。規模に関してはそれほど大きくなく、基本的には農地を守るための農業。それは集落全体でも言えることで、「収益よりも農地維持の意識が強い」。残り2人の役員は30代、40代と若く、「都会から農業をするということで帰ってきたUターンです」。地域農業を持続するための頼もしい力となっている。水田40haのうち、約半数が担い手の預かりとなり、大豆に関しては営農組合を組織し、集団での取り組みを実施。「耕作放棄地は今のところ出ていません」。

 しかしこの現状がいつまでも続くのか。高齢化は依然として進み、「近い将来、作れなくなる人が出てきます。しかし今いる担い手はもう手一杯です」。集落の農業を担い手任せに出来ない現状がある。担い手以外の人々も力を合わせていかなければ、集落の農業は維持できない。昔から集落全戸が参加する総事として共同活動が行われてきたが、高齢化により参加できない人も増え、それをどうやって維持していくのか。保全会がその課題解決の一つの力となっている。


協力して農業インフラを整備

 保全会がまず取り組んだのは、これまで地域農業を支えてきたインフラを整備すること。地域資源の基礎的な保全活動として、水路の泥上げ作業や農道の路面維持作業、樹園地の草刈作業などを行っている。春先の水路の泥上げは集落の総事として非農家も参加して共同作業を実施する。「水路には生活排水なども入ってきますので、みんなでやります」。また圃場整備が完了してから30年以上たつ圃場では畦畔の不等沈下や施設の劣化が見られるため、畦畔の再構築や水田取水口・落水口の修繕などが行われている。この他、地盤沈下して大雨が降れば水没してしまう農道の嵩上げや、劣化した水路の更新、樹園地農道の路肩補修などを行っている。「通常、農業の補助事業では地元負担や農家負担が伴います。しかし農業情勢が厳しい中、農家負担が出せる状況ではないので、支援を頂けることは大変ありがたい」。多くの設備は経年により機能が低下し、それを放置しておくと、やがて使用することができなくなる。それが離農を招くこともあるわけで、計画的に設備の維持を図ることの意義は大きい。

 農業生産の設備以外にも農村環境の保全活動として、ジャンボタニシの一斉駆除を行っている。「用水路や排水路にジャンボタニシの赤い卵がいっぱいいます。それを水の中に落とします。暖冬だった影響か今年は例年以上に多いですね」。移植後の水田を食い荒らし、大きな被害をもたらしている。外来種侵入による生態系の乱れであり、圃場ごとの対処ではらちがあかない。集落全体で対応しなければならない課題となっている。この他にも環境保全として、小学生による生き物調査・水質調査や農道に花のプランターを並べる取り組み、全戸でゴミ拾いを行うクリーン活動を実施。農村の美観を高める活動にも力を入れている。

 門田地区の取り組みの大きな特徴は「集落の中にあった様々な組織を巻き込んでいったことです」。集落内には農業者、営農組合、土地改良区など農業に関わる団体の他、自治公民館や老人会である寿会、婦人会、子ども会、保護者会、消防団など合わせて9つの組織があり、活動に幅広い参加を得ている。保全会発足前の平成19年、副代表の前田さんは共同作業の総事に支援が受けられると、集落の総会で発足の承認を得ようと再三説明したが、「最初はよく分からないものという感じで、なかなか理解は得られませんでした」。それで様々な団体に出向き、「やらせて下さい」と熱意をもって個別に説き、賛同者を得て、平成20年に設立となった。「始まったら皆さんの評価はよく、地力のない農家は大変喜んでくれました」。

 今集落の高齢化率は35%超。老いと闘い、自然と闘いながら、集落の農業の維持が図られている。それに伴って農業に付随する様々な価値も守られている。美しい景観であったり、多様な生物の生育の場であったり、多面的機能の発揮とも言えるが、中でも農村の暮らしそのものへの影響もあり、これまでの暮らしに変化が現れている。


農村コミュニティーを強化

 「多くの団体を巻き込んでいますので、何か行事をするときは、団体の枠を超えて様々な人が集まります。いつもは顔を合わせない人たちですが、そこで互いに興味を持ち、顔見知りになり、会話を交わし、コミュニケーションが生まれます」。普段はその団体の中でしか顔を合わせることがなく、交友関係はどうしても狭くなるが、共同作業などがそれを広げるきっかけになっている。「集落内でコミュニケーションがとれるようになって、村が少しずつ変わってきました」。農業が生み出す多面的機能の一つである農村コミュニティーの強化に繋がっている。

 その取り組みの中でも大きな役割を果たしているのが、小学生を対象とした体験学習“田んぼの学校”。手作業による田植え体験や稲刈り体験、収穫したもち米による餅をつき、稲わらでのしめ縄づくりなどを行う。昔ながらの稲作栽培や農業に由来する行事、文化の伝承を行っている。その中で高齢者は、世話をしたり指導したりする役割があり、また収穫したもち米は町内の子ども園や福祉施設に贈呈するなど、農村内の交流を深めている。さらに遊休農地の発生防止を兼ねてソバを栽培し、収穫したソバは地区の保健福祉会と連携して、年末に1人暮らしの高齢者等へ年越しソバとして配布。「1人暮らしの老人の見守り活動でもあります」。農業をきっかけに集落内の交流を促進している。農村集落であっても、結びつきの強い親密な関係は失われつつあるのが現状。「朝7時半頃に車で会社に出かけて、夜8時頃帰ってきたのでは、村の人の顔を見ることもありません」。都会と同じく、隣は何をする人かを分らぬまま暮らすことになる。保全会の活動がその状況を変える大きなきっかけになった。集落の中に共同で行う仕事があるからこそ、親密さが生まれる。

 また地域コミュニティーの強化として、情報発信活動にも力を入れている。「“保全会たより”という広報誌を不定期で年2回ほど出し、全世帯に配っています。参加していない方にも保全会の活動内容が分るよう、オープンにしています」。閉鎖的にならないようにすることが重要で、それが協力しやすい雰囲気をつくる。

 「保全会の活動の中で交流が一番の財産です。子どもたちが大きくなってもその顔がほとんど分ります」。最初は、農地の維持を目的にした取り組みだったが、農村コミュニティーの強化へと発展し、世代を超えた繋がりも生み出した。田んぼの学校を卒業した子どもたちの作文には、“お米のありがたみ”、“力を合わせることの大切さ”を学んだと書かれている。思いが受け継がれ、故郷への愛着となり、農村が受け継がれていくことに繋がればと思う。その子どもたちに、農業を営むことで生まれてくる、心を震わせる景色、心を通わせる親密さ、そんな喜びが日常にある農村の暮らしが残せれば素晴らしい。

 今後の課題は、「高齢化の進展で耕作できなくなった農地の受け皿をどうするのか」ということ。集落営農組織の編成も含めて検討していかなければならない。「農地を守るだけならば法人組織が入ってくるということも考えられる。でもできれば門田の農地は門田の人間で守りたい」。いくら農地が維持できても、人任せにしたのでは門田にあった大切な何かが失われるかもしれない。「自分たちが住むところはお互い助け合いながら維持し、そして地域として自立する」。古き良き日本が持っていた価値感ではないだろうか。その思いが地域の維持に大きな力となるに違いない。



遅霜と温暖化からりんごを守る
取材先:岩手県二戸市 りんご農家 近藤哲治 二戸農業改良普及センター 小野浩司 

  農業は自然環境に依存し、特に果樹栽培は気候の変化に敏感で適応範囲が狭い。そのため、水稲や主要な野菜とは対照的に、地域ごとの気温の相違を第一の形成要因として気候条件に合った栽培適地が形成されている。そういう作物にとって気候変動による気温の変化は存続に関わる。水稲をはじめとした一年生の作物は、播種期等を調整して適温期間に栽培することである程度の対応をすることができるが、樹木である果樹はその土地に根付いているもので、不適切な状況を選んで避けるようなことはできない。また、果樹栽培は、栽植後すぐには収穫ができず、その後同一の樹で数十年掛けて生産を続けるため、気候変動の対策は長期的に考えなければならない。乗り越える壁は高い。農業を成長産業にするため、果樹生産の現場で何が行われているのか。りんご産地である岩手県二戸市を訪れ、取り組みを聞いた。



 

 
▲岩手県オリジナル紅いわて▲りんご園▲散水氷結法を施したりんごの木


農かんがい施設を整備し、気温の変化に対応

 近年、温暖化が進み、全国のりんご産地では、夏季の高温傾向による果実の着色不良や日焼け果が増えている。また、春期の平年を上回る気温上昇は発芽・開花を促進し、その後に起こる低温・降霜によって凍霜害が発生している。これらの気候変動が収量や品質の深刻な低下を招き、生産現場では大きな課題となっている。今回、りんご産地の岩手県の二戸市を訪ね、温暖化に対しどのような取り組みを実施しているのか聞いた。

 岩手県のりんご生産量(平成29年)は、3万9600tで国内4位の生産規模。他県産地と差別化を図るため、新品種の開発や、樹上完熟を取り入れるなどして、糖度や色合いなどの品質向上によるブランド化にも力を入れている。二戸市は県内陸の北部に位置し、冷涼で昼夜の寒暖差があり、降水量も比較的少ないことから、りんごの栽培適地として発展してきた。同市の舌崎地区で長年に亘ってりんご生産に取り組んでいる、近藤哲治さん(76歳)と二戸農業改良普及センターの小野浩司さんに温暖化への対応を伺った。

 近藤さんのりんご畑は3haあり、2400〜2500本のりんごの木が植えられている。生産している品種は“ふじ”を中心に、この地域で力を入れている“はるか”、そして県のオリジナル品種の“紅いわて”。「岩手県は収穫量よりも品質を重視しているので、他の産地よりも反収は少なく、2〜2.5tが平均ですが、気候の影響で品質、収量の維持が難しいくなっています」と小野さんが産地の状況を教えてくれた。その中、近藤さんは品質、収量ともに高く、約3tの反収を確保している。「品質と収量を維持するため、凍霜害と夏場の高温対策には、かんがい施設整備が重要」と近藤さん。園地には『県営畑地帯総合整備事業(担い手育成型)舌崎地区』によって給水栓が設置され、その効果をさらに有効利用するため、平成20年度の『果樹経営対策支援事業』を導入して末端かんがい施設整備を行った。これにより、園地全体にスプリンクラーによる散水が可能となった。

 凍霜害に関して近藤さんは、「この舌崎地区はすり鉢の底のような地形です。風がないので、霜が降りると動かない遅霜の常襲地帯です」。りんごは開花期に近づくほど凍霜害を被る危険性が高くなる。春先の気温が上昇し、発芽・開花が早まれば、それだけ遅霜による凍霜害のリスクが高まる。小野さんは、「凍霜害防止対策の一つが散水氷結法と言う技術です。大量の水を噴霧して、りんごの木全体を氷で包んでしまいます。水をまき続けると氷になるときの放熱で、りんごの木は0℃に保たれます。この技術で霜が降りるような寒さであっても、凍霜害による被害を防ぐことができます」。散水氷結法を初めて見た時の近藤さんの印象は、「りんごの木を氷で包んでしまって、はじめは本当にびっくりしましたよ。一面氷漬けになって。こんなことして大丈夫かなと思いました」。散水氷結法は、花芽を氷点下から守り凍霜害を防ぎ、結実率を高める効果がある。しかし、大量の水を必要とするため、畑地かんがい施設が整備されていないと実施するのは難しい。

 夏季の高温では、主力品種のふじの蜜入りに問題がでてきている。「8月の気温が高いとふじの蜜入りが悪くなります。十分なかん水により、園地の温度の高まりを抑えます」と、高温対策として夏季におけるかん水の重要性を小野さんは述べる。

 「スピードスプレーヤーでの防除作業時には、園地の給水栓から防除用の水を取り入れられるので、給水場所から園地まで行き来する必要がなくなりました」と近藤さん。かんがい施設整備による給水栓の設置は、凍霜害対策や高温対策以外にも、防除作業の効率化に役立っている。


着色優良品種の投入

 「高温になって影響を受けている一つが早生品種のつがるです。全国の産地で着色不良が発生し、価格も下がってきていて、この地域でもつがるの生産は減ってきています。それでりんごの着色対策として、新品種の導入を進めています」と小野さん。その新品種は岩手県農業研究センターで開発された、岩手県オリジナル品種の紅いわてだ。紅いわては、つがるほど早くはないが9月下旬に収穫でき、果皮は濃い紅色で、高温でも全面に着色する。強い甘みと淡い酸味があり、ジューシーながらパリッとした食感が特徴。見た目も食味も良く、皮をむいた後に果肉が茶色に変色しにくいという特性もある。近藤さんは、「紅いわては、着色に全然苦労しなくてすみます。食味も良い。今、1割程を紅いわてにしていますが、これから増えていく可能性が高いです」と新品種に意欲的。

 また、この地域で力を入れて生産に取り組んでいるのが、同じく岩手県で生まれた黄色い品種のはるかだ。ふじよりも後になる11月下旬に収穫される。このはるかの中でも糖度が15度以上、蜜入り指数が2.5以上を“冬恋”と名付け、さらに、糖度が16度以上、蜜入り指数が3.0以上を“プレミアム冬恋”としてブランド化を進めている。市場での評価も高く、高価格で取引されている。近藤さんは、「はるかは、高く売れるがその分手間も掛かります。袋掛けや摘果もしっかりやらなくてはなりません。今の労力では、はるかを増やすことは難しいです」。気候変動への対策もさることながら、労働力確保もこれからの課題となっている。


消費者と共に農業を持続する

 「最初この辺は紅玉が中心で、他には国光を少し生産していました。昭和34年だったと思いますが、東北7号という品種ができたというので、もらって接ぎ木して増やしました。それがふじです」。近藤さんは消費者の好む品種をいち早く見極め導入してきたようだ。様々な品種を先ずは栽培してみて、その中で技術を確立し、良いと思うものを選択している。

 今までは消費者の嗜好に合わせて、品種の開発や栽培技術の確立が行われてきたが、そこに温暖化などを始めとする気候変動という要因が加わり、それに対応しながら、かつ消費者にも支持される品種の開発と栽培技術の確立が求められるようになってきた。果樹産地が存続のためにしなければならないことは多く、また高度にもなってきている。年間平均気温は今後もさらに上昇していく。日本の美味しい果物を守っていくためには、技術と共に、決して諦めない強い気持ちが必要に違いない。


夏と闘いながらブランドすいかをつくる
取材先:山形県尾花沢市 すいか生産者 大山佳彦 

  夏が来る。出会いの予感とか、新しいことに挑戦するとか、楽しいことが待っているとか、夏と言えば、何か素適なことが起こりそうだと肯定的なイメージがあるのだが、最近はそれに疑問を呈する向きも少なくないはずだ。災害級と前置きがつく異常高温、猛烈な豪雨と、荒ぶる自然の脅威に晒され、何か悪いことが起こりそうなと、夏のイメージが徐々に塗り替えられている。特に農業関係者にとってはそうだろう。まずは不安が先立つ、そんな季節となってきた。しかし心配だ、心配だと顔を伏せていても始まらない。農業を成長産業にする。その筋道を、農産物のブランド化で歩んでいるのなら、どんな生産環境になろうとも高品質を維持し、安定生産を続けることが必須。自然の恵みを受けながら、脅威には対応していかなければならない。夏に収穫最盛期を迎えるすいか栽培の現場で、その実際を探った。



 

 
▲スイカ産地▲トンネル栽培▲尾花沢すいか


高品質の尾花沢すいかをつくる

 8月27日、28日、山形県尾花沢市は祭りに染まる。毎年この日に開催されているのが『おばなざわ花笠まつり』で、市中では花笠踊りの大パレードが繰り広げられ、3000名を超える踊り手が豪快、華麗な伝統踊りを披露する。東北各地で行われてきた夏祭りの最後を締めくくるイベントで、まだまだ暑さは続くが、ようやく夏も終わると感じさせる。ちょうどその頃、同じように収穫シーズンの終わりを迎えているのが当地名産の尾花沢すいかだ。

 尾花沢市とその周辺の村山市、大石田町で生産されるすいかの総称で、山形県内のすいかでは9割以上の生産量となり、7月中旬から8月の出荷となる夏すいかの生産量では日本一。生産者の高い栽培技術と厳しい品質管理により、市場評価も高く、高品質ブランドとして知られている。栽培面積は約650ha、玉数にして約250万個が出荷される。その中、若手生産者の一人として、尾花沢市ですいか栽培に取り組んでいるのが大山佳彦さん(36歳)。「水稲5haとすいか2haに取り組んでいます。売上の主力はすいか栽培」。生産地は村山盆地にあって、冬は雪に覆われ、夏はフェーン現象の影響で北国とは思えない暑気にさらされる。また、「昼夜の寒暖の差が大きくて、糖度が出やすいですね。12~13度ほどにもなります」。自然の恵みを最大限活かした高品質なすいかづくりに精力を傾ける。

 稲の収穫が終われば、すいか畑の後片付けをして来年の準備が始まる。10月から11月頃に堆肥や土づくり資材を全面散布して耕耘。そしてマルチかけを行う。秋にマルチをかけると春先に早めに地温が高まり初期生育が早まる。この時、さらに近年行っているのが、サブソイラーをかけること。「水はけを良くする対策です。表面に水が溜まっても2時間くらいで抜けていくので、けっこう効果があると感じています。秋作業にひと手間増えるのですが、5年ぐらい前からやっています」。夏場のゲリラ豪雨などへの備えがこの時から始まっている。それでも昨年の8月には、「この辺りも大雨で水につかり、病気が発生し、4反歩ぐらいを廃棄しました。それなりに対策をしていてもやっぱり間に合わない所があります」。自然を相手に、そう簡単にはいかないようだ。

 マルチかけが終わればやがて雪の季節が到来する。積雪は3mを超す豪雪地帯。農作業はできず、大山さんは除雪作業などに行く。農地は雪の下だが、促成栽培でシーズン初めにすいかを出荷するハウスを10棟保有し、冬はまだ作物がない状態だが、雪でつぶれないように除雪作業を行わなければならない。ハウスがあれば、ゲリラ豪雨などの突発的で過激な気象から作物を守り、比較的穏やかな生育環境を提供し、管理がしやすいと多くのメリットがある。しかし、「病気などが発生すると一気に広がりますし、除雪の手間などもあり、これ以上増やすと維持の手間がかかってしまいます」。現在労働力は大山さん本人と父、母。そこまで手が回らないのが現状だ。

 2月後半からはハウスでの苗づくりが始まる。それが約40日。メインの品種は“祭りばやし777”。「生産者にとってはつくりやすい品種です。品質が高く中身の赤が鮮やかで、形はまん丸として良く、高い糖度を持ちながら食感はシャリシャリ系で、果肉がしっかりとしています」。またお盆過ぎからは“富士光”という品種に切り替えていく。肉質は締まり、明るい紅赤色で、こちらも糖度は高い。

 育苗が進めば、3月半ばぐらいから接木の作業が行われる。そして4月中旬ぐらいからいよいよ定植がスタート。すいか栽培が本格的に始まる。


天気次第で生育は大きく左右される

 「4月、5月、6月にかけて、収穫時期を見越しながら定植していきます」。その時の気温や雨の状況によって生育は大きく変わる。「カンカン照りの干ばつになって雨が少ないと大きな影響を受けます」。今年の5月下旬には気温が30度ぐらいになり、定植したものが枯れてしまった。「全て植え直しです。その時期にしては暑すぎたのです」。マルチをかけるときに合わせて潅水チューブも敷設し、これを通した水やりを行っているが、「雨が少ないと、いくら潅水チューブを使っても追いつきません」。天気次第でうまくいかないことが多い。「すいかは毎年勉強です」。

 大山さんは農業大学を卒業して20歳で就農。経験は16年ほどになるが、自然現象は千差万別。時々によって異なり、同じようなものはなく、作物に及ぼす影響は複雑だ。さらに最近は初めて観測されるような気象条件も頻発する。それぞれにいかに対応していくのか。まだまだ奥は深いようだ。

 露地では基本的にトンネル栽培が行われ、裾の開閉で温度管理を行っている。活着し、生育が進むと整枝作業が行われる。「一番大変な作業ですね。いらない蔓を切ったり揃えたり、花が付く前の作業で、この辺りに花を付けようとか、意図しながら作業します」。成長をコントロールする工程になり、生産者の思いが反映され、結果する玉数や玉の大きさにも関わってくる。

 定植後40日たつと花が咲き、次は交配作業が行われる。「手作業で雄花を雌花につけていきます。きつい作業ですがそれをしないと実は付きません」。交配の時期に気温が上がると作業は難しくなる。「トンネル内が35度を超えてしまうと花粉の働きが急激に落ちてしまいます。トンネルを開けて換気し温度を調節することが重要です」。朝早くから作業し、適温での交配が心がけられているが、近年の異常高温が仕事を難しくしていく。

玉の大きさは出荷する規格としてSから6Lまであり、売れ筋は3L、4L。量販店では、カットで売られることが多いが、それでも大玉は冷蔵庫に入れるスペースが無いと敬遠されてしまう。大山さんもニーズに合わせて「3L、4Lを狙っていますが、4L、5Lが多くなります。蔓に3個つけるところ、1個つかないことになると、残されたものが大きくなってしまいます」。天気次第ということもあって、なかなか予定した通りにいかない。


夏場の作業は体が第一

 7月15日頃から大山さんは無加温のハウスでつくったすいかの出荷を始める。山形は7月からの出荷になるが、市場には4月頃から出回り始め、熊本県を皮切りに、千葉県、鳥取県、新潟県、長野県、山形県、北海道と各地がリレー出荷をはじめる。産出額は熊本県、千葉県、山形県の順番で3県合わせて全体の40%ほどになる。取引価額には波があり、「ギャンブルみたいで、良いときもあれば、悪い時もあります。最近は満足できる価格で売れています」。しかし、気温が35度などといった、高温になってくると売れ行きが悪くなる。「あまりに暑すぎると、消費者は、炭酸水やアイスクリームの方を買うようになります」。暑気払いとしての効用を得るための選択が変化してくる。7月、8月と最も暑い時期が出荷のピークとなる尾花沢すいかにとって、温暖化は生産にとってだけではなく、販売にも影響を及ぼしている。

 収穫作業は運搬車を畑の中まで入れ、手作業でバラ積みにしていく。真夏に重量のある農産物を扱う、労働負荷の大きな仕事となっているが、今のところ機械による収穫は難しい「熟れているすいかと、そうでないものが同じ圃場にありますので、一斉に収穫するというわけにはいきません」。1個は9~11㎏。それを丁寧に1個ずつ収穫していく。年配の生産者では苦労する姿もあるようだが「重たい分、見返りも良い」と意欲は高い。ただ、夏場の作業では無理は禁物。特に近年の夏場の気温は記録づくしの暑さ。「体が第一です。睡眠をしっかりとって飲み過ぎないようにして、疲れて寝込まないように努力するしかありません。作業時間を朝早くにずらすとか、昼休みを長く取ったりなどして、熱中症や脱水症状にならないようにしています。それでも、危ないと思ったらすぐに退避です」。

 過酷な栽培条件だが、高い品質を守るために手は抜けない。そのためには厳しい品質チェックも欠かせない。「出荷前になると農協では週1ぐらいで目揃えなどの勉強会をしています」。地域の生産者それぞれが、尾花沢すいかのブランドを守るという意識が強く、生産者が外観と音感による果肉割れ等のチェックをしたあと、共同選果施設に送られ、機械と目視による検査を行い、糖度、実の詰まり、水分の加減を全てクリアしたものだけが市場に出荷されていく。すいかは尾花沢の自慢であり、生産者のプライドを体現する。地域ではすいかの生産技術を競うコンテストも行われ、25㎏を超えるものが優勝した大きさを競う部門や、大山さんが2位となった、味や見た目を競う部門があり、互いに地域で切磋琢磨することで、より良いものがつくられていく。

 そんなブランドすいかをつくりたいと、地域外の、東京、神奈川、遠くは和歌山などから移住し、生産者となる者もいるとのことで、地域の新たな活力になりそうだ。

 ただ、生産者の高い意欲とは別に、異常気象への対応が生産課題としてあり、より深刻化していけば、生産コストの増加や生産量の減少などにも繋がり、地域農業の存続を脅かす。特にすいかづくりは天気次第の場面も多く、「毎年、無事に収穫できればという思いが強いです」。地域では高齢化が進み、パートさんなどの人手も不足気味。限られた労力で通常の生産から異常気象への対策、被害を受けた場合の対応までこなしていかなければならない。今の所、「つくればつくっただけ収入になるのでやりがいはありますが、手が回らなくて、なかなか生産を増やせないのが現状です。毎日がいっぱい、いっぱいで、夢を見ている暇はありません。楽しくお酒が飲めればそれで十分」。生産現場の実際として、多くの人が頷くに違いない。毎日、目の前にある“やるべきことをやる”だけ。そして、農業が続いていく。今年も尾花沢では、すいかを出荷する時期がもうすぐやってくる。今のところ天気を操ることはできないわけで、できるだけのことをして、後はただ不測の事態が起きないようにと、うまくいくようにと祈るしかない。美味しいすいかを食べられる夏が、これからも続くことを願う




消費者目線で、求められるぶどうをつくる
取材先:大阪府柏原市 天野ぶどう園 

  2018年の生鮮ぶどうの輸入量は3万7000tで、国内生産量16万2000tの2割に相当する。昨年のTPP11の発効で関税は撤廃になり、今年の1〜2月のチリ産ぶどうの輸入量は、前年同期比で7割に増加。オーストラリア産は、政府間で品種制限撤廃に関する協議が進められており、協議の行方によっては拡大する可能性がある。また、輸入される生鮮ぶどうは国産ぶどうの端境期中心だったが、国産と販売時期が競合するアメリカ産も輸入量が増加傾向にある。今後さらにぶどうの輸入量が増え、通年流通が進むと見込まれる中、国内のぶどう生産者はシャインマスカットを中心とした高価格品種を生産することで消費者の支持確保に取り組んでいる。しかし、シャインマスカットの栽培面積の急拡大により、数年後には出荷量増大に伴う価格下落も懸念されている。この様な先行きが不透明な中、これからのぶどう産地の展望を探るため、大阪府柏原市のぶどう生産者を訪ねた。



 

 
▲デラウエア▲高い技術力を持つ農の匠▲消費者から選ばれるぶどう


大阪は古くからのぶどう産地

 大阪府は、ぶどう収穫量(5140t)で全国9位。主力品種のデラウエアは、全国3位の収穫量を誇っている。その中心となっているのが奈良県との境に位置する柏原市で、古くからのぶどう産地として知られている。その歴史は江戸時代まで遡り、宅地内の井戸の日陰樹として植えられていたと言われている。本格的な栽培の始まりは明治17年で、甲州ぶどうが導入され市内全域に広がった。第一次世界大戦後の好景気によって生食用のぶどう需要が増えると農家数、生産量ともに増加し、昭和初期には大阪府のぶどう生産量は全国1位となり、中でも柏原市は全国一のぶどう産地といわれるようになった。しかし、戦後の高度経済成長による宅地開発や離農、他産地との競合も激しくなり、現在の規模に至っている。

 山を開墾した急斜面のぶどう畑には、傾斜地でも設置がしやすい様に大阪で独自に開発された波状型ハウスが並ぶ。今回訪れたのは、天野映さん(70歳)が経営する天野ぶどう園のぶどう畑。天野さんは平成15年に、大阪府知事より『優れた農業経営を行い、青年農業者の育成や食育活動に積極的で、地域農業のリーダーとして活躍している農業者』である“農の匠”として認定され、平成29年からは、大阪府果樹振興会の会長も務める。現在、1.6haのぶどう畑でデラウエアの栽培を中心にしながら、シャインマスカットやピオーネ等の大粒ぶどうも栽培している。収穫したぶどうは市場出荷せず、自社で運営する直売所で販売している。


消費者目線で求められるものを

 直売を成立させるためには、当然ながら高い商品力が求められる。それを裏付けるかのようにTPP11に関しては、「TPPで、輸入ぶどうが増えることは、今以上にぶどうが消費者にとって身近な果物になるということで、良いことではないでしょうか」と、好意的だ。昨年末に発効されたTPP11では生鮮のぶどうに関する関税が即時撤廃となり、量販店の果物の棚にはチリ産などのぶどうが並び、存在感を増しているが、「1年を通してぶどうがあれば、食べてみようと思うきっかけになるのではないでしょうか」。その上で、「違いを分かって頂きたい」というのが天野さんの考えだ。

 しかし、天野さんのぶどう作りは、最初から品質重視ではなかった。就農して最初の頃は、「当時30件ほどある直売所で、誰よりも早くぶどうの販売を始めて、お客さんを掴もうと考えていました。味よりも最初に売ることを優先したのです。しかし他の店が開いてないので最初は買ってもらえますが、その後は続きません。お客さんは、早い時期からぶどうが欲しいのではなく、美味しいぶどうが欲しい。最初はそのことに気がつきませんでした」。今では他店がどれだけ早くに店を開けても、納得できる味のぶどうができるまでは店を開けない。「自分の都合ではなく、消費者の立場に立ったぶどうを作らないといけません。本当に自分が食べたいと、納得したものを消費者に出します」。

 そのため生産には数々のこだわりがある。例えば、ジベレリン処理が終わり青い実を付けたデラウエアに対して、摘粒作業を行い一房が一握り程度になるまで整形を行う。「このまま手を加えなくても、房が大きくて実がぎっしりついた、見た目の良いものができます。でも大味になって、デラウエアの持つ本当の美味しさがありません」。消費者に認めてもらうには何よりも味を優先しなければならない。「面倒でも、この手作業が良いぶどうを生み出します。長年ぶどうを栽培してきて、美味しいぶどうにするための、これが一つの答えです」。

 一方で自動化できる作業は機械の導入を積極的に取り入れている。現在同園には、11ヵ所のぶどうハウスがあるが、「ハウスの開閉を手動で行えば、すべてまわるのにそれだけで2時間かかってしまいます。設定温度になると自動でハウスの開閉を行い換気ができるシステムを導入しました」。また、大粒系のぶどう栽培には適度な灌水が必要となるため、自動散水機も導入している。「自動化できる部分は積極的に取り入れています。これからは、スマホを見ながら自宅で作業できるようにしていきたい。必要なところにはお金を掛けて、次世代のためにも時代に合った農業に転換していかなければなりません」。機械化を進めることで作業に余裕が生まれ、品質向上のための手作業に時間を振り向けることができる。また、品質向上は、消費者から選ばれるぶどうとなり、収益向上に貢献する。それが機械化を進める資金にもなる。そのサイクルは未来に続く持続的な経営に繋がっていく。


常に進化を心がける

 今後の取り組みとして、「1本の木にデラウエアだと50房なりますが、シャインマスカットやピオーネの大粒ぶどうは、17〜18房です。しかし手間を考えると、少ない人手で収益を上げることができる、単価の高い大粒のぶどうで勝負していきたいと思っています」。現在、高値で取引されるシャインマスカットをはじめとした、大粒のぶどうが広まったおかげで、ぶどう産地では、若手の生産者が増えている。「シャインマスカットはさほど手を加えなくてもそこそこ美味しいものができます。しかしこれは、これから10年、20年先に品質において大きな格差を生むことになるのではないかと思っています。だから今、手をかけて、しっかりとした品質のものを生産することが大切です」。そのために相互の情報交換ができる場を設け、今までの経験値を提供して産地全体のレベルアップに繋げている。

 天野さんが心がけていることは常に進化すること。「毎年一つだけで良いので、農業をする上で発生する問題に対して真剣に取り組んで変えてきました。40年経てば、40の新しいものに変わっています。とにかくやってみることが大切。そこに発見があり進歩があります」。新しい課題への取り組みは、その後に続く人も現れ、やがて道ができていく。後進を育成することにも繋がっていくようだ。

 消費者目線で求められるぶどうをつくること。そのためには手間暇惜しまず、味を重視し、また時にはコンビニに倣って、直売所の駐車場を広くするようなことにも取り組む。その姿勢が何よりも消費者の選択を得る魅力だと思えた



国内でつくるグレープフルーツの挑戦
取材先:静岡県浜松市 丸浜みかん 

  昨年は12月30日にTPP11、本年は2月1日に日欧EPA(経済連携協定)と、貿易の自由化を進める協定が相次いで発効し、自由貿易圏が一気に拡大した。日本農業はかつてない環境変化に直面している。TPPでは生鮮のブドウ、食用の落花生、コーヒーなどの関税が即時撤廃となり、6年後には甘藷、グレープフルーツ、柑橘類の果実、生鮮のたまねぎなどの関税が無くなる。日欧EPAでは、ナチュラルチーズや豚肉、ワインなどの関税が引き下げられ、輸入量が増加してきている。その中アメリカとも農産物などを含む日米TAG(物品貿易協定)の通商交渉が進んでいる。もう閉じた環境を前提にして農業を営むことはできない。世界中の農業者・産地をライバルとして、その中でどのように消費者の選択を得るのか。単純に値段だけで戦うのであれば勝ち目は薄い。価値を高め、如何に欲しいと思われる魅力ある商品にしていくのか。そこに日本農業の未来がかかる。ヒントを求め、国産グレープフルーツの取り組みを探った。



 

 
▲ハウスで生産▲国産グレープフルーツ▲設備が整った選果場


全て手探りからのスタート

 輸入果物として長い歴史があり、身近な果物として一般家庭に受け入れられてきたのがグレープフルーツ。アメリカのフロリダ産や南アフリカ産のものが広く出回っているが、国産のグレープフルーツを手がけている生産地が静岡県にある。輸入物と競合する中で、消費者の選択を得るためにどんなことをしているのだろうか。

 静岡県浜松市北区にあるのが柑橘類の専門農協である丸浜柑橘農業協同組合連合会。丸浜みかんとして、徳川家康と武田信玄が激突した三方原の合戦で有名な三方原台地で、温州みかんを中心に展開している。生産しているのは高林早生、宮川早生、興津早生、片山温州、青島温州がメインで、この他、ハウスみかん、翡翠みかん、ポンカン、はるみ、不知火、カラマンダリン、ブルーベリー、グレープフルーツなど。組合員数は202人、主力温州みかんの生産量は、多く収穫できる表年で1600〜1800t。「周囲を大きな農協に囲まれている小さな農協ですので、余所にないものを展開して特色を出すことを心がけています」と丸浜みかんの芥川晴輝さん(35歳)が今の取り組みなどについて教えてくれた。その中で力を入れているのが片山温州。皮がむきやすく、糖が高いため、味が濃厚。「静岡を代表するのは青島温州ですが、それとは別物として、市場の評価も徐々に高まってきています」。

 その中、2006年から地域で生産を始めたのがグレープフルーツ。現在5人がその生産に当たっているが、その1人の山崎正人さん(41歳)は「当初グレープフルーツは暖かい地域の作物ですので、この辺りでは温度が足らず、育たないと言われていました」と、これまでの経緯などについて話してくれた。それでもグレープフルーツをつくろうとしたのは、「重油が高騰していた時期で、これではハウスみかんが続けられない。それでハウスを有効活用できる別の作物を探した結果、導入されました」。またグレープフルーツを選んだのは市場が、「昔からある作物だけど、国産はないので、面白いのでは」と提案してくれたこともあった。それでハウスを利用した無加温でのグレープフルーツづくりの挑戦が始まった。産地としてグレープフルーツに取り組んでいるのはここが日本で唯一。「初めてですから全てが手探りでした。試行錯誤の連続です」。

 まずグレープフルーツの苗木を取り寄せるところから始まるのだが、実はその苗木、「3年かかってようやく実がついてみると、グレープフルーツではなくブンタンでした」。グレープフルーツはブンタンの突然変異と考えられていて、実がついてみるまで見極めるのは難しい。当初山崎さんは100本植えて、96本がブンタン。グレープフルーツはたったの4本という結果。未知の作物に挑む過程で生まれる手違いや知識不足が、それまでにかけた時間と労力を無駄なものにしてしまう。“初めて”に伴うリスクは決して小さくない。またグレープフルーツにとっても日本は初めて。「元々、日本に無かったものですから、日本の病気に慣れていません。ハウスで育てるので心配はいりませんが、雨が当たると、かいよう病が出やすくなります」。その他、肥料をやりすぎると、木の勢いが強くなって、そちらばかりに栄養がいき、花の成長が滞ったり、花が落ちたりする。またそもそも温度が足らないと花は咲かない。「露地で栽培された方もいましたが、花がつきませんでした」。

 様々な失敗を繰り返し、木も生産者も成長していく。「次第に木の性格が分かるようになってきて、その時期、その時期の的確な作業が分かるようになってきます」。導入から10年を超え、安定生産へと向かっている。


品質、生産量は木の生長に合わせて向上

 丸浜みかんで育てているグレープフルーツはスタールビー系の物で、一般的には、酸味が少なめで甘みが多いと言われている。収穫は4月に行われ、その頃にはもう次のつぼみが出てきている。実がついている内に花が咲くと、実の品質が落ち、木に負担がかかり、花も落ちることから、継続して生産を続けるために実と花が同時につかないように収穫が行われている。「今年は4月の頭に収穫し、それが終わった後の4月20日過ぎに満開になりました。その後、花が散り、小さな実が見えてきます」。続いて行われるのは、最も気を遣う摘果の作業。「この作業で出荷時の実の大きさが違ってきます。温州みかんの場合は2回、3回とやりながら大きさを揃えていきますが、グレープフルーツは1回で決めないとちゃんとした大きさにならないような気がしますね。球数が多くなれば小さくなるし、少なくなれば大きくなります」。3.5㎏入りの箱に、13玉入る物が一番小さく、その上に10玉、8玉、7玉とある。市場が求める商品は10玉入りの大きさ。それが一番お買い得感があり、売りやすい。「今の課題として取り組んでいるのはどうすれば、求められる大きさになるかということです」。摘果の後は11月まで肥大して、後は色がつき完熟する。フロリダ辺りでは開花からおよそ9ヵ月で収穫となるが、それに比べ栽培期間は長い。温度が足らないことが一因となっている。

 現在、地域全体の栽培面積は約1.1haで、出荷量は約25t。栽培面積はここ数年変化していないが、グレープフルーツの木が成熟するのにつれて、生産量は毎年右肩上がりで伸びている。また味についても、「木が成熟し、落ち着いてくるに従って、糖度ものるようになり、年々良くなってきています。ここらでつくるとなかなか酸がきれないのですが、徐々に美味しいという評価を頂けるようになってきました」。さらに今年は味が良いとのことで、市場からも注文が入ってくるようになってきている。一般の消費者で、出荷はいつから始まるのかと問い合わせる人もいる。「これからも、もっと美味しくなるはず」と、木のポテンシャルはまだまだ大きいようだ。

 現在山崎さんの所では約3tの出荷量だが、「木が大きくなるので、出荷量は今の倍になる予定です。できれば10tを目指したい」。地域全体で生産量は拡大方向にあるが、その時課題になるのが価格の維持。「一つの市場で適正な価格により売れる量には限度があります。生産量が増えても値崩れしないようにしていかなければなりません」と芥川さん。量がまとまってくれば、出荷する市場を増やすということも選択肢の一つになってくる。「価値を認めて売って下さる所を増やしたい」。


安全・安心、完熟で芳しい匂い

 国産のグレープフルーツが輸入物に勝る優位点は、まず安全・安心ということ。海外から輸入されるものは輸送の際に腐敗したりカビが生えたりするのを防ぐ目的で、食品添加物の防カビ剤がポストハーベスト農薬として使われ、ワックスなども使われているが、国産にはその必要がない。農薬の基準も国内基準に準拠したもので、加えてハウス栽培なので、病気が入りにくく、殺菌剤などはほぼ使っていない。より安心して食べることができる。また、輸入物は輸送期間を見越して、熟する前に収穫されるが、「国産は完熟してから収穫します」。収穫してから消費者に届くまでの期間が短く、新鮮なものが提供される。その鮮度は商品が放つ芳しい匂いが示している。「私たちのグレープフルーツは完熟で収穫して間もないので、収穫物からは良い匂いが立ち上がってきます。選果場はグレープフルーツの匂いで満ちています。海外のものとの大きな違いです」と芥川さん。国産グレープフルーツの最大の魅力ではないかとした。さらに輸入物に対する国産の利点は、お互いの旬の時期が異なるということ。北半球のアメリカ産は年明けから4月ぐらいまでが旬。南半球のものは6月から9月、10月ぐらいまで。「私たちが狙っているのは、その間の4月から6月ぐらいの間です」。4月の頭に全量収穫して、5月末から6月初旬ぐらいまで販売している。

 店頭でのおよその販売価格は、目安として輸入物が1個150~200円ぐらいの所、丸浜みかんのグレープフルーツが1個300円~400円。輸入物に対して1.5倍~2倍ほどの値段で販売されている。安全・安心、高い鮮度、出荷が輸入物の端境期であることなどが、消費者にとって魅力であり、選択に繋がっているようだ。

 またグレープフルーツは生産者にとっても魅力が多い。みかんなどでは表年、裏年があって生産量の多い年と少ない年があるが、グレープフルーツは摘果によって調整でき、毎年安定した生産量を確保できる。収益性においても単価が高く、山﨑さんの所では、「ハウスみかんの反収は5tぐらいで、グレープフルーツの反収は約3tですが、価格はグレープフルーツ1個でハウスみかん4~5個分になります」。少ない収穫量でも利益は出る。さらに労働負荷を軽減する。「ハウスみかんの場合は、収穫時期が暑い時期となり、高温のハウスの中で何個も何個もみかんを切っていかなければなりません。うちの場合は8月です。グレープフルーツの場合は、4月の快適な時期に、作業することができます」。労働負荷に対する単位当たりの利益が高い。大きくなりすぎたものや小さいものなどの規格外品については、「加工用のジュースにまわされます。今はそれを利用して宝酒造さんでグレープフルーツのチューハイをつくって頂いています」。収益性の高さや生産物を無駄のないようにする仕組みもあり、生産者の期待は高い。

 これからの課題は、「とにかく味を良くするということですね。まだまだ良くなっていくと思います。それをどういうふうに技術的に安定させていくか。グレープフルーツの可能性は大きいと思います」と山﨑さん。夢は「死ぬまで農業を続けながら生きること」。地域の課題については「高齢化が進む中、どうやって産地を維持していくかです。生産者の方々にきっちり稼いで頂いくことが産地の維持に繋がる」と芥川さん。グレープフルーツの生産がそれぞれの思いに果たす役割は小さくないようだ。

 この地のグレープフルーツには“健やかさ”を感じることができた。それは消費者にとって、大きな魅力ではないだろうか。これからの日本農業に求められる価値の一つに違いない


女性の感性を活かした商品開発で世界を狙う
取材先:和歌山県有田川町 ㈱ふみこ農園 

  新元号“令和”の選定で一躍ブームとなった万葉集。7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集で、天皇、貴族から、防人、農民など様々な身分の人間が詠んだ歌が、4500首以上も集められている。その中の“梅花の歌32首”の序文から“令和”が引用された。万葉の時代、花と言えばまず梅を指していたほど人々から愛され親しまれていたようで、万葉集の中でも桜の42首に対して梅を詠んだ歌は118首も詠まれている。梅の実の利用も平安時代には梅干しが書物に登場する。以来、我々日本人にとって最も慣れ親しんだ農産加工品の一つとなり、今日に至るまで梅干しのほか梅酒やジャムなど梅の実を加工した様々な食品が生まれてきた。生産者が自ら加工し販売する6次産業として営んでいる例も昔からあり、農産加工品としての可能性は大きい。この梅の実で新たなスイーツを開発し、世界に挑む取り組みを探った。



 

 
▲おしゃれば建物▲加工品が並ぶ店内▲梅グラッセ


きっかけは一通の手紙から

 和歌山県は本州最南端に位置し温暖な気候で果物の栽培が非常に盛んなため、果樹王国といわれている。その中でも梅の生産量は日本一で昨年度の収穫量は7万3200t、国内シェアの65%を誇っている。この地での梅栽培のはじまりは、江戸時代に紀州藩がやせ地は免租地とする政策をとったことによるもので、やせ地に梅の栽培が奨励され田辺、南部地方を中心に梅栽培が広がったとされる。紀伊國屋文左衛門が活躍した江戸中期には木材や木炭、みかんとともに梅干しも江戸の街へと送られていった。戦後、“古城”や“南高”といった優良品種が出現し、近年の健康食ブームによって梅干しが再評価されたり、食生活の多様化による梅の新たな加工品の開発が進められる等、梅の栽培面積の拡大が図られている。

 今回、和歌山県産の梅を素材にスイーツを開発し、高い評価を得ている有田川町の“㈱ふみこ農園”を訪れた。「最初はうどんがスタートなんですよ」と意外な経緯。にこやかに語る同社の代表取締役を務める成戸文子さんに、スイーツ開発等の取り組みについて伺った。

 成戸さんは元々この地で昭和25年から続く製麺業に携わっていたが、そこに子育て中の女性から「子どもが喜んで食べてくれるような、七色のうどんを作ってほしい。夢のある商品の開発を期待しています」と、書かれた手紙が届いた。この手紙に動かされた成戸さんは、食べても安心な地元の天然素材でうどんにきれない色を付けたいと考え、先ずはみかんに着目した。「みかんの果汁を麺に練り込み試作してみましたが、pH値が高くて腐食しやすく、すぐにカビが生えてしまいました」。これでは商品化は難しいと次に考えたのが梅だった。近隣の梅干しメーカーを訪ね、梅肉を分けてもらい麺に練り込もうとしたが、今度は梅肉のpH値が低く、腐食やカビの心配はないが小麦粉と馴染まず分離してしまい麺にならなかった。「周りからは、もう無理だから止めたらと、何回も言われましたよ」。それでもあきらめず、少しずつ配合を変えながら試行錯誤を繰り返し平成元年、2年の期間を掛けて爽やかな梅の香りがほのかに漂う、優しいピンク色の“梅うどん”の商品化にこぎつけた。「同じ子どもを持つ者として、手紙に書かれた想いにどうしても応えたかった」と、成戸さんは語った。

 梅うどんは評判を呼び、新しい市場を求めてギフトセットを企画。そのセットの中の具材として、梅干しを入れようと考え、平成5年には梅干しをはじめとする、梅加工品の製造販売を行う“ふみこ農園”を新たに設立。その後の梅加工品開発の足がかりとなった。


今までに無い新しいスイーツを

 梅うどんや梅干しの販売も軌道に乗り、次に考えたのが梅を使ったスイーツ“梅グラッセ”だった。梅のジャムやシロップなど梅を加工したものをスイーツの材料として使用している商品は今までにもあったが、形状を維持し糖衣を纏わせ艶を出したグラッセのようなものは無かった。「和歌山の南高梅の美味しさを、梅干しとしてだけではなく、もっと沢山の人に知ってもらいたいと思い、梅干しの様にそのままの形を活かした、今までに無い新しいスイーツ作りに取り組みました」。成戸さんの新たな商品開発が始まった。しかし、取引している農家で栽培されている梅は、梅干し用として収穫後、塩漬けされて出荷されている。「南高梅の素材の美味しさを活かしたスイーツを作るには、樹上で完熟した生梅が必要だと思い、梅農家さんから2000坪の梅畑を借りて、梅の生産から携わることになりました」。梅グラッセはこの梅畑で収穫された完熟梅が使われることになり、生産、加工、販売の6次産業となった。

 南高梅の素材の美味しさと形をそのまま活かすには、最初から濃度の高い砂糖に漬ける事はできない。果肉が分離してしまい梅自体が溶けてしまうからだ。時間を掛けて、pH値を調整しながら徐々に砂糖の濃度を上げていく必要がある。「毎日梅を漬け込んだタンクをチェックして、濃度や梅の状態を記録しました。それでもカビを発生させてしまい、1tタンクに漬けていた梅を全部ダメにした時は涙しか出てきませんでした」。このような失敗を乗り越えながら、納得のいく梅グラッセが完成したのは、試作を始めて3年後のことだった。

 梅グラッセは生産コストが高く、収穫から完成品にするまでに半年以上の時間がかかる。そのため商品として利益を残していくためには、それに見合う価格で取引できる販売ルートの開拓が必要になる。また、南高梅をそのまま使った、今までにないこだわりのスイーツとして評価を明確化するため、百貨店に営業を行った。「梅グラッセを試食していただいた大手百貨店の外商部のバイヤーさんがこの味を気に入って下さって、これなら海外の人にも気に入ってもらえると、クルーズ客船飛鳥Ⅱでの販売が決まりました」。実際に飛鳥Ⅱの船内で販売してみると、こんな梅のスイーツは初めてだと海外の人からも声が上がり、今では飛鳥Ⅱの定番スイーツになっている。


女性の感性を活かして

 「商品開発にあたり、今まで家庭料理をやってきた経験と感覚、それまで残してきたデータが大いに役立ちました。女性として、主婦としての今までの経験値と感性が商品開発に活かされました」。また、パッケージや商品デザインなどにも女性の感性を取り入れ、同性が目に留める事を意識した。

 外国人にも好評だった梅グラッセは商社を通して輸出も行い、マレーシア、シンガポール、インドネシア、香港、台湾など東南アジアを中心に広がりを見せている。また、昨年からは、米国への輸出も始まった。梅になじみの無い海外では、日本の伝統的な果物の新たなスイーツとして、新規性があり、大きな可能性を秘めている。今後のプロモーション活動に期待がかかる。

 成戸さんの周りには、県内各地の様々な生産農家から6次産業化を図るため、商品開発の相談が次々に寄せられている。6次産業化による地域活性化の大きな力なっているようだ。地元の特産品には世界に通用する価値が眠っているかもしれない。どう見極めるか、どう引き出すか。農産物と真摯に向き合う本気の6次産業がそこにある。



農業で、文化で、芸術!風土が醸すワイン
取材先:長野県須坂市 楠わいなりー㈱  

  農業の持続性を図るために各地で様々な取り組みが行われている。その一つが6次産業。1次産業に2次、3次と重ね、収益性を高めていく。付加価値をつけるほどに物の値段が上がっていく仕組み。加工技術、プロモーション、販売労力、一つの商品に智恵と労力、手間と時間が集約され、価値の総量が対価に反映されていくわけだが、それだけではなく価値の集積はやがて物に個性を持たせ、均一性から離脱させることにもなる。ダイヤの原石は磨かれ、削られ、運ばれ、華やかな街の煌びやかなショーウィンドウに並び、あるものはティファニーの指輪ともなって抜きん出た存在になる。牛皮はバーキンの鞄になり、カカオはゴディバのチョコレートになる。そんなことが6次産業で行えれば、多くの利益を産み出し夢は大きい。今回の主役はワイン。例えばブルゴーニュのロマネ村で収穫されたブドウはロマネ・コンティと呼ばれるワインになり、1本は100万円を超える。夢を形にする本気の6次産業を探る。



 

 
▲雄大な景色を眺めるワイナリー▲ブドウ畑▲ワインを貯蔵しているオーク樽


脱サラして、農家になって、ワインを造る

 今回お訪ねしたのは長野県須坂市。長野県は気候や土壌がワイン用ブドウの栽培に適し、日本を代表する良質なワインの生産県。ただ、産業としてはまだまだ発展過程にあり、県では“信州ワインバレー構想” などを策定し振興を図っている。地域別にみると、塩尻市を中心にした桔梗ヶ原ワインバレーや松本から安曇野に広がる日本アルプスワインバレー、北信州、千曲川周辺の千曲川ワインバレー、中央アルプスと南アルプスの間に流れる天竜川周辺の天竜川ワインバレーなどがある。桔梗ヶ原の地域は、老舗のワイナリーを中心に新規の小規模ワイナリーが増え、日本のワイン産地の先進地でもあり、欧州系ワイン用ブドウのメルローを県内に先駆けて根づかせた地域でもある。千曲川の地域では水はけの良い土壌がワイン用ブドウの栽培に適し、東御市や高山村がワイン特区として認可され、小規模事業者の酒類製造免許取得が可能で、地域振興も含めた積極的な展開が行われている。長野県のワイナリーの数は50を超える勢いで、ワイン用ブドウの生産量は日本一。

 その中、千曲川ワインバレーに位置する須坂市で事業を展開しているのが“楠わいなりー㈱”。「県内で25番目ぐらいの設立でした。それからしばらくして急激に増えてきましたね」と同ワイナリーで代表取締役を務める楠茂幸さん(61歳)が、情熱を傾けるワイン造りについて教えてくれた。

 楠さんは高校まで須坂市で生活してきたが非農家出身。大学を経て商社、航空機リース会社と20年ほどサラリーマン生活を送り、「シンガポールにも10年ほど駐在し、旅客機のリース事業に携わっていました」と農業とは無縁の生活を送っていたが、「外国での仕事は会食でワインを飲む機会も多く、非常に興味を持つようになり、色々勉強している内に自分でブドウを栽培して、ワインを造りたくなってきました」。それで40歳を過ぎて脱サラし、この世界に一歩足を踏み入れた。元々農村で生まれ育った楠さん。「ワイン造りは農業であり、自然の中での生活です」と、田舎の生活に対する気持ちもあり、加えて「当時は新たにワイナリーを始めようとする人はほとんどいませんでしたから、パイオニアとして挑戦してみたいという思いがありました。それにワイン造りは科学に基づく芸術であると言われていて、自分のやりたいことが全てそこに詰まっていました」。

 ただブドウを栽培したこともないし、もちろんワインを造ったこともない。そこで考えたのが留学して、正規の教育を受けるという方法。オーストラリアのアデレード大学大学院に留学し、「そこで2年間、醸造学とブドウ栽培学を勉強しました」。そして帰国後、2004年に須坂市で新規就農し、農家となった。

 須坂市は果樹栽培の盛んな地域。楠さんが学生の頃住んでいた時もそういう認識でしかなかったが、留学中に日本の気候データを調べて分析してみると、「須坂を含む北信州が、ワイン用ブドウの栽培最適地の一つだと言うことに確信を持ちました。数値的にはフランスのボルドーに近い」。栽培期間中の降水量は非常に少なく、日照時間が長いので、光合成を確保しやすかった。偶然にも故郷がワイン造りにこの上もなく向いていた。しかし楽なスタートとはならなかった。「非農家から農家になるということから始めなければなりませんでした。それが大変でしたね」。当時農家になるためには50aが必要だったが、なかなか貸し手が現れず、ようやく「高齢で農業をやめられる巨峰を栽培していた農家から3反歩の成園を引き継ぎました。後の2反歩は、荒廃農地を借りて、ワイン用ブドウの畑に整備しました」。現在同ワイナリーは7haの規模になっているが、ほとんどが元は遊休荒廃農地。「巨峰が高く売れなくなった頃はやめようかという農家さんもいらっしゃいましたが、最近はナガノパープルやシャインマスカットなどが人気で、また元気になってきましたので、ワイン造りのために畑を拡大するのもなかなか難しい場所です」。

 農地を取得して取り掛かったのはワイン用ブドウの栽培。まずはメルローとシャルドネの苗木が植え付けられた。「ここは日滝原と呼ばれる扇状地にあって、水はけが非常によく、ブドウ栽培にとっては良い条件でした」。生食用のブドウも作りながら、ワイン用ブドウの生育を待ち、2006年に委託醸造による初のワインをリリースした。そして2010年に株式会社を設立し、2011年にワイナリーを竣工。醸造の設備を整え、自社醸造を開始した。「その初仕込みで、メルローの幾つかの樽だけが非常に出来が良く、キュヴェ・マサコと名付けたブランドで発売しました」。それが長野県原産地呼称管理制度における認定委員会の審査員奨励賞を受賞した。同制度は、より高い品質の農産物・農産物加工品を認証するもので、ワインでは味覚を審査する官能審査委員長を日本ソムリエ協会会長の田崎真也氏が昨年まで務めるなど、認定基準は高く、その中から特に優れているものに奨励賞が与えられる。「当時、世間は、今ほど日本ワインへの関心がなかったので、あまり注目されませんでしたが、嬉しかったですね」。2014年にはスパークリングワインを醸造する設備を整え、2016年には軽井沢で開催されたG7交通大臣会議の歓迎レセプションにシャルドネ2014年樽熟成が採用されるなど、存在感を高めていった。現在栽培している品種は最初に手掛けた2品種に加え、赤ではピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニヨン、白ではセミヨン、ビィオニエなど。出荷本数は年間2万本~2万5000本ほど。労働力は楠さんの他、栽培と醸造を行う生産・加工部門が2人、販売部門では、ソムリエの資格を持つ2人が営業職として販売などを行っている。出荷先は酒販店、酒卸、自社の直売所、インターネットなど。


ワイン造りのビジネスは販売が鍵

 ビジネスとしてワイン造りを見た場合、「この事業を始めて一番大変だったのは、販路を確保することです。今でこそ日本ワインは注目されていますが、私がワインを造り始めた頃は関心も薄く、造ることはできても、それが右から左へとどんどんはけていくという状況ではありませんでした。未だにそうですが、なかなかキャッシュフロー的には大変でした」。酒屋はお客が買わないものは仕入れない。お客は聞いたことのない銘柄の、しかも量産品とは異なってそこそこ値段がするものは、なかなか手が出ない。当時はSNSで宣伝してという時代でもなく、地道に品質を上げ、賞を取り、話題が幾つか重なり、実績を積み上げることで、「ようやく最近では少し知られるようになってきたかなという感じです」。農産物であればとりあえず市場に出すことで値は付くが、様々な価値を集約した商品は、その価格と価値が見合っているのかを見極めることは難しく、信用を得てブランドを構築し軌道に乗せるまでには時間がかかる。楠わいなりーでは、今でこそ1万円を超えるワインも商品化し、買い手の理解を得ることができているが、そこまでには長い道のりがある。そこを歩き続ける体力があるかどうかが問われる。

 またワイナリーを始めるためには先行投資がかさむ。楠さんは事業を始めるに当たって出資者を募り、また多くを日本政策金融公庫のスーパーL資金で賄った。借り入れである以上、据え置き期間や金利負担の軽減があったとしても必ず返済があり、「うまく回り始めるまでに時間がかかります。運転資金をどう確保していくか。そこがなかなか簡単ではありません」。苗木から収穫まで3年。1年に1回の収穫。そして手間暇かかる仕込み、熟成。ワインが成熟し商品となるまでの時間に商品の価値が認識される時間を加えたものと、ビジネスの時間とのギャップをどう埋めるか。「ワイン特区であれば2000リットルから始められ、小さな設備ですみます。ただ売り上げも小さくなります。私たちの規模になると、必ずかかる固定費も大きく、ある程度の売り上げが必要になります」。細い道をうまくバランスをとって歩かなければ前に進み続けることはできない。「はた目には、憧れられる、夢のある仕事、生き方と見えるかもしれませんが、そんな簡単なものじゃないですね」。

 ただワイン造りにおけるこのゆっくりとした時間は利点となることもある。生鮮食品などと違い、賞味期限や消費期限がなく、せっかく作ったものを期限が切れたからと言って破棄することはない。「寝かせて熟成させ、美味しくなることも少なくありません」。今、楠わいなりーでは6万本ほど在庫があり、出荷とストックのバランスがうまく回り始めると経営は好転していく。また異常気象などでブドウの収量が激減するようなことがあっても、そのリスクを軽減することに繋がる。


慈愛を感じるワインを造る

 異常気象のリスクは万が一の話ではなく、近年は身近なものとして収量にも影響をおよぼし始めている。ワイン用ブドウは9月に白用のものを収穫し、10月には赤用のブドウとなるが、「2016年から3年連続でこの辺りは非常に天気が良くありません。9月に入ってから雨が多く、特に2018年は9月、10月と雨が降り続き、日照時間も少なくなりました。糖度が上がってからの雨ですので病気になりやすく、昨年は収量が非常に落ちました」。ブドウは露地で栽培され、気象の影響は避けがたい。それがブドウの出来の良い年、悪い年に関係し、ワインの個性ともなっていくが、ただ自然に任せるのではなく気候の変化に合わせて「臨機応変に対応できる能力が必要になってきます」。それがプロの仕事となるが、従業員は経験の浅い者もいて、人材育成が安定した経営を進める上の課題ともなっている。「やっぱり大切なのはブドウ作りだと思います。良いワインは良いブドウからしかできません」。

 楠さんが目指しているワインは、「品種特性が良く表現されたワインです。そして、飲んでほっとし、心が和らぐもの。楽しい時はより楽しく、辛い時は気分を和らげてくれる。味わいのある、慈愛を感じるようなワインを造りたいと思っています」。単に酔っぱらうために飲むというのではなく、心の栄養になるようなもの。「ワインはそれを飲むことで、色々な人と繋がり、楽しい時を過ごし、人生が豊かになる。そういう特別な飲み物だと私は感じています」。生活に彩りを与える文化的要素を色濃く持っている。

 そんなワインは楠さんの思いを反映し、また産み出された場所の風土にも大きく影響される。「メルローは様々な地域で作っていますが、同じものは一つとしてありません。楠わいなりーのメルローもここでしかできない味です。また同じ畑でも木によって味が違います。土地や作った人の違いによって大きく差が出る農産物ですね」。それは“テロワール”という言葉に集約される。“土地の味”とも訳され、ワインそれぞれの個性となっていく。

 日欧EPAの発効により、ワインの関税が撤廃され輸入量が増えているが、日本で造ったワインには日本というテロワールがある。「ワインは、それが作られた土地の食べ物と一番よく合います。日本でワインを作れば、日本食にはそれが一番合います」。それを活かすことが日本の消費者に選択される一つの道に違いない。

 ワインが、その生み出された場所と深い関わりを持つということは、旅の一つの形として海外で定着しているワインツーリズムにも見て取れる。多くの人がシャトーを巡り、その土地ならではの景観、文化、食に触れ、地域活性化にも繋がっている。日本でもワイナリーは観光資源として大きな可能性を持ち、「長野県は温泉もありますし、そこに入って、土地の産物と土地のワインを楽しむというのは、非常に良いのではないでしょうか」。楠わいなりーでは、試飲しワインを購入できる直売所や収穫体験の実施などを行っているが、「夢としては、食事ができて、ここをゆっくり楽しんで頂けるような仕組みを作りたいと思っています。レストランや宿泊施設があり、例えばそこに動物がいても良いし、チーズを造る人がいても良い」。思わず笑顔がこぼれるような、すてきな場所が思い浮かぶ。

 様々な価値を集約して産み出されるのがワイン。自然の恵みを受けて育つブドウ、知恵と経験によって培われる醸造技術、人と物の出会いを演出する販売、それらが融合し、さらにその中に作り手の思いや土地の風土、完成までに刻まれた物語を織り込みながら一つの商品として醸し出していく。それは一つの芸術であり、その個性が唯一で誰もが求めたいと思うものとなるのなら、その対価は計り知れない。農業から文化を生み出し芸術を創造する。そこに身震いするような大きな可能性を感じた。


高原の温暖化にクウシンサイで挑む
取材先:兵庫県養父市 おおや高原有機野菜部会  

  観測史上最大の暴風雨を伴った台風だとかハリケーン、災害級の干ばつや熱波など、世界中でこれまでの常識を越えた、極端な気象現象が頻発している。その猛威は家屋を破壊し社会機能を麻痺させるとともに、農作物に甚大な被害をもたらし、多数の人命にも及んでいる。その異常気象の一因は温暖化にあり、日本でも平均気温は着実に上昇し、最高気温が35℃以上の猛暑日も各地で顕著に増加。このまま温室効果ガスを排出し続ければ21世紀末には、地域によって気温は現在よりも3.3〜4.9℃上昇すると予測されている。農業を成長産業にする上で、温暖化による夏季の異常高温は収量や品質の低下を招き、農業経営に大きなリスクとなっている。今回、高原の夏季冷涼な気象条件を活かした軟弱野菜の産地を訪れ、農業を続けるための脅威である、夏季の異常高温に対する取り組みを探った。



 

 
▲高原で営まれる農業▲ハウス内のクウシンサイ▲夏取りホウレンソウ


高原の気象条件を活かした農業

 兵庫県北部、但馬地域の中央に位置するのが養父市。市の東部を一級河川円山川が流れ、西部には県下最高峰の氷ノ山、鉢伏山、ハチ高原、若杉高原が、北部には妙見山がそびえるなど、雄大な自然が周囲を囲む。2014年には国家戦略特別区域に指定され、中山間地農業の改革拠点となり、地方創生を図るための取り組みが行われている。また、神戸牛や松阪牛などの仔牛となる、但馬牛の生産地としても知られている。その養父市にある大屋町の北部、おおや高原には、地元鉱山の廃鉱による人口流失の歯止めとして、県営農地開発事業により昭和53年から10年の歳月をかけて46.8haの農地が造成され、野菜団地として18.8haが畑地となっている。標高は500〜700m。夏季冷涼で昼夜の気温差が大きい準高冷地。その気象条件を活かして、雨よけ栽培によるホウレンソウを主体とした軟弱野菜等の有機栽培を行っている。冬季は積雪のため営農期間は3月下旬から12月中旬までで、生産者は町から高原に通う“通勤農業”を行っている。

 「ここ数年、温度障害と連作障害の対応を進めています」と言うのは、おおや高原有機野菜部会の部会長を務める金谷智之さん(44歳)。これまでの経緯や高温化への対応を伺った。同部会には、新規就農者5戸を含め9戸が参加し、約13haのほ場に雨よけハウスが297棟。1棟のハウスを営農期間内に約5回転させてホウレンソウ、シュンギク、ミズナ、コマツナ、コカブ、ミニトマト、クウシンサイを栽培し、改正JAS法による有機認証を受けた有機農産物としてコープこうべへ契約出荷している。

 「県営農地開発事業で造成された当初の営農計画では、ダイコンやハクサイ、キャベツ等の露地重量野菜の生産が予定されていました」と、金谷さん。しかし、造成地の母岩に由来するニッケル障害や極度の排水不良のため変更を余儀なくされた。そこで、客土と排水対策を行い、畜産業が盛んな地の利を活かして、豊富な堆肥を活用した雨よけハウスによる有機栽培に取り組んだ。時を同じくして、コープこうべでは、有機栽培による夏のホウレンソウ産地を探していた。そこで、コープこうべと産地契約を結び、平成2年コープこうべが提唱する「フードプラン(人と自然に優しい食べ物づくり)」を基本とした有機栽培による夏のホウレンソウ生産が本格的に開始された。平成9年には同部会を設立し、自主的な組織活動を開始。同12年には改正JAS法による有機認証を取得した。雨よけ栽培によるホウレンソウを中心とした軟弱野菜の有機栽培産地として、年間出荷量は200tに迫った。


クウシンサイで夏場を乗りきる

 しかし、連作障害と近年の温暖化による高温障害でホウレンソウの品質と収量に被害が出始め、産地として大きな問題となってきた。そこで、夏場のホウレンソウの収量減を補い収益を確保するためのものとして熱帯アジア原産のクウシンサイが検討された。ただ温暖化と言えども準高冷地であるおおや高原の気象条件では、クウシンサイの栽培適地とまではならない。しかし、ホウレンソウ以上の栄養価があり、今後の市場性も期待できる事や、サツマイモと同じヒルガオ科であるため、ホウレンソウと組み合わせると連作障害を起こしにくくなる事、従来の有機肥料に適応できる等など魅力も多い。そこで何とかこの地で栽培する方法ないかと探り、ハウス栽培であれば可能であると、平成21年から出荷を開始した。「クウシンサイはしおれやすく鮮度維持が難しいので、市場と生産地が近くでないと流通が困難な野菜です。その点ここでは、従来の軟弱野菜の品質管理のためのコールドチェーンの仕組みができあがっていたので、クウシンサイの鮮度を維持したまま市場に流通させることができます」。昨年の夏場のホウレンソウの出荷量が10tに対してクウシンサイは3tの出荷量となり、夏場のホウレンソウが直面している収量減、収益減のカバーに役立っている。

 夏場のホウレンソウは市場価値が高いこともあって、全てをクウシンサイへに転換するのではなく、夏場にホウレンソウを有機栽培する産地の維持、再生にも積極的に取り組んでいる。その中で、夏季の連作障害対策のため、農薬を使用せずに消毒を行うことができる熱水土壌消毒機を全国で初めて導入した。立枯病や雑草対策として活用し、また、夏期栽培の高温時に発生する萎凋病対策としても使用している。また熱水土壌消毒機が使いづらい傾斜地での対策として、「カラシナの茎葉を土壌に鋤込んで病原菌を殺菌するカラシナ還元法を試験的に行っています」。カラシナにはその名のとおり辛み成分が含まれており、カラシナの茎葉を切断して土壌に鋤込むと殺菌成分であるアリルイソチオシアネートが生成し、土壌中を揮発・拡散することで病原菌を殺菌する。さらに散水して土壌を還元状態にすると土壌還元消毒と同じ効果が発揮される。有機農業を続けるための自然の力を利用した、環境にやさしい防除技術と言える。


消費者と共に農業を持続する

 部会長を務める金谷さんが就農するきっかけとなったのは、「コープこうべとの取引が拡大する中、生産拡大を目指した新規就農事業があり、それに平成6年、父が脱サラして応募したことです」。農業に関して全く素人だった父親を少しでも手伝うため、高校卒業後に就農した。その頃、産地見学に訪れた消費者から「頑張ってね。私たちが支えるから」と言われ、やめられなくなったと笑う。「農業の世界では、お客様から食べ物をつくってくれてありがとうと言ってもらえます。本当に農業っていいなと思います」。

 同部会は、需要者であるコープこうべや、その組合員と一緒になって産地の形成を図っており、組合員や職員を中心として年間1000名以上の産地見学や農作業体験を受け入れている。「コープこうべの組合長も、農作業の体験研修に参加される」。また、例えば台風で被害を受けた際は、バスが仕立てられ、組合員や職員が片付けを手伝いにやってくる。消費者に支えられて産地が発展してきた。そんな産地だからこそ、金谷さんは「“マラソン”ではなく、助け合う“駅伝”のように、次代に継続できる息の長い産地を目指しています」と語る。“有機農業”という価値を異常気象を含めた様々なリスクから消費者と共に守ろうとする取り組みに、明日の農業があった。


異常気象に敗けない考え続ける農業
取材先:滋賀県近江八幡市 ㈱イカリファーム代表取締役社長 井狩篤士  

  “大工殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の3日も降れば良い”、なんて都々逸があって、宵越しの銭は持たねぇと吹くような昔の大工は、なるほど3日も雨に降られりゃおまんまに食いっぱぐれて飢えに直面する。もし彼らが、異常気象が日常的になってきた今の日本に来たらどうなるだろうか。いつまでも降り止まぬ雨を前にどれだけが生き残れるのだろうか。農家だって刃物はいらない。過去に起こった大規模な飢饉が歴史としてそれを証明している。現在の日本でもこの異常気象、飢えによる生命の危機に直面しているわけではないが、収穫が激減すれば収益は確保できず、生産活動を継続できないということにもなる。また、異常な高温や水害は直接命を脅かすこともある。これから先もこの地で農業を続け、成長産業にしていくためには、異常気象に対応するプランが早急に求められている。農業をビジネスとする展開の中に、荒ぶる自然への対応を探った。



 

 
▲麦畑▲暑さに強いみずかがみ▲ライスセンター


“みずかがみ”や“しきゆたか”が力に

 滋賀県近江八幡市で土地利用型の大規模農業を展開しているのが㈱イカリファーム。米75ha、麦56ha、大豆60haの規模で、10人の社員を雇用し、低農薬にこだわった栽培を行っている。経営を担っているのは代表取締役社長の井狩篤士(40歳)さん。「経営の特徴は無駄をなくすことです」と、ビジネスとしての農業を実践。仲卸や量販店、米穀店への販売を中心に、数字を重視しながら収益性を高める農業を追求している。その中で異常気象の問題は不測の事態を招くリスクの一つであり、その被害を最小にすることは安定経営にも繋がる。

 2013年に発表されたIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)の第5次評価報告書では、“気候システムの温暖化は疑う余地が無い”とされ、日本では1898年以降の100年間で温度は1.19℃の割合で上昇し、猛暑日の年間日数、大雨の年間発生回数が増加している。将来的には年平均気温が1.1~4.4℃に上昇すると予測され、特に北日本の上昇幅が大きくなっている。その中、近年、農業生産分野において農産物の生育障害や品質低下などの影響が顕在化している。農林水産省では、2015年8月に「農林水産省気候変動適応計画」を、2017年3月にはこの適応計画と両輪をなす「農林水産省地球温暖化対策計画」を策定し、2018年6月には、「気候変動適応法」が定められ、国家レベルの課題として対策が図られている。

 気候の異変は年を追うごとにその姿が明らかになっていくようで、昨年は豪雪や異常低温から始まり、異常高温、大型台風の襲来と、各地で大きな被害をもたらした。イカリファームでも同じように被害があり、登熟期の高温や干害により白未熟粒が増加し、台風により落ちた穂も少なくなく、品質・収量ともに低下した。しかしその中でも、収益の確保がしっかりと図られている。それは普段からの経営のあり方による所が大きく、品種対策も奏功している。栽培しているお米は、みずかがみ、コシヒカリ、きぬむすめ、しきゆたか、滋賀羽二重餅で、コシヒカリは近年、作付面積を減らし、耐暑性品種の、みずかがみ、きぬむすめ、そしてハイブリッドライスのしきゆたかに力を入れている。

 2013年に登場したみずかがみは滋賀県農業技術振興センターにおいて育成されたお米で、温暖化対応品種として高温に強く、猛暑でも品質が安定している。食味も高く、日本穀物検定協会の食味ランキングでは昨年産はAランクとなったものの、その前の3年間は特Aとなっている。イカリファームでは昨年初めて導入し、まずは5haからスタートした。「昨年は異常高温の中、干ばつにもなりましたが、反収で9俵ほど収穫できました」。耐暑性は期待通りの高さとなったようだ。消費者の反応も良く、知名度も徐々に高まっているようで、需要は強く、「今年は15haに作付けを拡大します」。作り手にとっても買い手にとっても求められる商品となっている。

 井狩さんの経営方針は「儲からないものは作らない」ということ。「品種ごとにセグメント分けをして、生産にかかった経費と工数を計算し、手元にどれだけ残るのかをしっかりと把握していきます」。その取り組みを進める上で選ばれた一つがみずかがみであり、以前はひとめぼれや、あきだわらも栽培されていたが、今は生産ラインナップから外れ、コシヒカリも徐々に栽培面積を減らしている。その中、イカリファームの中で最も収益性の高いものとなっているのがハイブリッドライスの多収性品種である、しきゆたかとなる。「これが一番、利益の高いものとなります」。収穫作業の集中を避けるため、収穫期が異なる複数の品種を取り入れているが、そういう制約がなければ全てしきゆたかを栽培したいとも言う。

 しきゆたかは、豊田通商㈱から販売されている品種で、多収性に優れ、反収は一般的品種の1.3~1.5倍にもなる。異なる品種を掛け合わせてできるF1(雑種1代目)であり、雑種強勢現象により、収量性が向上する。また片親がコシヒカリで、弱い半糯性(アミロース含量15〜16%)を持ち、柔らかさと適度な粘りを生み出し、高い良食味を実現している。さらに大粒で千粒重は25gほどになり、硬化速度が遅く、冷めても美味しさが持続し、おにぎりやお弁当で高いパフォーマンスを発揮する。2015年産米から商業生産が開始されているが、井狩さんは「しきゆたかにまだ正式の名前がなかった頃の試験段階から協力しています」と、つきあいも古く、その優れた可能性もあって、しきゆたかに対する思いは強い。「本当はしきゆたかばっかりを作りたい」。35haの規模で作付けし、調子の良い時は一反当たり13俵近くの収穫がある。一般的品種に対するこの差が、経営的に大きな魅力となっている。昨年の異常高温の中でも反収は11俵。通常時の一般的品種よりも多くとれているわけで、収穫量減や品質低下を招く異常気象への備えとしても有効な品種と言えそうだ。


考え続け、改善を進める

 井狩さんは滋賀県立大学の農学部出身。卒業してすぐに就農したが、「家族経営の中でとにかく頑張っているのだけど、数字をあまり気にしない経営で、儲けが残らなかった」。そこで経営改善を図るために自分なりの取り組みを始めた。資機材の購入には相見積もりをとり、有利な取引ができるところに取引先を変え、生産コストの低減を図り、無駄がないかを常に精査し、利益が残る経営へと舵をきっていった。そして2008年6月には法人化を果たした。栽培において心がけているのは「生産における工数を如何に減らすかということ。長い間このやり方でやってきたとか、周囲は全てこのやり方をしているとかに流されず、この工程は本当に必要なことなのかと、既成概念に捕らわれず自分の頭で考えることが大切です」。それが無駄を省き、生産効率を高めることに繋がっていく。例えば、俗に“一発”と言われる緩効性のコーティング肥料は、「追肥の手間が省けると言って使われる方が多いのですが、気温が上がると溶け出すのが速くなり、結局追加しなければなりません」との判断で、使用しない。実際の現場をよく観察し、何が本当に起こっているのかを見極め、必要なことを必要な分だけ行っていく。それが積み重なって大きなコスト削減に繋がっていく。イカリファームでは、トヨタ自動車で農業の生産効率改善事業に携わるアグリバイオ事業部のアドバイスを受けていて、そこから学んだことが多くの改善へと実を結んでいる。

 同事業部は自動車事業で培った生産管理手法(トヨタ生産方式)や工程改善ノウハウを農業分野に応用していこうと活動を進め、2011年に農業法人と共働で農業生産のプロセス改善に着手。現地現物で改善を進め、現場の声を元に農業ITツール「豊作計画」も開発している。イカリファームでもこれを採用し、「どんな作業をしたのかを全て記録でき、経費を集計し売上を計算できます」。コスト意識を強く持って改善が進められている。この他にも、様々なことが行われていて、作業場の整理整頓による安全性の向上や工具を一覧できるように並べることによる作業時間の短縮、作業管理ボードの効率的な運用など、それらはほんの一部だが、社員一人一人が問題意識を持って取り組んでいる。

 イカリファームでは1人当たり30haを担当するが、ただ闇雲にそれに取り組むということになると、その大きなボリュームを前に、中にはできないという人も出てくる。そうならないためにはどうすれば負担を少なくし、目標を達成することができるか考え続けなければならない。「それを実行するためにはどうすれば良いのか、それぞれに考えてもらって、それを可能にするための提案を受け付けます。労働負荷低減のためにキャビンが欲しいということになれば、積極的にそれに応えていきます」。何から何までお膳立てするのではなく、大きな目標を示してそれを実現するために考えてもらうことが大切としている。それが改善に繋がり、生産効率を高めることになる。

 また社員に考え続けることを求める中で、マルチな人材育成も図られている。「一つの仕事ができればそこにとどまらず、次のステップへ進んでもらいます。マルチな人材は部署に捕らわれず働くことができ、いざという時の戦力となります」。生産の担当者は圃場に出て作物の管理を行うだけではなく、農業機械の整備も担う。経費の削減になり、冬場の仕事づくりにもなっている。「個人の力を上げることが経営にとっても大きなプラスとなります」。その能力は給与に反映され「年収700万円の社員もいます」。その実績が考え続け、能力を向上させることを後押しする。さらに多様な能力を持つ社員も揃う。「大卒や大学院を卒業した人もいて、高い分析力があり、勉強熱心です。卸売市場で働いていた人からは棚卸しを教わり、建設の事務関係で働いていた人に労務管理を担ってもらっています」。経営に厚みがもたらされる。


人も機械も不測の事態に備える

 この多様で有能な人材が臨機応変の対応力となり、異常気象においてはそれに対処するための備え、ともなっている。それは一朝一夕に得られるものではなく、普段からの積み重ねが必要。この備えは人材だけではなく、機械装備にも当てはまる。イカリファームのライスセンターには高性能な色彩選別機が導入されているが、異常気象などにより生産物の品質が低下した場合でも、丁寧な選別を行うことで商品としては安定した品質を確保することができる。「歩留まりは減りますが、商品価値を損なわずに出荷できます。予め投資をして、備えていたことの強さだと思います。大豆なども色彩選別機で選別し、低農薬で安定して作ることができます」。この他に、備えることができれば良いがまだ備えられていないというものもある。例えば、刈り取り時に不順な天候が続けば、貴重な晴れ間に一気に作業しなければならなくなり、既にイカリファームにはスピードの早い機械も揃っているが、「全ては流れで考えなければなりません。ライスセンターは、1時間当たり6t処理できる施設ですので、それ以上の量が入ってきても処理することができません。トータルでフローを考えて備える事が必要です」。作期を分散している理由の一つでもある。作業スピードの速い収穫機を導入する、あるいは収穫機の保有台数を増やす、作業人員を増やすなどで、天候不順に対応しようと思うのなら施設の受け入れ容量も増強しなければならない。ライスセンターを建設する時、その受け入れ容量の決定には、異常気象への対応も考慮に入れるべきとも言えそうだ。

 井狩さんは大学の農学部で環境のことを学び「京都議定書が決まる前から高温化が進むと言われ、海温が上昇し、大気が乱れ、異常な風雨となり、暦通りのことが起こらなくなると、授業で説明され、その時はぼんやりと聞いていましたが、今は身にしみて感じています。毎年異常気象と言われていますが、これは標準の気象の振れ幅が大きくなったものではないかと思っています。その上がったり下がったりした、許容度を超えた部分をどうするのか。対応していかなければなりません」。そのために、例えば近年観測精度が上がり、分析・予測力も向上している気象データなどを提供してもらえれば嬉しいとしている。不測の事態を少しでも見える化できれば大きな力になるに違いない。

 既に取り組んでいる対応では、耐暑性品種の導入があり、また台風などに対しては、「作期を分散し、その時期は風に吹かれても籾が落ちにくい品種になるようにしています」。経営的には、異常気象になれば品質が低下し等級外の屑米も増えることから、「加工用の原材料としてそういうものを専門に扱っている業者がいますので、そこと取引しています。ロットがまとまると商売が成り立ちます。量を確保することが大切です」。異常気象による夏場の高温は健康面への影響も大きく、「大豆の播種が終わった段階でサマータイムを導入します。朝5時に仕事をスタートして12時まで。これを導入することで体調の維持が図られ、社員のモチベーションも上がります。その一方で、秋の忙しい時期には少々無理を聞いてもらっています」。メリハリのある就業体制で異常気象に対応する。

 異常気象が常態化する中で、その影響を最小化する試みが随所にあった。その中で印象深かったのは、これまでの既成概念を捨て、常識を疑い“考え続ける”という姿勢だ。従来と同じことを繰り返していたのでは、変化の激しい生産環境には対応できない。まして観測史上初や想定外の事態が頻発する昨今の気候においてはなおさらである。それぞれの事態を観察し、“考え続ける”ことが農業を守ることと感じた。無駄を省くために改善を続ける姿勢に持続する農業の一つの姿を見た。「最終的な目標としては1000ha以上を目指しています」。そこに到達するためにも、荒ぶる自然への挑戦は続いていく。


農業で働く人を集める、育てる 2「農業が個性を才能に変える」
取材先:三重県名張市 株式会社アグリー  

  人手不足が様々な分野で問題となり、特に農業分野において人材確保は深刻だ。一方、福祉分野においては、障がいを持つ人の働く機会が求められている。このような状況において、農業と福祉それぞれが抱える問題の解決策の一つとして、「農福連携」の取り組みがある。農業には、多様な働き手を受け入れる余地があり、女性、高齢者、障がいを者など、様々な人がそれぞれの役割を持って働くことができる。それが多様性に富んだ地域コミュニティにも繋がる。また、新しい事業が生まれる可能性も秘めている。しかし、受け入れる側の障がい者に対する理解や、労働環境の整理も必要となってくる。そして、これからさらにに求められるのは「農」と「福祉」をいかにマッチングするか、「農福連携」をコーディネートする人と人を繋ぐ仕組みだ。今回、三重県名張市で「農業×福祉×地域資源の活用」をテーマに掲げ「農福連携」をコーディネートする農業経営者を訪ねた。



 

 
▲農園事務所▲安全・安心な野菜を生産▲水耕栽培が行われるハウス


農業経営から福祉事業まで

 三重県名張市は、伊賀盆地南部に位置し、日本の滝百選にして平成の名水百選にも選ばれる赤目四十八滝、初夏の新緑、晩秋の紅葉が美しい香落渓など、自然豊かな景勝地に恵まれている。この地で農福連携に取り組む井上早織さんが代表取締役を務める㈱アグリーを訪ねた。同社は5952㎡の農地で水耕栽培による小松菜、水菜、リーフレタス、ベビーリーフ等の葉物野菜を生産している。地域のブランド野菜として、地元スーパーをはじめ飲食店等、幅広い販路を持っている。また、名張市や津市の学校給食で使用される小松菜は同社が供給。小分けにパッケージしたり、調理しやすいように大きく育てて納品するなど各取引先のニーズを取り入れ、信頼関係を築き上げてきた。

 井上さんは、食の安全・安心に関心があり、自ら農業に携わりたいと考え、大阪から夫婦で名張市に移住した。平成23年に同社を設立し、水耕栽培による野菜作りをはじめた。そして、ある時、障がいを持った子どもの母親が話す、自分達がいなくなった後の、先の見えない不安を聞き、女性として、母親として思うところがあって、農福連携で農業を就労訓練の場として提供することを決めた。そこで、平成25年に特定非営利活動法人あぐりの杜を設立し、一般企業への就職が困難な障がいのある人に就労機会を提供するとともに、生産活動を通じて、その知識と能力の向上に必要な訓練などの福祉サービスの提供を目的とした、就労継続支援B型事業所を開設。先の見えない不安が少しでも解決できないかと農福連携のチャレンジをはじめた。

 「障がいのある人がすぐに労働力となるわけではありません。農業、福祉ともにうまくいけば理想ですが、実はなかなか軌道に乗りにくい」と、井上さんは話す。同社では、減農薬や安定供給、エグ味が少なく柔らかで食べやすい野菜作りに取り組むなど、先ずは農業経営をしっかり行うことを基本としている。それが農福連携を持続する要との考えで、福祉事業から切り離している。

 同NPO法人を利用する障がい者は24名。そこから1日最大14名までが同社農園で、播種、定植、収穫、根切り、袋詰め等の農作業を行っている。「障がい者の個性に合わせるため、仕事を細分化しています。それぞれできること、できないことがあり、最初からできないことをできるようにすることに焦点を当てるのではなく、それは苦痛になりますので、何が得意なのかに焦点を当てます」。細分化された仕事の中で得意なことを先ずやってみて、自分もできると自信を付けることが、「もっとやってみたい」という気持ちに繋がり、それが、少しずつ、時間をかけて、できる仕事の幅を広げることになるようだ。そのためには画一的な仕事の振り方ではうまくいかない。「障がい者とも、従業員とも一人一人としっかり向き合うことが大切です。こちらが計画を立てて仕事を当てはめていくのではなく、自発的に取り組んでいけるようにしていくのがこれからの課題です」。

 また、障がい者と一緒に働くことが、今の会社を成長させたと話す。「障がいがあってもできる作業、働ける環境は、誰にとってもやりやすく、心地よい環境です。その目線が経営として大きい」。例えば、冬の農作業は寒い、農作業場のトイレは狭い、使いにくいなどの当たり前が「障がい者と働くことで180度変わりました。これは、当たり前でなく変えていかなければならないこと。それを変えていかなければ今の事業の継続はありません。それに気づかせていただいた」。

 同社では、従業員の声に耳を傾けクラウドファンディングを利用して、農園に障がい者でも使用し易いトイレを建設した。清潔で十分なスペースが確保されている。当たり前や、仕方がないではなく、変えていかなければいけないことは、変えていく。井上さんの経営に対する姿勢が見える。


従業員の意識向上で持続可能な会社を目指す

 同社の従業員はグループ合わせて24名(パート職員・外部スタッフ含む)で、約1億円の売上規模に成長してきた。井上さんは、事業規模拡大よりも今後は従業員の意識向上に努めていきたいと考えている。従業員の自主性を高めるため、いかに人が育つシステムや環境を整えていくかがキーとなっている。そこで、給料アップ大作戦と銘打った評価制度を構築した。

 同社の評価制度は、従業員自身が自己評価を行う。それは、自分の良いところをフォーカスして仕事をしてほしい、自分の得意な強みを見つけてほしい、自身の評価と自身の価値をもっと上げて欲しいとの、井上さんの想いが託されている。評価制度を導入することで、会社と従業員個々が目標を作り、会社と個人の目標が達成できれば年1回の昇給に反映させていく。「ここで必要なのが、できる限り透明に経営を見せていくこと、そして評価を見える化していくことです。そのためにもコミュニケーションが大切。一人一人との信頼関係ができれば、組織と個々の信頼関係は間違いないものになります」。

 また、地域資源を活用し、古民家再生による福利厚生施設の計画など、いかに従業員を驚かすことができるか。スタッフファーストにも目を向けている。井上さんは昨年就業規則も見直した。また、事業計画を組み立てる段階で従業員と意見を交換し、一緒に考えることで会社の方向性を共有していきたい考えだ。“人材”でなく“人財”と今まで造り上げてきた農業経営、地域との繋がりすべてをベースにして、10年先も持続可能な会社を構築していくことを経営者の責務としている。


個性を才能に変えて一人一人の幸せをサポート

 井上さんは、農福連携について、「就職することがゴールではありません。親以外の人と関係を築いて生きていけるかどうかが大切です。外に出て、地域と交わる。仕事場に来れば自分の存在価値が認められる居場所がある。その居場所を自ら作ることが何より大切」とし、「農業を通して“個性”を“才能”に変えて、一人一人の幸せをサポーしていきたいと」と話した。

 障がいのある人と一般健常者の従業員が共に働ける労働環境は、お互いの違いを尊重する職場だと感じた。その違いを隠そうとしたり、無くそうとするのでは無く、個性とし才能とする。みんな違って当たり前なのだから、それがストレスにならず可能性に変わるのなら、大きな魅力だ。農業に福祉を取り入れる意義がそこにある。


農業で働く人を集める、育てる「未来に希望が持てる職場に」
取材先:香川県木田郡三木町 有限会社広野牧場  

  人は食べるために働かねばならない。全ての人とは言えないけれど、まぁ大方の人は大抵。そのために職業を選ぶわけだが、何でも良いというわけではなく、楽して儲けたいとか、やりがいが欲しいとか、夢を実現したい、人の役に立ちたい、家の近くが良い、才能を活かす、大金を得たい、社会に貢献したい、と思いは様々。中には選択の余地も無く家業として、あるいは他に行く所が無かったからと仕事を選ぶ人もいる。加えて志向や能力以外にも時々の社会情勢や生まれた場所、環境によって様々な選択が行われる。それらの条件の中から、果たして農業に辿り着く者はどれだけいるのか。人手不足が深刻化する中、他の業種との競争もある。儲からないと後を継がない人も多い。きつい仕事だとイメージも悪い。そんな状況でも、農業に魅力を感じ、職業として選択し、日々仕事に勤しむ人々が農業の未来を担っていく。農業に携わる人材の確保、育成について探った。



 

 
牧場の全景▲ゆったりと過ごす牛▲加工品のジェラート


持続可能な大規模酪農経営を実践

 昨年末に確報としてまとめられた平成29年の新規就農者数は5万5670人。10年前の19年は7万3460人。この10年間で、1万7790人が農業を職業の選択肢からはずした。しかし農業生産法人などを務め先に選ぶ新規雇用就農者は19年の7290人から1万520人に増加。また他の分野から参入し新たに農業経営者となった新規参入者は、19年の1750人から3640人になった。農業との関わりが少なかった生活から農業に飛び込んできた人が多くを占めるカテゴリーが5120人増えたということだ。それでは減少の主な原因になったのは何かと言うと、家業として営んでいる自営農業に従事する新規自営農業就農者にあり、19年の6万4420人から4万1520人と2万2900人が家の農業を仕事とせず後継者たることをやめている。目下の所、農業生産法人などへの雇用就農者と新規参入者の充実に農業の持続が委ねられている。

 そんな状況の中、「人が一番の課題ですね」と言う広野豊さんが社長を務める㈲広野牧場を訪れた。香川県の三木町で酪農をメインに展開。経産牛300頭を擁し、乳量は年間3000tになる。両親と本人を含めた役員が3人、正社員が19人、パート・アルバイトが6人。女性が7割を占め、平均年齢は約31歳。広野社長は41歳。若手の後継者として高い意欲を持ち、先駆的な取り組みにも積極的で、農業をビジネスとして展開し、地域で大きな存在感を発揮している。

 もともと広野牧場は、昭和54年に父親で現在も共同代表を務める正則さん(67歳)が20頭から酪農経営を始めたことに端を発し、平成8年にはフリーバーン方式を導入し、50頭に規模を拡大。13年に法人化し、18年には持続可能な酪農経営を目指し200頭へと更なる拡大を行った。この時に豊さんが後継者として就農した。「当時は工務店に務めて現場監督をしていました」。仕事も楽しく、順調だったが、父親が規模を拡大すると牧場の顧問税理士に聞かされ、今後のこともあり後継者になるかどうかの意思が問われた。「子どもの頃から手伝いをしないと遊びにも行けず、絶対、後は継がないと思っていました。父親と比べられるのも嫌でしたし。でも一人っ子で、最後は親孝行するつもりで決めました」。

 現在は豊さんが経営を担い、正則さんは「堆肥のことや草刈りのことなど、僕が後回しにしがちな仕事をやってくれて、大変助かっています」。大規模経営を実践しながら生産性の向上を図り、5棟のフリーバーン牛舎を持ち、合わせて7500㎡の中に、300頭のホルスタイン(20頭はブラウンスイス)を飼養。搾乳はパラレル式のミキシングパーラー10頭をダブルで設置し、朝夕搾ったものをJAに出荷する他、一部を自社での加工に回している。餌に関しては牧草を作らず、全量購入の発酵TMRを使用。牛糞の処理のため1200㎡の発酵施設と500㎡の堆肥舎があり、堆肥は耕種農家に販売している。後継牛に関しては「基本的に導入です。北海道から初妊牛を買ってきます」。必要なときに必要な頭数を揃えることができ、安定した経営に繋がり、子牛の販売も売上に貢献する。しかし、初妊牛が高値となる中でもあり、「最近は育成にも力を入れています」と、自社の育成牛を九州の農場に預託し年間20頭を賄っている。また繁殖用の黒毛和牛を17頭ほど飼養し、子牛の販売や採卵を行っている。受精卵を自社の牧場のホルスタインに戻し黒毛和牛の子牛を生産する。日々の牛の管理にはICTを活用。1頭ずつ乳量を記録し、行動の管理も行う。「牛には加速度センサーが付けてあって、歩いている、座っている、反芻しているなどがすべてリアルタイムで分かり、データーをAIが分析し発情や疾病の疑いなどがスマートフォンで確認できます」。それにより、きめ細やかな飼養管理を行う。「それまで見過ごしていたことにも対応することになり仕事量は増えるのですが、きちんと繁殖ができれば、きちんとした収益に繋がります」。新しいことを積極的に取り入れて、経営の力にしている。


多角化で従業員は様々な仕事に対応

 広野牧場は大規模経営が大きな特徴となっているが、もう一つ目をひくのが経営の多角化。「農業をしていますと言うと、すぐに大変だと言われ、普通のビジネスとは違うイメージが持たれています。僕はそれを腹立たしく思っていて、イメージを良くしたいというのが多角化の一つの理由です」。現在飲食部門としてジェラートを製造販売する“森のジェラテリアMUCCA”を2店舗と、チーズを製造する“森のチーズ工房VACCA”、そのチーズを使ってピザを作る“森のピッツェリアVACCA”を運営している。「田舎から人が減っていくという状況の中で、如何に人に来てもらうか。飲食店はその仕掛けであり、田舎に雇用を作ることにもなります」。また酪農教育ファームの認証牧場でもあり、交流に力を入れ、子どもたちの体験などを受け入れている。バターやチーズを作り、牛の餌やり、ブラッシング、散歩、子牛のミルクやりなどを通じて、酪農の仕事を経験してもらい、「大きくなって仕事を探すときの選択肢の一つにして欲しい」。農業の持続を図るための大切な活動となっている。他にも交流・教育として、大学生や高校生、社会人に対するインターンシップを行い、年間40人ほどを受け入れている。「地域に若者がいるということが大切なことです」。将来的には「人材を育成する学校のような人を育てる部門を作りたい」との思いもある。

 これらの多岐にわたる仕事に携わっているのが、現在パート・アルバイトを含めて25人いる広野牧場の従業員たちだ。牛の世話をする牧場の日々の仕事から、接客しながら、ピザやチーズなども作る店舗の運営管理までこなす。「1人当たりの守備範囲は相当広いです。今はうちで働いていても将来は独立を目指している人もいます。色々なことを総合的にできるようになって欲しいと思っています」。それぞれが、牛の管理や店舗の運営など、軸足を置く部門を定めながらも様々な事に携わる体制となっている。「いろんなことを考えなければならない状態です」。

 雇用においてもう一つ大きな特徴は、「この規模で従業員が全て日本人だということ。他ではあまり例がないと思います」。10年ほど前は10人中4人が外国人研修生だったが、現場トップと意見が合わず、会社を去り、それ以降日本人だけでやってきた。「日本人だけになった直後は人手がなく、早朝から夜遅くまで毎日仕事で、僕も父も必死に働きました。おかげで利益は出ましたが、人を育てるという状態ではありませんでした。そんな中でも辞めずに残ってくれた人がいて、その人たちが育ち、今大きな力になってくれています」。人材の成長が、余裕を生み出し、人を育てる環境を作り出していく。


将来像を明確にしていくことが大切

 今では毎年新入社員が入り、今年の春には4人の新卒が入社する。農業系の高校を卒業した2人の女性と、後は酪農大学を卒業する男性と大学院で農業を専攻した女性。農業を専門に学んだ人を採用するのは初めてのことになる。「最初はひどい会社だったと思いますが、今は募集すれば集まる状況です」。これまで入社してきた人は経歴もバラエティーに富み、大工や居酒屋の店長、食品製造会社勤務など。「中途採用の人は今迄築き上げてきたものを変えていかなければならないので、それが大変だと思ますが、それまでに培った色々な特技があり、僕たちと違う判断基準もあって、面白いと感じます」。多様な人材が集う。

 採用するときはまず、「1週間ほどインターンとして働いてもらい、お互いを見ます。コミュニケーションを取りながら、どんな思いを持っているのか、人となりを探ります」。ミスマッチを防ぐことに繋がり採用後の定着率向上に繋がる。また一緒に働くことになる従業員の意見を尊重し、「僕が良いと思っても、一緒に働く従業員の人が難しいということであれば採用しません」。従業員全員で人材を育てるという考えであり、「自分たちで判断したということがすごく大事です」。求められる人材は「素直に人の話が聞け、コミュニケーションがとれること」。酪農を中心に様々な仕事があり、また変化する状況への対応も求められ、柔軟性が必要とされている。

 今は必要とする人材を採用できているが、「それができているのは飲食部門があるからです」。普通の牧場だとお客さんの顔は一切見えないが、広野牧場では日々の仕事がどこに繋がっていくのかが見える。お客さんの喜ぶ顔が仕事の意義を肌で感じさせ、やりがいとなっている。JAに出荷するだけの農業ではそうはいかない。また多角化することで様々な仕事が生み出され、それが多様な働き方に対応する。特に女性は出産・子育てなどがあり、その時々に応じた働き方をしなければ仕事を続けることはできない。ライフステージに合わせて、「結婚前は朝5時から牛の世話をしていた人も、結婚後はジェラートショップで昼間のパートなど。また、介護のため時短勤務の人もいますし、産休・育休を取得している人もいます」。飲食部門の売り上げは10%ほどだが、「これがあるから人が集まるのです。この部門を持っている価値は十分あります」。

 人事育成では人事評価を四半期ごとに実施し、定めた目標を達成したかどうかなどを自己評価と上司による客観的評価を交えて行う。その結果を年2回の昇給に反映し、また増える責任に対応して権限も付随するようにバランスをとることが心掛けられている。さらにリーダー制を採用。指揮系統を明確にするのと同時に、その制度により、部下をリーダーの仕事ができるようにすること、リーダーが部下の憧れの存在になることなど、共に成長する仕組みとして期待されている。人を育てる上で最も大切なことは「なりたい将来像を明確にしていくことです。そのための話し合いが一番大変なのですが、心の底から思っていることが分かれば、それを実現するために僕のできることをしてあげたい」。従業員が幸せになるために成長していくことが会社の成長とも重なり、全力でサポートしていくことが人を育てることにもなっているようだ。未来に希望が持てる職場には人が集まり、人が育つ。


冬の農業を力に変える「冬の野菜栽培が経営の安定に貢献」
取材先:滋賀県草津市 農業法人㈱横江ファーム  

  自然にとって冬は往々にして休息の時である。陽が弱まり様々なものに静寂が訪れ、動物は深く眠り巣ごもりし、植物は葉を落として身を潜め、あるいは種に次代を託して枯れていく。雪でも降れば景色さえも色が失われていく。自然と共にある農業も同じで、冬は一般的に農閑期だ。しかし人の営みはそうもいかない。日々の暮らしに追われ、慌ただしく動き回る。食べるために働かねばならない。寒いからと言って仕事を休むわけにもいかず、ビジネスは止まらない。農業を成長産業にする。つまりは農業をビジネスとして捉えるということでもあり、それならば冬に農業を止めてはならない。年間を通した生産活動が経営を安定させていく。冬の静寂を活力に変える。冬の農業の充実が大きな可能性に繋がる。



 

 
冬場も盛んな露地栽培▲冬場は生育が安定する▲社屋


農業をビジネスとして展開

 滋賀県草津市の北山田町で露地・施設を組み合わせた葉物野菜の栽培を行い大きな成果を上げているのが農業法人㈱横江ファームだ。法人組織となったのは平成23年だが、代表取締役社長の横江傳造さん(75歳)は中学を卒業してこの道に入って60年の大ベテラン。プロ農家として儲かる農業を探求してきたが、就農当時は「全然儲からない」と苦笑い。「こんな農業は面白くないなと思って、儲かっている農家さんの所で話を聞き、仲卸さんに尋ね、どうやったら自分の野菜が高く買ってもらえるのかと常に観察していました」。また中古のオート三輪を購入し、農産物の運搬を自らこなす内、集荷人にもなった。地域の農産物を市場に運び、手数料と情報を得るようになり次第に儲かる農業へと歩み始め農業のビジネス化に邁進してきた。現在代表取締役を務める娘の秀美さん(48歳)と共に、更なる発展を期す。その中に冬の農業が経営に及ぼす効能があった。

 横江ファームが栽培を展開する地域は琵琶湖の周辺にあって、温暖な気候と豊かな水を活用した施設野菜の一大産地ともなっている。およそ2000棟のビニールハウス群があり、近畿最大級の規模となっている。もともと明治の頃は桑が栽培され、養蚕経営が行われていたが、大正になると繭の価格が低落し山田ダイコンの作付けが始まった。これは疎水を使って京都に送られ、良質な漬物の材料になると人気があった。しかし、昭和38年にはウィルス病が多発し、作付けが激減。次第にビニールハウスの導入が進み、施設野菜の栽培が盛んになっていった。現在、草津市では様々な野菜が生産され、草津ブランドの野菜を“ベジクサ”として認証し、広く認知を図っている。

 その中で横江ファームは露地と施設をそれぞれ3.5ha経営し、ビニールハウスは100棟に及ぶ。栽培しているものは小松菜を主力に、水菜、はくさい菜、ほうれん草、おくら、メロンなど。農業をビジネスとして捉え、もうかる農業を実践。マーケットインの発想から、売れる野菜を生産している。販売ルートは生協を中心とした数社の量販店と契約。「作れば売れる時代ではないので販売元と相談しながら売れるものを作っています。その中で、おくらや、はくさい菜も出荷するようになりました」。はくさい菜は黄みがかった緑で、濃い緑が多い葉物の中に陳列すると目を引く。それが売り場の彩りにもなると、最近は量販店からの引き合いが強い。

 契約販売で重要になるのが高品質な野菜を安定的に生産し出荷する綿密な計画栽培・計画出荷だ。「安定価格で取引するかわりに、決めた荷物を必ず届けることが大切。自然相手で計画通りに進めるのはなかなか難しいことですが」。そのために露地栽培と施設栽培は半分ずつになっている。「天候不順などで露地栽培が大きな影響を受けても被害は半分で済みます」。逆に台風でハウスが倒れるような時は露地栽培が残る。共にリスクを補う関係にある。またビジネスとして心がけているのが経費の削減。「無駄な経費をかけないようにしています」。露地でできるものは露地で栽培する。ハウスは補強こそすれ、設備にお金をかけすぎたりもしない。耕作地は「周囲に区画整理された水田がありますが、作付けされずに余った所もあり、それをお借りしています」。排水対策をしっかり行うことで、綿密な計画栽培に応える野菜栽培が可能となっている。出荷前の調製作業で発生する大量の野菜くずは、その有効利用を図るため、一部を加工品へとまわしている。小松菜の栄養をたっぷり含んだ“かける小松菜”は、「万能ソースとして様々な料理に合わせることができます。加熱しても変色しない小松菜ペーストはホテルや学校給食で使ってもらっています」と秀美さん。“かける小松菜”は近隣の道の駅や東京で展開している県のアンテナショップ“ここ滋賀”などで購入することができる。


野菜の商品価値を上げていく

 儲かる農業を続けるためには商品が消費者にとって魅力的でなければならない。横江ファームでは“野菜の価値創造”をテーマに付加価値のある野菜を栽培している。その取り組みの一つは、安全・安心な野菜を提供するというもので、防虫ネットや捕虫器を使い、あるいは耕種的防除を行い、低農薬栽培が徹底されている。また立命館大学の久保教授らが提唱する農耕地土壌診断技術SOFIXを導入。土壌の微生物量に注目し、堆肥を使い分けながら科学的な指標に基づく土作りを行っている。また品質に関しては琵琶湖の水をふんだんに使いながら育て、十分な生育を促し、「例えば小松菜なら硝酸態窒素を少なくすることで糖度が増すような作り方をしています」と傳造さん。さらに調製作業においては、「野菜を傷付けないため機械も水も使わず、土を布で落とすなどの手作業で行って鮮度を保ち、その日のうちに梱包してしまいます」と秀美さん。商品として丁寧なものづくりが行われている。その上で、昨年、グローバルGAPを取得した。食の安全・環境保全・労働安全を目的とした国際認証で野菜を対象とした認定は滋賀県初の第1号。「元々京都生協さんのGAPをクリアしていたので、グローバルGAPもすぐとれるだろうと挑戦しましたが、取得までに1年半かかりました」。そのサポートとなったのがパナソニックの農業管理システム“栽培ナビ”。整理整頓から始まる約220の審査項目があり、そのクリアに大きく寄与した。食べ物を作る資格をグローバルな基準で明確化したということで、今後輸出などの可能性を広げ、スタッフの意識改革に繋がる。


冬場の農業はコントロールできる

 「儲かる農業の見本を見せたいという気持ちでやってきた」と傳造さん。その思いで無駄な経費を削減し、高い品質を保ち、付加価値を付けた販売を行ってきた。そして量販店と取引する上で計画栽培・計画出荷が何よりも重要と認識し、季節による生産量と需要の変化を事前に予測。1年間の綿密な栽培計画を立ててきた。しかし、天候の加減もあり、毎回たやすく計画を達成しているわけでは無い。特に夏場の生産が大きな課題となっている。「生育が速くて油断していると成長しすぎてしまうし、大雨や台風などの自然災害や最近は暑すぎなどもあり、そうするとなかなか計算通りにはいかない」。近年益々異常気象が先鋭化してくる傾向にあり、露地栽培とハウス栽培をうまく組み合わせながら、長年の経験を元に乗り越えてはいるが、度を超して降り続けるゲリラ豪雨や災害級とまで言われる異常な暑さが計画を妨げる。

 実は「冬場の農業の方が簡単です」と傳造さん。「冬場だと全部の圃場に播きつけていても、生育が穏やかで計画通りに収穫できます。秋作の前に作付けして、冬が来るまでに概ね育成させておくと冬場は収穫ばかりができます。雪が降ったり、寒さが厳しい時はハウスのものを、晴天の時は露地ものを」。栽培・出荷をコントロールすることができる。また、冬場の野菜栽培では、低温糖化の現象が起こり、糖度が高くなって甘みのある野菜ができる。「露地で寒さや霜にあてて栽培したほうれん草は格段に甘みが増します。葉肉も厚くなり、これらを霜降りほうれん草として販売しています」。冬場の気候は安定出荷にとって有利に働き、付加価値の向上にも貢献する。

 近年、天候が不安定化し、特に夏場は極端な気温、降雨、あるいは乾燥、そして大型化する台風などの異常気象に見舞われ、荒ぶる自然の前に、不測の事態に陥るケースが少なくない。現に昨年の台風ではこの地域で100棟にも及ぶハウスが倒壊したりなどの被害を被った。農業をビジネスとして展開するための計画栽培・計画出荷にとって最近の夏場の天気は大きな敵となっている。その中、冬場の農業を充実させることは1年を通して見ると、夏場の不測の事態による収益の不安定化を補うものとなり、農業経営に大きな力となる。

 この地での積雪は殆どないが、冬に一面雪に覆われる地域であっても農業はできる。雪が降る前に作付けを行い、冬場、雪をかき分けて野菜を収穫するという地域もある。糖度の高い野菜としてブランド化している所もあり、冬の農業には儲かる農業を実現するためのカードが潜んでいる。

 また「生育が安定するので計画的に仕事ができ、この時期は比較的時間に余裕があります」。農業は栽培・出荷を主なる業務とするが、これをビジネスとして展開するならば、関連する業務も多くある。営業・販売、研究・開発、人材育成、長期計画の作成、調査業務、各種企画、プロモーション、業務のシステム化、ICTの導入などなど。それらを進める絶好の機会でもある。冬の仕事が経営体の成長にとって大きな可能性となる。

 「一般の企業と同じような会社組織を持った生産法人になりたい」と傳造さん。その思いを実現するために年間を通した仕事をしっかりと行い、毎年、売り上げを伸ばし、雇用を確保。現在、役員が3人、社員が11名、調製作業などに携わるパートスタッフが23人、圃場に出て収穫などにあたるスタッフが19人の陣容になっている。さらに福利厚生の充実を図り、雇用の充実を狙う。「農業高校から2年連続で入社してもらい、この春には大卒の子が2人来てくれます」。世間一般でも労働力の確保が大きな問題となっている中である。農業そのものとそれをビジネス展開するファームの在り方に若者を引きつける大きな魅力があるようだ。人材の有効活用は農業のビジネス展開をさらに進める。「販売部門を設けてそれに専念してもらう人を配置しようと思っています」と傳造さん。営業を行い販路を拡大することになり、一般企業と同じように組織の力を使って収益の向上を目指す。また会社が大きくなれば、内部に目が届きにくくもなるが、後継者として秀美さんは「従業員を下から支え一つの輪になれるようにまとめていきたい」としている。それぞれが組織としてしっかり働き、連携して同じ方向を向くことで、持続して儲けることができる農業ビジネスとなる。

 作物を栽培し、ただ出荷するだけの多くの一般的な農家がここまで来るのは、その間に長い道程があるだろうが、まずは冬の農業から考えてみられては如何だろうか。そこを充実させることが夏の保険になり、付加価値を産み、雇用にも道を開く。農業を成長産業にするのなら冬に農業を止めてはならない



イネWCSの取り組み「耕畜連携を基盤に地域農業を守る」
取材先:群馬県前橋市農事組合法人二之宮   

  お米の消費量が年々減少する中、半世紀近く続いた生産調整が廃止され、より自由な生産体制に移行した。それに合わせて秋田県では8%増、新潟県は4%増と前年度を上回る食用米の増産となった。知名度があるブランド米を抱える米所ほど、生産拡大に積極的に取り組んでいる。とは言え、全体を見れば初年度の米生産量に関しては、さほど大きな変化は見られなかった。全体需要が減っている市場を見れば自然な流れと言える。一方、生産調整がなくなっても、水田の高度利用を図る中で、飼料米の生産に活路を見出し、耕畜連携を地域農業の維持に役立てようとする地域もある。今回、群馬県前橋市の二之宮地区を訪ね、耕畜連携を通した地域農業のこれからを探った。



 

 
▲運搬作業▲イネWCS▲タマネギの移植作業

 

イネWCSへの取り組み

 群馬県中南部に位置する中核都市で県庁所在地になっているのが前橋市。夏は内陸部に位置するため暑さが厳しく、冬は“上州のからっ風”と呼ばれる、乾燥した風の影響で晴天の日が多い。かつては製糸産業が栄え、その担い手であった女性の存在感が大きく、上州名物“かかあ天下”と呼ばれる所以となっている。その中、生糸の一大産地として、養蚕が盛んに行われてきたが、現在は、大消費地である東京及びその周辺地域に近い立地を活かした食料供給基地となり、農業産出額は400億円を超え、その6割以上は畜産による産出額となっている。人口30万人を超える県庁所在都市としては、畜産の産出額は全国5位のトップレベルで、前橋市の農業を支える大きな柱となっている。

 この地で米と麦の二毛作、さらに野菜作の複合経営を行っているのが農事組合法人二之宮。平成18年に集落営農組合としてスタートし、その後農事組合法人に改組。構成員は121軒で、作付面積は92ha。平成22年からイネWCSの取り組みを開始し、現在は31.2haのほ場面積で生産を行っており、単独の集落法人としてはこの地域最大規模となっている。このイネWCSに取り組み、二之宮の主事業の一つに育て上げたのが、代表理事を務める岡賢一さんだ。当初、二之宮でのイネWCSの生産はわずかな面積しかなかった。岡さんは、「その際、補助金で収穫機を購入しましたが、手探りのスタートでした」と振り返る。これを機に、二之宮での自給飼料生産を基盤とした水田二毛作体系による堆肥の流通と利用が図られるようになった。

 前橋市は当時課題としてあった、飼料高騰や家畜の糞尿処理に対応するため、平成20年、畜産農家の規模拡大に伴う堆肥の適正利用と自給飼料の取り組みを開始した。そこで、耕畜連携プロジェクトとして、堆肥の流通も含めた飼料イネ生産の支援を開始し、自給飼料の増産、耕作放棄地対策、水田の有効利用や転作推進なども図っていった。さらには、平成22年、現在前橋市農政部の課長補佐兼畜産係長を務める柿沼俊文さんが畜産農家との橋渡し役となり、イネWCSの作付面積が年々増加していった。「構成員の中には、全てイネWCSの生産に転換して、食用の米はスーパーで買っている人もメンバーの中に何人かいます」と副代表の石川さんが笑いながら話してくれた。構成員からは、イネWCSの作付けをさらに増やして欲しいとの要望も出ている。しかし、前橋市では二之宮を含めて5組織がイネWCSの生産を行っており、地域の畜産農家に供給している現状で、地域の畜産農家とは殆ど全てと契約している。生産能力はあるが、これ以上増やすと需要を超過してしまう。5つの組織で地域の畜産農家への飼料供給を支えている形となり、互いに連携し機械の相互利用による収穫作業の効率化も図っている。

 この地域でイネWCSを利用するのは主に畜産農家で、「酪農はトウモロコシのサイレージを自給して利用している率が高いですね。肥育牛は、輸入飼料の利用がほとんどでしたが、何割かがWCSに切り替えてもらっています」と柿沼さん。肥育牛は、エサの組み合わせが難しい。それ故、イネWCSの品質には気を遣っている。ロールが収穫機から排出される際はシートを敷き、雑菌や土砂の混入がないよう最善の注意を払い、質の高い乳酸発酵したイネWCSを生産している。収穫調製後は、ほ場で保管し乳酸発酵を促した後、各畜産農家の指定場所へ運搬する。ラッピングしたロールには、収穫したほ場ごとに収穫日とロットナンバーが記載されトレーサビリティの徹底を行い、常に品質の向上に努めている。これらの管理努力により畜産農家からのクレームは今まで一度もない。

 イネWCSは、畜産農家の要望に合わせて、90㎝ロールと重さの違う100㎝ロール2種類を生産している。90㎝ロールが185㎏で2900〜3000円、100㎝ロールの275㎏のものが3500円、100㎝ロールで305㎏のものが4000円で取引されている。生産量は、90㎝ロールで当初は1反当たり平均13.5ロールの収穫であったが、今では17〜20ロール収穫できるようになった。100㎝ロールの185㎏で11〜12ロール、同じく305㎏で10ロールが1反当たりの平均生産量となっている。「人件費や資材コストが増えてきていますが、畜産農家の厳しい状況も理解できますので、スタート時のこの金額で何とか維持していきたいと思っています。WCSの交付金があるから、ロール代を差し引いてもやっていけています」と岡さんは語る。しかし、市が行っている耕畜連携の補助金は昨年から削減となり、この地域での農業基盤となっている米麦の二毛作への補助金も削減されている。一見、安定し順調に見えるイネWCSの生産であるが、決して盤石な基盤の上に成り立っているわけではないようだ。これまでの取り組みを維持しつつ、収益性の高い、さらなる次の施策を進めていかなければならない。


地域に根ざした農業

 二之宮では、経営のさらなる安定化を図るため野菜作に力を入れている。畜種農家との連携で得られた堆肥はイネWCSの生産に利用するだけではなく、野菜作にも活用している。「野菜は質の良い堆肥が必要です。最初の頃は臭いのする、地域の人に迷惑がかかるような堆肥でしたが、今は完熟した質の高い堆肥になっています」と岡さん。野菜作として、タマネギ、長ネギ、キャベツの生産を行っている。以前はハウスでのキュウリ栽培も行っていたが、平成26年の大雪でハウスが大きな被害を被った。これを機にハウス栽培から撤退し露地栽培に注力することで、さらに収穫量が増えてきた。収穫された野菜は、農協をはじめ、県内のスーパーへ出荷され高い評価を得ている。

 特にタマネギに関しては、「味にこだわっています。淡路のタマネギにも匹敵するのではないでしょうか」と岡さんは胸を張る。リピーターとなる消費者も少なくなく、直接問い合わせがきている。年に一度、このタマネギのPRと地域住民とのコミュニケーションを図ることを目的に、事務所敷地内で感謝祭を開催している。感謝祭では、タマネギの詰め放題を実施して、当日用意したタマネギ7tがすっかりなくなる大盛況のイベントとなっている。今では、口コミだけで他県からも多くの人が足を運ぶという。耕畜連携で得た質の高い堆肥で、消費者の支持を得る、質の高い野菜作りに益々弾みがついている。

 元々この地域での土地利用型農業は、米麦の二毛作が基本。“上州のからっ風”と呼ばれる冬の乾燥した強風がほ場から湿気を抜き、麦の生育環境に適している。また麦を植えることで強風によりほ場から舞い上がる土を抑制する。経営を考えれば、「野菜を作れれば良いのですが、まだそこまではできていません」と岡さん。二毛作は、ほ場の有効利用と生産拡大に加えて、ほ場の保全と地域環境の保全を担っている。そこに地域農業を維持する大きな意義がある。二之宮では、荒廃地や遊休地の再利用を請け負い、野菜の作付けを積極的に行ったり、地域の環境保全対策事業として、河川の草刈り作業にも取り組む。それらが、地域環境を維持することに繋がっている。

 また、作業の省力化を図るため、最先端の機械や技術の導入を積極的に行っている。現在保有している主な農業機械は、コンバインが8台、その内2台が食味・収量センサ付コンバインだ。WCS用としては、専用コンバイン2台、ラッピングマシーン2台。その他、大型トラクタ4台をはじめ、田植機、マニュアスプレッダー、ブロードキャスター等をそれぞれ複数台保有している。また、タマネギの移植機をはじめとした、野菜作関連の農業機械の充実も図っている。さらに、ICTを活用したスマート農業にも積極的に取り組んでいる。労務管理やほ場管理には、労賃管理システムやKSAS(クボタスマートアグリシステム)による営農管理システムを活用している。具体的には、システムを活用して、スマホやタブレット端末機を使用した、作業日報の作成や作業状況の共有、集計、ほ場の位置確認など。そして、食味・収量センサ付コンバインの自動計測データに基づいて、肥料散布を行うなど、品質の向上と業務の効率化、さらに軽労化を推進している。


次世代に繋ぐために

 これからの課題は、やはり後継者問題。岡さんは、「法人を立ち上げて約10年。作付け面積は増えましたが、10年前と構成員は変わっていません。現状は今のままの構成員でまかなっていけますが、10年先を見ると限界が見えてきます」と危機感を示した。現世代の子や孫など内部から継ぐ人がいなければ外部からの雇用も検討していかなければならない。そのためにも、年間を通しての仕事や安定した収益が必要になり、野菜作にも力を入れている。その結果、ようやく外部からの雇用受け入れ体制もできてきたようだ。そのうえで「若い人たちが興味を持つような経営をしていかなければいけない」と岡さんは話す。最先端の機械や技術の導入も、次世代の人達に関心を持ってもらい、より良い環境で農業に携わってもらうためにも必要と考えたからだ。さらに今後、GAPの認証取得に向けて動き出している。「先ずは、整理整頓からですよ」と岡さんは笑いながら語る。農産物の安全・安心を保証することで付加価値はさらに高まり、競争力を得ることになる。新時代に対応する農事組合法人としての評価も高く、国内のみならず海外からも多くの農業関係者が視察に訪れている。

 耕畜連携を取り入れ、タマネギをはじめとした野菜作の拡大を目指す岡さんの言葉の端々には、冬の厳しい“上州のからっ風”に立ち向かってきた、忍耐力と強さを感じた。たとえ逆風の中であっても、地域農業を守り、地域に根ざした農業を営む力強さがそこにある。「農業以外知らないから、この道だけでやっている」と語る岡さん。この飾りのない言葉の中に、地域を愛する真摯な思いが感じ取れた。それを基本に、地域農業を次代に繋げていくため、今できることがあれば何事にも果敢にチャレンジしていく姿がそこにあった


さぁ今こそ、夢のある農業を語ろうじゃないか!「日本一のお米が地域を活性化」
取材先:高知県本山町 本山町特産品ブランド化推進協議会 川村隆重会長 一般財団法人本山町農業公社 和田耕一専務理事   

  “夢を見る”とは、“善き未来を想像する力” だと思う。その想像力、若い頃は闇雲に発揮できるのだが、年齢を重ねるごとに現実を知り、善き未来に疑念が生まれてしまう。それが心に広がれば、前に進む足が止まり、昨日と同じ今日が続いていくことになる。同じような今が繰り返されていく。高齢化が進み、若さがあるとは決して言えない今の日本農業において、明日に善き未来を想像することは簡単じゃない。その思いに流されれば今が続いていくことになる。いや、高齢化が進む中では維持すら難しい。ただただ、衰えていくことになってしまう。その未来に抗うのならば、まずは夢を見ることが必要だ。勇気と愛をもって善き未来を想像しなければならない。農業を成長産業にしようと各地で様々な試みが行われている。中山間地のブランド米の取り組みを追った。



 

 
▲見事な棚田▲日本一のお米▲変形田が多い

 

お米のブランド化に挑む

 四国の真ん中に位置しているのが高知県の本山町。人口が約3500人、森林面積が91%を占める山の中の町だ。その中で農業が主産業として行われ、急峻な土地を切り開き、見事な棚田が山の上へと続いていく。先人の多大な労力、知恵と工夫によって生み出された賜物。日本の原風景とも言える美しい光景が広がる。しかし一つ一つの田んぼは小さく、変形し、畦畔の面積が耕作地を上回り、機械が入らない所は手作業になるなど、平場での米作りに比べて手間隙がかかり、苦労も多い。また他の地域同様高齢化も進み、高齢化率は40%以上。恵まれた生産条件ではなく、農業の持続が大きな課題になっている。しかしその中、2010年に“お米日本一コンテストinしずおか”において、本山町のお米が食味日本一にあたる最優秀賞を受賞した。「まさか!本当に?高知県の私たちのお米が日本一?」と本山町特産品ブランド化推進協議会の川村隆重会長(57歳)。当時、美味しいお米は北国や東北というイメージが強く、高知県のお米が日本一になるなど、普通には考えられないことだった。ブランド米の名前は“土佐天空の郷”。本山町は一躍全国に轟く米所となった。そこには夢を現実にする軌跡があった。

 この地では豊かな自然の中、米作りに加えて、ショウガ、米ナス、彩りピーマンといった畑作物が手がけられ、この他に椎茸、林業、土佐あか牛なども組み合わせて意欲的な複合経営が展開されている。しかし、時代の流れの中で、高齢化が進展し、米価低迷、JAの合併などもあり、地域農業の持続を支援するため、平成6年には本山町農業公社が設立された。「農林業を中心とした地域づくりを進めることが目的で、米作の受託やブランド米の取り組み、育苗、特産品の開発や販売などを行っています」と同公社の和田耕一専務理事(44歳)。第1次産業が主力で、農業と暮らしが密接に結びついた地域の中、「農地が荒れれば、地域に住めなくなります。また、水源の棚田が荒れれば水が下へと来なくなります」。田んぼを守ることは地域を守ることだとし、獣害で苦しむ山際の農地の受託なども積極的に行っている。しかしそれだけでは、守りに重きがあり、一歩踏み込んだ地域の発展には繋がりにくい。当初、棚田で苦労して作ったお米にしても、味には自信があったが、高知県のお米としてJAから一括販売され、評価されることもなかった。

 その中、平成20年に本山町特産品ブランド化推進協議会が立ち上げられた。「何とかお米の価格を上げていかなければ、この地域は保っていけない」と川村さん。若手農家を中心に15戸が集まり、お米のブランド化が始まった。「自分の所のお米が一番美味しいと思う人達ばかりでした。それだったら、皆で知恵を出し合えばもっと良いものができるはず」と意気込んだ。しかし、当初は“今更ブランド米?”という声もあった。「全国では有名な所がすでに確立されているのに、今から米でブランド化なんか無理。そんなことやっても無駄だよという人もいました」。川村さんの経営にしても、お米だけに頼らない、ショウガ、ニンジン、ヤーコンなどの栽培も取り入れた専業の複合経営。農地は4haほどだが、60枚にも及ぶ。集約的な農業に注力し、利益を上げていくほうが有利という向きもある。ただ、地域の稲作を守ることは地域の暮らしを守るためという強い思いがあった。地域を愛する心が感じられる。ブランド化に地域の未来がかかっていた。

 本山町の水田は標高250m~850mの間にあり、平均の気温は新潟と同じぐらいの14℃。日中の気温は高知市内より高く、夜間は低い。大きな寒暖差があり、朝は霧が立ち込める。水にも恵まれ、豊かな森林に蓄えられた水が棚田を満たす。「この寒暖差とミネラル豊富な水が、お米の中のでん粉が糊化してできる網目を発達させ、美味しさの決め手となる“霜降り”構造を作り出します」。山の中の田んぼは生産効率が悪く、不利な条件にあるが、美味しいお米づくりの条件には恵まれていた。品種はそれまで作り続け、その良さを引き出してきたヒノヒカリ。これに「その頃、地域でテスト栽培が初められていた新品種の“にこまる”を取り入れた」。高温障害に強く、温暖化が進む中にあって、地域で農業を継続するための選択でもある。標高の高い所ではヒノヒカリ、低めの所はにこまるが栽培された。


高知県から日本一のお米が誕生

 協議会を立ち上げた翌年、“米・食味分析鑑定コンクール”に応募し、水田環境部門で特別優秀賞を受賞。平成22年には、“お米日本一コンテストinしずおか”で、にこまるが食味日本一にあたる最優秀賞を受賞した。「西日本で初めて、コシヒカリ以外の品種でも初めての受賞でした」。味に自信はあったものの、まさか日本一にまでなるとは思っておらず、これが生産者に大きな自信と誇りを与えることになった。

 このブランド米は“土佐天空の郷”と名付けられ、本山町農業公社から販売されている。「関東、関西などの都市圏にある米穀店様から販売して頂いています。量販店に卸しますと、生産量がそれほどありませんので、すぐに販売が終わってしまいます」と和田さん。米穀店を通じて販売することで、どういうふうにお米が作られているのか、また、農家の農業や地域に対する思いも合わせて伝えることができ、ブランド力の向上にもなっているようだ。それまで高知県のお米として、他の地域と一緒にされていたが、本山町のお米として自立した。食べた人が美味しいと言えばそれは本山町に向けられたものとなり、生産者の喜びとなるが、売れ行きの責任も自分たちで負わなければならなくなる。「販売当初は1500袋/30㎏ほどでしたが、消費者との対面で試食販売しても、高知に美味しいお米があるのかとも言われ、1年で売り切れるのかどうか不安になりました」。しかし、入賞を果たした後は、販売が一気に伸び、お米が足らないようになった。今、“土佐天空の郷”は35haで栽培され、販売量は4000~5000袋/30㎏。1㎏800~900円の価格帯で販売されている。他の地域から羨望の眼差しを受ける。

 コンクールでの日本一のインパクトは絶大なものがあったが、各地でブランド米の取り組みが進められ、今や群雄割拠の時代。毎年新しい銘柄が登場し話題をさらっていく。1度賞を取ればそれで終わりというわけではなく、「もう一度、もう一度と毎年コンテストに挑戦しています。一時期、今一歩で結果に繋がらず、どうすれば余所との違いを出せるのか、悩んだ時期もありました」と川村さん。高みを目指すほど生産者のプレッシャーも強くなる。その中、同じことをしていては成果に繋がらないと、「毎年毎年、新しい取り組みをして、他の産地よりも、私たちは先へ先へと、走っていこうとしています」と和田さん。ブランド米の世界にはライバルとの競争があり、それが付加価値を高めることにも繋がっている。“土佐天空の郷”のブランド価値は恵まれた自然環境によってもたらされているばかりではない。例えば良食味を引き出すために、高知県室戸の海洋深層水のにがりを散布しマグネシウムの含有量を増やしたり、また食味分析機で合格ラインを設定し、基準に満たないものをふるい落とす。粒の選別では通常より大きい1.9㎜の網目を使い、そこを通り抜けた物は商品化されない。生産者はエコファーマーで農薬は7割減を目指し、有機肥料を入れた土作りを行っている。昨年はドローンを使った地力の分析を行い、今シーズンは100ヵ所の圃場に水田センサーを設置し、農業の見える化を進め品質の安定を図っている。これらの取り組みを支えているのが、生産者の情熱。月1回の会合を重ね、知恵を出し合い、情報交換し、新しい方法の採り入れ、技術向上を図っている。ブランド化10年の取り組みの中で「この前が99回目、収穫前に100回目の会合を行います。余所の人からは回数が多いと驚かれますね」。この取り組みの前は地域の生産者が定期的に集まるとことはなく、「結構バラバラでした」。しかし、連帯意識を持つことで互いに繋がり、大きな力となっている。そうやって地域で品質を高めコンテストに臨む。「個人で出品する所もありますが、私たちは、地域で予選をして選ばれたものを出品します」。そして平成28年、“お米日本一コンテストinしずおか”において再び日本一の最高位となる特別最高金賞を受賞した。2度目の日本一は全国初の快挙。


ブランド米で地域に人を呼ぶ

 現在ブランド化推進協議会の人数は36名に増え、地域の活性化にも大きく貢献してきた。「10年前にこれを立ち上げていなかったら田んぼの半数は荒れていたと思います」。耕作放棄地は少なく、外部から視察に来た人達に「こんな秘境みたいな場所で、棚田が綺麗に残っている所は見たことがない」とも言われている。美しい棚田が残る風景は地域の誇りでもある。また、この取り組みをすることで、農業に対する気持ちが変化してきている。「若い頃は、家の手伝いをしていたら何か恥ずかしい気持ちがしていました。休みの日に作業するのも嫌でしたね」と川村さん。しかし「これは、地域が生き残るために始めた必死の事業ですが、今は楽しくやっています」。多くの人々が評価する価値を産み出すということは、喜びのある仕事に違いない。地域の大人たちの意識が変化すれば、その影響は子どもたちにも及び、学校の学習発表で「本山町には天空の郷がある」と、誇らしげにブランド米を課題に選ぶ子どももいるとのこと。「皆が自慢できるものができたんだと思います」。また最近は、後継者が「ぽつぽつ増えてきたように思う」。それに加えて、Uターンで農業を始める人もおり、「2度目の日本一に選ばれたお米を作ったのはUターンの人でした」。人が残り、あるいは集まり、意欲的に地域の仕事に携わっていく。“善き未来が想像できる” 地域になってきたということではないだろうか。農業公社の和田さんは「自分は夢を見続ける仕事をしていると思っています。だから面白いです」と言う。ここには明るい未来へと通じる“陽のあたる坂道”があると感じた。”

 ブランド米の産地として名前が知られるようになると、地域外から人が訪れるようにもなる。その時に見る光景、体験、得る情報はブランド米の更なる付加価値となる。交流人口が増えれば、ブランド力の強化に繋がるし、地域活性化にも貢献する。地域の棚田では平成22年から、“土佐天空の郷”の認知を広げるため、田んぼアートを実施している。田んぼに色の違う稲を植えて、絵柄や文字を描き出すもので、今年は坂本龍馬を筆頭とした土佐勤王党三志士や本山町特産品のイメージキャラクターであるさくらの妖精“ぽんぽん”を描き、各地から、外国人も含めて、人が訪れた。その他、田んぼの安全・安心な環境をアピールする“田んぼの生き物調査隊”というイベントを実施したり、農業体験やコンサートなども行っている。「外から人が来てくれるようになりますと畦畔の草をしっかりと刈ったり、ゴミを落とさないようにしたりと、地域の人々が意識するようになりました」。地域を愛し大切にしようとする心にも繋がっていく。美しい棚田が観光資源になる可能性も大いに秘めている。

 ブランド米に、より付加価値をつけるため、加工品の展開も行われている。「お米を炊飯しておにぎりにし、地域に来て食べてもらうなど新しい取り組みを考えています」。限られた農地の中、生産量をどんどん上げていくことは難しく、その中で事業の発展を考えるなら、6次産業化などの展開が一つの方法となる。この他にもドライフルーツを加えた玄米グラノーラや米油で揚げて室戸海洋深層水のミネラル塩で味付けしたせんべい、加熱した米粉の“ポン粉”、そのポン粉に野菜と塩を加えた“ポンスープ”、濁酒、米焼酎、ノンアルコールの甘酒などを開発している。米焼酎は廃校となった中学校の体育館に醸造所がある。販売は農家が主体となって運営している直売所“さくら市”などから。「地域が潤う仕組みを作っていきたい」。ブランド米の取り組みが次の局面に差し掛かっている。

 これらの取り組みは「みんなでやるという意識を持ったからこそできたこと」。1人でも夢を見ることはできる。善き未来を想像することは可能だ。しかしそれを信じて未知なる道を進むためには勇気が必要だ。1人では心許ないが、皆が信じれば、道はより確かなものとなる。地域で取り組む強さがそこにある。

 ブランド化は品質の良いものを作り、利益を上げ、農業を持続し、地域を維持していくための一つの有力な方法。それによって未来の展望が開けていけば、若手農家が増えることにもなる。川村さんにも後継者がいて、既に結婚もしている。「ここで農業を続け、家族を養っていってもらえれば」との想いがある。和田さんも「農家の方々が平穏に暮らしていけるように」と願う。それらの望みが叶う地域づくりにブランド米が貢献している。ただ、課題もあり不安材料もある。その一つが今年の夏の大雨などでも思い知らされた、気候の不安定だ。時に激烈な天候となり、大きな被害をもたらす。「施設園芸なども取り入れて、生産を安定させていきたい」。ブランド米だけに偏らないバランスのとれた経営も必要になってくるようだ。

 そういった気象変動も要因の一つとなるが、今の日本農業において夢を見ることは簡単なことではない。その中で夢を見るためにはどうすれば良いのか。本山町の取り組みでもそうだが、1人じゃないということが大きな助けになる。夢を見たいと思っているのは自分だけではないのだ。想いを重ね、語ることで繋がりが生まれ、想像する力を後押しし、信じる勇気が芽生えてくる。そして助けたいと思う人も現れる。それらが農業を持続する大きな力となる。だから、さぁ今こそ、夢のある農業を語ろうじゃないか。陽のあたる坂道を上るために



山の中で続いていく暮らし「自然と共に豊かに生きる」
取材先:奈良県吉野郡十津川村 更谷慈禧村長   

  “本当の豊かさ”とは何だろうか。人それぞれの考え方があるだろうが、それは持つ者に生きる喜びをもたらすものに違いなく、いつかそれを自らの手にと多くの人が探し求めている。だけどお金で買えるものとは限らない。既に持っているのに気づかないでいる場合もあるし、目に見えるものであったり、見えないものであったりもする。本当の豊かさとは何か、そしてどこにあるのか。それを求めて今回は山の村へ。そこには豊かさを大切にしようとする人々が住む。村には自然と密接に暮らす生き方があり、農業は日々の生活の一部となって営まれている。高齢化が進展する中で、農業を続ける意味もそこにある。



 

 
▲山の中に集落がある▲温泉が湧く十津川村▲熊野古道が通る果無集落

 

水害に教えられた強さ、優しさ

 十津川村にコンビニチェーンはない。流行のスイーツ店も、テーマパークもない。それでもここには豊かさがある。平成23年9月には紀伊半島大水害により大きな被害がもたらされたが、それでも余所には行きたくないと言って、長年住み続けた人々はこの地を離れない。土地に対する愛着は大きい。「私もここを離れては生きていけない」と言う十津川村の更谷慈禧村長(71歳)に話しを聞いた。

 奈良県にあって紀伊半島の中央に位置する十津川村は日本一大きな面積を持つ村だ。しかし96%が森林の山の中で、人口は約3300人、65歳以上の高齢化率は45%に迫る。人口が減少する中、学校の集約も行われ、大字で55集落あるが「その多くが限界集落です。地域の普請や祭りの維持が難しくなってきています」。

 加えて平成23年9月には紀伊半島大水害が発生。死者・行方不明者13名、山崩れが75ヵ所、深層崩壊により道路は至る所で寸断され、「ライフラインがズタズタになり、外から人が入ってくることもできず、3ヵ月間孤立しました。ヘリコプターで集落ごと移転した所もあります」。深刻なダメージが村にもたらされた。大きな力の前では無力感でくじけそうにもなるが、それでも諦めること無く、「村民が互いに助け合い、団結して里道の修復を行い、非常食を分け合いながら、復興に取り組んできました」。

 更谷村長は災害時も村長を務め、復興の陣頭指揮に当たってきたが、当時、苦しい状況にあった村民から、“村長こそ顔色が悪い、大丈夫かい”、と逆にねぎらいの言葉をかけられた。村民が持つ、強さ、優しさを改めて「水害に教えられました。それこそが私達の誇りです」。それを何とか残していきたい、その思いが「ここで生き残っていく」ための原動力となっている。

 厳しい自然の中で生き抜いてきたのが十津川村で、明治22年にも死者168人を出す水害があり、村民600戸2489人が北海道に移住するなど、自然の猛威が度々この地を襲っている。また山の暮らしは、限られた農地に鳥獣との戦いもあり、楽なものじゃない。だからこそ、“助け合い、支え合い”の精神が育まれていった。

 歴史を辿れば古くは十津川郷士と呼ばれ、平時は山で仕事をし、事あれば刀を手に武士としての仕事に携わる。幕末には御所の警護も務めた。その中で脈々と受け継がれてきたのが「一致団結、不撓不屈、質実剛健の十津川精神です」。深い山の中に生きていくことを受け入れた人々の、生を繋いでいくために求められる心のあり方とも言える。だからこそ少々のことではへこたれない。大水害の時も山で暮らしているのだから仕方が無いとくじけず、先祖の墓がある、畑があると、この地に止まり復興を進めてきた。今、その思いに応える新しい集落づくりが進められている。

 復興モデル地区の高森地区には、復興住宅に加え、集落の中心から離れて住む高齢者が集まって助け合いながら暮らすことができる“高森のいえ”がつくられている。「孤立しないように人と人との繋がりを大切にしていきたい」。村の中で暮らし続けていける仕組みとなっている。


生活の一部となっている農業

 そんな十津川村で営まれている農業は、暮らしと共にあり、「村民の生きがいや、元気のもとになっています」。急峻な山々に囲まれ、耕作地は斜面にあり、日照時間が短いと、決して恵まれた条件では無いが、耕作意欲は高く、自給自足的な農業が展開されている。

 またこの他にも自家採種によって守られてきた在来種の伝統野菜やきのこの栽培などが行われている。各家庭で栽培されていたタカナでは特産化を進め、これを使った“めはり寿司”などを特産品として商品化している。更谷村長の農業は「自分たちが食べる分と、村の外に出ている子供たちに送る分をつくっています」。トマト、キュウリ、ナス、ピーマンなどなど、食卓を彩る日常の野菜が丁寧に栽培されている。

 「自分でつくったものは鮮度も高く、無農薬だし、トマトなどは完熟で収穫します。食べれば本当に美味しい。買ってきたものは味が薄く感じるほど。子供たちも美味しいと言って、野菜が届くのを心待ちにしてくれています」。自然と共にある暮らしの中では、農業が大きな喜びの源となっている。お金では買えない価値であり、日常の豊かさに繋がる。「十津川に住んでいるお年寄りは誰でも、畑がないと楽しくないでしょうね」。農業が生活の一部であり、山で生きる人々の楽しみ、生きがいということのようだ。

 生活の一部として畑で野菜づくりを続けていくためには、高齢化が進展する中にあって、体の負担を軽減する機械による省力化は欠かせない。「もう鍬で作業はできないね」と実感を込めて語る。村では耕うん機の購入などに2分の1の補助を出して、農業の軽労化を積極的に進めている。更谷村長はホンダの耕うん機こまめF220を使用。作物の切り替え時の耕うん作業で大きな力となっている。畑地は斜面にあり、コンパクトで取り回しの良さが重宝される。「小さくて持ち運びが楽です。お年寄りやこういう傾斜のある畑には向いています」と山間地の野菜づくりに貢献している。


自然を活用し集落の活力に

 「都会に行っても、3、4日と居たらもうたまりません。帰りたくなります」と心底十津川に惚れ込んでいる様子の更谷村長。そこには住む人を捉えて離さない魅力があり、村を出た人も仕事があれば帰りたいと、故郷を思慕する念は厚い。そんな地域を持続するため、恵まれた自然の活用が進められている。

 その一つが林業の振興。「山には年間18万㎥成長する人工林があります」。大水害のあと、「山を守ることは、川を治めること。そして命を守り、地球環境を守ることに繋がる」と特に力を入れている。伐り出す作業では高性能林業機械の導入などを積極的に進め、機械リース代の3分の2補助などを行っている。またそういった機械が使用できる路網整備にも力を入れている。しかしただ利益を追求するという林業では無い。「山の掟というものがあり、伐採してはいけない所もある。また杉、桧ばかりでなく、適地適木というものもある。山と対話しながら進めています」。合わせて、森林が待つ国土保全や水源の涵養、リクレーション、二酸化炭素の吸収源など、多面的機能の発揮にも留意しながら施策を進めている。「私の家は代々林業を営んできましたが、父が木を伐るとき、たった1本でも、どの木を伐るのか時間をかけて悩んでいました。林業振興に力を入れ出してはじめて、その意味が分かってきました」。思慮深く山を守る林業と言えそうだ。

 その先の販売では原木を売るだけではなく、十津川式の6次産業として、加工・販売を行っている。その一つが“十津川村家具プロジェクト”で、木工・家具の共同加工施設を整備し、都市部からの移住者を含むメンバーでオリジナルの家具を製作している。またその隣接地に木工・家具を展示販売する拠点として、「KIRIDAS TOTSUKAWA」を設置し、都市部の奈良県橿原市には十津川の木材を使った省エネ住宅をモデルハウスとして建築し十津川木材の魅力を発信している。その中で、今、ようやく年間2万㎥の生産量となっている。

 また十津川には温泉が湧出し、これを中心にした観光振興も行われている。「全国の温泉地に先駆けて“源泉かけ流し”を宣言しました」。手を加えない本物の温泉を提供し、交流人口の増加を図っている。

 さらに観光名所としては全長297mに及ぶ長大な“谷瀬の吊り橋”がある。深い谷にかけられた足下の揺れる橋はスリル満点。観光名所として多くの人が訪れるが、その集客を活用しながら新たな集落作りに挑戦している。吊り橋の木材のために伐採した山はその後マッタケの穫れる山として育て、集落の収益へと繋げている。また吊り橋の袂にある吊り橋茶屋を集落で運営し、そこで集落で加工した“めはり寿司”や集落の酒米でつくった日本酒“谷瀬”を販売している。さらに集落の中へと散歩道を設け、展望台や水車をつくり、地域農産物を無人で販売するスペースも設置している。積極的に外部に働きかけることで、交流も行われ、移住者も増えている。移住者同士が結婚することがあり、その時は吊り橋の真ん中で結婚式をあげ、集落をあげて祝った。移住者が集落に溶け込み、地域行事の中心的役割を果たすまでになっている。


自然と共生した日本の原風景を守る

 「村民が豊かに安全に安心して暮らしていける村づくりを進めていきたい」とし、豊富な自然を活用した林業や観光などで村の活力を高めながら、移住者や交流人口の増加を図り、村内に仕事をつくるということに力が入れられている。その上で暮らしを彩るものが、この地にある豊かさとなる。それが、この地に住む者の幸せになっていく。

 十津川には見る者を魅了する美しい自然があり、助け合い支え合う美しい人の心がある。そしてその間に醸成され、長年伝えられてきた山の文化がある。それは生活の知恵であったり、木を育て、山をつくる方法や日々の農業、食生活の中に溶け込んでいる。また地域には室町時代に流行した風流踊りの流れをくむ「大踊り」と呼ばれる盆踊りが受け継がれ、国の重要無形民俗文化財にもなっている。それらを伝えた熊野古道は高野山から熊野本宮大社へと至る小辺路が村内を通り、その参詣の道は今でも大切に守られ、世界文化遺産となっている。

 「自然との共生ができる、日本の伝統的な魂を持った村だと思っています。そこを普通の規範のある村にしていきたいと思っています。過疎では無く、過密でも無く、適疎な村へ。教育があり、商売が成り立ち、食べていくことができ、文化の継承を行い、普通の生活ができる状態です」。利益や効率を追求していくことで生み出される豊かさとは異なった、住む人の心に喜びを与える“本当の豊かさ”を持つ暮らしと言えるのではないだろうか。日本の暮らしの原風景がここにある。

 この地にあった“本当の豊かさ”を守っていくためには、「先人から受け継いだ十津川の良き伝統を守り、人と人との繋がりを大切にし、自然と共にある暮らし」が続いていかなければならない。それはすなわち生活の一部である農業も持続していかなければならないということだ。もし農業がなくなれば自然との接点が減り、食生活は変わり、何よりもつくる喜び、食べる喜びが奪われることになる。この地域で農業を事業とできるのは限られており、これを全体に広げ、成長産業にして地域振興の軸にしていくということは難しい。しかし暮らしの中に分かちがたく溶け込んだものであり、生きがいを与えるものにもなっている。山間部で農業を持続する意味もそこにある。担い手に任せればそれで良いというものではない。お金を儲けるためではない。生きるためなのだ。「十津川は高齢化が進み大変な状況ですが、皆さん農業を楽しんで続けています。鳥獣害でやる気がそがれることもありますが頑張っています」。そんな命を育み、暮らしを豊かにする農業を応援したい。


さぁ今こそ、夢のある農業を語ろうじゃないか「届ける農業から来てもらえる農業へ」
取材先:北海道恵庭市 ㈲余湖農園   

  日本農業を成長産業にするとして、規模拡大や6次産業化、輸出、ブランド化など、各地で様々な取り組みが行われている。今ここに在る環境に対応できる農業を模索しているということでもあり、質を転換し、如何に進化するかということが問われている。うまく順応できたものだけが成長の機会を得る。もし質を変えずに単に大きくなっただけでは、不摂生で体重を増やしたようなもので、それは成長とは言わない。そんな例も少なくないが、早晩歪が生じて立ち行かなくなる。農業を進化させる。それが生き残る道だ。地域の存続にも大きく関わってくる。でも進化はどのようにすれば起こすことができるのか。待っていてもうまくはいかない。それは往々にして意識の問題でもある。だから、そう、今こそ、夢のある農業を語ろうじゃないか。



 

 
▲広々とした畑▲BBQの食材も置く直売所▲美しい農園の看板

 

憧れを追い続けて、農業を進化

 「26歳の時、農業の実習ツアーでアメリカに行きました。そこには、かっこ良くて、儲かる農業があり、私に大きなインパクトを与えました」。それをきっかけにして、従来のやり方に捕らわれずに、新しい農業に向かって果敢な挑戦を重ねたのが余湖智さん(70歳)。現在、北海道恵庭市で大規模な野菜作を展開。作物は特別栽培の野菜などが約60種類で、経営面積は約60ha、60名超の人々が働く。露地栽培、ハウス栽培を組み合わせて一年を通した農業経営を行い、環境に対応しながら意欲的に事業を展開している。しかし最初からこんな形の経営ではもちろんなく、時と共に変化を重ねてきた結果が今の形態に繋がっている。その軌跡は日本農業の進化の道程とも符合する。つまり来し方をもとに望む未来は、日本農業が向かう一つの行方とも言える。

 就農当初は7.5ha、農業系の専門学校を卒業し開拓農民の2代目として家業の農業を継いだ。そして26歳でアメリカの農業に直に触れる。「アメリカと日本の差は30年のギャップがありました。向こうではトラクタを使い、こちらでは耕うん機の時代。販売においてはファーマーズマーケットなどがあり、ホストファミリーに案内してもらいました。そして農家は経営者で人を雇っていました」。いつか自分もそのような農業をと、その憧れを常に追い続けてきた。

 日本に戻り、家業の農業に向かい合い、一般的な農産物をただ作るだけといった従来の農業からまずは一歩と、昭和58年に有機農業と直販の取組みを開始した。「ワゴン車に野菜を積んで宅配を始めました。私と妻と交代で、月曜から金曜、地元から札幌まで、野菜を届けて回りました」。有機野菜という高付加価値の農産物を作り、消費者と向かい合う農業を展開。「1週間後に行くと美味しかったと直接評価が頂ける」。それが励みになり、その言葉が商品価値を高めることにもなる。ここに余湖農園の商品力の基礎がある。需要者との繋がりが「原点です」。宅配で伺う消費者は800名ぐらいになり、それだけで1000万円を売り上げるほどになっていった。ただ販売する手間、有機で農産物を作る手間と苦労も多い。「有機農業は虫、草、病気が三大大敵で、それとの戦いです」。また当時は地域で航空防除などを行っており、それに異を唱え、周囲と齟齬を生むこともあった。

 どんな方法でも永遠に有効だというものはなく、有機農産物を宅配するという方法も同じで、時代は移る。「中国や韓国から輸入される野菜が増えるにつれて、野菜価格の暴落が始まりました」。市販の野菜との価格差が大きくなれば影響は少なくない。その中で、スーパーに有機野菜を卸すという方法に変えた。「お客さんの所を回ることから、お客さんに店に来てもらう形です。買って頂く方との交流は減りますが、効率が良くなり、コストも安くなります」。また10年前にはJAS法の改正があり、「それまで有機栽培を続けてきましたが、会社も大きくなり、生産する量も増え、このままでは労力ばかり大きくなっていくので、関係者と話し合い、購入しやすい値段で提供して欲しいという声もあり、特別栽培に切り替えました」。化学肥料は使わず、市内から出る食品残渣を業者からもらってきて、それを農園で堆肥化し施用している。またJGAPとたまねぎではGGAPも取得。美味しく、安全・安心なものとして余湖農園の農産物をブランド化した。現在、コープ札幌やイオン、地元スーパーなど200社と契約し、「売場に産直コーナーを設けてもらって販売しています」。


人が訪れる観光農業の展開

 ブランド農産物としてこだわった栽培を行い、「厳冬期でも燃料を使わず、ほうれん草やターサイを無加温で栽培しています。外はマイナス20℃でも、マルチを敷いて蓄熱し育てることができます。ほうれん草などは甘みを増します」。また余湖さんにとって思い入れの強い農産物は調理用トマト。4haの規模で露地栽培し、今年は200tの栽培計画となっている。とれたトマトは「グルタミン酸が4倍、リコピン酸が2倍、加熱することでGABAが増える特性があります」。こういう優れた特性を持ったトマトを活かしたいと加工も手がけ、ジュース、ピューレの他、トマト鍋の素、トマト醤油、トマトソフトクリームなど多彩に展開。ホールトマトの缶詰、トマト鍋の素などは台湾など、海外に輸出もしている。加工は規格外品の有効活用にも繋がっている。

 時代に応じて変遷を辿ってきた余湖さんの農業だが、10年前にまた大きなターニングポイントを迎えた。「60歳の時に入植した土地からこちらへ移転してきました」。以前の土地は千歳川の流域にあり、頻繁に水害が発生していたためで、買い上げとなった。そのときできた資金を全て新天地に投資した。「60歳でしたから引退するという方法もあったのですが、20代の時、アメリカで見て感化され、夢見た農業を展開したいと思いました」。新しい余湖農園には芝生の緑地帯が設けられ、バーベキューハウスを建て、桜の木を植え、直売所が併設された。「お客様に来てもらえる農業を目指しました」。お店から生産現場へ。消費者との距離が再び短くなった。

 バーベキューハウスは1700円でジンギスカンが食べ放題。収穫体験は500円で4品目の収穫ができ、ピザの加工体験では旬の野菜をトッピング。収穫を楽しみ、味で感動する、“こと消費”を提供する新しい農業の形となった。コープトラベルのツアーコースにも組み込まれ、今は年間5000人ほどが余湖農園を訪れる。旅行代理店にとっても農業体験は人を惹き付ける力があるようで、農園にはプラン作成のために商談に来た旅行会社の人間の姿もあった。収穫したものをバーベキューにして食べるという農園からの提案にも大きな興味を示し、来年のゴールデンウイークの受け入れ体制を早々に確認するなど積極的。また「そば打ち体験にはシンガポールからの観光客が来られました」。外国人旅行者にもアピールする力がある。


手間のかかる野菜作で生き残っていく

 観光としての農業の課題は、「如何に来てもらって楽しんでもらうかです」。集客力がすなわち収益に繋がっていく。そのために提供するコンテンツを充実させると共に、「旅行会社にプレゼンしたり、SNSの専門家に相談しています。今はテレビで紹介されても反応は鈍く、新しい時代を迎えていると感じます。誰かがインターネットで“美味しい”とつぶやいた方が効果は大きいですね」。ネットをうまく利用することが観光農業にとっても必要不可欠となっているようだ。「今、来園は5000人ほどですが、これが年間2万人になれば、様々なことがガラリと変わります。作った野菜は納品しなくても良く、ここの直売所で売ることができます。もちろん開発した加工品もです。この分野をもっともっと強化していきたいと思っています」。農業の新しい在り方を感じた。

 余湖農園のこれまでの軌跡は、時代と共に変化する環境に対応することで、進化してきた歴史とも言えそうだ。日本農業が進んできた方向を先取りしているようでもある。“対面販売により消費者との関係を築く”ことが根底にあり、作ったものをただ売るという供給サイドの論理から、消費者の気持ちを考えて作ったものを売るという、需要サイドに立ったマーケットインの姿勢へと変化し、様々な発想が生まれていく。その中で農産物に付加価値が積み重ねられていく。美味しさ、安全・安心、鮮度、アイデアある加工品など。そして観光では農業の多様性が持つ、感動、楽しさ、教育機能も価値となっていく。そしてこれらをどのような生産コストで生み出し販売していくのか。その戦略も考えていく。これからの日本農業に求められる多くのことがこの農園にあった。

 今、農業に携わっていく人を如何に確保していくかが、後継者問題も含め日本農業全体の大きな課題となっているが、労働力不足、それに加えて人件費の上昇は、余湖農園にとっても悩ましい問題だ。それに対して幾つかの方策で対処しようとしている。一つはパートさんの活用。「パートさん約40名の中で65歳以上が80%です。最高齢は80歳。でもベテランで、若い人に敗けていません」。年齢を問わない長期間の雇用を行い、培った経験を活かしてもらうようにしている。調理用トマトの収穫時期はさらに人手が必要となるが、容易には集まらない。そこで町内会の70歳以上で健康な方を対象に「いつ来ても良いです。いつ帰っても良いです。収穫したトマトは1ケース360円で買い取ります。そういう募集をすると人が集まってきました。最盛期は1万円ぐらい稼ぐ人もいます」。やり方一つで高齢者が大きな力となっていく。また農福連携にも積極的だ。賃金と労働量の適切な関係を見極め構築することで、有用な労働力として力を発揮する。そして頼れる労働力となっているのが外国の人たちだ。ベトナムの技能実習生や台湾からワーキングホリデー、インターンシップで来日する若者や大学生などを受け入れている。来日して暫くは自宅に一緒に住み信頼関係を築き、「日本のお父さん、お母さんと呼ばれています」。インターンシップの学生は「単位がかかっているので一生懸命やります」。余湖農園の生産力を維持強化する強い味方だ。

 人手不足を補うために機械を導入し、作業の効率化を図っていく農業もあるが、「小松菜やホウレン草などは機械化が難しく作る人がいなくなっていきます。私たちは人手を確保する方策を持っているので、この手間のかかる野菜作で生き残っていきたい。そうすればうちは大きく伸びる」。そこにこれからの日本農業の一つの形が見えた。

 かっこ良くて、儲かる農業がしたいと夢を追い続けてきた余湖さん。その想い、憧れが、余湖農園を進化させてきた。「憧れた農業には100%近づいた。しかし満足度は80%」。伸び代はまだあるとして、これからは今実践している農業をより深めていくことになる。来園者2万人の夢もいつか夢でなくなる日が来るかもしれない。

 余湖さんのこれまでを眺めれば、夢見ることが大きな力だったと感じる。また、それは独りよがりのものではなく、消費者との関係を築き、その中で夢を見てきたからこそ、今のように大きな成果に結びついたのではないだろうか。みんなで見る夢は取り巻く世界を変えていく。より良いものに向かって進化は続く。その先にある日本農業の未来にワクワクした。


汗かく野菜産地で農業を学ぶ「牛窓甘藍(かんらん)で産地を元気にする」
取材先:岡山県瀬戸内市 JA岡山牛窓キャベツ部会 太田 修部会長  

  農業は第1次産業である。イギリスの経済学者コーリン・クラークの分類では“自然界に働きかけて直接に富を取得する産業”がこれに当たる。ただ、最近の日本農業は、生産効率を上げるため、品質向上を図るため、設備投資を増やし、高度化し、あるいはバイオテクノロジーを活用するなど、第1次を踏み越え、もはや製造業、さらにはサービス業へとその容貌を変えようとしている。新時代に対応した進化とも思える。とは言え、第1次産業としての基本形を保ち、これまでの営みを続けている農業もまだまだ存在感を残し、そのやり方で持続できる利益を上げている所も少なくない。今回はそんな農業を実践している野菜作に注目。生産調整が廃止され、新しい農業の形が求められる中で、水田での野菜作なども進められているが、うまくいかずに撤退している所もある。何が悪かったのか。その原因を知る手がかりが、この農業との違いにあるかもしれない。野菜作りはここまでやる必要がある。



 

 
▲海が見えるキャベツ畑▲前島▲収穫したばかりのキャベツ

 

重量野菜の産地として存在感

 岡山県瀬戸内市の旧牛窓町に位置する牛窓地区は、岡山県で最も古くから野菜産地として発展してきた。瀬戸内海沿岸に面し、日本のエーゲ海とも呼ばれ、冬期も温暖で晴天が多い瀬戸内海気候にあって、日照に恵まれ、はくさい、キャベツ、冬瓜、かぼちゃなどの露地野菜が生産されている。重量野菜が主な農産物となっているが「私らだってそりゃ、軽いものが良いよ。重たい野菜は年をとってくるときつい」と、産地の本音を教えてくれたのは、今回お話を聞いた太田修さん(61歳)。JA岡山牛窓キャベツ部会で部会長を務める生産者だ。「でも、重量野菜を作っているのは、そうなった理由があるんです」。

 牛窓の沖合、フェリーで僅か5分の距離に前島と呼ばれる島があり、安土桃山時代には、大阪城の石垣に使う巨大な石の切り出しが行われていた。その重たい石を大阪に運ぶために船が利用されており、それが重い野菜を運ぶ手段に置き換わっていき、重量野菜の産地となっていった。重労働に従事しているのにはわけがある。自然や地形に向き合う中で形作られてきた農業と言える。昭和30年頃からは、農地整備、畑地灌漑施設、農道整備が行われ、栽培面積が拡大し、収量や品質のレベルが全国トップクラスとなっている。

 1年を通して生産活動が行われているが、太田さんが部会長を務めるキャベツでは、部会員が122名、作付面積が54haの規模。太田さんの中で最も力を入れている作物になる。7月に種まきが始まって8月に定植、本格的な収穫は秋冬物が11月中頃から3月末まで。春物が5月から6月。太田さんが生産活動を営んでいるのは、あの石垣の石が切り出された前島で、牛窓地区全体では平場もあるが、この島は沿岸部からすぐに山地となり、畑は全て傾斜地にある。ここで1.5haの経営規模で野菜専業農家として生産に携わっている。

 「牛窓全体ですが土質が余所の産地と違います。水はけが良くて砂地に近いもので、それでいて肥沃です。夏作でワラなどの有機物をたくさん入れ、それが冬場の栄養素になります。全般野菜の味が良いですね。前島も同じでそれに加え、畑地が傾斜しているので、さらに水はけが良く、甘みを増します」。水は岡山三大河川の一つである吉井川から取水し、畑地灌漑施設を整備。前島まで用水を引っ張っている。また「湿り気のある海風も適度な湿度を運んできて、霧がでて、土が乾燥してしまうということがないね」。野菜作りに合った環境、地域で整えた環境のもと、良質なキャベツが育まれている。平均で反当約7t。農協を通じて岡山、広島の市場へ、今は陸送で出荷され、1㎏85円ほどの取引となっている。

 産地としてしっかりした存在感を発揮しているが、順調な事ばかりでは無く、昨年は天候不順に見舞われ、今シーズンの秋冬キャベツは大きな影響を受けた。「9月に平年の3倍以上の雨、11月からの低温。これまでで一番の不作だった」。雨が多いと病気が発生しやすくなり、気温の低さは生育不良の原因にもなる。「露地野菜は気候の変動をまともに受けるのが宿命です」。もちろん稲作なども影響を受けるが、野菜はその感受性が高く、味が落ちたり、出荷に至らない圃場もでてくる。それが野菜作りの難しさでもある。前島は風を遮るものがなく、「海を渡る風がたまに強く吹き込み、ハウスには向きません」。天候不順から逃れるのは難しい。

 また労働負荷を低減し、作業効率を上げる農業機械が現状あまり導入されていない。定植は、平場の地域で一部移植機が使われているが、前島のような傾斜地では、手作業が主流。その上、定植の土台となる畦も「トラクタで畦立て作業をすると段々ずれていきます。今は管理機に培土板を付けて作業しています」。収穫も手作業。「圃場面積が狭く、間引きどりを行っているので、機械は向きません。大きいものから収穫し、小さなものは残し、後で大きくなってからまた収穫します。傾斜地で栽培すると、肥が流れて低い場所の方が大きくなるなど生育がばらつきます」。調製作業は畑で形を整えて、持ち帰り、葉っぱを落として、10㎏の箱に詰める。それを集荷のトラックに積み込む。定植から出荷まで、体力と手間のかかる作業となっている。

 キャベツが終われば、トラクタで残渣を処理し、夏野菜が始まる。かぼちゃ、冬瓜、スイカで、俗にツルものと言われる作物だ。


手間暇を惜しまず農作業

 定植は手作業だが、ツルものは植える数が少ないので、キャベツより負荷はずっと少ない。その代わり、キャベツでは行わなかった、圃場にワラを敷くという作業をする。「ワラに加えて、山ザサも刈って畑に入れます。それをすることで土が流れたり乾燥したりすることを防ぎ、作物に傷がつかないようにし、病気を防ぎます」。このワラなどの有機物は秋冬作の栄養素になるのと同時に、土を軟らかくし、連作障害などの特定病害が出にくくなる。「夏場の暑いときに冬瓜なんて、重いものを扱うような作業は本当はしたくないよ。でも、この圃場でキャベツを作るために、止めるわけにはいかない」。夏物、秋冬物がうまく補い合ってバランスをとっている。また圃場を1年間に2回転させることで、高度利用を図り、経営効率を高める。冬作が不作でも夏作でカバーすることもあり、経営の安定にも繋がっている。

 夏作業はつらい。温暖化の影響か、酷暑となる日も多い。その中で、水やり、収穫となる。冬瓜は1玉、3㎏ぐらいのものを目指す。1箱10㎏に3つ入る物の取引単価が一番高い。「雨が降って圃場に入れなくなると、すぐに大きくなって、単価が下がってしまいます」。あまりに大きくなりすぎると破棄されてしまう。収穫したあとは、表面のトゲのような毛をブラシで削り落として出荷。かぼちゃは「大きい方が良いですね。肉厚があって食べるところが多く、単価も良い」。課題は生産コストが高く、手間がかかること。畦にはマルチをかけなければならない。また病気にもなりやすく、最近は徐々にそうめんナンキンへ替わってきている。スイカは紅まくらという品種を生産。「これは朝市に持って行って、個人で販売しています。糖度が高くて美味しいですよ。高級果物店で扱って欲しい」。ただ大きい物で1個10㎏。普通でも7~8㎏と、収穫の負担は大きい。そしてツルもの全般は花を受粉させなければ、実はつかない。そのためにミツバチを放ち、また雌花をつけるために、肥の入れ方にも工夫が必要となる。

 野菜を作ると言うことは、手間暇惜しんでいては成り立たない。「会社員の人も大変でしょ」と太田さんは言うけれど、少なくともこれが楽な仕事で無いことは間違いない。それも一つの要因だと思うが、他の地域同様、後継者は少なく、高齢化が進展し、栽培面積は少しずつ減ってきている。


良い物作って、意識を前向きに

 産地としての活力を維持するために新しい品種への取り組みが絶え間なく行われており、今、期待を一身に集めているのがキャベツの牛窓甘藍。甘みが強く、肉厚で食感が良く、青臭さが気にならない品種で、地域のブランド農産物として推進している。「平成23年ごろから試験を始め、最初は大玉になりやすくて止めようかと言っていましたが、畑で食べてみると抜群に美味しい。これは続けなきゃということで、栽培方法の工夫を重ねている内に、条件の悪い所だと、大きさを抑えた素直な形になることが分かり、肥を調整する方法で栽培を行い、2年前から本格販売を開始しました」。需要サイドの評価も高く、一般のキャベツとは異なる白い箱に入れて差別化を図り、通常より100円ほど高めの単価で取引されている。

 岡山の隣には、お好み焼きを県民食とする大量のキャベツ消費県広島があり、キャベツに対する思い入れは強いが、そこで営業する広島風お好み焼きの有名店が買い付け、「私たちの牛窓甘藍じゃないとだめだ、と言ってくれています」。味に加えて、肉厚で離水率が低く、薄い生地の上にキャベツを盛り上げて作る広島風お好み焼きの調理方法に向き、使いやすいキャベツでもあるようだ。

 「良い物を作らないと、みんなの気持ちは前向きになりません。こんなに美味しいものを作っているんだと、生産者のプライドにもなる」と、地域農業活性化のための大きな役割を担っている。現在牛窓甘藍の生産者は51名、栽培面積は5.9ha。前年の3.8haから大きく伸びている。地域のこれからを考えるとき、新規就農者をもっと積極的に受け入れたいとしているが、それを進める上でもブランド野菜は大きな力になりそうだ。

 またそれに加えて、「野菜の加工施設を農協で作ってもらいたい」というのが太田さんの思いでもある。現在キャベツのカット野菜などを外注して作ってもらっているが、それを自分たちでできればもっと様々な展開に広がっていくとしている。野菜を作る上では規格外や傷で出荷できないものも相当量あり、それらをカット、あるいは茹でたり、冷凍したりの保存、ペーストやパウダーへの加工、フリーズドライなどで観光客へのお土産品を作ることもできる。「良い物を作っているのだから、それをもっと何とかしていきたいね」と、地域農業のこれからに思いは募る。さらに「生産量を増やして美味しいキャベツを大阪でも売りたい」と夢は広がっている。

 “自然界に働きかけて直接に富を取得する産業”をまさに実践し、肉体的な辛さや自然に翻弄されることもあるが、「こんな贅沢な仕事は無い」と太田さん。「気持ちの良い晴れた日に、トラクタに乗って作業をしていて、目の前には綺麗な海が広がり、季節によってはスナメリが集まってきて水面に泳ぐ姿が見られる。ええ所でしよるよ。今でもつくづくそう思う」。それが自然と向き合う第1次産業の大きな魅力の一つだ。自然から喜びを得る。農業を持続するための鍵の一つだろう。

 野菜作りは簡単では無い。特に露地野菜は自然と正面から向き合うわけで、しんどいのは当たり前、失敗するのも当たり前。しかしそれで怯んでは前に進めない。覚悟をもって取り組むことで得られるものもある。美しい海の見える畑で学んだ


農×旅、コラボが生み出す力「農業を楽しむ観光で地域を活性化」
取材先:長野県飯山市 四季彩の宿 かのえ  

  “ぼくらが旅に出る理由”なんていう歌もあったけれど、それぞれにいろんな理由があるし、大した理由のないことも多いはずだが、少し改めて振り返ってみると、ストレスから逃れるためだとか、あるいは未知なる何かとの出会いを求めるためだとかに思い至る。物が満ちた時代だ。消費形態の趨勢がモノからコトへと言われ、体験の提供が注目される中、旅行に産業としての大きな期待がかかる。農業に観光的要素を加えた取り組みもその一つで、食べ物としての農産物だけでなく農業体験も立派な商品となる。増加する訪日外国人の中では、農村部へ向かう動きもそれほど珍しいことではなくなってきている。名所旧跡を巡るだけが旅行ではない。例えば果物狩りに観光農園に出かける、田植えをするために農家民宿に宿泊するなど、田舎へと足が向かう。農業と旅行がコラボレーションすることで何が生まれてくるのか。その可能性を探る。



 

 
▲雪が積もるとスキー場になる▲四季彩の宿 かのえ▲明るい食堂

 

農家がスキー場を作って民宿を始める

 農村を旅行先の一つとして選択する人達がいる。有名な神社仏閣、景勝地などが取り立ててあるわけではなく、かといってリゾート地でもなく、刺激的なテーマパークでもない。そんな所へ何を魅力に感じて訪れているのか。そこをしっかり押さえておくことは、未来に向かって農村を持続していくことの鍵にもなりそうだ。

 「ここには何もありません。有名な山や綺麗な湖が見られるわけでもなく、ただ田んぼと畑しかない。だからうまくいった。宿の親父が、何かしなければならいと、一生懸命考えました」と、長野県飯山市の戸狩温泉で民宿を経営する、“四季彩の宿 かのえ”の主人、庚(かのえ)繁樹さん(63歳)。地元観光協会の会長を務めたこともあるが、家は代々農業を営み、民宿の経営を始めてからも、変わりなく農家であり続けている。今はスキー場としてよく知られている地域だが、「もともとは純農村地域で、宿の親父はみな農家です」。農家民宿が集まってできたのが、この戸狩温泉であり、観光地となった今でも農業と深い絆で結ばれている。農業と観光のコラボレーションがどのような成果を生み出してきたのか、話を聞いた。

 自分たちが暮らすこの戸狩に「スキー場を作ろう」という話が持ち上がったのが昭和30年代の半ば頃。「私の父親の世代で、彼らが若者の頃に言い出し、周囲からは何を夢のような話をしているのかと、呆れられるような話だったようです」。冬場は積雪が、2~3mにもなる特別豪雪地帯にあって、その時期の仕事と言えば、出稼ぎか、藁を使って蓑や俵を作る内職。当時は東京オリンピックに向け、新幹線や高速道路の整備などで出稼ぎの仕事は多くあったが、「女の人や年寄り、子供たちに雪を任せて家を空けることの不安」もあり、何か地域で内職以上の仕事を作ろうという思いがあった。その頃、近隣にある野沢温泉では「スキー場が軌道にのってきた頃で、俺達にもそういうことができないのか」と動き出した。

 野沢温泉は湧泉の発見が天平年間にまでさかのぼれるほどで、古くからの湯治場として知られ、温泉旅館もあり、元々各地から人が訪れてくる観光地。それにスキー場を開設した形だ。歴史も古く、昭和25年にスキーリフトが敷設され、昭和30年頃にはスキー客で賑わいを見せ始めていた。

 しかし戸狩の地に元々あったのは田んぼや畑ばかり。めぼしい観光資源など無く、人を呼べるものが何もない所からの挑戦となった。ただ、各農家は「養蚕をしていましたので、茅葺き屋根の大きな家が多く、部屋の空きもあって、そこにお客を迎える形で、まずは5軒ほどで始まりました」。この地は日本の民宿発祥の地とも呼ばれている。当初は、スキー場にリフトもなく、裏山をならしただけのものだった。そして、「この辺りの出身で東京に出て活躍している人を頼って観光客を誘致したり、施設の建設にお金を出してくれる人を探したようです。2、3年後、東京の運動具店がスポンサーとなって建設費の多くを出し、待望のリフトが完成しました」。ただ潤沢な資金があるわけではなく、「建設費を安く抑えるため、基礎工事のコンクリートや土木工事は自分たちで行ったそうです」。必要なものはできるだけ自分たちで作る。農家にとって、ごく当たり前の発想だったのではないだろうか。こうして手作りのスキー場が生まれ、関連施設での雇用も行われるようになり、冬に出稼ぎに行く時代が終わっていった。

 庚さんが民宿を始めたのは18歳の頃。「ここの民宿を始めたのは昭和47年、私が高校を卒業する年で、リフト会社に勤めながら農業をやっていた父親から民宿をやらないかと勧められました」。地域に仕事があるということが、若者を家に残すことになり、地域農業持続へと繋がっていった。ただ、若者としては都会への憧れがあったかもしれないが。

 庚さんの民宿は創業世代に次ぐ第二世代に当たり、「何とかスキー場としてやっていけるのではないかと思われ始めた頃です」。世は高度経済成長のただ中にあり、民宿は将来有望な事業として銀行から資金も容易に調達できた。ただそれでも当初は年末年始と1月、2月の連休で満室になるぐらい。「本当に忙しくなってきたのは昭和50年代後半に入ってきてから」。スキー人口が増加の一途を辿ったスキーブームがあり、冬場の稼ぎが年間を潤すようになった。5軒から始まった戸狩スキー場の民宿は、ピーク時に150軒ほどまで数を増やした。

 その冬場の動きと並行して夏場の集客も進められていった。まずは民宿の創業世代が、「学生村というものをやっていました。夏の涼しさと、ここの静かさを利用し、受験生などが勉強するためにやって来て、1カ月間ほど住み込んでいました」。次に大学生や高校生が夏休みに行うスポーツ合宿などの受け入れが盛んになった。食事と部屋を提供するだけで受け入れる側の手間は少なかった。その後に受け入れ始めたのが、「わんぱく村とも言うような、子供たちの自然体験教室です。昭和の終わりから平成10年ぐらいまで、私の所では夏場のこちらの方が冬場よりたくさんお客がいました。夏休みの30日間は、連日満室状態でした」。

 この頃は冬場、夏場とも戸狩で営業する民宿にとっては賑やかな時間となった。平成3年には掘削により天然温泉を自噴させ戸狩に新たな観光資源が加わる。良い時代が続いた。しかし、平成元年の年末に日本の株価がピークを迎えた後、バブルが崩壊。日本経済が大きな打撃を受ける中で、観光のあり方も徐々に変化し、スキーブームも終焉していった。「それでも平成7,8年頃までは、それほど影響を感じませんでした。実感するのはそれからです」。


農家だから提供できる本物の農業体験

 スキー客が減少するのと同時に夏場の自然体験教室の受け入れにも変化が出てきた。時代が変わっていく中で余暇の過ごし方にも変化が現れ、家族でテーマパークに行く、あるいは飛行機でリゾトー地に行くなどが増え、次第に人が集まらなくなっていった。そこで新たに力を入れて取り組み始めたのが学校の行事として行われる教育旅行の誘致。平成7年から受け入れ始め、年間50校を超す人気となり、モデル地区にも指定された。「平成10年あたりは5月、6月だけで1万5000泊の収容になりました。今迄人がいなかった時期です。秋にも教育旅行があるのでオフシーズンの集客になり大変助かりました。スキー場はリフトを動かし、食堂を運営し、パトロールを雇い、雪上車でゲレンデの整備などもしなければなりません。そのために多くの経費が必要となりますが、この教育旅行には、受け入れの事務を行う事務局とそれぞれの宿が体験を実施するだけ。言ってしまえば特別なことは何もいりません」。もし戸狩が普通の観光地なら教育旅行の学生を受け入れることは難しかったかもしれない。教育旅行では、助け合い、楽しみ、絆を深めることが大切だが、まずは学ぶと言うことが大前提にある。戸狩は農家が経営する農家民宿であり続け、農業がその学びの提供を可能にしていた。

 「1クラスを4つに分け、1つの宿に約10人ずつ分かれて宿泊してもらっています。この人数ならば人を頼まずに受け入れることができます。宿屋の主人が引率して体験にも連れて行きやすいし、女将も10人なら1人でご飯の支度ができる。部屋も満室にならないので、シーズン中次々来る宿泊者の受け入れがスムーズ。空いた時間に農業をすることもできます」。 

 戸狩にあったのは名所旧跡ではなく農業と豊かな自然。命を育む仕事である農業は教育との相性も良く、高い成果を上げることになった。それが評判を呼び、口コミで広がり、受け入れ校数の増加に繋がっていった。

 スキー客が減少する中で民宿も数を減らし、現在約60軒ほどだが、それでも生き残り続けることができたのは、一つに農家であり続けたことが大きかったのだと感じる。農業は何度も大きな転換点を迎え、GATTウルグアイラウンドでは国内農業振興のために数々の施策が行われたが「こちらでは関連で体育館が建てられました。コストのかかる中山間地の農業は諦め、観光地として生きていくためのもの」。しかし、その流れに沿って農業から手を引いていれば、今の戸狩はない。

 今は農業が人を呼ぶための大きな価値になっている。民宿で用意されている体験メニューは「田植えや畑での作物収穫、草取り作業」などの農作業が一つの大きな柱。そこから様々なことを学ぶことができる。またそれだけではなく、これに加えて「収穫物からジャムを作ったり、蕎麦を打ったり、あるいは近くを流れる千曲川でのカヌー体験、お年寄りによるお手玉作り、おとなしい子どもには草木染め」と、宿泊客それぞれに合わせて楽しませている。「何年もやっているうちに、子供たちやお客さんを楽しませるコツを学んでいきます。草取りの合間に、例えば毒の無い蛇を捕まえに行ったりします」。野遊びなどを織り交ぜながらここでしかできない体験を提供していく。ただ、体験を提供する側の苦労も当然ある。農村に生まれたからカヌーができるわけではなく、習得のために教室に通っているのだ。また女将さんのジャム作りも集まって講習会を開き、地域の年寄りから、藁草履の作り方を学んだりもしている。“ここには何もない。だからうまくいった”との言葉は、自分たちの力で何とかしてきたということの裏返しでもあるようだ。またその土地にあっては当たり前のことが、宿泊者にとっては大きな価値になっているということもある。豪雪は豊富な水になり、美味しい水となって田畑を潤し、味の良いお米をつくる。そのお米、あるいは畑で穫れたばかりの野菜などが食卓に並ぶ。戸狩は星ふる村とも言われ、満天の星が夜空に煌めく。当たり前の贅沢がそこにある。


外国人旅行者が農業体験にやってくる

 平成27年に北陸新幹線の長野と金沢間が開通。戸狩がある飯山市は、その途中に駅を持つことになった。それを一つの契機として平成22年に一般社団法人信州いいやま観光局が設立され、観光の振興に取り組んできた。農業や地場産業との連携により飯山らしい観光振興を図ることが目的で、観光案内、観光施設の運営に加えて旅行業も行い、農業体験や森林セラピーなど常時100件程度の着地型旅行を企画・販売している。観光地として誰もが知っているような有名な場所ではなく、その中で“何をアピールしていくのか、余所に無いものをどのように提供していくのか”を課題とし、地域に根ざした旅行業者として、農業を含めた地域の魅力を旅行商品として提案している。これまでヒットしたプランには、雪国ならではの“かまくら”の中で、名物の“のろし鍋”を囲み、農家民宿で一泊するというものがある。身近にある大量の雪をうまく活用した豪雪地帯ならではの企画。地元の人は何も無いというけれど、その地の当たり前が立派な観光資源にもなる。

 今迄気づかなかった魅力を外部の人間が発見するということがある。最近の訪日外国人の増加も、旅行者による日本の再発見と捉えることができる。今、野沢温泉ではオーストラリア人などの外国人スキー客が増えている。オーストラリア人が旅館のオーナーになったことが一つのきっかけだったようだが、パウダースノーの雪質に加えて、古くからの湯治場の風情がたまらない魅力のようで、リゾート地では得られないものが来る者の心を掴んでいる。

 戸狩温泉でも外国人の観光客が増えている。庚さんの所でも「戸狩温泉の上部を通る信越トレイルを歩く人、農業体験をしたいという家族、グループが宿泊してくれます」。日本に来る目的は様々でディズニーランド、富士山、京都、アキバなどの中に、最近は田舎もまじっているようだ。農業体験を通して日本の農村や暮らしに深く触れる。民宿にとってはオフシーズンと平日の集客に繋がるありがたいお客さんになる。かのえの女将さんは英語の勉強もし、旅行社の日本支店との交渉も行う。「積極的に外国人旅行者を受け入れていきたいと思っています」と、期待は大きい。

 「教育旅行の受入数は最近減っています」。分散して宿泊するより、1ヵ所に宿泊して手間を省きたいというのが、最近の傾向のようで、「これから先はしっかりと自分のお客さんを持っていないと難しいでしょう。口コミで広がっていくのが一番強い」。ここにはリゾートに無い魅力、まがい物や代替物では得られない本物がある。食事にしても、景色にしても、人との繋がりにおいても。それは紛れも無い文化であり、結局はそれが人を引きつける大きな価値となっている。

 課題は、やはりここでも高齢化。後継者が少なく、庚さんの家でも、息子さんはいるが、跡を継ぐ予定はない。新しい時代がやって来ようとしている。どんなものになるのか、はっきりとは分らないが、「自分の米ぐらい自分で作りたいと思う」。それが庚さんの願いでもある。

 旅に出る理由。まがい物に疲れて本物に出会いたくなるから。どうだろうか。戸狩温泉の農家民宿にはその思いを満たすものがあった。それは日本らしさを色濃く纏ったもので、そう思えば“クールジャパン”とも言える。旅人には未知なる文化との貴重な遭遇になる。それを提供する仕事なのだ。その先が地域の未来に繋がれば素晴らしい。


さぁ今こそ、夢のある農業を語ろうじゃないか!「クラウンメロンの名前を世界へ」
取材先:静岡県袋井市 静岡県温室農業協同組合 クラウンメロン支所  

  将来の夢は何か。子供たちに聞くと様々な夢があって、プロスポーツ選手、ゲームクリエイター、歌手や女優、デザイナー、YouTuberなんていうものも最近は出てくる。夢を語れるのは成長する余地があるからであって、若さが今とは違う何かになれる可能性を生み出している。では逆に、夢を語れないようでは成長なんて叶わない、とも言えそうだ。農業を成長産業にするということは、安易に若さに頼れない我々だが、夢を語ることができるということだ。弊誌の年間特集は「さぁ今こそ、夢のある農業を語ろうじゃないか!」。農業を成長産業にしようと各地様々な取り組みを行い、今とは違うものに変わろうとしている。そこでは、 単に大きさを求めるのではなく、多様な取り組みを取り入れて質を変え、進化していこうとする動きも目立つ。将来を見据え戦略を持って改革を進めるトップブランドの挑戦を追う。



 

 
▲丹精込めて生産される▲高品質のクラウンメロン▲外国での試食会

 

トップブランドの存在感

 百貨店の果物コーナーや高級フルーツショップの少し高いところの棚で、見目麗しい姿を見せて鎮座しているのがクラウンメロン。一般にマスクメロンと呼ばれるアールス・フェボリット種のメロンに付けられたブランド名だが、クラウンは王冠であり、置かれたそこはさながら玉座とも言えそうだ。東京日本橋の高級フルーツショップ千疋屋では1玉2万円を超える値段が付いている。今、日本では様々なブランドフルーツが群雄割拠の状態となっているが、その中でも一際大きな存在感を放っている。そのクラウンメロンの生産地が静岡県の袋井市近辺。気候温暖で肥沃な土地と豊かな清流を有する静岡県西部、天竜川以東の地域で、袋井市、磐田市、掛川市、森町にわたって、年間を通じたメロン栽培が行われている。その中で大きな役割を果たしているのが静岡県温室農業協同組合クラウンメロン支所。「メロンに特化した生産組合で、組合員が今209名、年間の出荷量が32万ケース(1ケース6個)、1日1000ケース前後を市場に送り出しています」と、支所長の中條文義さん(60歳)。現状とこれからを伺った。

 静岡県の温室メロンの生産は作付面積、生産量、出荷額とも日本一。特にクラウンメロンなどはブランド農産物として高い単価で取引され、生産者の意欲も高い。それ故にブランド化に成功し確固たる地位を築き何の憂いもない産地かとも思えるが、決して順風ばかりが吹いているわけではない。ある部分は大きな成功を収めているが、状況は変化してやまない。「日本が経済成長を果たし景気が上がると共にどんどん生産量が増え、組合員は最大で800人ぐらいになりました。しかし、バブル経済が崩壊し、リーマンショックがあり、日本の景気が下降していくと共に消費が縮小していきました。また温室を使った周年栽培で冬場の10月~4月まで加温のために燃料が必要なのですが、原油価格の高騰があり、メロンの価格は下がるのに経費は上がるといった状態が10年ぐらい続きました。その間農業を辞めてしまったり、経費のかからない農産物に移った人などがいて、結局今は組合員が200名ぐらいです」。このまま現状に流されていけば、どこに辿り着くのか。その先を想像することはそんなに難しいことではない。“何かを変えていかなければならない”。生産者の胸に通奏低音として響いていく。そうしなければクラウンを戴き続けることが難しくなる。

 日本にメロンが伝わったのは1900年(明治33年)のことで、イギリスからやって来た。大隈重信公も普及に力を入れ、新宿御苑の私邸で栽培し、そこで第1回のマスクメロン品評会も開催している。その後、日本各地にメロン栽培が広がっていった。袋井市でも1921年から温室メロン栽培が始まり、今年で97年になる。産地として残り続けてこられたのは「気候や土壌が向いていたのだと思います。施設を使った周年栽培のため冬の気温や日当たりが重要になります。このあたりは日射量も多い」。適地が農産物を育んでいった。クラウンメロン支所としては、1964年に前身の磐田温室農協丸静支所ができ、クラウンメロンとしての販売が始まり、専門農協として生産者と密着した取り組みが行われてきた。現在は「毎朝生産者が支所にメロンを持ってきて、等級を1箱1箱検査し、取引のある13の市場へ出荷します」。等級は最高ランクの富士から山、白、雪の4段階と加工用などに回されるキズ、規格外品。最高ランクの富士は全体の0.1%しかない。市場は、東の宇都宮から西の北九州の小倉まで。毎朝9時から10時の間に、相場を見ながらどの市場にどれだけ送るのかを決めるのが重要な仕事となっている。支所長の中條さんは40年以上メロン作りに携わってきた生産者でもある。「組合員のメロンの値段が少しでも良くなるように」と、当事者感覚を持って、毎朝真剣勝負が繰り広げられる。「組合員の中から、誰か1人、常勤の支所長をしなければならないのが組合の決まりで、2年前に支所長になりました。学校を卒業して初のサラリーマン。うちのメロン栽培は息子がやってくれています」。11棟の温室を展開する地域でも規模の大きな生産者だが、今は支所長としての仕事に専心している。


強いブランドを維持する力

 クラウンメロンが高い競争力を持つ背景には、その味を支える特徴的な栽培方法がある。その一つは独自開発したオリジナルの種を使っていること。種苗会社のものではなく、「この支所の裏にハウスがあって、美味しいものと見た目が綺麗なものを何回もかけ合わせ、バランスの良い物を研究し、生産者に提供しています」。たやすく真似ができない唯一無二のものが作られていく。二つ目はスリークォーター型と呼ばれる特徴的なガラス温室を使用していること。「南を向いた面が大きくなっていて、太陽高度の低くなる冬場の太陽光が沢山入るようになっています」。メロンは必要な温度が25℃ぐらいまでになる作物で、太陽光を無駄にしない工夫がされている。また、どのメロンの葉にも光がよく当たるように栽培ベッドが階段状になっており、北にいくほど高くなっている。三つ目は栽培ベッドが地面から切り離されていること。「地面に直接植えると、水の吸い上げは植物次第ということになり、水分が多くて味がのらなかったり、少なくて玉の肥大が悪くなったりします。毎日、手でかける水によって調節をして、どんな季節でも同じようなメロンが収穫できるようにしています。水のコントロールが栽培の一番のポイントです。しかし一番難しい。個人の感覚と経験が問われます」。自然任せにしないこと。そこに生産者の力量が問われる。

 この力量の差は価格にも反映していく。「私たちは共同出荷していますが市場では個人別に競り落とされる個選を採用していますので、同じ等級で同じ大きさでも、それまで生産者個人が培ってきた信用などにより価格は倍ほど違うこともあります。それがやりがいにもなります」。クラウンメロンの生産者にはそれぞれ生産者番号が割り振られ、検査に合格したメロンには1個1個、生産者番号が入ったクラウンメロンマークが貼られる。その番号はクラウンメロン支所のホームページから生産者の名前を確認することができる。常に高品質のメロンを作る生産者として名が通るようになれば、高級フルーツショップから高値で指名買いされるようにもなる。それが生産者の誇りでもあり、1つの目指すところでもある。「私も若い頃東京などに行くと、日本橋の千疋屋に行って、棚の上に飾ってあるメロンを見に行きました。シールを見て誰が作ったかを確認し、自分もいつかはここにと思い、飾ってもらえればようやくここまで来たかと。多くはそこが目標だと思いますよ」。その思いがブランド力を高め、トップの座を守り続けていくことに繋がる。


事業戦略を立てて、組合を進化させる

 しかし「ピーク時に110億円あった出荷額は大きく減少し、景気の回復と共に3年ぐらい前から下げ止まり、横ばいから少し上がる状態にはなりましたが、今や34億円程」。単価にしても国内消費が縮小する中で「少し荷が増えると必ず安くなる」と、楽観できる状況ではない。生産者も高齢化が進み、現在の209名が、15年後に122名、20年後に85名になると予測している。以前は相場の動きに一喜一憂し、高く売れればそれで良いという感じだったが、「自分たちの手で何とかしていく道を探らなければならない」と、戦略を持った事業展開に踏み出し、高齢農家のやる気を引き出す対策、クラウンメロンの地元定着、海外輸出拡大、加工品拡大などに取り組んでいる。

 高齢農家に対しては「辞める人を減らすために80歳までみんな現役で頑張ろうということで、80歳以上の生産者を表彰しています。メロン栽培で家を維持し、子どもを育て、一生メロンで生活できればそんな素晴らしいことはないと思っています」。地元への定着としては、それまで大消費地に向いていた目を地元にも向け、毎月6日を“クラウンメロンの日”として、地元の人にも購入しやすい価格で提供し、地域特産物としての認知度向上を図っている。

 そして大きな柱となるのが輸出対策。「お中元やお歳暮など、ギフト時期の価格は良いのですが、それ以外の時の消費の落ち込みが大きく、これを何とかしたいと思って始めました」。4年前から準備を進め、3年前に初めて海外へ。その年はタイのバンコク、マレーシア。昨年は香港、台湾へ。「最初海外に行った時は、なぜこんなに高いのかと説明を求められ、それに答えるのが大変でした。現地の果物と価格を比べると桁が違います」。しかし実際に食べてもらい、現地の新聞やテレビで取り上げられ、タイでは王女に献上し、日本の最高級ブランドという認識をもってもらうPRを展開していった。その結果、「東南アジアでは2月の春節、9月の中秋節の時に大口需要が生まれ、その1カ月くらい前から、クラウンメロンをくださいという引き合いが増えています」。この時期は国内消費が落ち込む時期と重なり、海外で販売することが国内出荷量の調整ともなり、相場の安定を図ることに繋がっている。

 そして今年は、UAE(アラブ首長国連邦)のドバイ、アブダビへ。「向こうに行ったのは2月です。20ケースと加工品を持って行きました。アラブの人はこの味が分かってくれるのか、少し心配もしましたが、実際に食べると美味しいと喜んでいただき、舌はあまり変わらないなと安心しました。値段は輸送の航空運賃も加えて高価なものとなっていましたが、現地の富裕層はそれで良いよと買っていただき、良い感触を得ることができました」。UAEでは、「夏場の気温が50~60℃」、富裕層は暑さを避けて国外に出るため、売り時は冬場。国内における夏場のお中元の時期を外せ、冬場のお歳暮時期、東南アジアのイベント時期以外の落ち込み緩和に貢献することができる。プロモーション活動には工夫も必要なようで、富裕層は自分で買い物に出るわけではなく、日々の雑事は使用人に任せてしまう。まずは富裕層にクラウンメロンの名前を覚えてもらい、使用人の購入リストに載せてもらうよう働きかけることが必要なようだ。「アラブの人たちは会ったこともない人たちで、そんな所でも売ることができて、足がかりができれば、多分世界中、他の国でも売ることができるんじゃないかなと思っています」。まだ始まったばかりで量はそれほど多くはないが、世界へと向かう大きな可能性を秘めている。

 また輸出を進める上でクラウンメロン支所では若手を中心にグローバルGAPも取得した。「取得は大変でしたね。どうしてもみなさん農家ですから、良い作物を作ることだけを考えてしまう。収穫したメロンが商品であるという意識がなかなか持てませんでした。消費者が安全安心に食べることができるようにするために、様々な配慮をしていかなければなりません。その意識の違いを乗り越えることができれば、後はそんなに難しくありません」。輸出だけではなく、2020年には東京オリンピックもあり、国際基準を満たした農産物として、先々の展開が広がる。

 現在輸出は二通りの方法があって、一つは「東京、大阪の仲卸さんで輸出を担当している方と組んで展開し、生産者として海外に行って売り込みなどをしています」。従来から取引している国内13市場の延長という形だ。もう一つの方法は「昨年からなのですが、ここから直接輸出する動きを始めました。国内13市場とは別に海外部門をプラスした形です。そうすれば値段も量も全て自分たちで把握し出荷することができます。海外に販売できる組合に進化できればと思っています」。このやり方では日本のバイヤーと組み、輸出の手続きなどをしてもらい、そこから海外のバイヤーへ商品を送るという方法になる。「これから色々勉強してノウハウを蓄積し、組合機能を拡充していかなければならないと思っています。この組合を後世に繋げるためにも攻める側に回らなければ」。生き残っていくための危機感は強い。

 力を入れていく事業戦略としては、加工品にも精力的に取り組んでいる。それまでは年間30tぐらいが規格外のものとして集められ、加工品などに回されていたが、昨年は200tを集め、ピューレなどを作り、「森永のクラウンメロンハイチュウやクラウンメロンアイスクリーム、クラウンメロンパンなどのお菓子の原料に使っていただいた」。加工品の販売売上が増加したことに加え、コンビニなどでお菓子のパッケージに印刷されているクラウンメロンの名前などを見る機会が増え、自分たちのメロンがこういう所にも利用されていると刺激になり栽培意欲の向上に繋がっている。また、年間200tの規格外品を市場から分離することは、「市場に出回っている一番下の等級の価格を引き上げることに繋がりました」。市場に出回るものは加工品用として引き取る値段以上のものとなり、全体の売上を向上させることになる。

 加工品の製造に関しては、これまで業者に頼んで作ってもらっていたが、「この組合で一次加工を行い、ストックし、販売していきたい」。今、ピューレなどは夏場に多く、年間を通して見れば量にムラがあり、量が少ないときに多くのオーダーが入ったりもする。それらに対応するためにも、自分たちで年間を通して加工品を全て供給できるような体制を模索している。一次加工場を作ることができれば、それは組合の直接の利益になり、この組合、施設を維持するための大きな下支えになる。組合からの直接輸出の利益も合わせれば、生産者が減少していく中にあっても販売手数料を増やすという安易な選択をすることなく、組合機能の維持を図ることに繋がる。

 これらの戦略に、トップブランドを守り続ける産地のこれからの姿が見えた。そしてそれは大きな夢も伴っている。「僕はメロンを作り続けてきて、中條さんのメロンが欲しいと言ってくれるように頑張ってきた。今度は海外で販売してクラウンメロンが欲しいよと世界中の人から言ってもらって、食べてもらうのが最大の夢。世界中の人がクラウンメロンを必要として欲しい」。世界がクランメロンを発見し、その魅力に気づく日も遠くないかもしれない。そうなれば世界から指名が来る生産者も現れるかもしれない。それは痛快だ。「死ぬまでにそうなれば良いな」。その夢が新たな成長の原動力となる。



農業の働き方改革を考える「ストレスを減らし働く時間の質を上げる」
取材先:千葉県館山市 ㈱須藤牧場  

  働くということは、それによって生きる糧を得て、命を永らえ、社会の維持に関わり、人間らしい暮らしを営むための手段である。そう思えば、決して働くことで一方的に不健康になっていくものであってはならない。しかし現実はそうもいかない。働くことで体を壊し、精神を病み、あるいは追い詰められ、苦悩の中で命を絶つというような不幸な出来事が後を絶たない。それらの状況が昨今の働き方改革を後押しする。長時間労働、ブラック企業、非正規雇用者の不合理な待遇、各種ハラスメント、子育てや病気治療との両立、外国人労働者の受け入れなどなど、景気拡大が続き、雇用環境が改善する中で、労働環境は問題山積だ。では農業の働く環境はどうなのだろうか。その働き方改革を考える。



 

 
▲フリーストールの牛▲アイスカフェCowBoy▲高品質のミルクとミルキーソフト

 

12時間あっても間に合わない仕事

 日本農業において、何故後継者が不足するのか。その答えは“儲からない”ということにほぼ収束することができる。もう少し言い添えれば投下する時間と手間・労力に応じた収益が得られないということ。費やした労働に対する見返りが充分ではない。農業は基本的に体力を使う肉体労働である。それに加えて野外を主な活動領域とすることで、暑い、寒い、雨、風、汚れ、好ましくない臭い、と肉体への負荷が大きい。また、農繁期には朝早くから夜遅くまで働き、一方で農閑期には仕事がない。さらに農薬の被ばくや農機による事故もある。それだけではなく、先が読めない天候への苛立ち、不安定な市場価格、突然見舞われる病虫害、気象災害など精神的に不安定となることも多い。今に始まった事ではなく、それが長年続いてきたわけだが、今更ながら農業こそ働き方改革が必要であると感じる。ちなみに農業には、労働基準法の適用を除外されている項目があり、労働時間の限度はなく、休憩や休日の定めもない。また、深夜労働を除く残業代の割増はなく、18歳未満15歳以上の年少者を深夜労働に就かせることも可能だ。農業を持続的産業にするためには、労働環境の改善から目を背けてはならない。

 その命題を果たすためにこれまで農機、設備、システムが果たしてきた役割は非常に大きいが、まだまだ改善の余地はある。しかし一方で、経済的な理由も含め生産性の向上には限度があるという諦めもある。農業とはもともとそういう仕事なのだからと。果たしてそうなのか。千葉県館山市に酪農家を訪ねた。その取り組みに働き方改革のヒントを探る。

 「こちらに嫁いで来てからしばらくは、今の牛の頭数の半数でしたが、朝の6時から昼の11時ぐらいまで働き、夕方は3時半ぐらいから夜中の11時まで働いていた。それが365日。昼にも餌やりがあり、12時間あっても間に合わない重労働でした」と㈱須藤牧場の須藤陽子さん(54歳)。代表の裕紀さん(53歳)の妻で専務を務める。「もしそれがずっと続いていたら、毎日牛舎で汚くなって、疲れて、そんな風に働いていたら、今私はここに居なかったかもしれません。途中で嫌になって出て行っちゃったかもしれません」。しかし今はその当時と比べて倍以上の頭数を飼養し、牧場体験を受け入れる酪農教育ファームの活動、販売施設の運営、乳製品の製造、牧場が主宰する『劇団 須藤兄弟』の公演、ファーマーズデイの開催など、多岐にわたる仕事を展開している。牧場の仕事に携わり始めた頃と今を比べて仕事が減ったのか増えたのか、その量の加減は定かではないが、インタビューに応じる明るい笑顔に、労働の質が明らかに変わってきているのだと感じる。

 須藤牧場がある千葉県南房総地区は、8代将軍徳川吉宗公が同地の嶺岡と呼ばれる丘陵地帯で白牛を飼育する牧場経営に乗り出し乳製品を作ったことから、酪農の発祥地と言われる。早くから酪農が盛んな地域で、多くの酪農家が経営を行ってきたが、高齢化も進み生産者の数は年々減少している。その中で須藤牧場は昭和初期から牛を飼い始め、現在代表の裕紀さんで3代目。ホルスタイン種、ジャージー種合わせて乳牛130頭を飼養し、経産牛は70頭、年間出荷乳量は65万㎏となっている。また1万坪の放牧地と飼料畑も経営している。平成26年に法人化し、労働力は裕紀さん、陽子さんと長女の由紀乃さん、次男の健太さんの4名の役員に加えて、正社員3名、パート8名の陣容。

 特徴は、まず自給飼料の生産と未利用資源の活用。トウモロコシとソルガムを5.3haの規模で、年2回作付けし、また「近くの農家さんから収集した稲わらと館山市内の豆腐屋さんから毎日無料でいただいてくるおから(豆腐粕)をエコフィードとして他の餌と混ぜて食べさせています。低脂肪高蛋白で良質の餌になります」。牛乳収入に占める購入飼料の割合を示す乳飼比の低減につながり、生産コスト低減に役立っている。また放牧場には育成牛が放たれ、「朝、ゲートを開けると自分で出て行って、運動をし、夕方再びゲートを開けると自分で帰ってきます」。糞尿処理も省け効率的な育成が行われている。もう一つの大きな特徴はフリーストール牛舎の導入。それまで1頭ずつ世話をしなければならなかったつなぎ飼いを行っていた須藤牧場の経営にとって、それが大きな転機となった。


作業動線を考えた牧場作りが大きな変化をもたらす

 フリーストール牛舎は牛をつながずに、自由に歩き回れるスペースを持った牛舎の形態のことで、アブレスト式ウォークスルータイプのパーラーを組み合わせて効率的な飼養を行っている。「こちらが搾乳の用意を始めると牛の方が、牛乳を搾るところに自ら歩いてきて、搾乳を受け、牛乳を搾り終わったら自分で歩いて出て行きます。そして給与された餌の所に行ってくれます」。また、働く人の動線を短くするように考えられ、牛の動線も分りやすくし、効率的に仕事ができるようになっている。裕紀さんはアメリカで牧場経営を学んだ経験があり、“合理化できるところは合理化していく”という考え方を学んできた。それが活かされている牛舎となっている。また、牛床に山砂を利用して菌の繁殖を防いでいる。「つなぎ飼いの時は乳房炎などがありました。牛にストレスがあったのだと思います。でもフリーストール牛舎にしてからはおっぱいも汚れず、病気がほとんどなくなりました」。また、餌やりは粗飼料とおからなどを加えた濃厚飼料を混ぜ合わせる自走式のコンプリートフィーダーが給与し、大幅な労力削減を実現している。

 フリーストール牛舎にしてから、「牛のストレスを減らし健康が守れ、牛乳の質が上がって、仕事の量が減りました。赤ちゃんを産む回数も順調」。須藤牧場の牛乳は、無脂乳固形分8.97%、乳脂肪分4.11%で年間乳質成績が99.5点以上となる、高い品質を保持。健康であることが美味しい牛乳生産につながっている。また、「牛の頭数は倍に増えたのですが、仕事の量は半分以下です。この牛舎の仕事に必要な人員を計算すると8時間労働で2.3人。農場部門には今6人のスタッフがいますのでシフトで回してお休みも取れます」。須藤牧場にとってここが大きな分岐点となった。

 酪農に限らず他の農業においても、革新的な機械や設備を導入することで、生産性向上を図り、労力と時間の削減を実現する例は多くある。近年はICTの利用やロボット化技術により、生産性の大幅な向上が期待されている。そして生産者はそれらによって二つのものを手にすることができる。それは須藤牧場も同様で、“時間と負債”がもたらされる。それらは表裏一体で、生まれた時間を投資に見合うものにしなければならない。


効率化で得た時間を活用する

 生まれた時間を活用すること。そこから様々な変化が始まる。「フリーストール牛舎にすると構造上、道路側に牛がずらりと顔を出すことになりました。そうすると牛を見せてくださいと人が集まり、次は牛乳が飲みたい、乳搾りがやりたいと、要望が出てきて、それに応えているうちに見学スペースを設け、牛乳を使ったアイスなどを作り、来てくれる人がどんどん増えていきました」。これが発展して、牧場体験を提供する酪農教育ファームへとつながった。「気軽に立ち寄れる牧場作りというのを私がお嫁に来てからずっと思っていたので、積極的に受け入れていきました」。体験工房ミルクキッチンを開設し、その中でバターやピザを作り、乳搾り体験や子牛のシャンプー体験、羊毛クラフト作りなどを実施。生み出した時間が体験や交流に使われていった。

 またその時間は3人の子供を育てることにも使われていった。子供たちは、母親がただ牛舎で立ち働いているのを見ていただけではなく、牧場体験での人との交流を通して酪農の思いを伝える姿や牧場を題材にした絵本を描く姿を見て育ち、長女と次男が就農することになった。「生き生きとして働いていたのかもしれないし、楽しそうにやっていたのかもしれません」。 

 長女の由紀乃さんは「“牧場で搾った牛乳を使ってお店をやりたい”という夢を持っていました」。高校で調理師免許を取得し、平成22年に須藤牧場内の敷地に開店した加工販売施設アイスカフェCowBoyの店長に就任。これが本格的な6次産業の始まりとなった。平成25年には次男の健太さんが就農。それを契機に翌年、須藤牧場を法人化し、事業を持続していく体制を整えた。平成28年には正社員を初採用。健太さんより年上でコンピューターのスキルを持ち異業種からの就農で、異なる経験が須藤牧場の新たな力となる。そして昨年はイオンタウン館山のフードコート内に飲食施設の須藤牧場をオープンし、正社員とパートの人員も補強した。また体験メニューでは平成26年より『劇団 須藤兄弟』を長男の高伸さんと健太さんが立ち上げ、酪農劇団による牧場劇と牧場案内をセットにし、劇中にバター作りなどもする体験を実施している。さらに昨年11月からはファーマーズデイというイベントも開催。従来はメニューを用意して来場を待つというスタイルだったが、日時を決めて参加者を募るという新しい方法を採用した。「来場者には牧場の作業服であるつなぎの服に着替えてもらって、牧場の人の気分と乳搾りや子牛の哺乳などの仕事を体験してもらい、農場同士のつながりで入手したお肉や野菜を提供します」。このイベントはスタッフみんなで考えたもので、「“須藤牧場は自分たちが支えていく、良くしていく”という、上を向いた気持ちで事業に参加してもらっている」。家族だけで牛の世話に追われて1日が終わっていた経営から比べると、その形はなんと変わったことだろう。法人化を経て、今では経営理念に“社員が幸せに働ける会社を目指す”と掲げるまでになっている。


ストレスを軽減していくことが鍵

 フリーストール牛舎を導入してから、今迄の間に、働き方は大きく変化していった。「牧場体験を始めることができたのもフリーストールに変えて少し時間ができたから。その前まではそんな余裕はありませんでした」。新しい機械、設備、そしてそれを土台にした効率的な動線の構築など、作業の合理化を進めたことが時間を生み出し、可能性を開いていくことにつながった。それは働く人にだけではなく牛にも大きな変化をもたらした。牛の労働を“搾乳される”こととするのなら、昔と今ではその働き方は異なっている。つなぎ飼いから解放されることで、自らが動いて搾乳され餌を食べに行かなければならなくなったが、ストレスが格段に減り、乳質がアップし、病気が減少した。作業量は増えたかもしれないが働き方改革が健康をもたらしている。牧場にとっては収益のアップにつながる。

 牛から働き方を学ぶみたいだが、ストレスの軽減は働き方改革全てに通ずるのではないだろうか。労働の負担を減らすということはストレスを減らすということだ。そのためには、まず時間のかかる仕事、肉体的に辛い仕事などをできるだけ機械やシステムに代替させることから始めるが、それで終わりというのではなく、その後に代替できずに残った仕事と代替によって余った時間をどうするかまで考えなければならない。働き方改革はそこまで考慮しなければ充分なものではなく、単純に時間を短くするということだけではない。

 それでは余った時間をどうするのか。その時間で従来と同じ事業のボリュームを増やすということもできる。しかしそれではストレス軽減にはつながらない。かと言って余った時間で遊んでしまえば収入は増えない。時間を生み出すために投資した資金を回収しなければならないというミッションがあり、それをクリアする取り組みを探っていかなければならない。

 須藤牧場では牧場体験や6次産業へと発展の道を延ばし、事業の多角化に成功したが、その部分の労働負担も考えなければならない。これが更なるストレスになっていれば元の木阿弥。機械や雇用で代替できない部分のストレスについては、仕事に対する視点を量から質に移すことで、その強さを変えていくことができる。例えば強いられてする仕事は辛いが自ら望んでする仕事は楽しさもある。その比率を如何に増やすかで仕事のストレスも変わってくる。陽子さんの場合、体験などで人が集まってくることは、牧場の仕事を始めた当初からやりたいと思っていたことであり、人との交流は、楽しさを得ることでもある。全体の仕事量は変わらないかもしれないが、質を変えることで総体としてのストレスは減っていく。

 農業の場合、天候や生き物を相手にする分、こちらの都合通りにはいかず、生産性の向上はおのずと限界がある。その中で労働負担を減らすということは時間だけではなく、ストレスを減らしていくのだという観点が不可欠だと思えた。不本意な作業に縛られることなく、楽しさや喜びを見いだして働けるようにすることが、農業の働き方改革を進める道ではないだろうか。須藤牧場が昨年イオンに出店したお店について、「今はすごく大変だけど、これをどうクリアしていくのか。ワクワクしながら、逆風を楽しんでいます」と陽子さん。その表情に働くことの喜びが見えた。


選ばれる力
有機国産キウイフルーツで描く未来     取材先:和歌山県紀の川市紀ノ川農業協同組合   

  日欧EPAにTPP。日本政府が進める各国・地域との経済連携協定締結に向けた動きが加速する中、農業関係者からはさらなる支援策を求める声が聞こえてくる。すでに輸入自由化された牛肉は、自由化後5年間で肉用牛飼養農家戸数が3割減少。みかん農家もオレンジが自由化されたことにより多大な影響を受けた。一方で、生き残りをかけて優良品目への転換、高品質化、ブランド化が進んだ。“消費者に選ばれるためにはどうすればよいのか、どうあるべきなのか”。和歌山県紀の川市の紀ノ川農業協同組合は、農家一軒一軒に聞き取り調査を行い、それを基に行政、農業委員会を巻き込み、有機農業の町づくりを宣言。その後、農協の部会として唯一キウイフルーツの生産行程管理者の有機JAS認定を受けている。紀ノ川農協を訪ね、消費者に選ばれるためのヒントを探った。



 

 
▲キウイの樹▲キウイ▲直売所で販売

 

有機農業で地域農業を再建する

 面積の8割以上を山地が占める和歌山県にあって、奈良県の大台ヶ原から和歌山市の紀伊水道へと流れる紀の川流域には平野も広がり、温暖な気候と日照時間の長さを活かした多彩な農業が展開されている。中でも中流域に位置する那賀地方では、紀の川市を中心に平野部と山間部で果樹作と野菜作が盛んに行われ、果樹では八朔、桃、イチジク、キウイフルーツ、野菜ではイチゴ、玉ねぎの栽培面積が県1位と、県内でも有数の農業地帯となっている。

 その那賀地方で紀の川市が誕生したのは2005年。紀の川流域の那賀町、粉河町、打田町、桃山町、貴志川町が合併した。それ以前から土地の特性に合わせて旧町ごとに特色ある農業を行っていたが、その姿勢は今も変わらず、栽培品目も、進む方向性も旧町ごとに異なっている。旧の那賀町が目指したのは“有機農業の町”。その背景や、生産者の思いについて、紀ノ川農業協同組合・組合長理事の宇田篤弘さん(59歳)と、同じく理事でキウイフルーツ部会・部会長の吉岡利晃さん(42歳)に話を聞いた。

 紀ノ川農協は、農産物の販売と組合員の生産資材の購入を行う専門農協で、県下一円を対象としている。事業の柱は産直で、直売所や地元スーパーなどで販売するとともに、全国のほぼすべての生協と連携して事業を行っている。産直を始めたのは1976年。当時の那賀町農業協同組合青年部のメンバーが農協の共販から抜け出し結成した那賀町農民組合が紀ノ川農協の母体。背景には、1971年のグレープフルーツの輸入自由化や豊作によるみかん価格の大暴落があり、安さに耐えかねた若手生産者らが産直による道を切り開いた。

 その後も、みかんの生産調整や牛肉・オレンジの輸入自由化の流れがあり、その中で自然と「高品質な果樹生産をしよう」という機運が高まっていったという。紀ノ川農協が設立された1983年の翌年から、ノートと鉛筆を手に農家一軒一軒を回る聞き取り調査を実施。アンケートや数字では得られない発見が多くあり、調査結果を基に討議する過程において「農家の経営とくらしを守るには、地域経済を再建するしかなく、地域経済の再建には地域農業を発展させるしかない」という確信を得るに至った。折しもバブル経済が崩壊し、農家を巡る状況がさらに悪化する中、組合として客観的にどう安全・安心を保障していくのかという問いと、環境に負荷をかけない持続可能な農業を進めたいという農家の思いが一緒になって、地域農業を再建する切り札として導入したのが有機農業だった。

 1993年には「有機農業の町那賀町をすすめる会」が発足。1995年には行政、農業委員会などと共に有機農業の町づくり宣言を行い、こうして築き上げた地域ぐるみの体制をベースに、現在、約210名の組合員がみかんや柿、南高梅など13品目の特別栽培に取り組んでいる。また、キウイフルーツと玉ねぎについては、農協の部会として全国的にも珍しい有機JAS認定を受けている。


無農薬の力

 取材に訪れた日、吉岡さんの畑には生協の担当者の姿があった。「今年のキウイフルーツの出来は?」と尋ねられ、「美味しいとか、甘いとか、通り一辺倒の答えしか出ないわ」と言ってはにかむ吉岡さんの表情には自信がみなぎっている。就農して19年目。妻と父母の4人でキウイフルーツ(70a・有機栽培)、柿(85a・特別栽培)、梅(60a・特別栽培)を中心に、スモモ、清見、みかんを栽培。中山間地に位置する畑の面積自体は昔と変わらないが、「品目は子供の頃と随分違う」と吉岡さんは当時を振り返った。主に八朔を作っていたが、値段が下がり、この地域でも八朔やみかんをやめてキウイフルーツに転換する農家が出始めた頃。吉岡さんの家でも、小学校高学年の時に夏みかん畑がキウイフルーツ畑に変わった。

 「この地域は恵まれていて何でも栽培できる」。その好条件を最大限に活かし、多品目栽培を行うことで天候リスクを分散させることができる一方、多品目栽培ならではのデメリットもある。吉岡さんが栽培するキウイフルーツの品種はヘイワードのみ。早生品種を導入しようにも収穫時期が柿と重なり手が回らない。「どの品目も剪定は必須。あとはキウイフルーツの間引きや授粉、柿の間引きなど長期間にわたる作業や管理があって、それらをうまく組み合わせて品目や品種を選ぶ必要があります」。

 キウイフルーツについては、吉岡さんが就農した当時から無農薬。父親の代で徐々に農薬を減らしていった結果、農薬に頼らなくても品質の良いキウイフルーツができることがわかった。紀ノ川農協のキウイフルーツ部会で最後まで残っていた農薬はマシン油乳剤だが、それもカイガラムシの天敵が出現したことでクリアできた。ただ、有機農業推進法では、圃場内で生産された農産物由来の堆肥などを使用することを原則としているが、紀ノ川農協ではその部分が困難なため、有機農業用に肥料設計してもらった肥料を有機部会で一括購入している。キウイフルーツの有機JAS認定を受ける際に必要だったことは、肥料をそれに変えることと、授粉時に用いる増量剤の石松子を無着色のものにすること。それだけで、特に生産工程を変えることなく有機栽培へ移行できたが、「書類作りが大変」と吉岡さんは笑う。

 「納入先は、親父の代からすべて紀ノ川農協。生協さんが相手で、これまでもずっと“できるだけ農薬は控える”考え方で来ていますが、それは僕らのためでもある」。農薬を使えばそれだけコストがかかる。農薬を使わなくても“ある程度のもの”ができるのであれば、“無農薬”は安全・安心を求める消費者への強力なアピールとなる。「基本的には味の良さによるリピート力」が求められるが、食べてみて美味しくなければ次には繋がらない。そのとっかかりとして無農薬は大きな力になると、吉岡さんは考えている。


グローバルGAP取得で消費者の期待に応える

 キウイフルーツ部会の部会長を務める吉岡さんは、時折、生協から声がかかり、忙しい合間を縫って消費者との交流会に参加することがある。一昨年は仙台へ行った。紀ノ川農協としても、精力的に消費者との交流機会を設け、生協と産直を始めた時からの産直の3原則を大切にしている。1つは、生産者がわかること。2つは、作り方がわかること、そして3つ目が消費者と生産者が互いに交流できること。そうして培ってきた土台があって、今また産直は新しい時代を迎えようとしている。

 何か食に関する事件が起こるたびに、「うちは安全」と言ったところで信用してはもらえない。それを証明するシステムがなければと、紀ノ川農協では2013年から順次グローバルGAPの取得を進めている。「GAPは決してテクニックではない」と宇田さん。「本来目指すものは、食の安全やお客さんの安全であって、“どういう社会を目指していくのか”ということの延長線上にある。持続可能な社会、持続可能な農業のためにあるというところに力点を置かないと。売れるから、オリンピックがあるからという話ではないのです」。宇田さんはさらに、農業が本来持っている多面的な機能を社会的に評価する手段としてGAPは必要だとの考えを示す。

 根底にはもちろん、安全・安心を担保するという役割がある。そこに果物の場合は味、野菜の場合は鮮度などの要素が加わり、消費者の選択に委ねられるが、消費者にはもう一歩踏み込んで、その先にあるものを見てもらいたいと宇田さんは願う。“購入する”、“食べる”といった行為が生産者の、生産地の役に立つということ。「生産者と交流するという行為には、生産者のくらしを守り、地域へ投資するという役割があるのですから」。そのため、生産者は消費者に選ばれるよう日々努力する必要があり、その手段としてGAPを前面に打ち出すことも大事だと宇田さんは考える。

 生協にはすでに若者を応援する企画があり、徐々に産地に投資するという考えが芽生えつつある。それに応えようとグローバルGAPの取得を進めているが、「取得費用が高額」と宇田さん。そのため、紀ノ川農協では品目ごとに部会の代表が取るという形で進めている。現在、6人が取得し、かかった費用は約100万円。それでも生産部会としては人数も売上も相当な規模になるため成り立っている。さらに3人が取得を目指しているが、その中には吉岡さんも含まれている。


魅力ある生産者が消費者をひきつける

 取材に訪れたのは年末。キウイフルーツ畑では次の収穫に向けすでに剪定が始まっていた。春には芽が出る。キウイフルーツは柿と同じ結果習性で、剪定して残した枝に実がなるのではなく、芽吹いて伸びた枝に花が咲き実がなるのだと吉岡さんが教えてくれた。「効率良く葉に日が当たるようにイメージして剪定するだけ」と吉岡さんは簡単そうに言うが、一朝一夕にできることではない。気候変動の影響か、最近、キウイヒメヨコバイという外来種の害虫が増え、被害が出た農家もある。畑にはイノシシに踏み荒らされた跡が残り、近頃はシカの鳴き声もよく聞こえるという。「いつまで有機農業を続けられるのか」。正直、不安はある。また「毎年、予想もしない出来事が起こるから、それに対応するので精一杯」とも。それでも、「ええもんできたらうれしい」と吉岡さん。その“喜び”と“経験”と“ひらめき”があるからこそ、つらいことも何とか笑って乗り越えてきた。

 取材中、終始吉岡さんは笑顔だった。吉岡さんには高校1年の長男と中学2年の長女、小学1年の次男がいるが、自然が好きで、山が好きであれば、ここで農業を続けていってくれればいい。そうした温かい眼差しが消費者にも向けられる。「果物はあくまで嗜好品。しょっちゅう買えなくても、年に1回でも買ってくれれば、それがその先の未来へ続いていくんじゃないかな」。吉岡さんが見据える未来。そのビジョンを消費者が共有できる社会こそが持続可能な社会なのだと思う。その道筋を示せる生産者が消費者をひきつける。選ばれる力は、生産者の魅力そのものだと感じた



選ばれる力

北海道の美味しいお米づくり      取材先:北海道蘭越町   

  趣向を凝らしたテレビ番組、ショーケースに並ぶ色とりどりのケーキ、休日の自由な時間の過ごし方。自分に与えられている限られた時間と資金をどれに投入するのか。大いに悩む。その果てにどうにか一つを選択する。提供する側はより多数からの選択を得られるように奮闘するが、かけた労力とは裏腹に、選ぶ側との思いがずれれば見向きもされない。かつて視聴率トップだったテレビ局が凋落することもある。何が求められているのかを感じ取ること。それを真摯に受け止めること。そして求められているものを実現すること。分かっていても実行するのは簡単なことではない。さて、生産調整が廃止され自由な米づくりが始まる。その中で如何に選ばれるものを作るのか。選択される商品力とは何かを考える。



 

 
▲羊蹄山を遠くに眺める田んぼ▲ゆめぴりか▲米所蘭越米

 

北海道で生まれた念願の美味しいお米

 ブランド米が戦国時代に突入している。収益性の向上を狙い、付加価値をつけたより美味しいお米が各地で作られるようになり、群雄割拠の様相だ。一足先に展開し安定した存在感を発揮する山形県の『つや姫』、佐賀県の『さがびより』、長崎県の『にこまる』などに加え、ルーキーとして登場してきた岩手県の『金色の風』や青森県の『晴天の霹靂』、福井県の『いちほまれ』、石川県の『ひゃくまん穀』、富山県の『富富富(ふふふ)』、そして新潟県の『新之助』などなど。うまく住み分けて共存できるものもあるが、狙いの購入層が重なるものも多く、選ばれるものの影に選ばれないものが多数ひしめき、生き残りをかけた競争が生まれている。その中で、平成21年にデビューしたのが北海道の『ゆめぴりか』。今のブランド米ブームの先駆けであり、その歩みは生産調整なき後の自由な米づくりにおいて大きなヒントとなる。競争を生き残ってきたその取り組みに選ばれるための力を探る。

 ゆめぴりかが生まれたのは上川郡比布町にある上川農業試験場。明治29年から水稲の試験を始め、100年以上も品種改良に携わり、78もの品種を世に送り出してきた。当初北海道では冷涼な気候のもと本州でとれるようなコシヒカリなどの良食味のお米が育たず、寒さに強く収量が多いお米が作られてきた。しかし美味しいお米を作りたいという思いは脈々と受け継がれ、戦後の食料不足に対する需要に応えながら、収穫量の増加と共に食味向上の課題にも取り組み始めた。その成果の一つが平成元年にデビューした『きらら397』で、それまでの北海道米のイメージを変えるものとなった。そしてついに平成21年、それまで抱いてきた“美味しいお米を作りたい”という長年の念願を叶えるブランド米として、ゆめぴりかを市場に投入。大きな反響を呼び、生産者の自信とプライドになった。現在は“北海道米の新たなブランド形成協議会” を中心に、道南地区、後志地区、日胆地区、石狩地区、空知地区、留萌地区、上川地区で7協議会を立ち上げ生産が行われている。

 ゆめぴりかの特徴はアミロースとタンパク質の含有量が低いということ。北海道米のそれまでの弱点を補うものであり、強い粘り気を持ち、冷めても美味しく、軟らかくて、炊き上がりに艶がある。都府県でそれまで美味しいとされてきたお米の特質を持つものであり、好感を持って市場に受け入れられた。平成26年からはタレントのマツコ・デラックスさんをCMに起用。プロモーション活動を強化し、高い認知度を得るようになった。

 そのゆめぴりかの生産に後志地区で力を入れているのが蘭越町。周囲をニセコ連峰等の山岳に囲まれた盆地にあり、町の中央には道南最大の河川、尻別川が貫流。一級河川の水質調査で何度も日本一となっている清流でその流域に広がる平坦地は、肥沃で水田の耕作に適し、ここで生産される『らんこし米』は良質美味として知られている。また同町では米所として、全国規模のお米コンテストを生産者が主体となって開催している。“米-1グランプリinらんこし”と銘打ち、昨年、第7回の大会が開催された。この地に全国から323品が出品され、決勝大会には28名の生産者が蘭越町に集結。日本一美味しいグランプリ米を競い合った。そんなお米づくりに力を入れる蘭越町でゆめぴりかの生産に取り組む、川崎隆行さん(68歳)と同町を管轄するJAようてい で第1ブロック営農推進センター(蘭越地区担当)のセンター長兼地区リーダーを務める土橋健一調査役に話を伺った。川崎さんはお米を中心に経営面積は7haほどで、安全・安心に注力した特別栽培米や無農薬栽培米を手がけ、アイガモ農法にも携わっている。またJAようてい の水稲生産組合長であり、ゆめぴりかの後志地区協議会会長でもある。

 ゆめぴりかの栽培において気をつけていることは、「タンパク質の含有量を低く抑えるということです」と川崎さん。ゆめぴりかとして認証マークをもらうためにはタンパク質含有量が7.4%以下でなければならない。「その数値が収入の差にもなっていきます。後志地区は低タンパクのお米が収穫できる土壌で、高品質米の生産には向いています」。しかしだからと言って、ゆめぴりかばかりを作るわけにはいかない。ゆめぴりかは収益性が高く「それまでの品種より1000円以上高く取引される」ので、生産者にとっては作りたいお米になるが、実需者からすれば業務用のお米も必要であり、「そこのバランスが大切。求められるものを供給していかなければ、お客さんが離れてしまうし、一旦離れてしまうと呼び戻すのは難しい」。実需者に信頼され、頼りにされる産地として、全体の需要を考えた調整も必要になる。そこに農協が戦略をもって大きな役割を果たしている。


日本一の米所を目指して

 北海道は広大な大地を活かした大規模な米の栽培が行われているが、寒冷な気候のため、元々亜熱帯原産の稲にとっては恵まれた環境とは言えず、「長い間、やっかい米、猫も食べない“猫またぎ米”などと言われてきましたが、美味しいお米と自信を持って言える所まで改良したゆめぴりかが出てきて、生産者の誇りにもなっています」とJAようてい の土橋さん。北海道の米づくりにおける大変な歴史を振り返れば、生産者がゆめぴりかに抱く思いは想像するよりずっと重いに違いない。その中で今北海道が目指しているのは日本一の米所。生産量においては既に新潟県と1、2位を争うところまできており、今後力を入れていくのは質の向上ということになる。「ゆめぴりかが魚沼産のコシヒカリのようになれば良いなと思います。それを目指したいですね」。そのためには更なるブランド力の向上が求められる。

 ゆめぴりかを作る全道7地区では、 “ゆめぴりかコンテスト”が開かれている。厳しい地区予選を勝ち抜いたものによるコンテストで、その年、最高品質のゆめぴりかを作った生産地が決定される。蘭越町では2年連続地区代表になったが、昨年は惜しくも選に漏れた。「全体のレベルが上がってきていて、どこの産地も本当に僅差です」。米所の蘭越町としては優勝の称号は欲しいところ。互いに競い合うことで実力の向上が図られている。

 「話題になったとは言え、ブランド力はまだまだこれからです」。消費者の支持を得るブランドとなるためにしなければならない取り組みは多く、例えばゆめぴりかを名乗っていても、栽培方法によってはタンパク質が7.4%を超えてしまうものもあり、それも同じゆめぴりかとして販売していたのでは、消費者の期待を裏切ることになる。それを防ぐため認証マークを発行している。基準を満たしているゆめぴりかを保証するもので、高い水準でブランドを守ることに繋がる。また濫造により粗悪品が出回ることを防ぐため、ブランド価値を維持するため、現在の栽培面積の上限が1万9000haに設定されている。「他の品種とのバランスもあり、この中で如何に基準品を多く作っていくかが課題になります」。生産者がまとまりを持って高い品質の生産を続けていくことでブランド力が守られていく。


栽培基準を統一してブランド強化

 お米のブランド化では、一つに新しい品種をブランド化するという方向があり、また一つには地域で生産されるお米をブランド化するという方向がある。蘭越町ではその両方を行っており、ゆめぴりかだけではなく、らんこし米として地域で作られるお米を、低タンパクのお米を育む土壌など、恵まれた自然環境の中、昔から美味しいお米が作られてきた産地としてブランド化している。その取り組みの一つが、米-1グランプリなど。1回目と7回目には地域の生産者が優勝するなど、美味しいお米の産地としてのイメージを形あるものにし、認知度を高めている。「蘭越町の生産者は量を取るという考えではなく、良いものを作るということに注力しています。自由競争になれば量より質だということになります」と土橋さん。これからのお米づくりの一つのあり方を示している。また高い品質のお米を作る方法としては「昔のようにカンで作るという時代は終わっていて、畑ごとの違いを認識し、土壌分析をしっかりやり、それに応じた施肥を行っています。それが省力化・低コストにも繋がります」と川崎さん。客観的なデータに基づく農業が質を高めることにもなっている。それは個人にとどまらず、町全体でも言える。「どの生産者のお米も美味しいお米になることが産地としては必要」。全体レベルの向上が必要であり、「基本的なことをしっかりとやっていかなければなりません」。そのために客観的な基準となる栽培のガイドラインの策定を進めている。品質を優先する目標収量や肥料の種類・施用方法、タンパク含有率の目標数値などを定めるものとなる。一定の基準を満たしたものは、認証されたシールが貼られ、品質が保証される。消費者の期待を裏切らないということであり、選ばれる大きな力となりそうだ。

 ブランド米の乱立という状況を踏まえ、もう一歩踏み込んで考えてみると、幾つもあるブランドの中で選ばれるためには他者と“差”をつけることが求められてくる。その方法を垂直方向と水平方向で考えてみると、垂直方向では今以上の品質の実現を試みるということで、お米の場合は更なる味の追求ということになるだろうか。ただ、ある程度のレベルより先に進むのは非常に難しく、ある種の限界もある。そこで“差”をつけるための別の方法として、水平方向を考えた場合、期待の多様性に目を向けるということもある。消費者の期待に対する感受性を上げるということ。消費者の期待は単純なものではなく、ただ美味しければ良いというわけでもない。安全・安心への配慮や、作っている人や場所を知りたいというものもあるし、支持できる作り方かどうかということもある。また時間と共に変わっていく指向や価値もあり、それに沿っていくことも必要となる。

 そういう一つ一つに応えていく営みは生活のパートナーとして消費者の信用を得ることに繋がっていくのではないだろうか。信用は消費者の選択コストを低減させる。比較検討の労力、宣伝文句の検証、投資に見合う効果が得られるかどうかの不安など。コスト低減は利潤を高めることであり、そこに消費者の選択を得る鍵がある。

 さらに信用は“思いを共有”しているということであり、“共感”するということだ。ブランド力の強さはその関係性にあるとも言えるかもしれない。独善的なものは期待を上回る面白さがあってもどこかで乖離する。消費者の言うがままでは多分飽きられる。一体となって“思いを共有”し、“共感”することは非常に強固な繋がりだ。日本一に至る一つの道ではないだろうか。



飼料用米の活かし方

稲SGS生産で地域農業を活性化                                                                  取材先:岡山県 JAびほく(北房総合センター)   

  いよいよ来年産の米から生産調整が廃止される。日本の水田農業において新時代の幕開けとなるが、それが吉と出るか凶と出るかは取り組み次第。畜産農業においても、多少の変動はあるものの配合飼料価格は高止まりしたままで、生産コストの削減が喫緊の課題となっている。その状況下、水田で飼料用米を生産する農家に対し、平成29年度で最大10a当たり10万5000円の水田活用の直接支払交付金が支払われ、地域によっては上乗せもある。こうした制度を活用しながら、飼料用米生産で地域の活力を維持し、農地を守ろうとする動きが広がっている。“すべては農家のために”と、農協が核となり耕種農家と畜産農家を繋ぐ岡山県真庭市の北房地区を訪ね、地域農業のあるべき姿を追った。



 

 
▲収穫▲肥育豚に給餌▲稲SGS

 

中国・四国地方初の稲SGS生産

 岡山県の中西部、吉備高原のほぼ中央に位置し、南北に高梁川が流れる豊かな大地で、昼夜の寒暖差を活かした果樹作や稲作、畜産が盛んに行われている。この地域を管内とするJAびほく(本店:岡山県高梁市)では、耕作放棄地の解消と水田の利活用を目的に、中四国農政局管内では初めてとなる稲子実発酵飼料(稲ソフトグレインサイレージ:以下、稲SGS)生産の取り組みを平成26年度に開始した。

 稲SGSとは、コンバインで刈り取った籾米を破砕して籾に傷をつけ、フレコン内のビニール袋に貯蔵して乳酸発酵させたもので、豚や牛に一定量与えることにより、抗酸化作用のあるオレイン酸の脂肪中含量が増加し、肉の旨味が増すとされている。また、稲SGSは、国の交付金対象となっている飼料用米を原料とするため、現状、配合飼料よりは低価格で手に入るケースが多く、畜産農家にとっては飼料費を低く抑えられるメリットがある。一方、主食用米を生産する耕種農家にとっては、これまで同様、何ら変わらない作業で飼料用米が生産でき、新たに機械を導入するコストも乾燥調製にかかる費用も要らない。そのため、生産調整の廃止を前に、先進地域の東北を中心に年々取り組みが拡大し、飼料用米の生産面積も着実に増えている。その中、JAびほくにおいても、山形県内の生産現場を視察。耕種農家、畜産農家双方にメリットがあるとして、まずは試験的な取り組みから開始した。その中心となったのが管内で唯一養豚業を営む新田善洋さん(54歳)で、稲SGSについては関係者から情報を得て知っていたが、まさか自分が取り組むとは思っていなかった。「飼料価格がかなり高騰しているので、もっと安く飼料が手に入らないか、米や小麦は肉質にいいわけだし、精米を直接安く買える方法はないかと農協さんに相談したところ、それなら実際に自分で作ってみないかと言われまして」。新田さんは、父と妻の3人で約900頭(うち約70頭は母豚)を育てている。その傍ら1.7haで水稲も栽培し、製造した稲SGSをその場ですぐに給餌できるという理由から白羽の矢が立った。

 初年度は新田さんの1.7haの圃場のうち約50aで生産した“あきたこまち”の籾を、園芸用のガーデンシュレッダーなどを利用して破砕し、粉末の乳酸菌と糖蜜を加えた井戸水で加水。その後脱気・密閉して発酵させたものを肥育豚に与えた。これなら何とかできそうだということになり、翌年度にはJAびほくの北房総合センター(真庭市)と川面育苗センター(高梁市)にそれぞれ1台ずつ稲SGS製造用の機械を設置し、65戸の農家(約26ha)による飼料用米の生産を本格化した。そのうちの一戸、農事組合法人ひら田営農(組合員数33名)代表の三浦明さん(67歳)は、「稲SGSの話が出てきたのは、ちょうど一人暮らしの高齢者が『もう米づくりはようせん』と言うから、それなら組合でやってあげようとしていた矢先のこと」と当時を振り返る。その頃の米価は約1万2000円。「赤字になってまではできませんから。その点、交付金の額は決まっていますし、そっちにポンと切り替え、一気にシフトしました」。現在は、集積している農地約1.6haで飼料用米を生産する。JA全体の今年度の取り組み面積は約80ha。管内118戸の農家が参加し、三浦さん、新田さんの圃場がある北房地区では、現在77戸の農家が飼料用米(中生新千本)の栽培に取り組んでいる。


稲SGSのメリット

 岡山県の場合、飼料用米として中生新千本を選択すれば、水田活用の直接支払交付金のうち戦略作物助成として8万円/10aを得られるほか、産地交付金として1万2000円が上乗せされる。県が多収性専用品種として中生新千本を特認しているためで、JAびほくでは農家の収益を少しでも上げるため、平成28年度から作付品種を中生新千本に一本化した。一番の理由は取り組みやすさ。かつては普通に主食用として農家で作られていた経緯があり、「作り慣れた品種」と、JAびほく北房総合センター営農生産課長の本多秀孝さんは言う。

 実際に交配する可能性はないにしても、隣が主食用の田んぼでは心情的に飼料用米はつくりにくい。本来は主食用の中生新千本は、その面では気兼ねなく作付が行え、種子も十分に流通している。早生品種と比べ収量も多く、飼料用米の条件を兼ね備えていた。品種特性としては、作付期間が若干長く、収穫は例年10月に入ってから行われる。10月に刈り取られた籾米は、直接ライスセンターに持ち込まれ、11月中旬に破砕される。JAびほくでは、ライスセンターの利用料として玄米60㎏当たり2200~2300円かかるというが、それがごっそりなくなり、「かなり助かりますよ」と新田さん。「この辺りではコシヒカリやあきたこまちで反収は8俵ぐらい。金額だけ見たら中生新千本の方が得と計算して、自分たちが食べる分だけ残して、あとは全部稲SGS用に切り替えた農家さんもおられると聞いたことがあります」。それだけ、稲SGSの取り組みは農家の目に魅力的に映っている。その一方で、「交付金が出るからといって、後の人たちが喜んでどんどんやってくれるかというと、そんな金額じゃない。農地が守れるというだけのこと」と三浦さんは冷静な見方をする。

 畜産農家としては、飼料コストの削減、肉質の向上に加え、地域のお米を使うため、地産地消をPRできるところも差別化を図るうえで大きなメリットとなっている。配合飼料価格は、とうもろこしの輸入価格などに左右され、多少の変動はあっても、近年は60円/㎏以上で推移し、畜産農家の経営を圧迫する要因の一つとなっている。栄養価の問題もあり、稲SGSだけを投与するわけにはいかないが、新田さんの養豚場では、出荷の約2ヵ月前から肥育豚に約20%の割合で稲SGSを配合し、フレコン1袋(約500㎏)を2日半で消費する。そのため税抜16円/㎏で畜産農家に販売されるJAびほく製造の稲SGSは「価格的に魅力」で、絶対に値上げしないよう切に願っている。農協もまた、誰のための取り組みかというと、“すべては農家のために”との思いがあり、「この先も値を上げるつもりはない」と明言する。

 その他、乳酸発酵のため、独特の甘酸っぱい香りが食欲をそそり嗜好性が良いなど、稲SGSそのものには挙げれば複数のメリットがあるが、本格的に製造を始めて3年目。年々改良されてきているものの、まだまだ品質向上の余地がある。特に加水の量やタイミングは手探りの状態で、水分量が多いと給餌器の中で餌が滞り、うまく給餌できないことから、「仕上がりを見てその都度全体の水分バランスを整えています」と新田さんは言う。「作った段階でおそらく大丈夫だと思っていても、実際に使ってみると、フレコン上部が良くても、下の方の水分が多かったりしますから」。JAびほくで現在、籾の破砕に使用している機械は北川鉄工所の“ミルクル”で、本来は籾殻をすりつぶす機械。本機を含め、すべて稲SGS専用に整えられた製造ラインでない分、これからも試行錯誤の調整が続く。


稲SGSで描く地域農業の未来

 今回訪れた北房地区は、中山間地に該当し、水稲をメインに酪農も盛んな地域。そのため、今行っている稲SGSの取り組みは、将来の地域農業のビジョンにも繋がっている。北房総合センターで製造された稲SGSは、新田さんの養豚場のほか、周辺の肥育牛農家でも利用されている。昨年の実績でフレコン(500㎏)600袋。今年はさらに増える見込みで、地域の飼料自給率を向上させるためにも、取り組みに参加する農家を増やし、農協と耕種農家、畜産農家が連携して、ゆくゆくは地域の米を食べて育ったおいしい肉や牛乳と銘打って差別化・ブランド化を図り、農業振興の道筋をつけたいと考えている。

 新田さんに限って言うならば、年内もしくは年明けには“米ブレッとん”の名で商標登録される予定。「朝から晩まで休みなしでつらいけど、『やっぱり新田さんの豚はおいしいな』と言われるとうれしい」。そのうえで、「業者さんが『びほくの米で大きくなった豚だからおいしいんだな』と、納得して少しでも高く買ってくれることが原動力になっています」。外国産の安い肉に対抗するためには、何らかの付加価値が必要で、この地域についてはそれが“びほく産の米=稲SGS”になっている。一方、三浦さんは、中山間地にあって農道が広いなど比較的恵まれた圃場条件を活かし、近隣の牧場と耕畜連携を行っている。「あっちは藁がいるし、こっちは堆肥がいる。今は耕畜連携の交付金も出るから、主食用はタダで堆肥を散布してもらっていますが、飼料用の分は交付金の約半分を牧場に支払っています」。片方だけが良い思いをするのではなく、“相手の助けに少しでもなれば”という、思いやりの精神が地域の絆を深めている。

 そのうえで二人が地域の課題に挙げたのは高齢化。三浦さんは、地域に11ある集落営農組織の法人化を進め、田んぼを集積して規模の拡大を図り効率化を進めることで、将来的に農業人口が減っても対応できると考えている。新田さんも、高齢になっても何らかのフォローがあれば農業は続けられるとして、農協の役割に期待する。農協としても、こうした声を踏まえつつ、まずは鉄コーティング種子を用いた栽培技術の確立や稲SGSの品質向上に努め、指針や指標を作るなどして、「農家にもっと『こういう形でやってみませんか』と提案をしていかなければならない」とする。

 岡山県は、独立心の高い“大将”が多い土地柄だと聞いた。その中で組織化を進め効率化を図るのは一筋縄ではいかないが、今回取材して感じたのは、耕種農家と畜産農家の距離が近いということ。その間をしっかりと農協が取り持ち、双方の声を大切に稲SGSの取り組みを進めてきた。その取り組みも交付金ありきで成り立っている面は否めないが、“畜産農家のために”、“耕種農家のために”と、互いに思い合い、顔の見える関係性が、これからも田んぼを守り、地域農業を維持・振興していくための原動力となっていく。


瑞穂の国の志と誇り
お米日本一の挑戦で地域を豊かに                                                                  取材先:鳥取県日野郡江府町   

  今より先に行くためにはどこかで必ず決断しなければならない。机の上を見てつくづく、クローゼットを見て、パソコンのデスクトップを見て、来し方を振り返っても、そう思う。片付けなければと。混沌の中で迷い、目当てのものに行き着かない。そのためには何を残し、何をしまうのか。選ばなければならない。日本農業も同じこと。今その時期が来ている。農業の衰退を食い止め、そこからさらに成長産業にするとして様々な改革が進められている。整理整頓、取捨選択、何を残すべきなのか。しかし改革の果てにたどり着くのが、ただただ効率的に食糧を生産するだけの仕事になるのならそこに私たちが本当に残したかった農業の姿はあるのだろうか。瑞穂の国の未来に残すべきものは何なのか。中山間地にある里山の農業にその姿を探す。



 

 
▲美しい棚田が広がる▲日本一のお米を目指す▲奥大山の豊かな水源

 

豊かな自然を使った町づくり

 鳥取県西部、日野郡の江府町は約3000人の町。中国地方最高峰である、標高1729mの大山を臨み、奥大山と呼ばれる南麓に広がる里山の町だ。町名にある“江”は河川を表し、“府”は中心を表す。日野川と大山を源とする3本の支流が交わる場所にあって、良質な水に恵まれ、1000戸中700戸が農家であり、豊かな自然の中で、農業を主とした暮らしが営まれている。

 ただ、ご多分に漏れず、実情は他の地域と似たり寄ったり。農業を継ぐ後継者が少なく、高齢化が進展している。町全体の高齢化率も県内有数。山陰地方の拠点都市である米子が車で30分の距離にあり、兼業で勤める人も少なくなく、また子供の進学や就職、結婚を機に町を去る人間もいる。町内に高校も大きな病院もなく、買い物はコンビニ1軒、商店1軒。若者は少なく、冬場の積雪は山手で3mにもなる。40集落を維持しているが、1軒しか人の住んでいない集落もあり、消滅の危機を実際の問題として抱えている。その中で「3000人の楽しい町づくりを掲げています」と現状を教えてくれたのは、江府町役場農林産業課の末次義晃課長補佐(50歳)。同町でブランド米に取り組む奥大山プレミアム特別栽培米研究会の遠藤功会長(65歳)と共に二人から話を聞いた。

 全国を見て過疎化は今に始まった話ではなく、高度経済成長が都市部に労働力を吸収していく中で、農村部の人口が減少し、自治体の存続が危ぶまれるような所が出てきた。それに伴って市町村の合併も進み、江府町でも近隣市町との合併協議が進行したこともあった。しかし吸収され中心が移ってしまうような合併ではどちらにしても廃れていく事に変わりはない。そこで、独自の道を歩む選択をする。自分たちの力で生き残っていく道を探る。そこでまず検討すべきは、町に何があるか。どんな資源が使えるのか。そこで出てくるのはやはり豊かな自然を活かすという事になる。

 まず一つは良質な水資源の活用だ。「標高1000mぐらいの所に西日本一と言われているブナの天然林があり、一本につき7tの保水力があると言われています。山に降った雨や雪解け水がそのブナ林に抱えられ、その後大山の地層でろ過され、20年ほどかけて磨かれ、再び地表に出てきます。その間にミネラル分が程よく溶け込み非常に美味しい水になります」。サントリーでは全国各地で天然水の取水地を探していたが、50ヵ所あった候補地から、ここを3番目の天然水の工場として定めた。町内には他にもミネラルウォーターや製氷の会社が操業を行っており、地域雇用の場を提供。水を活かした町づくりが行われている。

 また奥大山の豊かな自然を映し出したサントリーのTVCMは、この地の魅力を広く世間に知らせることになり、観光バスでその地を訪れるツアーなども催されている。観光資源としての魅力も増している。

 この豊かな自然は主産業である農業への利用も当然進められている。標高700mには畑地があり、「かつては夏大根の産地として西日本一の規模を誇っていました。昭和60年代のピーク時には売り上げが3億半ばを超えるほど」。しかし連作障害の発生や労働負荷の高さから、栽培をやめる農家が増え、耕作放棄地となっていった。その中、農業の主体を個人から法人へと移すことで再生が図られた。今では他業種から農業に参入した企業が国内最大級の規模を持つブルーベリーの観光農園を運営し、またコンビニで売られているおでん用の大根を生産する町外の生産法人が畑地を借りて大根栽培を行っている。その他、かつて大根を作っていた生産者が白ネギなどを栽培している。

 企業や生産法人による農地の有効利用という事になるが、これだけでは、町の活力として少し心許ない。工場誘致もそうだが、町の人々による主体的な取り組みとは少し違う。豊かな自然に町の人が主体的に関わって活力を生み出していく取り組みでなければ持続的な発展には結びつかない。そこで取り組んだのが自然環境をより前面に押し出したもので、江府町を環境王国とする事だ。

 環境王国とは優れた自然環境と農業のバランスが保たれ、安心・安全な農産物の生産に適した地域を認定する、民間団体による制度で、江府町は平成21年に全国で6番目、西日本では初の認定自治体となった。「これでうちの米はブランド化ができ高く売れると思っていたのですが、そういうものではなく認定を受けたことは始まりに過ぎませんでした」。これが大きな契機になった。


お米日本一への挑戦

 「入ってみて分かったのですが、環境王国に認定されている他の自治体はしっかりとしたブランド米を持っていました」。江府町は、鳥取県内では良いお米の産地として知られ、以前から特別栽培米にも取り組み、地元の日野川源流米コンテストなどに出品し米づくりには大きな自信を持っていた。そこで自分たちもブランド米をと、環境王国に認定されたことをきっかけに、全国規模のコンテストに出品することになった。「ライバルは魚沼ぐらいだと思っていました。始まる前から勝った気でいて、優勝したらどうしようかと言っていました」。しかし結果はまるで歯が立たない状態。「世間知らずの井の中の蛙でした」。それからしばらくは、出しても、出しても同じような結果が続き、平成25年に「このままやっていても同じこと。新しい作り方を誰かに習おう」と、篤農家として知られる山形県の遠藤五一氏に教えを請うた。同時に奥大山プレミアム特別栽培米研究会を設立し、役場、生産者、JA(JAとっとり西部)が連携した本気のブランド米づくりが始まった。研究会の設立当初は、「今更ブランド化してどうなるものか」と、批判的な農家もいたが、研究会の会員も年々増え、メンバーも20代の若手から80代のベテランまで揃い、耕作面積も拡大。品質も徐々に向上していった。栽培品種はコシヒカリをメインにして始まったが、近年の夏場の高温化もあり、その対策から暑さに強い品種の“きぬむすめ”を一部導入した。「最初は仕方無くという感じでした」。しかし、それが大きな転機になり、昨年出品した“お米日本一コンテストinしずおか”で 思わぬ結果を巻き起こした。

 きぬむすめは“キヌヒカリ”と“祭り晴”を交配して生まれた品種で、作りやすく温暖地向きでコシヒカリ並の良食味を持つが、「業務向けという位置づけがされていて」、肥料をたくさんやって収量を上げる作り方が一般的だった。しかし江府町では作り方をよく分っていなかったこともあって、「コシヒカリのように窒素分を抑えてミネラル分で栄養不足を補うという作り方」をし、それが品種の秘められたポテンシャルを表に引き出すことになり、余所の産地にはない、きぬむすめを誕生させることになった。

 お米日本一コンテストではまず、食味評価機器による測定が行われ、そこをパスしたものが専門家によるトーナメント方式の食味審査で徐々に絞られていく。鳥取県は、全国的には米所というイメージが無く江府町は無名の存在。しかも品種はきぬむすめ。トーナメントに残ったものの、会場内で期待する声は無かった。しかしいざ始まってみると、各地の有名な米づくり名人が出品した銘柄を次々に打ち破って勝ち上がっていく。その様に会場内がざわつき始める。「次は勝てないだろうという予想を裏切って、どこからか、また勝った・・・との声が漏れてきました」。出品した1点はベスト30、そしてもう1品が最高金賞のベスト6を獲得。研究会の歩みが大きく花開いた瞬間となった。ベスト30に入った生産者は、研究会最年少の20代。取り組みの継続性からも大きな意義を残した。日本一の米産地へ。大きな一歩となった。

 ただ、お米のブランド化はこれで完成するわけでは無い。生産者と共に、研究会の運営、広報を担当する役場、流通、販売を担当するJAが連携しながら、生み出した価値の認知を広め、流通させ、その価値に見合った価格で販売し再生産可能な農業を実現していかなければならない。そのための生産者以外の役割は決して軽くない。しかも近年は、各地で高価格帯を狙った新しいお米が誕生し、「ブランド米の過当競争が起きています」。少しでも気を抜くと置いていかれるような状態だ。如何に商品を売っていくのか、プロデュースする力も求められる。高い商品力を持つものを高価格帯で売っていくには、さらなる高付加価値化も必要かもしれない。商品の背後にあるストーリー、誰が、どんなところで、どんな方法で作っているのか、情報もまた大きな価値になる。江府町では栽培地をドローンで空撮し、動画をインターネットにアップしている。視聴回数も多くプロモーションの一つの方法となっている。消費者に高い期待を抱いてもらい、それに応え続けていくこと。その積み重ねが競争に勝てる強いブランドを形成していく。


農業を通じて町の営みに参加

 「お米づくりが傾いてくると、地域コミュニティーも段々と廃れていきます。お米を守ることが地域を守ることです」。それが基本のスタンス。ブランド米の取り組みは、単に経済的なメリットを追うというだけのものではなく、研究会のメンバーが各自の集落でリーダーシップを発揮する事を通じて、地域農業の活性化に繋がっていく。

 各地、農業者の高齢化が進展することで、如何に担い手を確保するかが大きな課題となり、大規模農家の育成や公社、集落営農の設立などが図られる。しかし、地域の農業生産を維持することと、地域住民の活力を維持することは全くの別物だ。遠藤会長は「高齢化のため人に頼んでやってもらっている人もいますが、内心はやっぱり、自分の手で育てて自分で収穫したいというのが本心ではないでしょうか。私は農業を楽しいと思っています。人に作ってもらうのでは無く自分で米作りをする。そういう地域の農業ができればなと思っています」と言う。決して簡単なことでは無いがそれを実現しようとすることが大切だ。

 研究会のメンバーが一意専心お米づくりに取り組む姿は、集落の人々にとって、大きな刺激となる。収益を上げ、楽しんでいる姿は、それを見た者に自分も頑張ろうと思ってもらう契機となり、農業の持続に繋がる。現に、コンテストでベスト30に入った20代の若手農家は、研究会の活動を見て刺激を受け、「是非自分も入って日本一のお米が作りたい」と言って参加した一人。また80代の会員は新品種となるきぬむすめの導入にあたって「これは良い米だけん、わしと一緒に作らいや。わしが教えちゃるけん」と周囲の農家に働きかけ、仲間を増やしている。

 それが地域の活性化に繋がる。大規模農業によって、少人数で大面積の経営が行えれば、生産コストを低減し、利益の確保に繋がり、儲かる農業ということになるが、それは地域の人々が農業から遠ざかるということでもある。それでは農業で結びついた地域コミュニティーが失われ、結局は地域活力が減退していくのではないだろうか。規模拡大が容易くない中山間地においてはなおのこと、自分たちで農業を続けるための方策を諦めずに探るべきだ。農業を続けることは、自分の住む地域の営みに参加することでもある。それはそこで生きることの確かな実感に繋がる。地域の人たちから農業を切り離すべきではない。

 江府町には無いものが沢山ある。ショッピングモールもアトラクション施設も噂のスイーツ店も無い。しかし、ここにしか無い、何ものにも代え難い価値がしっかりと存在する。良質な水、美味しい食べ物、親密な人間関係、豊かな自然、日本一を目指す米づくり。生きる上で必要な、食べること、住むこと、働くことの基本的な部分が豊かだともいえる。それは喜びや健康、平安をもたらす。都会ではお金を出して買わなければならないものも多い。また江尾十七夜と呼ばれる500年続くお祭りもある。8月17日に行われる盆踊りで、その日は1万5000人もの見物客で賑わう。それらの価値は何か別のもので代替できるまがい物ではない。しっかりとした実感を伴うそこにしかない本物だ。それを甘受できるのは上質な暮らしだと言えるのではないだろうか。

 「顔を上げるとそこに大山があります。毎日見ているのに、気持ちが良くなり、元気がもらえます」。そう語る遠藤さんの表情にはここで暮らす喜びが感じられた。奥大山にある農業はそういうものを守る農業に違いない。大山の麓にある瑞穂の町の日本一を目指す志もそこに繋がる。今後の課題は他の環境王国との連携、こだわりのおにぎり開発などの6次産業化、奥大山ブランドのメジャー化など。それらを通じて持続性のある町づくりが図られる。たどり着く所が、町に住む一人ひとりが充実した暮らしを実感でき、住むことに誇りが持てる場所であることを願う


施設園芸で農業をコントロールする
一歩一歩前に進む農業で少しずつ“良くなる”                                                              取材先:宮城県東松島市 ㈱イグナルファーム   

  できることなら自分に関係する物事はコントロールしたいと思う。思わぬ出来事は幸運をもたらすこともあるけれど、年齢を重ねるごと、悲しいかな喜びよりダメージのほうが多いように思う。だから何とか日々の事々を掌握したいと思うが、なかなかどうして、人生の主人公は自分であっても運命を司るものは別にいるようで、思うようにはいかない。農業の営みも同じことで、順調に育った作物も時に荒天に痛めつけられ、市場価格に翻弄され、あるいは農政の方向転換に飲み込まれたりもする。できることならコントロールしたい。少しでも自らの意思の下に。そんな願いが施設園芸の根底にもうかがえる。より良い農業を営むために。施設園芸にそのヒントを探る。



 

 
▲立派な施設が立ち並ぶ▲契約で販売されるトマト▲キュウリの選別

 

もう一度農業で立ち上がる

 宮城県東松島市にあるのが㈱イグナルファーム。2011年の東日本大震災の年に設立され、今6年目のまだ若い農業法人だが、大きな困難を乗り越えてきたわけで、その内には、倒れても立ち上がり前を向いてあゆみを進める実直な強さがある。手がける作物は施設園芸を中心にイチゴ1.4ha、キュウリ0.8ha、ミディトマト0.5ha、これに加えて長ネギを露地で2.2ha。これを役員5名、社員8名、パート従業員42名で手がける。社長を務めるのは、阿部聡さん(39歳)。「本当に何にも無い所から始めました。マイナスからです」。大きな自然の脅威にさらされ、容赦のない仕打ちに翻弄されたわけだが、今では、地域で大きな存在感を発揮するまでになっている。

 このあゆみの原動力となってきたのが、震災復興という思いだ。「地域のためになりたいということで仕事を始めました」。社名となったイグナルは、この地の方言で“良くなる”ということを表している。関係する人々と共に、良くなっていくことを会社の願いとしている。

 2011年3月11日に起こった大地震は東北沿岸部の広範な地域に深刻なダメージをもたらし、その被害額は9兆円を超える。農業関連の被害も深刻で、用排水路、農道、倉庫、カントリーエレベーター、トラクタなどの損壊、農作物などの流失、農地の浸水など5500億円ほどにも及び、東松島市も甚大な被害があった。この地には航空自衛隊の松島基地があり、航空アクロバットを披露するブルーインパルスが所属していることでも知られているが、震災当時は、戦闘機が流されるなどの映像が流れ、津波の凄まじさをまざまざと見せつけた。

 「震災の時は、今のこの場所よりも少し海岸沿いの所で農業をやっていましたので、全て流されてしまいました」。沿岸部の農地は、塩水をかぶり、その上を瓦礫が覆う。もはや農地とは呼べない状況となっていた。

 それでも「震災前からずっと農業をやってきて、やっぱり農業で立ち上がるしかない」。阿部さんは高校卒業後しばらく農業とは違う仕事をしていたが、数年後、家業の仕事を手伝うようになり施設園芸で野菜の生産を行っていた。その頃から家族経営の農業に限界を感じ、ゆくゆくは法人化をしなければならないというのが頭にあり、その思いを実現するあゆみと重なった。東松島市を離れるという気持ちは全くなく、「何としてもここでもう一度」。未曾有の状況に対して、逆境をバネにするようにして立ち上がった。被災することで、悲しみや怒りに捕らわれ、あるいは、希望や意欲の喪失などに陥る人も少なくない。突如身に降りかかる理不尽な出来事に、これまでの世界が一変する。そうなるとそれまでの人生が分断されることとなる。「直後は、ただ呆然としていました」。それを再び前に進めるための一つの力が、この地で農業を再開するという思いだったのかもしれない。

 志を同じくする仲間と共に、農業を再開するための土地探しが始まった。「比較的被害の少ない場所で、基盤整備も済んでいる所」。土地取得後の負担が少ない場所を、あちらこちらに探してようやく今の場所に辿り着いた。震災の年の10月に土地の目処が付き、それから本格的に動いて12月26日に会社が設立された。「おそらく、一人なら、やっていませんでした」。被災した若手農家4人が役員となって「人、農業、地域、会社に関わる全てが良くなるように」と願いを込めた農園がスタートした。

 それぞれの役員にはそれまで携わってきた農業の専門分野があり、イチゴ、キュウリ、トマト、長ネギと作物毎に担当を決め、部署毎に生産から販売まで担っている。「各部署がライバルです。収量や売上などを競い合って、高め合っています」。それが農園の活力に繋がっている。


企業との契約で安定した経営

 イグナルファームの大きな特徴の一つが、企業との契約取引だ。イオン、ローソン、セブン&アイ、コストコなど大手量販店に農産物を出荷している。他にも原材料としてお弁当の付け合わせやキュウリならサンドイッチや冷やし麺の具材として、食品製造業者と直接取引を行い、加えてイチゴは自社運営の直売所でも、1割弱ほどの販売を行っている。

 企業取引をメインにすることで「市場に左右されずに収量さえ上げれば収入に繋がります」。それが安定した経営を実現することになっている。

またトマトなどは面倒なパック詰めをせずに、等級も分けず、そのまま段ボールに詰めて出荷することができ、労力の削減となる。「売り場ではバラで置いて量り売りしています。用途に合わせたサイズを自由に選んで買って頂いている」。

 企業との契約販売は安定した価格などメリットは多い。しかし一方で、当然企業として求めてくる事もあり、その一つが安定出荷だ。ただ、生産は自然環境と直面し、どうしても「収量は多い時と少ない時があって、波ができます」。それは仕方のないことで、その上でどのような対応をしていくかが問われる。収穫して初めて出荷量が分かるというのではなく、「事前に収穫量の見通しなどをしっかりと立て、先方と打ち合わせしておきます」。その見通しに合った収穫実績を積み重ねることで信頼が生まれていく。

 それでも、「天候の急変などで予測が外れることもある」。それが農業とも言えるが、そこに挑戦する余地もあって、「今イチゴでは、富士通さんなどと一緒になってICTの導入に取り組み、ハウスの環境制御などを行っています。栽培データをとって、次回の改善策を検討し、収量に結びつくようなことをしています。それにより初年度に比べ、若干ですが、少しずつ収量が良くなっています」。生産技術の向上が図られている。

 また企業との取引は契約に基づいて行われるが、それは永遠の取引を約束するものではない。それぞれの思惑の中で取引の見直し等もあり、継続されないこともある。もしそうなれば市場出荷に比べて収益変動のリスクは大きく、経営を安定させるための対策が求められる。イグナルファームでは1品種のみを出荷するのではなく、複数の作物で取引を行うことで、「企業とのパイプを太くし、関係を継続できるようにしています」。お互いが必要とする関係を構築することが経営リスクの回避に繋がる。

 また契約を継続していくためには、消費者の購入に繋がる作物を供給していく必要がある。その中で高級なブランド品を生産するのではなく、日々の暮らしの中で消費し満足してもらえる作物の生産に注力している。「日常の生活の中で選んでもらえるものを作っていければ良いなと思っています」。付加価値をつけブランド化するというのは一つの流れではあるけれど、消費者に選択してもらうためには、競合品に打ち勝つ商品力、飽きられない工夫が必要となる。しかしそれに傾けるエネルギーが続かず消えてしまうブランド品も少なくない。普段の食卓に並ぶ質の高い野菜を作る。それが長く続けていくためのイグナルファームの選択だ。

 その質の高い農産物を作ろうとする中でグローバルGAPの取得も行われた。「取得するのは大変です。お金もかかります。トイレを洋式に変え、シャワールームを設置し、手洗い場を整備するなど、施設の改修も行っていかなければいけません。そして毎年の更新でも費用がかかります」。しかしそれだけの価値がある。質の高い安全・安心な農産物を生産しているという、国際基準のお墨付きであり、それが取引単価に反映し、また、価格交渉力のプラスとなる。さらにコストコなど外資系の取引先を増やすことにも繋がっている。生産の基礎部分をしっかり固めることが、経営の強さとなっている。


農業をコントロールする

 グローバルGAPを取得するということは、生産工程を明確化するということであり、それぞれの生産者が持っていた技量、経験を見える化し、共有することが可能となる。イグナルファームの社員は20代で、ほとんどが非農家出身。若い社員の育成に役立てることができる。生産をしっかりコントロールするということが農業を持続していく上で大きな力となる。

 今、日本農業が大きな岐路に立っているが、それは従来の農業が行き詰まっているということであり、一つには、取り巻く環境を余りにも受け身的に捉えてきたということではないだろうか。伝統的に自然環境に対してはそれを受容していかざるをえないが、農政に関しても、販売に関しても、ただ状況に従うだけで、自らの意志を積極的に反映させるということをやってこなかった。そういう反省に立てば農業をコントロールするという考えに一抹の光が見える。イグナルファームの取り組みもそんな一つと感じた。施設園芸は元々自然をコントロールしたいという願望が根底にあり、大きな自然の脅威に曝された経験を持ちながら、それに真摯に取り組む姿は地に足の付いた強さがうかがえる。また企業との取引は、販売価格を安定させ、経営をコントロールしていこうとする意志を感じる。様々なものに翻弄される農業を自らの制御下に置こうとすること。これが農業を次代に繋いでいく、確かな一つの方法だと感じた。

 イグナルファームの目下の課題は、旺盛な需要に対してどう応えていくかということ。「今は取引先の拡大を断っている状況です。生産の方が追いつきません」。それに対する一つの対応策は「規模拡大です」。それに加えて進めているのが思いを同じくする農業者のグループ化。「イグナルファームを独立した社員たちなどと手を組み、協力していくことでキャパシティーを超える部分を賄っていきたい」。新しい仕組みを作ることで、取り巻く環境に対応していく姿勢に農業のこれからの形を感じることができた。

 状況をコントロールしようとすることは、運を天にまかせず、幸運や恵みを過度に期待せず、自分の足で前に進むこと。経営においても人生においても、それが昨日より今日、今日より明日へと、一歩一歩良くなる方法だと思えた。そうやって紡がれる先に、日本農業の明日があればと思う。



繋がる農業の可能性
多様な展開で50年後も続く農業を実現する                                                              取材先:兵庫県淡路島 チューリップハウス農園 髙詰雅秀代表取締役社長   

 「人は一人では生きていけない」と言うけれど、大昔に比べれば随分その結びつきは弱まってきている。農村を見てもそうだ。社会の発達と共に、他者との関係が希薄になっても生きてはいけるようになった。ただそれではつまらないという感覚も一方ではある。他者との関係で煩わされることも少ないが、結びつきがもたらす面白さも少ない。より豊かな暮らしとは何か。それを求めて、地縁、血縁の結束が緩む中で、新しい繋がりが生まれようとしている。通信やモビリティの発達が世界を広げ、同じ思いを抱く人たちを繋いでいく。それが農業の持続にも大きな力となっていく。積極的に繋がっていく農業の可能性を探る


 

 
▲鮮度命の畑▲レストラン「夢蔵」▲古民家を改装した店内

 

“鮮度命”で積極的な展開

 兵庫県淡路島で、“50年後も続く農業”を見据え、日々模索と実践を行っているのが農業生産法人株式会社チューリップハウス農園。その持続力の鍵となるのが、個の力を越えていく様々な繋がりだ。段々畑が広がる中山間地を舞台に島内でも良質とされるお米と多品種の野菜を作る。それを会員に向けたセット野菜にして宅配し、加えて店舗を借りた対面販売や卸売業者への出荷を行う。また農園で採れた野菜を使った加工品、レストランも展開。「農業だけで経営を成り立たせるためにありとあらゆることをやっています」と語るのは同社の代表取締役社長髙詰雅秀さん(33歳)。厳しい現実に直面しながらも決して挫けることなく、もがきながらも前へ前へと歩み続ける。「農業、農園を通して世の中を良くしたい」。その高い意気が、踏み出す一歩に力を与える。錯綜する現実の中で、向かっていく先を示す。

 同社は付近にあった全寮制の学校が作った社内ベンチャーとして出発。そこのスタッフをしていたのが髙詰さんで、農業体験の担当であったことから、農園に関わることとなった。2010年に目の前にあった豊かな自然を活用する事業として、農業生産法人がスタート。今は学校もなくなり資本関係もなく、独立した農園となり、地域の地所を冠した小山田村農場として活動している。「最初は大変でした。元々農家ではないので、近所のおじいさんやおばあさんに作物の作り方を教えて貰うところから始めました」。当初の作物はお米、イチジク、タマネギ。現在は1.3haでお米を作り、1.7haで、タマネギを始めとした季節の野菜を栽培。会員に送る野菜セットを作る必要もあって、年間を通じて25種類以上、多いときで40種類にもなる多様な作物を手がけている。

 「最初農業をすると言ったときは、付近の農家さんはやめた方が良いと言いました」。近年の農業を取り巻く環境を考えればごく当たり前のアドバイスだったと想像できる。その中で、思うように農地も集まらず、結果、飛び地になってしまい、作業効率の悪い圃場状況となった。そこで取り組み始めたのが休耕地の開墾。「将来的には、近辺に耕作地を集めたいと思っています。そのために土地を開墾して集めています」。小山田村農場は、島の中央部にあって、山間では耕作放棄地も年々増えている。また誰も住まなくなった住居がすっぽり草木に覆われてしまっているような所もあちらこちらに見受けられるような状況だ。地元の人達とも「このままではまずいことになる。休耕地が増えていけばイノブタの住処にもなるし、良くはない」との認識の共有があり、協力し合って耕作放棄地の再生が始まった。農道にコンクリートを張るなどの共同作業も行い、周辺環境の整備にも繋がっている。

 農業を続けること。それが美しい農村を維持する事にもなっている。そこにある整った景観が、この8年間、この地で農業を続けてきたことの成果とも言えそうだ。今では周囲の信頼も得て、農地を預かって欲しいという話も増えている。再生した休耕地は1ha。これから整備される休耕地は1ha。作業の効率という面から、再生した休耕地の活用が進められている。

 現在スタッフは髙詰さんを入れて7人。平均年齢は30歳を切り、生産、加工、販売の各部門で得意とする力を発揮している。「生産には基本的に全員参加ですが、各部門で中心となるスタッフがいます」。髙詰さんの上役だとよく間違われる販売担当者、プロのデザインソフトで広報を担う者、加工部門では調理師免許を持つ者が3人。7人がそれぞれの特性を活かすことで、従来の農業にはなかった多様な展開を可能としている。

 まず、要となるのは農産物の生産で、これがなければ始まらない。中心となるのは「現場が好きです」と言う髙詰さん。生産する農産物は「慣行より農薬を少なくした特別栽培」。季節の野菜を中心に、ゼブラナスやハバネロ、UFOズッキーニなど個性的な野菜も手がける。しかし農業を本格的に始めて8年。篤農家や名人と呼ばれる人々には技術的に及ばない所もまだまだ多い。そこで「栽培で心掛けているのは鮮度です。土作りも進めて力をつけていくつもりですが、まずは鮮度が命です」。その中で取り組んだのがレタスの朝採りプロジェクト。「朝の2時から収穫を始めて4時半にトラックがやって来て積み込み、卸売市場へ出荷します。朝の10時には百貨店などの野菜売り場に商品が並ぶというものです」。従来の農産物流通でこのスピード感を出すのは難しいが、取り引きしている卸売業者と連携し、若さと実行力でこれを可能にした。農園から生み出される農産物の大きな魅力となっている。今後の課題は機械導入による省力化。移植機などの導入などを検討している。その中でよく使われる農機の一つにホンダの耕うん機サ・ラ・ダFF300がある。「正逆転ロータリーなので、堅い地面でも爪が土に噛み込んで安定して作業が出来る」と評価は高い。


繋がりが利益を生み出していく

 農園が目指す一つの形は「農業に携わる暮らしの中で、子供を産み育て、大学に行かせてあげられるぐらいの収入を得て、40、50年続けられる農業」。それができれば農業の未来は明るい。

 そのためには如何にして利益を上げていくかが肝になる。どうやって売っていくのかということ。その中で様々な繋がりが利益に結びついていく。野菜セットの宅配を可能にする会員との繋がりは大きな財産だし、卸売業者との関係も朝採りプロジェクトを実現するなど発展的な展開となっている。「卸売業者はタマネギで1社、その他の野菜では神戸と大阪でそれぞれ1社と取引させて頂いています。その中で卸売業者の系列スーパーには専用のコーナーがあってそこで販売してもらっています」。また神戸市の湊川にある“ハートフルみなとがわ”という小売店が集まったショッピングセンター内に「元八百屋だった店舗を借り、毎週水曜日と土曜日に農産物を販売しています」。この対面販売の割合が最近大きくなってきている。農園の農産物の良さである鮮度を活かすことができ、「リピートしてくれるお客様が付いていますし、最近では、野菜が並ぶ前から来てくれます」。農園直送、直売の評価は高いようだ。また、「自分たちの農産物や加工品に加えて、周囲の農家さんから集めた農産物や、地元の海産物なども売っています」。消費者と直接繋がる場を最大限活かしている。またこの場は単に物をやりとりするだけではなく、情報をやりとりする場にもなっている。どういうふうに作ったか、また食べてみてどうだったか、互いに思いを分かち合うことで繋がりが強化されていく。それが口コミの評判になって売上に貢献し、消費者のニーズをつかみ、何を作って売れば良いのかのヒントにもなる。「互いに顔が見える取引は緊張感があります」。期待に応えようとすることが成果となっていく。

 対面販売と共に力を入れているのが加工。農園で採れた野菜を練り込んだベーグルやワッフル、“島のオーガニック”として淡路島五色町を中心に立ち上げたブランドで商品化したカレーなどを展開している。また2014年にはレストラン“夢蔵”を事務所横にオープン。古民家を改装したもので、雰囲気のある店内を演出。そこで鮮度にこだわり、農園の野菜をふんだんに使った料理を提供する。シェフとして厨房に立つのは加工部門の一人で、フランスの三ツ星レストラン、ポールボキューズで修行した経験も持つ料理人。オープンは土日祝のみでランチがメイン。観光やグルメの雑誌にも紹介され観光バスが立ち寄ることもある。「お客さんのワクワクに応えられるものを出して、また来ていただきたい」。生身の人間にしっかり向き合うことで口コミも広がり、農園のファンと呼べる消費者が増え、人気は上々だ。


可能性を大切にし成長していく

 スタッフの個性を活かし、多様な展開を図り、「どうにかこの8年、やってこられました」。その営みは鮮度を重んじる生産を中心に据え、繋がるものを巻き込みながら上へ上へと上っていく渦巻きのようだ。「農園のファンを作って巻き込んでいければと思っています」。そのためには繋がりを強固にしておくことが大切だし、また繋がりから回転する向きを定めていかなければならない。無理な方向に回ったのではバラバラになってしまう。

 その上で力強く回転する力が必要で、その源は「農業、農園を通して、世の中を良くする」という意志であり、あとは何と言っても若さだ。「若者が農業をするメリットは、一つに、先を恐れずに挑戦できるということ。怖いもの知らずということでもあります。体力もありますし。もう一つが、今迄農業の世界が経験してこなかった新しいことを受け入れる柔軟性があるということだと思います」。それが大きな力になっている。髙詰さんは「農業が好きです。やめたくない」と言う。その声は強い。その単純な思いがすべての始まりにあるような気がした。

 大きな変革が求められている従来の農業は、同農園に比べて“繋がり”というものの度合いが低いように思える。生産物をただ作るだけでそこから先の繋がりが乏しい。そのため、新たな展開、可能性を見いだすことが難しくなってきている。繋がること。それは可能性を見いだすことだと思う。可能性とは、新しい考え方であり、価値であり、場所であり、市場であり、成長の源である。同農園の場合、会員さんとの繋がり、消費者との繋がり、取引関係との繋がり、スタッフ同士の繋がりの中にある。またスタッフ個々人においても、自らの可能性を伸ばす取り組みを行っている。「私は農業スクールの講師もしていますし、加工部門の者は大阪の製パン教室に通っています。農業は百姓と書くだけあっていろんな物を吸収することができる仕事ではないでしょうか。可能性を切り落とさないことが非常に大事だと思っています」。それが新たな成長を生み出すことになるし、人を惹きつける力にもなっていく。

 「農業はやり方によっては明るい展望が抱け、非常に可能性のある意義のある仕事です」。その中で若い農家が元気よく地域で活動できれば、農業を通して地域の活性化に貢献できる。それが「世の中を良くすること」に繋がる。そしてそうでなければ50年続く農業は実現できない。可能性を大切にしながら成長する農業に期待したい。それが日本の農業の未来に繋がっていくことを切に願う。


瑞穂の国の志と誇り
水田で作った白ネギを若さで売る
取材先:福井市高屋町 小西農園

  自分の仕事に誇りを持つ事は大切なことだ。それが仕事を通して人生を前進させる原動力となる。しかし世の移ろいで仕事の意義が変わり、それまで抱いていた誇りを失ってしまうこともある。そろばんの腕前は電卓の前に、街角の紙芝居はテレビに、酒屋はコンビニに。そして今やAIが新たな脅威へ。存在意義を問われるのは将棋や囲碁のプロだけじゃない。取りかえのきかない仕事をしていたという誇りがいともたやすく失われる。さて、農業の世界はどうだろうか。移りゆく時代の中で、農業が持つ“志と誇り”を守っていくことができるのか、その意義を保っていくことができるのか。その中にある譲れないものを探る

 

 
▲水田を利用したネギ畑▲冬の寒さがネギを美味しく▲ブランド化を進める

 

水田の白ネギで経営安定化
 生産調整も今年まで。来年から経営所得安定対策によって支給されてきた米の直接支払交付金7500円/10aが削減され、新しい枠組みの米づくりが始まる。その中で課題になるのは、水田稲作農家の収益力確保。助成金の廃止が農業離れのきっかけになるとも懸念され、農業を続けるための利益をどうやって上げていくのかが問われる。そこで大きな鍵になるのが水田の活用。飼料米などの新規需要米に注力しようとする動きもあるが、より収益性を強化できるものとして、水田を活用した野菜作に注目が集まる。
 福井では水田園芸面積拡大を振興しており、それに伴う園芸特産振興の重点品目として白ネギがある。昨年の作付けは福井県内で94ha、福井市内で14haの作付面積となり、その存在感をじわじわと高めている。その白ネギ栽培に福井市内で取り組んでいるのが小西農園。家族経営のスタイルだが、栽培面積は4haで、市内で栽培されているもののおよそ4分の1に当たりトップの規模。県内でも有数の栽培農家だ。その中で白ネギ作りを担っているのが後継者の小西大作(28歳)さん。弟の健治(27歳)さん、20歳になる研修生と共に若い力で白ネギ生産に汗を流す。水田で白ネギを作る魅力や課題、これからの展望を聞いた。
 小西農園の周辺は平地が広がり水田で米づくりが行われているが、地域では伝統的に「昔から水田で野菜を作ってきました。高齢化は進んでいますが、お年寄りでも農業に熱心で元気に働き、耕作放棄地はありません」。小西農園も長年水田で稲を作りながら野菜作に取り組む、地域の一般的な農家だった。その形に少し変化が見られるようになってきたのは大作さんが就農した頃から。「私が就農したのは平成23年、22歳の頃です」。若い力が加わり経営内容に変化が表れ始めた。就農当時の野菜作は、「ブロッコリやキャベツなどがメインでした」。高屋町は北陸の降雪地帯にあり、野菜作りでは本格的な雪の時期の作業を避け、春と秋に収穫できるものが取り入れられていたが、そうなると「冬に仕事がない」ということになり、専業農家の後継者としては物足りなくもある。また「ブロッコリやキャベツは、収穫適期を逃せば次の日に規格外ぐらいの大きさになってしまい、気が抜けません。それに旬の時期が重なりますので、集中して出荷され相場が下落するリスクもあり、博打みたいなところがありました」。そこで農協と相談し、白ネギと出会った。
 「冬場の仕事を作ろうということで始めました」。旬が短くて収穫時期が重なるということはなく、生産者の都合で収穫ができ、8月から5月まで出荷が可能。価格は多少の変動があるものの、時期を通してみれば安定している。「計画して休みが取れ、収益が相場頼みになることもなく1年を通して仕事がある」。農業を経営として見る上で魅力的な作物だ。また、産地化して連作を続けると病害虫が問題となるが、「水田を利用してローテーションをしていくので、連作障害も起こりにくい取り組みとなっています」。水田で野菜を作る大きなメリットがここにある。
 しかし、同時に排水という問題も抱えることになる。「白ネギも同じことです。水はけが良くなければ育ちません。水はけの良い場所を毎年選んで作付けしますが、加えてサブソイラを行い、暗渠、明渠で排水します」。またここには地の利もある。圃場の横には九頭竜川が流れ、もともと河原だったこともあり、水はけは悪くない。だからこそ、昔から水田で野菜を作る産地でもあった。平成25年から白ネギに取り組み始め、今年で5年目。規模も増やし経営に大きく貢献している。
 デメリットは仕事の労働負荷が高いということ。「力仕事で収穫までに時間がかかり、手間が多くほぼ毎日何かしています。また、夏場の草取りも大変です」。その中での栽培規模の拡大は、経営的戦略に基づくものであると同時に、若さのなせる技とも言えそうだ。白ネギの作付けは前年に稲が植えられていた場所へ3月後半から8月いっぱいまで行い、その間、白ネギの白い部分を作るために土上げを行う。「6~7回で、段々土を盛り上げていきます」。収穫は8月から開始。5月いっぱいまで、毎日のように出荷する。その合間、4haの水田でコシヒカリとハナエチゼンを作っている。重労働であり「白ネギに取り組んでみたものの止める人も結構います」。
 その中で大きな力になっているのが野菜作の機械だ。定植機、乗用管理機、ブームスプレーヤ、収穫機、調製作業機が一通り揃い、効率作業に貢献している。また機械力を活かすために栽培体系の方をそれに合わせている工程もある。畦間が1m40㎝と余裕のある幅に取られ、野菜管理用の小型乗用トラクターがそこに入り、土あげのための耕うんができるようにしている。反収は落ちるが作業効率が格段に上がる。また逆に機械を使わずあえて手作業に切り替えるところもある。「雪が降ると、手による収穫に切り替えます。昔は無理をして機械でやっていたのですが、足場が泥でグチョグチョになり、手でやった方がスピードは速い」。稲作用の機械と違い、野菜作用の機械はまだまだ改良していく余地が多くあるようだ。

“べっぴんねぶか”を全国へ
 この地の白ネギの魅力は「みずみずしく深い甘みがあること」。特に冬場のものは雪のため糖度が上がり、高い商品価値を持つ。現在小西農園で作られる白ネギは“べっぴんねぶか”と名付けられ、「自分たちで営業して直接販売できたら面白いだろうと思って、仲卸や東京などの飲食店、地元の生協などと直接取引をしています」。東京の商談会に参加したおり、積極的に農業に取り組む周囲の農業者に刺激を受け、パンフレットやTシャツ、のぼりなどを制作し、更なるブランド化を進め、飲食店などへの「直接取引を増やしていきたい」と、意欲的だ。ただ作るだけではなく、それをどのように、そして誰に販売するのか。主体的に農業に関わっていこうとする意識の高さがあった。それを支えているものの一つは若さだ。柔軟な頭で新しいやり方を積極的に取り入れ、従来あったものやライバルたちと競い合うことで自分たちの居場所を自分たちの手で切り拓こうとしている。「トップになりたい。勝ちたいです」。兄弟とも元高校球児。大作さんは甲子園のバッターボックスに立ったこともあり、自らを鍛え切磋琢磨するのは習いともいえそうだ。パンフレットには“一葱入魂”とあり、「べっぴんねぶかを福井から全国へ」と、意気は高い。
 しかし、子供の頃から農業者になりたかったわけではない。「農家になるなんて全く思ってもみませんでした。ほとんど手伝いもしなかった」。その気持ちに変化が起こったのは高校を卒業し製造業で4年ほど働いてから。「工場では交代制の仕事をしていて、自分の替わりは幾らでもいました。その仕事は自分でなければ駄目だという理由がない。そこで自分しかできないことは何だろうかと考え始めました」。その思いの先で、他の何かと取り替えのきかない仕事として選んだのが家業の農業だ。「私で20代目です」。高齢化が進む日本農業にあっては若いというだけで希少価値があり、替えの難しい存在とも言えるが、農業というのはそれだけではない。農業そのものに大きな価値がある。

命を育む喜びと面白さ
 農業は、工場で規格品を作るのとは違い個人の工夫の余地が大きい。小西さんは後継者として農業に主体的に関わり白ネギの生産者として地歩を固め、誰がやっても同じというような替えのきく存在ではなくなってきている。その背景には「農業は好きです。やりたいことが何でもできる。それに野菜を作るということはやっぱり面白い。生き物を育てるということは毎年同じようにはいきません。先の見えない天候とか様々なトラブルを乗り越えて工夫して作る。そういうのが楽しい。作業はきつくても収益は上がりますし、やり方次第では夢も持てる」と、仕事に対するやりがいがある。
 農業は命を育むことであり、千変万化な自然に対応する中で、その時々のありうべき理想の状態を求めていく行為だ。常に挑戦であり、創造的な仕事と言える。そこに喜びがあり、面白さがある。また食を生み出す仕事は、人の命をも育むということであり、人を助ける仕事が尊いのと同じように、これもまた尊い仕事だ。“命を育む”ことへの喜びとそれに携わる誇り。これが農業の魅力であり、やりがいを感じる源にあるように感じた。その上で思う。もしこれがなくなってしまったら農業とは一体どのようなものになってしまうのかを。それは多様な試みの先に可能性としてあり、その姿を正しく言い当てることは出来ないが、つまらないものになることは想像に難くない。農業は時代のうねりの中で、大きく変わろうとしているが、その大切なものをもなくしてしまっては、幾ら農業が残ったとしても形ばかりになってしまう。様々な改革が進められているが、その果てにどこに辿り着くのか。そのゴールへ大切な物が伴われているのか。切り捨てても構わない選択肢に分類されてはいないか。
 今消費者が求めているのは物質的な“物”だけではない。価格や品質、規格など、数字で表せるものの背後に目を向け、そこに価値を見い出そうとしている。農産物で言えば、その商品が誰によってどのように作られているのか、品物の背後にあるストーリーに関心が向けられる。それは単に履歴を知って安全を確認したいという以上のものだ。そこにあるのは農業という行為を追体験したいという気持ちではないだろうか。命を育む喜びと面白さを知り、創造に感動したい。それに応えることが取り替えのきかない仕事に繋がっていくと思える。全てを数字で表せるものだけになれば、誰が作っても良く、恐らく取替えは可能なのだから。
 小西さんの目標は家族経営から会社組織での農業へと切り替え規模を拡大し、売上を上げ「若者を雇用できる強い集団を作ること」。これからの農業者の一つの成功の形と言えそうだが、その背後には「農業が好きです」という真摯な思いがある。その中には、きっと様々な気持ちが込められているが、“命を育む喜び、面白さ” も感じることができる。“取り替えのきかない仕事をしたい”。この世界に一歩踏み出す始まりとなった思いであり、小西さんの譲れないものだと感じた。それを実現させるためにも農業の喜びや面白さを大切に守っていかなければならない。それを分かち合うことが消費者を掴むことになり、自分の居場所を作る力になる。それが日本の農業の未来に繋がっていくことを切に願う。

地域からのメッセージ

在来種かぶらのブランド化

取材先:福井県若狭町 山内かぶらちゃんの会

  “知る”ことは幸福なのか、それとも不幸なのか。確かに“知の悲しみ”というものはあって、知ってしまったがためにもう喜べなくなってしまうということはある。同じ事の繰り返しでは楽しめない。しかし、知識がその人の可能性を増やすのなら知ることは選択肢を増やし幸福をもたらすことになる。では向きを変えてみて“知られること”の禍福の別はどうなのか。私たちは関係性の中にこそ生きているとするのなら、他者に存在を認識してもらうことは衣食住を満たすのに等しい。繋がりを持つことは生きることそのものだ。そこにどんな可能性があるのか。幸せがあるのか。さて今回はこれを切り口に産地のあり方を考えてみたい。生産者から情報発信し、農産物あるいは生産者を知ってもらう。そこに地域農業の持続を考え、生産者にとっての幸せを探る。

 

 
▲在来種のかぶらを生産▲山内かぶら▲地域の絆を深める

 

在来種のかぶらをブランド化
 福井県南西部、若狭湾国定公園に面した若狭町には、山内かぶらという特産の白カブがある。古くからこの地に自生してきた在来種で、その味は“甘くて、辛くて、苦味もあって”と、かぶらが本来持っている味を色濃く反映し、野生の魅力に溢れている。その生産に携わっているのが地域の生産グループ“山内かぶらちゃんの会”だ。女性ばかりで、下は68歳、上は84歳の生産者12人で構成され、地域活性化の力になっている。代表の飛永悦子さんを中心に、合わせて8名の生産者に集まって頂き、山内かぶらの取り組みについて話を聞いた。
 若狭町は、日本海に面し、隣には古くから港町として栄えた小浜市があり、大陸への玄関口として発展してきた。小浜を起点として、京都、奈良などの都に物資が運ばれた鯖街道が町内を通り、盛んに人、物が行き来する交通の要衝にあった。その混交の地で育ってきたのが山内かぶらだ。
 この地には「かぶらラインと呼ばれる境界が通っています」。日本にはヨーロッパからモンゴルを経て伝わってきたヨーロッパ系のかぶらとアフガニスタン原産で、中国を経て日本に伝わったアジア系のかぶらがあり、「シェフによると、その2つを混合したような味がする」とのことで、独特の味を持つ在来種として旧鳥羽村の山内集落に定着し、江戸時代頃から種取りを続け、先代から嫁へと代々かぶらが守られてきた。
 表面にえくぼがあり、ひげ根が多く、葉は長くしっかりして、肉質は締まっていて煮崩れしにくく、風味が良いのが特長。「収穫時期になると畑からその独特の香りが漂ってきます」。またその香りは、害虫や害獣を寄せ付けない効果もあり「サルが囓りに来ても、すぐに止めてしまいます。苦手なんでしょうね」。また病気にも強く、この地に適応し、在来種となり、残り続けてきた。一般量販店で市販されているかぶらとは一線を画す野生的な魅力がある。
 しかし、時代が進み、市場には見た目の良い品種が出回るようになり、この地でもそれに取って替わられるようになった。「普通のかぶらは表面が綺麗で、つるっとしています。私たちのはそうではなく、スーパーなどではあまり扱わないような類のものです」。消費者が商品選択をする上で得られる情報において、外観品質の良し悪しは大きな比重を占めるわけで、その部分で劣るものが市場で残り続けることは容易なことではない。また、種苗会社で作られてきたかぶらと違い、種取りによって100年以上も性質を繋いできたわけで、今の作物に比べ、出荷の基準を満たす農産物の歩留まりが圧倒的に悪い。「みなさんにお売りできるようなものを、どんどん沢山作るということができません」。歩留まり良く画一的なものを大量に作るという、市場出荷には向いていなかった。そんなこともあり、山内かぶらは一時表舞台から姿を消す。
 そんな中でも伝統野菜を守っていこうとする動きがあり、若狭町役場からも「昔から守ってきた伝統野菜を、町の特産物にしていきませんか」という後押しもあって、平成23年に、山内かぶらちゃんの会として、生産グループが結成された。この地域は稲作がメインで行われており、「畑仕事は女の仕事」。その延長でメンバーは全て女性となった。初期のメンバーは6人。「80歳に近かったのですが、後継者に入ってもらおうと思って、70歳前の方、6人に入ってもらい、今12名で活動しています」。この世界60代ならまだ若手であり、会にとって大きな力となっている。ただ後から加わった人たちは即戦力というわけではなく、ベテランの先輩に比べて農業との関わり方が違っていた。兼業農家の奥さんという形で、家で米を作っていても本格的に農業に関わることがなかった人達だ。「今迄畑のことはしてこなかったので、全部一から教わって、かぶらも最初はうまくできませんでした」。上の世代から下の世代へ農業を伝えていく。単に伝統野菜を作るだけではなく、地域農業を伝える役割を会が担いながら女性目線のブランド化が図られた。


野生の魅力に溢れるかぶら
 「何も難しいことはありません」。山内かぶらを作る上での感想だ。畑は左右に山を見る、谷にあって、朝霧深く、かぶらの生育に適した気候風土を持ち、自然が生産を後押しする。また、病害虫や獣の害が少なく、農薬が無くてもすくすくと育ち、種としての強さを持っている。栽培はその力を借りるということだ。
 ただ、それを商品として育てる場合、それなりの苦労もある。一つは間引き作業。「種は1~2㎜と小さく、一箇所に幾つも落としていきますので、間引きをしていかなければなりません。その仕事が大変です」。またもう一つ手間のかかるものは収穫調製作業。収穫は11月~2月にかけて行われるが、この地域は積雪地帯。「1月ぐらいからは雪の中を掘り出して収穫しなければなりません」。一つ一つ手作業での作業となり、これが重労働となっている。その後の水洗いも機械を使わず手間がかかり、楽な作業ではない。そして在来種ならではの作業として、種取りがある。「収穫時に山内かぶららしいものを選び、種用に植え替えます。またその時、他の種と交配しないようにハウスの中で育て、純血を保ち、5月の終わりから6月に種をとります」。在来種であり続けることの苦労もあるようだ。そいう手間はありながらも、山内かぶらを語る生産者の顔には笑顔が絶えない。自分たちの集落でしかできない特産物への愛着を感じる。昨年の栽培面積は個人と共同畑合わせて約80aで、2tほど。決して大きな規模ではないが生産者にとってその存在は決して小さくはない。
 出荷先は地域の直売所2軒と、学校給食、レストラン、料亭など。「地域の直売所より、飲食店への出荷の方が多いですね。その次は給食での利用です」。在来種として独特の味を持ち、生産量が少なく希少価値となっているが、その需要は地域外のほうが高い。給食では保育所、小学校、中学校などで山内かぶらを使用して貰い、地元の味を子供に伝えることで、食育に貢献している。
 飲食店等への出荷では、福井市内のフランス料理店、東京他各地に店舗がある高級惣菜店、京都の料亭に山内かぶらを供給。「フランス料理に合うとか、料亭ではお漬物にすると日本一だと、言って頂いています」。野生の魅力を秘めた余所にない味がプロの高い評価となっている。その期待に応えるため、品質の確保は必須の条件となるが、加えて要望に応えるためには収量の拡大も必要になってくる。その辺りが今後の課題となる。
 また収穫が終わった2月以降でも、山内かぶらを届けるため、秀品以外のものを使った漬物や干物などの加工も行っている。ただ漬物にしても賞味期限はそれほど長くはなく、メンバーの中にいる元料理人を中心に更なる展開も検討されている。
 そんな中、平成28年9月にGIの認証を取得した。地域で育まれた伝統と特性を有する農産物について、その結びつきが特定できる地理的表示(GI)を知的財産として保護する『地理的表示法』に基づいて、登録されるもので、現在登録産品は夕張メロンや前沢牛など30あり、山内かぶらがその一つになっている。「町や県の人に教えて頂いて登録しました。書類を書くのが難しく、何度も出し直しました」。法律的な用語で記述する事が求められ、普段なじみのない作業に苦労も多かったようだ。しかし、登録により得られるメリットも少なくない。「GIが取れたことで、東京の高級総菜店との取引が始まりました」。需要者が取引を始めるための有力な判断材料になっている。また、対外的なものだけではなく「私たち自身がプライドを持てたということです。当初私たちはこの山内かぶらを格好の悪い変なかぶらとして、遠慮しながら売っていました。しかしGIの登録を得て、このかぶらを認めて頂き、堂々と胸を張って、ここにしかないものを作っているんだという気持ちになれました」。その価値を知って貰うこと。そして認められる事。それが生産者に喜びと勇気を与える。
 またその世界の広がりは、新たな販路が見つかるということだけではなく、他の地域の生産者を知ることにもなる。「GIの登録を得た産地が集まるフェアなどに参加しますと、余所は株式会社や農協主体など大きな所ばかりで、対して私たちは零細な規模でした」。その比較の中で、自分たちは自分たちの農業を守っていくという認識が生まれる。「余所がやっているようなインターネットで販売するとかもできないのですが、自分たちのやり方で細々でもしっかりと地域の農業を守っていきたい」。そんな言葉から強い気持ちが窺えた。それが生産グループの歩みを更に進め、利益追求を超えて広がっていく。


仕事が個人と社会を繋ぐ
 山内かぶらを作ることによって、様々な人々との関わりが生まれている。それは自家用の野菜を作っていただけでは、あるいは兼業農家の妻として農業に関わらず生きていたのでは、決して得られなかったものだ。
 例えば給食の使用では、単にかぶらを食べてもらうというだけではなく、同時に農業体験も行い子供達との交流が生まれている。種まきや収穫を共に行い、またそのかぶらを使ったギョウザやコロッケなどを作り食べて貰う。「マーケットに行けば何でも買えますが、自分たちで作ったものを食べるということを通して農業の大切さや楽しさを知って欲しい」。近隣の人々とは「11月の最初の収穫後、収穫祭を開きます。集落の人に来て頂いて、山内かぶらを使った料理を出し、賑やかに収穫の喜びを分かち合います」。レストランや料亭への出荷ではプロの料理人との交流が生まれ、「1年に1回は必ず出荷先のフランス料理を食べに行きますし、その他にも美味しいところがあれば、食べに行きます」。農村で暮らす日常の延長ではなかなか体験できないことのきっかけになっている。GIの取得では関わる世界をさらに広げることになった。そして何よりも生産グループの中で、生産者同士の交流が充実したものとなっている。80歳を超えた生産者は「色々な所に連れて行って頂ける」「若い人と話ができるのが楽しい」、また70歳前の生産者は「ここに嫁いできて、会に入る前は、地域との関わりも少なかったのですが、繋がりが生まれて楽しい」。山内かぶらの生産という仕事を通して、それまで無かった交流が生まれ、それが楽しさや生き甲斐を生みだしている。「山内かぶらで、集落の皆が楽しく元気に過ごしていければ良いなと思っています。それが最初からの願いです」。仕事が個人と社会を繋ぎ様々な可能性が生み出されていく。
 山内かぶらは規模も小さく、地域経済に大きく寄与するというものではないが、地域の活性化においては大きな力となっている。地域の活力を測る尺度は様々ある。経済性や人口、或いは知名度など。その中でコミュニケーションの豊かさもその一つではないだろうか。互いが互いを深く知っていくということ。かつての農村には村社会として色濃くあり、その濃密な人間関係から距離を置こうとする向きもあったが、今また高齢化の進展などで農村の活力が失われる中、適度な距離感を保ちつつ、しっかりと繋がることは、集落に暮らす人々に喜びを与え幸福に繋がると感じる。そこに農業の果たす役割は大きい。単純に規模拡大を進めたのでは、農村に住む個人から農業を取り上げることになるかもしれない。それにより失われるものはあまりに大きい。
 ほんの限られた人しか知らなかった山内かぶら。一時は消えかかったこともあったが、関係者の努力により徐々に認知度が上がってきた。これまでの道程はその存在を知ってもらおうとする歩みでもあったのではないだろうか。生産、販売、加工、そしてGIの取得や食育、地域イベントなどを通して。その中で発せられてきたメッセージは、余所にない個性豊かな味という農産物そのものが持つ価値であり、同時に地域への深い愛が込められている。それを伝え、知ってもらうことは、作り手同士が深くコミュニケーションを図るのと同じで、新たな可能性の発見に繋がり、大きな喜びをもたらす。それが地域農業持続の大きな力になる。福井県若狭町山内にこれからの農村の姿があった。

土地利用型農業の選択

在来種のそば栽培で地域活性化

取材先:滋賀県米原市伊吹農事組合法人ブレスファーム伊吹 代表理事 伊富貴 務

  1970年から本格化した減反も本年産の生産をもって廃止。2018年からは農業者の自由な判断による生産へと移行する。これにより米価が下落すると予想する向きもあり、米作農家の不安は大きい。しかし来年以降も引き続き生産量の目安を設定するとしている自治体は40道県あり、自主的な生産抑制は残りそうだ。また、減反に参加した者に支払われてきた米の直接支払い交付金7500円/10aが無くなり、原価割れに陥って米作から撤退する者も現れるだろう。あるいは有望な転作作物に本腰を入れようとする者も出てくる。米の生産量が想定を超えて減少すれば価格は上がるかもしれない。さてどうなるのか、先行きは未だ不透明だ。ただ、漠然と米を作っていて農業が成り立つ時代が過去のものとなることは間違いなさそうだ。資源の乏しい日本がこれまで維持し発展させてきた強力な生産資源である水田を如何に活用するのか。日本農業を活性化させるための大きな鍵となる。それは地域の活力、日本の活力にも繋がっていく。


 

 
▲美しい田園風景▲そばの実▲人気のそば

 

集落営農で省力・低コスト農業
 滋賀県米原市にある霊峰伊吹山、その麓には姉川が流れ、両岸には管理の行き届いた水田が広がる。訪れたのは4月。川辺には満開の桜。昔話にでも出てきそうな農村の景色。その地で水稲、麦、そばの土地利用型農業を展開し、地域農業を守るために奮闘しているのが農事組合法人ブレスファーム伊吹だ。古くからそばが作られてきた産地であり、「米づくりだけではこれからの農業はやっていけない」とそばの転作に力を入れている。代表理事の伊富貴務さん(67歳)に話を聞いた。
 ブレスファームは今から20年ほど前の平成7年に伊吹農業生産組合として設立された1集落1農場形式の集落営農組織。それまでは兼業の小さな農家がそれぞれで生産を行い、土地を守ってきたが、高齢化の進展と共に引退する農家の農地を管理する受け皿が必要になり、また、販売価格に見合わない高い生産コストをかけた米づくりになっていたこともあって「こんなことをしていてはいけない」という思いで結束し、集落営農が始まった。
 まずは農地を集約して効率的な農業を実践するために基盤整備を実施。7a圃場が30a圃場になり、1ha以上の区画も誕生。今では畦畔を除去し高低差を均すなどし、大きな所では1.5haにもなり、省力化と生産性の大幅なアップが図られている。また、充実した農業機械を装備。6台のトラクタを始め、6条コンバイン、普通型コンバイン、6条田植機2台、レーザーレベラー、乗用中間管理機等、個人では導入が難しかったであろう大型農機が揃い大きな力となっている。「大変楽になりました。生産コストも全然違います」。集落で共同して農業を行うことで、重複して行っていたことが一度で済み、色々な所で無駄が省かれていく。経営として成り立つ農業の構築が進められる。また近年の農業を取り巻く生産環境の変化に伴い、地域の担い手としてより頼れる存在になるため、平成28年に農事組合法人となり今の名称となった。
 「現在は、米の作付けが21ha、大麦が11ha、そばが11haとなっています。また余所の集落でも転作部分でそばを作らせてもらっています。経営面積は32ha」。この中で、米づくりではコシヒカリを栽培。慣行栽培に加え、それを上回る量で減農薬・減化学肥料の環境こだわり栽培の米を手掛け、付加価値の向上を図っている。また、生産の省力化、コスト低減のため、乾田直播と密苗の移植栽培に取り組んでいる。密苗は「昨年70aで試しに栽培し、慣行栽培と比較して変わりがなかったので、今年は5.7haに拡大します。苗箱は10a当たり8箱、育苗期間は2週間ほど」。乾田直播は「種もみを播種機で落とすだけで一番コストが安くなります」。しかし反収は5俵ほどで栽培に適した乾いた田んぼも限られている。全てをこちらに切り替えることは難しい。全体の平均反収は7.5俵ほど。「安全安心を基本に品質を高めたいと思っているのですが、特Aランクまでには至りません。米の収量も最近は良くないですね」。米価も低迷しており、米づくりで利益を上げることは、簡単な事ではない。
 その中、水田の有効活用として転作に力を入れてきた。麦作では大麦を栽培し、収穫後はカントリーで乾燥して農協に出荷する。「経費もかかりますので補助金を加えて何とかという状態です」。この麦跡に作られているのがそば。「連作するとうまくできない」ことからしっかり輪作体系に組み込んでの栽培を実施。また水はけの悪い所では出来が悪くなるため、排水対策が必要であり、加えて「肥料が多いと実が減る」ことから、麦作で余分な肥料分がなくなったところに作付けする体系となっている。元々は大豆に取り組んでいたが、「栽培がうまくいきませんでした」。しかし、そばは朝晩の寒暖差が大きい伊吹山の麓の気候風土に適していた。そしてこの地で栽培されるものは、普通の一般的なそばからは一歩抜きん出たブランド力を持っていた。

在来種伊吹そばで活性化
 伊吹山は古くから崇められてきた信仰の山。多くの修行僧が訪れ、伊吹山の中腹にあった大平寺などが伊吹山護国寺を形成し、8世紀頃、大陸の北方から朝鮮半島に伝わったそばを「修行僧たちが持ち帰ってきたと聞いています」。それを育てた産地が大平寺の集落にあったと古い絵図に記されている。このそばは井伊家彦根藩から江戸幕府に献上され、“伊吹そば天下にかくなれば・・・” と、天下に銘を知られるほど。そばはこの地より美濃や甲斐、越前に伝わり全国で栽培されるようになったとされている。また大平寺のすぐそばには、薬味として欠かせない辛味の強い伊吹大根の産地もあった。しかし時は流れ昭和に入り、昭和27年に伊吹山南西斜面に石灰岩などを採掘する鉱山が開山。大平寺の集落ではそれでも暮らしが続けられていたが、昭和38年頃には山林の仕事では食べていけなくなり、冬場は雪崩の危険もあるなどで、鉱山に土地を売っての集団移住となり、その地でのそば栽培の歴史が途絶えた。
 そのそばを復活させたものが、 現在転作に取り入れている“在来種伊吹そば”となる。「生産組合で取り組む前に有志で町おこしとしてそばに取り組み、大平寺の奥の甲津原で種を保存している人から種を分けて頂いて広めていきました」。組合として取り組み始めたのは平成13年から。やや小ぶりだが、一般に流通しているものに比べて「香りが良い」と食した人の評判も良く、今では有望な地域ブランドとして他の集落でも“在来種伊吹そば”の栽培が行われている 
 「播種は7月の終わりから8月にかけて行われ、約3ヶ月後の10月の終わりから11月の中頃までに収穫します」。稲作と期間が重なることもあり、省力化は大きなテーマ。基本的に中間管理は行わず、整地、播種、畦畔管理、収穫で作業時間は10a当たり6.29時間。省力低コストの栽培が行われている。収穫したものは、2軒のそば屋と4社の製粉所へ直接販売している。収益性は高くブレスファームの売り上げに大いに貢献している。地元伊吹の集落と周辺3集落で土地を借りて栽培を行い、約30haの規模となっている。また、更に付加価値をつけるため、乾麺を委託製造し、地元の道の駅などから販売している。
 課題は反収。「10a当たり2俵収穫できれば良い方です」。そばは1俵45㎏。100㎏に満たない収穫量となっているが、排水対策をしっかりやらなければ収量は更に落ちる。「長雨や台風の影響は大きく、種そばがとれないこともありました」。売上の不安定要素となっている。また、作業の手間がかからないことが特長だが、それでも畦畔管理に10a当たり3.5時間かかっており、夏場の作業のため、従事するものの体への負担は大きい。

目標は直営そば店の展開
 集落営農を20年以上続ける中、テーマは一貫して地域農業の持続。そのためには安定した経営が必要であり、収益を残すための様々な取り組みが行われてきた。大区画圃場の整備や省力化を実現する機械装備、低コスト栽培に貢献する新しい栽培方法の導入、そして“伊吹そば”の展開など。しかしそれでも払拭できないのは組織全体の高齢化だ。集落営農は農地の受け皿として、地域の高齢化に対応する機能を持っているが、組織自体にも次代を支える後継者の確保が必要になってきている。その中で従業員の雇用も行われているが「従業員をただ増やしていくだけでは集落営農の理念が薄れてしまいます」。若者が後継者として参加したいと思う大きな可能性と将来性を持つ魅力的な集落営農になる必要がある。そのための一歩が法人化であり、自立した経営が模索されている。
そして更なるもう一歩として検討されているのは直営そば店の運営だ。「地元にはそばを食べるという文化がなく、今は収穫した玄そばを売っているだけですが、この周辺で自分たちが収穫したそばを製麺し、食べてもらう場所を作りたいと思っています」。福井や長野にはそばを食べる文化があり、それに付随した価値の創造が利益を生み出す。まずは地域でそばを食べてもらうこと。その先に新たな食文化の定着があり、可能性を広げることになる。農業の6次産業化であり、収益の向上に貢献する。
 それがうまくいけば「地域の雇用にもつながる」。集落の女性の力を活かすことにもなる。評判になるようなものを出していくことができれば、離れた地域から食べに来てくれる人も増える。「冬場は奥伊吹スキー場に向かうスキー客がここを通りますので、立ち寄ってくれるかもしれません。また別の集落でもそばの店を出してもらって姉川沿いをそば街道にすれば集客力が増す」。交流人口の増加であり、それがまた新しい可能性を生み出すことになるかもしれない。その地域にだけある魅力的な原料を使い、地域の人々の手による、地域限定で提供されるそば。食べに行きたいと思えるそばではないだろうか。そう思う人の数が多ければ多いほど事業は有望であり、事業に参加したいと思ってもらえる可能性を高めることになる。それが地域農業の持続に繋がっていく。
 しかし事業を起こすということは大きなリスクを持つということだ。それとどう折り合っていくかが肝となる。集落営農は積極的にリスクを取って収益向上を目指していく企業とはやはり異なる。どちらかと言えばリスクを避けながら失敗のない運営が求められる。「うまくいって当たり前です」。失敗に対する寛容性はそれほど高くはない。投じた資金の回収は絶対であり、その上で利益が出せるのか。「慎重に5年、10年の計画を立ててやっていかなければなりません」。提供する商品は食べに来てもらえる価値が本当にあるのか、消費者の期待を裏切らない運営を継続して行っていくことができるのか、そばが不作の時に対応できるのか。踏み出す前に問うべきことは多そうだ。
 そば屋が繁盛すれば、地域活性化の大きな力になる。消費者と繋がるということは、時代の流れに取り残されないようにするためのライフラインでもある。地域農業の持続に貢献するに違いない。
 そばは魅力のある作物だ。低コストで手間も少なく作ることができる。輸入物が多い中では国産というだけで大きな価値がある。またそば文化というソフト的な面があり、心に働きかける展開もできる。そばを食べるということは日本を感じることにも繋がる。心に響く食べ物は流行り廃りを超えて息が長い。これからの土地利用型農業を示す一つの選択がそこにあった。

瑞穂の国の志と誇り

中山間地でブランド米をつくる

取材先:群馬県川場村 ㈱雪ほたか 代表取締役 小林政幸

2017年4月号掲載 

 

 

   強い者が勝つのではなく、変化したものが勝つ。恐竜が滅び哺乳類が生き残ったように、それは時代の教訓。と、言うのは容易いが変化するということはそんなに簡単なことじゃない。強い理由に支えられた強い意志が必要だ。しかし、日本農業はその難しいことをやらなければならない大きな転換期を迎えている。農業を持続していくためには変わらなければならない。特に中山間地は座し待てば淘汰の波に晒される。今が切所。ではどうすれば、変化のための強い意志を持てるのだろうか。それともう一つの肝はどのように変化するかだ。生き残ることだけを理由に変化しては、その果てに辿り着くものが、只々食料を生み出すだけで、もはや農業と呼べるものではなくなっているかもしれない。それでは意味がない。変化しなければならないのは、生き残るためだけではなく、守るべきものを守るためのはずだ。それを理由とすることで、変化に対するより強い意志を持つこともできる。そこに生産者の“志と誇り”があるのではないだろうか。今回それを中山間地の米作りに探り、どうやって残していくのかを考える。


 

 
▲雪ほたか▲春を待つ田んぼ▲販売の主力となる道の駅

 

“雪ほたか”で地域を活性化
 生物の進化を促すのは常に生存本能。生死が問われる局面の中で変化が生まれる。社会環境への対応も同じ事で、変化する時代の中、その波に飲み込まれないように何とかしなければならないと、切実な意思が芽生える。助けるものがあればそれに頼り、なければ自分で何か方策を見つけなければならない。荒野の中で立ちすくんでいては、命がただ尽きていくだけ。活路を求めて一歩踏み出すこと。それが変化の始まりだ。今回お訪ねした川場村もそんなところから変化が始まった。群馬県北部に広がる山岳地帯、その南麓の中山間地にあり、存続に対する切実な危機感が村人の背中を押す。同村でブランド米“雪ほたか”の生産・販売に携わり、大きな存在感を放っている㈱雪ほたかの小林政幸(56歳)社長に話を聞いた。
 雪ほたか誕生の契機となったのは、そもそも平成の大合併の頃に遡る。「あの時、川場村は自主でいくと、村・村民みんなの総意で決まりました」。これが事の始まり。周囲の市町村と合併せず村単独での存続を選択した。しかし合併の話があるということは、独立して村を運営していくことが簡単ではないということの裏返しであり、強い力を持たない小さき身でふらふらと自ら荒野に彷徨い出たのと同じ事。「ただ決めただけで何もしなければ、どこかに飛んでいってしまうような小さな村でした」。川場村は昭和46年に過疎地域の指定を受けたものの、“農業プラス観光”を基本理念として地域振興に取り組み、昭和56年には東京都世田谷区と縁組協定を締結し、世田谷区民健康村を誘致するなど、都市部との交流人口の増加を図り、平成12年には過疎地域の指定を解除された。しかし、若者は都会へ働きに出て、住民の高齢化が進み、村の存続に対する危機感は通奏低音のように根底に響いていた。その中での自主独立路線であり、村全体で危機感を共有することになった。
「川場村は農業が主産業で、昔からお米が美味しいと言われてきました。村の方でこれをブランド化していこうという動きがあり、生産者がそれに応えていくことで始まりました」。生産量が少なく、多くが縁故米として作られ、限られた場所でのみ消費されてきたのがそれまでの川場村の米。ただ品質は高く、皇室献上米にも選ばれ、その品質と希少性から“幻の米”とも呼ばれていた。それをもう少し広く一般にも届けようと、平成17年に64名の組合員で“川場村雪ほたか生産組合”を設立。これまでの農業振興をさらに一歩進めた農業のブランド化が始まった。
 “雪ほたか”とは川場村で作られるコシヒカリのことで、標高2158mの武尊(ほたか)山より湧き出るミネラル豊富な天然水によって育まれる。生産地は標高300~650mの所にあり、大きな寒暖差などその地が醸す気候風土が品質の醸成に大きな役割を担っている。その核となるところは天恵によってもたらされていると言えそうだ。
 その上でブランド化を進めるための一つの方法として、お米の持つ能力、魅力を見える形にすることが試みられた。それがコンテストへの出品。「組合を設立した翌年の平成18年に、静岡で開催された“お米日本一コンテスト”で、第3席の優良賞を受賞しました。そして平成19年には米・食味分析鑑定コンクールに初出品し、金賞を受賞。それから金賞の受賞は連続8年続きました」。これがブランド化を進める上で大きな弾みとなった。外部の審査と機器による分析により自分たちが作るお米を客観化し数値化することができるようになり、これまで人の口から口に伝わっていた美味しいという評判をしっかりと裏づけることができるようになった。それが生産者の自信と誇りに繋がる。そしてそれは、生産だけではなく販売のことまで考えた展開において大きな力となる。初めて商品を手に取る一般の消費者にとっては、その物の善し悪しを計る重要なスケールであり、審査の過程で抽出された客観的なデータは商品について多くを語る。それが、これまで食べたことがなかった人に買ってもらうという、基本にして常に難題となる高い壁を超えるために力を添える。
 また客観化は、生産者の結束を高めることにも繋がっている。地域の中でも地区によっては味のバラツキがあり、長い間生産を続ける中で、“どこそこの場所で作ったものは美味しくない”という先入観もできていたが、「コンクールの中では、美味しいと言われていた地区だけが金賞を受賞したわけではありません。標高650mを超えた場所で作られたものが金賞を受賞したこともあります」。場所の違いによるだけではなく、生産者の力量も結果を大きく左右するということだ。また「1度金賞を受賞しても必ず2度、3度と取れるというわけではなく、非常に難しい」。それらの事が生産に対する謙虚な姿勢を生み出し、良いものを作ろうとする思いで地域が一つになっている。

会社組織にし、自分たちの力で歩む
 生産組合を立ち上げ、コンクールで賞を受賞し、雪ほたかの名前も知られるようになったが、その当時販売は村に任せたきりとなっていた。生産者は生産をするだけ。日本各地ではいまだ多くの生産者がその状況だが、農業を経営として見た場合、利益を上げるための思考を抑制してしまうこともあり、そのスタンスへの過度な固執は日本農業の可能性をたわめる一つの要因ともなっている。この地でもその範疇を抜け出せないでいた。しかし「将来を考えた時、いつまでも村にお米を売ってもらうのではなく、ある程度村から独立した組織にした方が良いのではないか」という議論が起こり、1年以上の検討を経て、様々な法人形態の中から「単純明快で一番分りやすい」と株式会社が選択され、平成23年9月に㈱雪ほたかが設立された。これにより、さらなる自由な事業展開と、意思決定の迅速化が図られるようになり、より消費に近いところで経営判断ができるようになった。ただ当然のことながら利益の確保は常に念頭に置かなければならない。それがなければ株式会社である以上、存続することができなくなる。守ってくれるものは何もない。「村に販売してもらうのと生産者自らが販売するのとでは危機感が全然違います」。リスクを背負うからこそ、その一歩一歩に持続に向けた強い意思がしっかりと宿る。各地で地域農業存続に向けた様々な取り組みが行われ、自治体の後押しを受け、個人から集団となって特産物の事業化や6次産業の展開が行われているが、自らがリスクを引き受け、独立して歩むという意志に欠ける所も少なくなく、結局、ある程度の所から前に進むことができなくなり、いつまでたっても荒野から抜け出せない状態となっている。それでは、詰まる所、一時しのぎの時間稼ぎに過ぎない。リスクを持って自らの足で踏み出さなければ、早晩、その場で朽ちてしまうことになるだろう。分かっていてもそこを乗り越えることはそんなに簡単なことではないのだが。
 「株式会社と生産組合では信用が違います。その分社長の責任は重いのですが、私が組合長をやっていた当時、3年間交渉してまとまらなかったものが、社長就任の挨拶に行った時、30分間で話がまとまりました」。リスクを持って初めて一人前。対等な立場での交渉が迅速な決定に結びついたということだろうか。
 また、この他にも会社組織にすることのメリットとして従業員の雇用がある。生産組合では生産者の中で様々なことを賄わなければならないが、会社であれば有用な人材を確保し、多様な事業展開、拡大が可能となる。加えて村内に雇用の場を創出することにもなる。「それが大きな役割だと思っています。若い人に働く場所を提供できれば、村に残ってくれるかもしれませんし、村外へと出た人が帰ってきてくれるかもしれません。雇用の場となること。それは大きな夢です」。帰ってきたいという人は多いが、帰っても仕事がないというのが現実。その中、今年2人目の社員が入社し、その夢へと一歩一歩近づく。
 ㈱雪ほたかは生産者71名が出資。その生産者が作るお米だけを雪ほたかとして買取り、乾燥・調製後、貯蔵し、精米、パッケージング、販売を行っている。これが事業の柱。この他、米粉を製造し、それを利用したこんにゃく麺などの加工品も手がけている。販売ルートは、村内の道の駅である川場村田園プラザがメインとなり、これに加えて、インターネット、スーパー、コンビニなどで販売され、レストランなどにも卸して高付加価値のお米として使用されている。
 会社の目的としては、「100年後まで川場村の美しい田園風景を維持する」という思いがあり、そのための地域農業の持続が大きな使命となっている。高齢化は他の地域と同様、「当然進んでいます。生産者の平均は60代後半ぐらいです」。その中で使命を果たしていくためには、まず米づくりが地域の産業として成り立っていかなければ続いていかない。しっかりと利益が出る経営が不可欠だ。それでも年齢のため、耕作から退く生産者は必ずいる。「毎年毎年少しずつですが、作り手がいなくなる田んぼが出てきます。今はそれを雪ほたかの生産者に割り振って生産を続けています。今地域で不耕作地はありません」。美しい田園風景が維持されている。しかしこの方法もそろそろ余裕がなくなってきているのも事実だ。この地の農業の基本は水稲単作ではなく、こんにゃく芋を始めとした野菜や果樹、酪農などを複合したもので、どちらかと言えばそちらがメイン。その状況の中で田んぼを増やしていくことは、同時に生産者の負担も増していくということで、これ以上受けられないという状況が「すぐ目の前まで来ています」。その限界を乗り越えるためには、「会社で田んぼを借り受け、従業員等の手によって栽培までやっていくという方法が考えられます」。ここに会社組織としての強味がある。またそうすることで、いよいよ耕作ができなくなった時の受け皿をしっかり作ることになり、農家の心配や無理をして続けるといった負担を減らすことになる。

ブランド化とは信頼に応えること
 全国各地でお米が作られ、その殆どが自慢のお米と言っても良いぐらいで、稲作に対する農家のこだわりは強い。しかし価格を付ければ、主観的評価とは別にした差が歴然と示されていく。必ずしも絶対的評価に基づいたものではないが、消費者がお金を出しても良いと思う価値がそこにはある。その価値を持つものがブランドということであり、一般的なものと一線を画したものとして消費者から峻別される。雪ほたかもそういうふうにして選ばれる側にあり、高いレベルでブランド化を成功させたお米だ。
 日本の原風景とも言える川場村の美しい田園風景を重ねたブランドイメージと、その地にある水と気候がもたらすお米自身の力、それを十二分に引き出すことを目指した細やかな栽培が、強いブランドの形成・維持を果たしてきた。中でも重要なのは「間違いないものを着実に作るということ。消費者の期待を裏切らない米づくりをしていくことがブランド化に繋がります。単純に食べて美味しいものでなければなりません。信頼を損なわないように、常に去年より今年、今年より来年と1年ずつ上を目指しています」。幾ら場所が良くてもしっかりとした栽培をしなければ良いものはできないということで、毎年栽培の始まりから終わりまでの間に5回の講習会を開き、しっかりと基本を確認し、慣れに流されないよう、一つ一つの作業の意味を考え、米づくりを突き詰めていく。これまで個々の生産者が蓄えていた経験や知識が共有化されることになり、地域農業全体の力となっていく。それが技術の底上げに繋がる。「レベルが上がり、トップとの差が縮まってきました」。これらの取組が品質のバラツキを抑えることになり、消費者の信頼を裏切らないものとしてブランドを強化していく。
 また、さらにブランド力を上げる事に役立っているのが、生産者の作る米を評価してランク付けし、それに応じた金額での買い取りだ。「トップの生産者に支払う額を1俵3万円にしたいというのが夢です」。今はまだそこまでは至らず、上は2万円半ばから、下は2万円を切る辺り。作るお米の評価が上がれば買い取り金額も上がる。等級別検査、食味計、栽培方法などを加味した総合評価で、主観的要素を省き、公平な評価で比較。それが生産者のやる気にもなっていく。
 主力の販売先となる道の駅川場田園プラザは年間180万人が訪れる観光施設。美しい田園風景の中に立地し、地場の特産物を豊富に揃え、強い集客力を保持している。その中の魅力の一つとなっているのが雪ほたかだ。互いに相乗効果を生み出し利益に繋がっている。この他にも村内には連携した取り組みが多数あり、雪ほたかの大吟醸、飲む米麹、おにぎり屋さんなど、川場村全体にとって、価値ある存在となっている。さらに村外の企業とのコラボもあり、服飾メーカーのJUNでは田んぼを一枚借り受け、そこで同社の社員が農作業に取り組む。収穫したお米はサロン米としてブティックに並べ雪ほたかの販売を行うなど多様な展開が進められている。この他にも、最近ではアメリカに進出し、ロサンゼルスのおにぎり屋さん、ニューヨークのお寿司屋さんで雪ほたかが使われている。
 現在生産量は3300俵ほどだが、村内にある田んぼの面積を考えれば、将来的に6000俵ほどが生産可能だと試算しており、販路拡大も含めてまだまだ可能性は大きいようだ。
 川場村が自主独立を選択し、自分たちで考え、行動し、発信した結果がここにある。村全体で危機を共有し、本気になったからこそ到達できたとも言える。その本気が新しい時代に対応できる進化を生み出した。今後の目標は自社栽培、直営店、加工場の運営など。中山間地の農業が生き残っていくモデルがここにある。
 美しい田園風景を何物にも代えがたい価値とし、それを守る取り組みは雪ほたかの生産そのものだ。そこにこの地に生きる生産者の“志と誇り”を感じた。守る志、自分の力で歩む誇り。それが村の暮らしを豊かにする。地域の農業を守るということは、考える以上にずっと重い。

土の中に地域の宝

幻のごぼう“はたごんぼ”で未来を紡ぐ」

取材先:和歌山県橋本市 農事組合法人くにぎ広場・農産物直売交流施設組合 組合長 岡本進

2017年3月号掲載 

 

 地方創生が掲げられ各地で様々な取り組みが行われているが、地域を活性化する一つの方法はその地に事業を起こすということだ。それにより利益が生まれ、人が集まる。それはある種エネルギーのようなもので、暖めれば水が沸騰するように、それまで停滞していた物事がにわかに動き出す。そして起こした事業が多くの者の利に適うのなら、これを存続しようとする動きが生まれる。それが時と共に朽ちていこうとしていた流れに抗う力となる。ではそんなエネルギーを呼び込むための事業とは。まず何よりもどんな価値を提供するのか、できるのかということが肝になる。余所になく、独自性があり、使う物に驚きや満足、豊かさを与えるような、それが事業の根幹。よく探せばどんな地域でも一つぐらいはどこかにあるはずだと、思うのだが。どうだろうか。


 

 
▲直売所▲復活した幻のごぼう▲太くて長いはたごんぼ

 

幻のゴボウ“はたごんぼ”を復活
 高野山への巡礼道は高野七口と呼ばれる七つの街道があり、その一つが昨年秋に世界遺産に追加登録された黒河道(くろこみち)。その道の始まり辺り、国城山の中腹に位置している和歌山県橋本市西畑には、“はたごんぼ” という特産物がある。長さ1m、大きいものは直径10cmにもなるゴボウで江戸時代から作られ、地域の歴史を記した“南紀徳川史”にはこの辺りのゴボウを『太く長くして中實して甘美この味ひ他に勝土地の名物なり』とその味を高く評価。戦後までは仲買人がいるほど作られ、名産として地域経済に貢献してきた。しかし生産には多大な労力と手間隙がかかり、次第に作り手が減少。みかんや柿などの果樹栽培に農業生産の主軸が移り表舞台からその姿を消した。それから数十年、農業を取り巻く環境が変化し、地域の高齢化が進み、地域農業の主力となった柿の単価も下がる中で“はたごんぼ”復活が図られた。そして生産からさらに一歩踏み込み、これをこの地域から提供できる“他では得難い価値”としての事業化が進められた。その中心となっている農事組合法人くにぎ広場・農産物直売交流施設組合の岡本進組合長(72歳)に話を聞いた。
 「太くて長いのが大きな特徴」と、普段、量販店などで見かけるゴボウとの違いは一目瞭然。太く逞しくワイルドな存在感に溢れている。しかし栽培されているのは一般的なゴボウ品種の“滝の川”。育む土壌に大きな特長があるのだ。「この辺りは砂地や火山灰ではなく粘土質の赤土です。そこに植えると土壌と抵抗しながら太く長く育っていきます」。加えて標高約200mほどの気象条件、大きな寒暖差、様々な環境が相まってここにしかできない地域独自のものが生み出されている。食味は「柔らかくて香りが良く、味が良い」。ワイルドな見かけとは裏腹に繊細な品質。高い商品価値を有している。
 一時生産が途絶えていたこの幻のゴボウ “はたごんぼ” 復活に取り組み始めたのは平成20年の事。「西畑の有志が立ち上がり、『幻のはたごんぼ塾』を開き、自家消費用に細々と生産をしていた古老の人達に作り方を教えてもらいました」。そして始まった“はたごんぼ”作りは徐々に規模を拡大し、耕作放棄地となっていた棚田の水田を再生して栽培されるようになった。「長年耕作していない放棄地は竹や灌木が生い茂り、それが3mほどにもなっていて、根を掘り起こして開墾し元に戻すのは、大変な作業でした」。しっかりとした排水対策も施し、平成28年は25aの栽培面積で2.5tの収穫量となった。
 種蒔きは3月の下旬。2粒ずつ畑に直まきしていく。それから収穫までの約半年間、気の抜けない日々が続く。「種をまいてから発芽するまでの2週間は毎日潅水しなければなりませんし、発芽したら虫に食べられることがないようにしっかり観察し、虫が出たら駆除。4月、5月ぐらいになると草むしりに追われ、間引きの手作業も大変です。半年間の間は本当に毎日目が離せない。それを怠ると良いものはできません」。その中で最も大きな労力を必要としているのが収穫作業。粘土質の土中深くへと伸び、しっかりと身を太らせたものを傷付けず折ることなく、掘り出さなければならない。昔は“はた(西畑)には婿にやるな”と言われていたそうで、機械などない時代の苦労は計り知れない。今、その苦労の幾らかは機械が肩代わりする。「ゴボウが植わっているすぐ横をユンボで深さ1mの溝を掘り、そこにゴボウを倒し、一本一本収穫していきます」。この他にも「トレンチャーを使用し、植える前に1mぐらい掘り起こして土を柔らかくして、その上に種をまきます」。収穫後の土作りでは堆肥を散布し、その時にはトラクタと堆肥散布機、ロータリーが活躍する。この機械化では和歌山県が実施した“企業のふるさと事業”を活用し、平成25年から井関農機協力のもと進められた。また耕作放棄地の整備でも土壌改良や排水対策などで同社が大きな力となっている。“はたごんぼ” 生産のマイナス要因となっていた“大きな労働負荷”が機械力を駆使することである程度取り除かれ、生産者にとっての商品の魅力を高めることになっている。
 生産の課題ではこの“大きな労働負荷”以外にも連作障害がある。「一般的には2年作って、4、5年あけます。本来は畑を回していかなければなりませんが、私たちが作っているのは山間の棚田であまり圃場に余裕がないので、できる限り同じ所で、連作障害が出ないように土壌消毒をしたり、土壌の改良を進めています」。現在使用中の畑は3年目。連作の影響はなく、収量は好調で豊作。今年4年目のチャレンジが行われる。

直売所を運営し、本格的に販売
 有志から始まった“はたごんぼ”は現在、農事組合法人のくにぎ広場が中心となって生産を行っているが、ただ、“はたごんぼ”を作るのではなく、収穫物の販売、加工も手がけ、それを商品として展開する直売所も運営。現在組合員は38名で、単なる生産から、事業の展開へと大きな役割を担っている。元々組合の設立は平成23年。それから“はたごんぼ”との付き合いが始まり、翌年からは仮設店舗にて土日だけの販売を始める。平成25年に組合は法人化を果たし、翌平成26年からいよいよ本格的な生産へと移行した。
 それと並行して地域では、集落の利便性を向上させ、高野山へ向かう新たなルートとしての紀の川フルーツラインの建設が進み、平成27年4月に開通。その時にこの紀の川フルーツラインに直売場を設け、そこを拠点に“はたごんぼ”の本格的な販売が始まった。
 また平成26年に和歌山県が優良な県産品を選んで推奨するプレミア和歌山において特に優れた産品に与えられる審査員特別賞を受賞。それを機に認知度も上がり売れ行きは好調。「選別してプレミア和歌山のシールを貼って売っているものは1kg1500円で店頭販売することができています」。この他、テレビなどで何度か紹介されることもあり「老舗旅館や人気のレストランなどから注文を頂くこともあります。また青空市場やショッピングモールなどでの出張販売もします」。和歌山県から神奈川県の湘南に出張販売をしに行ったこともあるそうで、自分たちで車を運転し売り子も行うなど、「大変です」とのことだが、新しい人との出会いもあるわけで、この事業に携わっているからこその充実とも思える。販売における課題は、需要に対する充分な供給量を如何に確保するかということ。山間にあって、生産に適した場所を確保をすることはそれほど容易なことではないようだ。
 販売拠点となっている直売所は“はたごんぼ” を栽培している畑のすぐ上にあり、紀の川フルーツラインを通る車が立ち寄り、ドライバーが休憩できるスペースとしてトイレと共に橋本市が整備した場所に、地域の人がお金を出し合って建設した。“はたごんぼ” の他、地域名産の柿や一般野菜、加工品を生産者から集めてここで販売している。また秋にはこの場所で“はたごんぼ”の収穫祭も開催。「シンガーソングライターなどを呼んだりしてイベントを開催し、橋本市近辺から人が来てくれる」。消費者との交流も積極的に行い、リピーターとなってくれる“はたごんぼ”のファン作りにも取り組んでいる。組合員が作り、組合員が運営する直売所には、随所に組合員の思いがあり、地域を愛する心を感じることができる。
 また、“はたごんぼ”は高野山への奉納も行っている。標高が高く、作物があまり育たない高野山へ参拝道を歩いて米や野菜などを運んだ“雑事のぼり”という古い風習を復活させたもので「17kgにもなる“はたごんぼ”を背負って世界遺産に登録された黒河道を8時間歩いて金剛峰寺へと届けます」。“はたごんぼ”の事業を通して農村にある文化の復活も果たした。

農業の事業化で地域を持続
 事業を成立させるためには収益の確保が必須。そのためには加工への取り組みがなくてはならない。そこを如何にうまく事業に取り入れるのか、魅力的な商品を如何に開発していくのかが、事業の行方も左右する。“はたごんぼ”の栽培では、様々な形状のものが育ち、規格外となったB品は加工にまわされる。そこで大きな活躍をしているのが組合の女性陣。様々なアイディアと粘り強さで多様な商品を展開。ごぼう茶を始め、ゴボウの中をくり抜いて作るお寿司、ゴボウ一本を使った巻き寿司、ゴボウ入りコロッケや炊き込みご飯などを製造し店頭で販売している。和歌山県立医科大学の研究調査によると“はたごんぼ”は一般のゴボウに比べて抗酸化作用やポリフェノールの含有に優れていると報告され、ゴボウを細かく砕いて作るごぼう茶は「腸の働きを整え、美容にも良く」、健康の増進が期待できると人気も高い。
 「加工品を作れば付加価値をつけることになり、収穫が終わった後も年中販売することができますので、これを積極的に進めていきたい」。ただ、加工には大きな労力を必要とする場面も多く苦労も多い。例えばごぼう茶なら、小さく刻んでいかなければならないが、“はたごんぼ”はその大きさのため、最初は手作業によってある程度の大きさにしないと機械に投入することができない。「刻む作業は大変です。長い時間やっていると肩がガチガチになる」と女性加工部員。労力の負担を軽減する機械化は、生産場面だけではなく、加工においても、強く求められている。
 「年々くたびれてくる」。山間の集落を基本にした事業であり組合員の高齢化は避けがたく、その言葉はこの事業全体を通した課題でもある。直売所は今年3年目。土日だけの仮設店舗から火曜日のみを休業とした本格的な営業に移り、その日々は充実でもあり、慌ただしくもある。「人員の配置にも苦労します。店番やレジはボランティアでやっている事も多い」。かかる負担を軽減する一つの方法は充分な収益を上げ、組合員に還元していく事。そのためには事業の発展が必要であり、「私たちの“はたごんぼ”の知名度を上げ、全国に展開したいと思っています」。名を知られることは携わる者の誇りになり、励みにもなる。それが事業を進める力にもなる。
 本格的な事業化は始まったばかりだが、この取り組みを通して県や市の応援を受けることになり、生産活動においては井関農機の協力なども得ることができた。何も始めていなければそういうことは起こらないわけで、事業を起こすことが、様々な人を集めることに繋がっている。今年は“地域おこし協力隊”として若い人もやって来る。地域が抱える最も大きな課題は高齢化だが、事業化が人を集め、また収益を生み、新たな就農者を生むことに繋がるかもしれない。世代を継ぎ、時間を超えていく力がそこにある。
 平場と異なり、中山間地では、農業が主となる産業であることが多く、そんな地域を持続するためには農業の活性化が必須となる。しかし、生産面だけの強化では十分とは言えない。もう一歩踏み込み、地域の農業を6次産業化も含めた事業にすることが大切だ。ただ農産物を作るだけではなく、販路を開拓し、認知度を上げるプロモーションを行い、廃棄率を下げ付加価値を上げる加工品の開発に取り組む。それらの活動を通して、収益を残して、人を養い、人を集める。うまくいけば持続性のある地域の形成に繋がる。
 そのためには何よりも起こした事業の成功が求められる。鍵となるのはその土地にある資源。その発見あるいは認識がすべての基盤になる。そしてその土地が育む魅力的なものをどのように活用していくのか。そこに知恵と工夫が求められる。“はたごんぼ”の場合、その独自性故に商品価値は高く、他のゴボウに比べて高い選好性を持っていると言える。ただ消費者にとってみればその資金を必ずしもゴボウに振り向ける必要はなく、代替となる野菜や食料は幾らでもあるわけで、どのようにして選択して貰うかは常に根本的課題だ。付加価値を高める方法は様々ある。その土地にしかないもの、その土地だからこそできるもの。棚田も、山手から望む景色も、黒河道も、そこに暮らす人達も、活用できる魅力はまだまだ多くありそうだ。高齢化が進む中で課題も多いが、その一つ一つに対して自ら主体的になりその可能性を探っていくことが、農業の事業化なのではないかと思えた。“はたごんぼ”が紡ぐ未来に豊かな農業の明日を期待したい。

耕作放棄地の眠れる可能性

「里庄まこもたけで地域農業を活性化」

取材先:岡山県浅口郡里庄町 農業委員会 廣末忠彦 会長 農業建設課 三宅卓志 参事

2017年2月号掲載 

 

 世界の人口は2050年に97億人に達するとも言われ、現在の73億人から計算すると33%もの増加となる。それに比べて世界の耕地は、塩の集積や砂漠化により劣化が進むところも少なくなく、栽培技術の向上による単収の伸びのみで、増大する食料需要に対応することは難しい。その中で我が国では耕作放棄地の増大が問題となっており、みすみす耕地を減らしていくことが、現状やむを得ないとしても、好ましい状況とは言えない。国土をどのように活用していくのか。日本は日本のやるべきことがあるはずだ。また2018年には生産調整が廃止。水田を如何に活用するかは農業の活力を左右する。現在行われている耕作放棄地の有効活用に明日の農業を探る。


 

 
▲田んぼで作るマコモタケ▲同好会の収穫作業▲里庄まこもたけ

 

耕作放棄地にマコモタケ
 耕作放棄地の再生事業が各地で行われているが、再生に伴う困難も多い。元々耕地に適さない場所から放棄地になっていくわけで、荒廃が著しかったり、高齢化などで人手が足りなくなっている所も増え、再生作業に都市部のボランティアなどの力を借りている。しかしこの事業、再生して終わりというわけではなく、その後どうやって維持、活用していくかが肝となる。放棄地には放棄地の、そうなった理由がある。それを覆していかなければならない。そんな状況の中、岡山県にある里庄町ではマコモタケに目をつけた。「耕作放棄地を解消しても放っておけば元の荒れ地に戻ってしまいます。放棄地は大体が湿地帯で水はけが悪く、そこで育てられる稲以外のものは何かと考えました」。岡山県浅口郡里庄町で農業委員会会長務める廣末忠彦さん(73歳)が取り組みの経緯を語ってくれた。
 マコモタケはイネ科の多年草で、水生植物であるマコモ(真菰)の茎に黒穂菌が付いて肥大化した部分。アクやクセがなく、淡白な味だが、「タケノコのようなシャキシャキとした食感が特徴で、ほのかに甘みを感じます」。中華料理では高級食材として使われており、どんな料理にも合い、食物繊維やカリウムが多く含まれている。
 分布は東アジアや東南アジアに広く、古くから食用や薬用として利用され、日本でも河川や湖沼の湿地に自生し、古事記や万葉集などにその名前が出てくる。また中国の古書では毒消しの効果があると記され、鳥がマコモタケの群生地に入って傷を癒すという伝承もあり、様々な魅力を持っている。見た目は稲を大きくしたようなもので、草丈は2mほどにもなり、がっしりとした株は20~30ほどに分けつして増え、そこから20~30本のマコモタケが収穫できる。育て方は「基本的には稲の栽培と同じで、水田に水を入れ、代掻きを行い、田植えをし、水を張ったままの状態で育て、9月下旬から10月に収穫します」。
 マコモタケは既に全国各地に産地があり、三重県菰野(こもの)町では名前の由来にもなっていることもあり、町を上げた取り組みを行い、福井県越前町では、昨年マコモサミットを開催するなど特産化に力を入れている。マコモサミットとは全国のマコモ生産者、加工業者、有識者などが一堂に会し、生産技術、販売流通、その他情報を共有することでマコモの普及に努めるもので、産地が持ち回りで開催地となり、第9回まで行われている。
 岡山県では瀬戸内市にも産地があり、里庄町ではまずはそこに視察に行き、マコモタケへの取り組みが始まった。里庄町はかつて、桃の産地としてよく知られ、「昔は桃で山がピンク色になり、里庄駅から汐留に向かって桃を積んだ60両編成の貨物列車が走っていった」ほど。しかし都市部近郊のベッドタウンでもあり、農業を継ぐ者が少なく高齢化が進展し往時の勢いは感じられなくなった。また圃場整備が進んでおらず、狭く不整形な田畑が多く、集約化も進まない。その中で耕作放棄地が目立つようになってきた。そこで里庄町では平成21年度から遊休農地解消対策として、耕作放棄地解消プロジェクトチームによるマコモタケの栽培実証実験を開始し、平成23年度から生産者による本格的な栽培が始められた。
 栽培地となった耕作放棄地は所有者から無償貸与の承諾を得て、農業委員を中心とする有志が再生作業を実施。20年近く耕作されていない土地が大半で、2mを超える雑木や草が覆い茂り、重機で根を引き抜いたりトラクタによる地均し行うなどを進め、荒れ地を田畑に戻した。マコモタケを植える前は草が伸び放題で、圃場の脇に通っている電車の姿も見えない状態。「車窓から見ても荒れた土地しか見えませんでした。それが今は1kmぐらい先まで見渡せるようになりました」。それまでの景観を変えた大きな変化を生み出している。現在マコモタケは2.3haの規模で栽培され、約8tの収穫量となっている。

町を上げてブランド化を推進
 この成果にまで結びついたのは、町を上げて取り組んでいることが大きい。里庄町役場農業建設課の三宅卓志参事(60歳)は取り組みの当初から参加し、事業の推進に関わってきた。「里庄地域全体で農家が高齢化しています。専業農家も少なく、農地の30%が耕作放棄地です。マコモタケの栽培によって解消されたのはまだほんの一部です」。それでも形のある確かな道程を歩んでいると言える。取り組み当初は、「農業委員会がベースとなっていましたが、農業建設課が関わり、平成24年ぐらいからは、企画課も加わり、取り組みが広がっていきました」。9月下旬から収穫が始まったマコモタケは“里庄まこもたけ”として、直売所や道の駅で販売され、町内を中心に近隣も含めた飲食店でも食べることができ、各店を巡ってマコモタケを味わうスタンプラリーも実施。「メニューに加えて貰えるように地道に働きかけてきた」成果が現れてきている。この他、JAを経由した市場出荷も行っている。旬の時期は町外から直売所にマコモタケを買いに来る人が訪れ、地産地消を中心としたしっかりとした需要が形成されている。
 その需要を後押しするためのプロモーション活動としてはイメージキャラクター“まこりん”の展開やイベントを通じた即売会を実施。またマコモタケを使ったレシピの開発も積極的に推進。地元山陽高校料理部による新レシピ開発やレシピコンテストなども行っている。加えて10月にはマコモタケを幼稚園、小・中学校で給食として提供し、子どもたちへの食育にも活用。小さな頃からマコモタケの味に親しんでもらうと同時に、各家庭への認知を広げている。
 これらの活動の中で役場が大きな役割を果たしており、生産においても、企業の参入などに対応できるよう生産マニュアルの構築などを行っている。
 現在地域内で生産活動を行っているのは、1団体、2個人、2企業。その中でいち早くマコモタケの栽培に取り組んできたのがマコモ同好会。廣末さんも所属し23人の会員でマコモタケを町の特産品にしようと大きな役割を担っている。平均年齢は70歳代半ばにもなるが、調製作業では女性陣も加わり、活気のある活動を行っている。「作業した後に皆でワイワイやるのが楽しい」。また、マコモタケの単価は、水稲に比べるとずっと高く、直売所に持って行けば1000円/㎏にもなり、それがやる気にも繋がっている。しかしこの活動を続けていくための後継者の確保は簡単ではないようだ。「60代でも勤めを退職してから入ってくれれば良いのですが、それがなかなか思うようにはいきません」。平均年齢は年と共に上がっていく。マコモタケの栽培は稲作のように機械化されていないため、田植え、収穫、調製は手作業。また除草剤が使えないため、年4回の草取りはロータリーをつけたトラクタを条間に走らせて埋め込んでいく。年齢と共に負担は重くなる。
 その中で中学校と連携した総合学習の時間でマコモタケの作付、収穫、出荷作業の体験学習を実施している。老いと若きの共同作業が労力の軽減に貢献し、また子供たちが将来を選択するとき、マコモタケ生産が選択肢の一つになることにも繋がる。こういった活動の積み重ねがマコモタケを地域のものにしていく。
 一方、企業による生産活動も大きな期待が持たれている。「本業はコンピュータープログラミングの会社とジーンズ加工の会社で、社員がマコモタケ生産に従事しています。その中から加工品など様々なアイディアが出てきています」と三宅さんの期待も高い。栽培はもとよりマコモタケを真空パックにして保存する加工品や“まこもバーガー”などを展開し、意欲的な活動で地域を引っ張る。

日本一の生産量を目指す
 今後の展開において定める目標は「生産量日本一になることです」と三宅さん。現在町ではまこもたけブランド構築推進協議会を立ち上げ、マコモタケの栽培がしっかりと持続できる事業になるように、銀行や商工会、農協、地元新聞社などを加えて、ブランド化を進めている。場当たり的な展開ではなく、先を見据えた展開に、生産量日本一への本気度がうかがえる。現在8tの生産量を3年後に20tへ、目標販売金額は3年後に1200円/㎏にする計画がある。「“里庄まこもたけ”を特産品として全国的に認知してもらいたい。そのために生産量が日本一になればと思っています」。その過程で、耕作放棄地の回復が進むということになる。またそれだけの生産量になれば、相応の利益が生み出されることになり、それが地域の活性化にも繋がる。
 生産量を向上させながら単価も向上させるということは、強固な生産体制を築いていくことに加えて、販路の開拓、付加価値の向上、的確なプロモーション活動などが求められる。そのためには高級食材として東京の市場を視野に入れることも一つだし、また付加価値の向上では、6次産業化の推進、食材としての魅力を引き出すことなどがある。岡山市で中華料理店を営むシェフが、オランダで開かれた中華料理世界大会に出場し“里庄まこもたけ”を使った料理で銅賞を受賞するなど、そのポテンシャルは高そうだ。プロモーション活動に関しては、よしもとクリエイティブ・エージェンシーの協力により、岡山県“住みます芸人”の江西あきよしさんを起用するなど、様々なPR活動を行っている。
 水田を水田としてそのまま活用できるマコモタケの可能性は高い。また、単価も良く経営的にも魅力的だ。近隣の町から里庄町にマコモタケの栽培を学びに来る若者もいるようで、水田の新しい形を垣間見ることができた。
 耕作放棄地は地域農業の活力を測るバロメータ。そこで利益を生むものが作れれば地域農業の活性化に繋がり、中山間地ならそれが地域の活力にもなっていく。しかし農業がなくてもやっていける地域ではどうなのか。そこに課題がある。なぜ地域で農業を残さなければいけないのか。本当の豊かさとは何かを考える問いとも重なるはずだ。“里庄まこもたけ”の取り組みにその答えの一片が潜んでいるように感じた。

耕畜連携で地域の力「良質な自給粗飼料でTMR」

〜肉用牛繁殖経営に貢献〜

取材先:鹿児島県 JA鹿児島きもつき、農業生産法人株式会社 肝付アグリ

2016年12月号掲載 

 

 農業を取り巻く環境が大きく変化する中、平成30年には生産調整も廃止され、個々の農家はより自由な経営と踏み込んでいくことになるが、見方によっては弱肉強食ということにもなり、その荒波を個人でかい潜っていくのは容易くない。幾ら奮闘としても巨大な流れの中で、刃折れ矢尽きるということもあるだろう。そこで助けになるのが力を合わせるということ。一つ一つは弱くても同じ方向に歩めば大きな力になる。しかし、野生にいる草食動物が力を合わせて肉食動物に挑むなんてことはないわけで、力を合わせるということはそんなに簡単なことではない。個々の間をどうやって繋ぐのか。今回は耕畜連携にその肝を探る。

 

 
▲粗飼料生産地▲集積地のWCS▲TMRセンター

 

地域の子牛生産を支援
 今回訪れたのは九州南端、鹿児島県大隅半島の中央部。平均気温が17℃と温暖で農業が盛んに行われているが、ここでも日本各地のご多分に漏れず、後継者が少なく、農業従事者の高齢化が進んでいる。その中で牧草作りに注力しているのが肝付町で活動する農業生産法人㈱肝付アグリだ。そしてそこで作られた粗飼料から発酵TMRを作り、地域の子牛生産に取り組んでいるのが鹿屋市に本所があるJA鹿児島きもつき。耕種農家と畜産農家の間を繋ぎ、地域農業の大きな力になっている。
 この辺りでは甘藷の栽培と畜産が盛ん。特に畜産が多く地域のJA鹿児島きもつきでは、黒牛の生産などが県内トップクラス。しかし、畜産に従事する者の高齢化が進み、農業を辞める人も多く、飼養頭数の規模拡大などは進んでいるが、繁殖母牛の頭数は減り、全体として減少傾向にある。現在、畜産農家の半分以上は65歳以上。ここ数年、全国的な子牛不足から、子牛の価格が高騰し、減少数にややブレーキが掛かっているものの、これからの10年を見ると大きな不安がある。そこでJA鹿児島きもつきで、取り組み始めたのが肉用牛繁殖経営における分業体制の構築。平成22年に家畜市場への子牛上場頭数の維持拡大を図るため、肉用牛繁殖雌牛1000頭の繁殖農場と哺育・育成施設をJA鹿児島きもつき、きもつき大地ファーム㈱、鹿児島県経済連が一体となって整備した。
 畜産における繁殖の部分は様々なリスクがあり、その経営は簡単にはいかない。まず根本的に出産そのものが命に関わる危険性を持っていることに加えて、出産は昼夜を問わず行われ、それに対応する従業員の苦労は多い。また経営的には、出産までに約10ヵ月かかり、その後 9ヶ月間哺育されて市場に出荷されることになり、収益が上がるまで19ヵ月間かかる。その上、出産が毎年続いていけば良いが、空白期間が生まれることもあり、中には1年以上の間隔となる母牛もいる。これだけのリスクを持って個人の畜産農家が、経営を続けることの苦労は想像に難くない。結果、後を継ごうとする者が少なく、高齢化で農業を辞めていくことになる。子牛価格の好調を背景に新規参入してくる者もあるが、その数が増えているという現状ではない。その中で、きもつき大地ファームの存在感は大きく、1000頭の繁殖母牛から、毎月80頭ほどが、きもつき中央家畜市場に出荷されている。
 そのきもつき大地ファームに餌を供給しているのがJA鹿児島きもつきのTMR(完全混合飼料)センターだ。TMRはTotal Mixed Rationの略で“家畜の要求する飼料成分を混合したもの”とされ、必要な栄養水準を持ち、不断給餌される。ここのTMRセンターでは1500頭相当のTMRを作ることができ、地域で生産された粗飼料に、地域特産の甘藷の加工に伴って農協のでん粉工場から排出されるでん粉粕や配合飼料が加えられている。TMRの約29%を占めているでん粉粕は地域の未利用資源でこれの有効活用に繋がる取り組みともなっている。また大半を占める粗飼料はTMRの63%ほどにもなり、これを地域から供給することで、農地の利用率を向上させ、地域農業の活性化にも貢献する。この3つの原料をミキサー車で撹拌し、圧縮梱包して約1ヶ月間発酵させたものが発酵TMRと呼ばれるもので、きもつき大地ファーム1000頭の母牛はこうしてできた餌によってのみ育てられている。
 このTMRの原料となる粗飼料生産を担っているのが地域の粗飼料生産部会で、4つのコントラクター組織からなり、最大の供給量となっているのが肝付アグリだ。

品質重視の粗飼料生産
 肝付アグリは今年10年目。この辺りでは昔から、農家が1頭、2頭の家畜を飼い、畦の草などを食べさせてきたが、その内、畜産農家というものがでてきて、20頭、30頭と規模を広げ、飼料作りが行われ、それと合わせ、輸入粗飼料の利用も進められていった。「設立の前に、400頭ほど牛を飼っていた農家さんが、夜遅くまで牧草の収穫をしていて、牛の面倒が疎かになり、作業が終わって牛舎に行くと出産間近だった母牛が難産で子牛と共に死んでいた。それを機に粗飼料を全量輸入に切り替えたという話を聞き、飼料作りという事業が成り立つのではと考えた」と肝付アグリの創業者、鶴田健一さん(58歳)が当時の様子を話してくれた。
 規模が大きくなればなるほど飼料づくりの負担は重くなる。そこで輸入粗飼料ということになるが、地元で供給することができれば、供与できるメリットは多い。ばらつきの無い品質や為替の影響を受けない安定価格、または防疫の面からも国産自給飼料の魅力は大きい。
 しかし、事業を始めた当初は「まわりの畜産農家さんから、そんな事業でどうやって経営が成り立つのかと言われ、まさにその通りで、最初の数年は苦労しました」。当時、農家は自前で飼料を作り、賄えなくなれば価格の安い輸入飼料を使う。少し時代の先へ行き過ぎていたのかもしれない。大隅半島の畜産農家をくまなく周り、「品質は良いね」と言われるものの、売上には結びつかなかった。苦しい時代が続く。
 しかし平成24年にJAのTMRセンターができ、経営が安定。「これでやっと救われたっていう気になりました」。現在は、イタリアンライグラス、エンバク、スーダン、WCS、稲わらを地域の甘藷農家と水稲農家の圃場を利用して200haの規模で粗飼料生産を手掛けている。従業員は鶴田さんを含めて4名。アルバイトなどが年間述べ200名ほど働いている。
 畑地の場合、甘藷の収穫が8月から始まり、収穫後、土地があき次第、期間借地を始め、翌年の5月一杯までイタリアンなどの牧草を生産する。「この辺りは焼酎用、でん粉用の甘藷を作る大型農家さんがいますので、その圃場を使用していきます」。水田の場合は収穫後の稲わら収集とWCS(ホール・クロップ・サイレージ)。WCSは作付から行う場合と収穫から行う場合があり、肝付アグリで生産する粗飼料の約半数がWCSになっている。地域ではWCSの生産が伸びており、「肝付地域にある水田660haのうち、300haちょっとがWCSになっています」。施策の推進もあり、水田の活用としてWCSを選択する農家が増えている。特にこの地域は畜産が盛んな事もあって肝属郡でのWCS生産は県内でも群を抜いて多い。
 粗飼料生産で気をつけていることはまず何よりも品質。「最初はたかが草だと思っていましたが、牧草作りは難しい。奥が深いです」。TMRの原料として最良な状態になるように試行錯誤が繰り返されている。肝付アグリの作業工程では「刈り取った後に、圃場で機械で撹拌して予乾し、水分を40~50%にしてから集草します」。でん粉粕と混ぜ合わせることなどを考えて水分量が調整されている。ただ圃場で予乾を行うということは、作業が天気に左右されるということでもある。「金曜日に牧草を切れば、火曜日か水曜日にロールにする。その間の月曜日に雨が降ると予想されていれば作業はできません」。望まれる品質を確保するためには苦労も多い。集草した草はロールベーラでロールにし、ラッピングマシンによりラップしてサイレージに。原料としてTMRセンターに搬入されるまで5ヶ所の集積地で保管される。最新の機械を導入し充実した機械力で200haの経営規模を効率よく作業している。また「普通の農家さんが機械を使う一生分を1年で使いますので、機械のメンテナンスも自分たちでやります」と、機械も含めた農業が展開されている。

連携することで地域農業活性化
 肝付アグリで作られた粗飼料はTMRセンターで繁殖母牛のエサとなり、きもつき大地ファームに供給され、そこで排出された糞尿は堆肥となり、再び肝付アグリへ。耕畜連携の綺麗な循環が作られている。「堆肥はマニアスプレッダーで10a当たり3t播き、硝酸態窒素などに注意した土作りを行っています」。また土地を借りて牧草を作っているわけで、その間にも連携があり、「刈取が終われば、深耕して綺麗に整地し農家さんに返します。農家さんは1回ロータリーすれば芋が植えられる」。後作の事もしっかり考えることが、事業のスムーズな展開に繋がるようだ。
 そういう心遣いもあって、経営面積は毎年増えていく傾向にある。特に宣伝などはしていないが、土地を借りてくれないか、WCSをするので協力してくれないかという農家が肝付アグリを訪れる。その中で課題になっているのは、畦畔の草刈。規模が拡大すればするほど、その手間は増大していく。また農地の分散も大きな問題。「平均して20a、30aの圃場が分散してあり、筆数にして400筆にもなる」。その移動と管理に大きな労力がかかっている。その改善を図るため、圃場管理にクラウドシステムの導入を進めている。さらに今後を見据え、人材の強化も必要になってくる。「私もずっと現場で作業できるわけではありませんので、次の世代を育てていかなければなりません。来年度から求人を出してみようかと考えています」。創業10年目を迎え、変化に対応した新たな形へ進化しようとしている。
 事業を始めた当初は、仕事も少なく「いつ潰れるのか」と不安を抱く日も少なくなかったが、「今は、農家さんがここをわざわざ調べてやって来てくれる。そして来年度からWCSを作りたいのだとか、相談してくれる。こういう時は誰かのために役に立っていると思え、地域に必要とされていることが嬉しいですね」。高齢化により農業を離れる人もいるが、農地の受け皿としての役割も果たしており、放棄地の抑制に繋がっている。
 「農業はやりようによっては面白い」。その一つの方法が連携していくという方法だと感じた。耕種農家と連携し、JAを通して畜産農家と連携している肝付アグリの現況にその証がある。耕種農家と畜産農家の間に入るということで、個々ばらばらにある農家を繋ぐことになり、一つの大きな力になっていく。その結びつきが農業を面白くしていく。鶴田さんの夢は「牧草の生産量で、日本一になりたい」ということ。それは連携の中で見る夢であり、その実現への歩みは、自社の発展に留まらず、地域の子牛生産量増加に貢献し、耕地の利用率向上にも繋がる。地域農業活性化の明日の形をそこに強く感じた。

ファイティング・アグリ・スピリッツ「中山間地農業の持続力」

〜中山間地で“いちご”栽培〜

取材先:くろしお苺生産販売組合 杉浦 仁組合長

2016年11月号掲載 

 

  野生の世界は弱肉強食。人の世でも往々にしてそれに倣い、歴史を見ればあちらこちらに。信じるものの相違や限られたものを巡って絶えず争いが起きる。事後顧みて悔い、弱き者に手が差し伸べられてはきたが、世界はどれほど変わることができたのか。見渡せば未だ昔の話だとばかりは言えない。その中で弱い者が見捨てられていく。生き残るためにと、勝つためにと、強い部分が残され、弱い部分が淘汰される。相対的な比較の中で例えば日本農業が、地方が、小規模農業が、時に置き去りにされるものに加えられる。取り残された者はどうすれば良いのか。座して朽ちるのを待つしかないのか、それとも闘うのか。生き残りの方法を探る。

 

 
▲中山間地で栽培▲まりひめ▲栽培ハウス

 

中山間地で“いちご”栽培

 ファイティング・アグリ・スピリッツ。今回訪れたのは和歌山県にあって、陸の孤島とも形容される那智勝浦町。その海岸から少し山手に入った旧太田村近辺で、小規模ながら“いちご”の生産地が形成されている。その主体となっているのが“くろしお苺生産販売組合”で、その組合長が杉浦仁さん(42歳)。就農10年の新規就農者で高齢化が進む地域にあって期待の若手。中山間地で農業を持続する難しさやその可能性を聞いた。

 那智勝浦町は遠い。「例えば東京に行くのなら沖縄の人の方が速いかもしれない」。紀伊半島の突端、串本町の東にあって、高速道路はいまだ繋がらず、辿り着くには深い山々の連なりを延々と超えていく道か、一部熊野古道とも重なる海岸線を縫うように走る道しかない。「県内を移動するのにも大変です」。当然大消費地からは遠くなり、農業においては、鮮度からも輸送コストからも不利となる条件不利地。また海岸線からはすぐに山が連なりいわゆる中山間地と呼ばれる地域となる。集落では農業が行われているが、平坦部が少なく、不整形地が多く、規模を拡大する農業は難しい。結果、後継者として集落に残る者は少なく、「もうそろそろ限界集落です」。集落を行けば、荒れた圃場や耕作放棄地が目につく。

 そんな中山間地で、地域農業の持続を図る鍵となっているのが“いちご”だ。この地でいちご栽培が始められたのはずっと古く、生産組合は45年以上前に立ち上げられていて、恵まれない土地条件の中、少しでも付加価値の高いものとして生産が続けられてきた。気候的には黒潮の影響を受け温暖で、日照時間も長く冬場の晴天が多い。「冬場でも比較的暖かいので、こちらでは、ハウス内を無加温で栽培することができます」。そんな優位もあって、当時兼業農家のお母さん達が、パートに行く替わりにと5aほどのハウスを建てていちご栽培に携わり、一時はそこら中にハウスが立ち並び、遠くは大阪の市場にも出荷し1億前後の売上げがあった。しかし5aのハウスでは農業を仕事として継いでこの地に残ると言うことは難しい。後継者がなく、農業従事者の高齢化が進み、規模がどんどん小さくなっていった。

 そんな中で就農したのが杉浦さんだ。「もともと勝浦で建設関係の仕事をしていましたが、平成18年に就農しました」。農業を始める前には町議会議員も務めるなど、地域のために何かできることはないかという思いは強い。その活動の中で「地域農業の現状を知り、視察もしていて、農業が面白いと感じました」。外で汗して働く事に性分が合っているということもあり、農業の世界に飛び込んだ。しかし「いざ農業をやってみると大変でした。だけど後には引けない。手応えを得るまでに3年ぐらいかかりました」。外から見るのと、実際にやってみるのとでは大きな違いがあったようだ。当初はまず取り組みやすい葉物野菜ということで、ネギを手掛けていたが、3年目ぐらいに「いちご農家さんが辞めるということで、施設などを引き継いで、いちごに取り組み始めました」。


地産地消で“まりひめ”を展開

 杉浦さんは現在、いちご20a、ナス10aを経営。力を入れているのは和歌山県のオリジナル育成品種のいちご“まりひめ”。“章姫(あきひめ)”と“さちのか”を掛け合わせたもので、余韻が残る甘味と広がる香り、ジューシーな果汁が特長。「美味しいですよ。全国的に知られているものより美味しいと思います。大粒で形は綺麗な円錐形、実は柔らか」。この地では平成11年から導入されている。TVでも取り上げられたことがあり、流通量の少なさから他の地域では簡単に手に入れることができない希少価値のあるいちごとなっている。「農協を通した共同出荷で新宮の公設市場に出しています。量は少ないのですが、取引単価は高く、“あまおう”の次ぎぐらい」。消費者の評価も高く、商品価値の高い農産物を手がけることが、条件不利地で農業を続ける大きな力となっている。

 まりひめは和歌山県下の各地で作られているが、那智勝浦町のある東牟婁郡では、くろしお苺生産販売組合が中心。ただ現在組合員は14件と規模は小さい。組合長の杉浦さんは組合員の中で最も若い42歳。「年長の方から、これからは若い人に任せると後を託されました」。期待を背にこれからの地域農業が模索されている。

 その中、現在、いちごはかつてのように大消費地に出荷することはなく、近隣にのみ出荷されている。「ネットを使って東京にでも売ってはどうかと友達に言われますが、僕は地元の物は地元で食べてもらうのが基本だと思っています。地産地消が農業を長く続ける秘訣ではないでしょうか」。地域農業を持続するための一つの方法がそこにある。地元の人に愛される商品は確実な需要が見込め、収益の安定化に貢献する。また品質が高ければ、価格的に量の少なさを補うことができる。他の商品と差別化して、如何に愛されるものを提供するかということがポイントだ。まりひめで言えば、その高い食味とオリジナル品種で余所では買えないという希少価値、加えて生産地から消費地までの近さによる鮮度の良さがあり、美味しいものを最も美味しい状態で提供することができる。まだこの地での栽培が始まって7年しかたっていないが、地元では少し高くてもそれに見合うものとしてしっかりと受け入れられているようだ。「地元を一番大事にしていく」。このスタンスのもと、専業農家としての地歩をしっかりと固めている。薄利多売なら大きな商圏が必要となるが、少量でも他と比べて鮮度の良さ、味の良さなど、品質の高さがあるのなら、小さな商圏でも充分やっていけるようだ。

 その中で今課題となっているのは、個々の生産量を如何に上げていくかということ。高齢化の中辞めていく農家もあり、それを引き継いで生産するという話もある。杉浦さんの場合、労働力のメインは奥様と2人。加えて「いつも来てくれるパートさんが1名。臨時の方が2名。70歳を超える超ベテランです」。この陣容で現在の20aがほぼ限界になっている。いちご栽培は手間がかかる。まりひめの場合、炭疽病などの心配も多い。またパック詰めでも、傷みやすい柔らかなものを、大きさや品質を見極めて詰めていかなければならず、作業量は多く、労力が必要となる。さらにこの辺りは「全国でも3位に入るぐらいの、台風の通り道。台風対策は大きな課題です」。対策としてはビニールを巻き上げたり、剥いだりして、ハウスが潰れないようにする。中にはいちごが植えられているが、それ以外に対策はなく、後は、傷がつかないように、防風ネットを掛けるだけ。「それ以上はどうしようもない」とこの地域ならではの苦労がある。

 その中で、いちごの生産量を増やすのなら、更なる省力化、効率化を進める必要がある。そこで杉浦さんは土耕から高設栽培への移行を進めている。「今は高設が6割。体への負担が違います」。その上で秀品率を上げていくことも必要になってくる。それらを進めながらさらに栽培面積を拡大するのなら「雇用も考えていかなければならないと思っています」。産地は今、新たな段階に差し掛かろうとしている。


地元に働ける場所を作る

 まりひめは「子供が実家に戻ってきた時に、お土産として持たせるものとして売れています」。少しだけ上等な日用品という位置付けだろうか。一定した需要が根づいている。しかし、まりひめの名前は知っていても、実はそれがどこで作られているかを知らない人も多いとのこと。「産地の認知度は低く、和歌山でも農業が盛んな紀北や“くろしお”の名前から四国で作っているのかと思っている人もいます」。そのため今後は、地元ブランド定着のプロモーション活動にも力を入れていきたいとしている。「組合のキャラクターとしていちごの着ぐるみの“まりりん”を作りました」。それを持ってこれからは地域のイベントや祭りに積極的に参加したいとしている。農産物と産地を合わせてしっかりと認識してもらえれば、産地としても選んでもらえるようになる。それは地域農業を持続する大きな力になる。この他、観光農園を始めて地域に集客したり、まりひめを使った商品の加工所を作る計画やそれらを地域で提供するカフェのアイデアもあるようだ。

 それらを実行に移すには、地域のまとまりが必要だが、中山間地という農業的には決して恵まれない地域にあっては、なおのこと組合員の「団結力は高い。人数も少なく、もう家族みたいです。助け合おうという気持ちが強く、病気が出たら苗を無償で提供したり、ビニールの張り合いも組合でやっています」。

 また平成23年には、台風12号がもたらした豪雨で紀伊半島に甚大な被害がもたらされたが、「この辺りでは、太田川が氾濫し付近一帯は床上浸水。僕の所も床上1m。その時ハウスも全部水につかり、既に幾らか植えていたいちごの苗は全て炭疽病。そのシーズンは殆ど利益がなく、復旧作業のバイトで凌ぎました」。自然は時に容赦がない。しかし農業を諦めることなく、「農業が好きです」という気持ち、そして「郷土愛が沢山あります」という地域に対する愛着で乗り越えてきた。組合員も同じ状況を乗り越えてきたわけで、この地で、農業を営んで暮らしていくのだという強い思いを感じた。

 農業を巡る環境変化の中、競争力を強化しようと様々な施策が設けられ、恵まれた条件の所では大規模化による生産コスト削減、収益確保などが進められているが、その流れから取り残されていく地域も少なくなく、特に中山間地域では地域農業の持続が難しくなっている所も多い。その中で、この地には、状況に対して闘う意志があり、地産地消をもとにブランド農産物を展開する闘う方法があった。

 杉浦さんには中学生の子供がいるが、これからの農業に対する想いは、「その子に地元でも仕事はあるなと思ってもらえるような農業を目指したい。農業で食べることができ、この地で暮らしていけるような、農業で地元に働ける場所を作りたい」。それが地域を存続させることにも繋がる。豊かな自然、働く場所、助け合える仲間、そんな魅力的な地域が少しでも増えることを願う。



女性の視線が農業を変えていく

取材先:愛知県碧南市 鈴盛農園

2016年9月号掲載 

 

  男と女は違う。物の見方、考え方、感じ方、対人関係のあり方。楽しみ方にしても、例えばお洒落をして買い物に出かけ、友達とおしゃべりを楽しむ。お酒を飲みながらスポーツなどの勝負事に熱くなる。女性は日常を楽しみ、男性は日常を離れようとする。優劣を付けるようなものではないけれど、そうやって互いに年を重ねた末に、平均寿命は女性の方が勝っている訳で、生物学的には女性が勝者と言えるのかもしれない。過去、男性中心で営んできた日本農業が行詰まっている。それを打開するためには中心メンバーを変えてみるのも一つだ。女性の存在が大きな鍵となる。今、農業女子に大きな注目が集まる中、彼女達の視線の先に農業の明日を探る。

 

 
▲鈴盛農園▲直売所の商品棚▲女性農場長の鈴木薫さん

 

“これからの農業”を実践

 “農業で活躍する女性の姿を様々な切り口から情報発信し、社会全体での女性農業者の存在感を高め、併せて職業としての農業を選択する若手女性の増加を図る”としているのが、農林水産省主導の農業女子プロジェクト。これに参加しているのが鈴木薫(30歳)さんだ。夫の啓之(32歳)さんが代表の鈴盛農園で農場長を務めている。互いが役割を果たし、相手の影響を受けながら成長を重ねていく。啓之さんが見つめる農業の明日、薫さんが感じる農業の豊かさ。それらが交わって織りなす形に、農業のこれからの姿が見える。

 鈴盛農園があるのは愛知県の碧南市。「農業が盛んな場所でニンジンの指定産地。後継者のいる農家も多く、160戸ぐらいが農業を行っています」と、地域の概要や農園の取り組みについては、啓之さんが教えてくれた。

 現在は2.1haの農地で露地野菜を少量多品目で年間約30品目栽培。メインとなるのはニンジン、タマネギ、ジャガイモ、サツマイモ、里芋で、有機質肥料を使い、無農薬に近い減農薬栽培を実践している。販売ルートは「5割ぐらいが道の駅などの産直施設で、今は県外のものも合わせて20店舗ぐらいに卸しています。残りは仲卸、インターネット通販、農園倉庫で行う“ハタケマルシェ”などの直売。その他、東京などのレストランにも販売しています」。生み出される野菜はどれもこれも個性豊かで、祖母のりりさんの名前にちなんだ“スウィートキャロットリリィ”、オレンジ・赤・黄・紫・白・黒・ベージュの7色を持つ“しあわせのカラフルにんじん”、玉葱ステーキに合う“素敵(ステ〜キ)なたまねぎ”、有機質肥料をたっぷり与えた“贅沢ポテト”、百年前から受け継がれた種芋で育てた“百年里芋”など。高い品質と共に、農産物に物語があり、他の何かでは代替できない付加価値でブランド化を展開している。その農産物の品質向上において、大きな効果を発揮しているのが鈴盛農園独自の“塩農法”。「実が大きくなる時期に、塩水を畑に散布することで、農産物の糖度を上げています」。フルーツトマトなどは塩化ナトリウムを入れて糖度を上げる取り組みも行われており、「農産物のブランド化を図る上で、甘くて食べやすいニンジンを作ろうと思い、色々調べていて塩の力に行き当たりました」。碧南市の南東にある三河湾で幻の塩と呼ばれる“饗場塩(あいばじお)”を作る鹹水(かんすい)を真水で薄め、海のミネラルと共に海藻エキスなども加えて散布し、他にない農産物を生み出している。この取り組みは平成22年度の愛知青年農業者大会において発表され最優秀愛知県知事賞も受賞するなど、農案物に付加価値を付ける方法として高い評価を受けている。

 そんな農業を実践している鈴盛農園は平成24年4月に設立。自動車関係のサービス業で働いていた啓之さんが25歳で新規就農を決意し、愛知県の農業大学校、地元の生産法人を経て、祖母が持っていた20aほどの農地を引き継ぎ、28歳の時に独立就農を果たした。農業に携わりはじめて今年で8年目。“日本の農業をカッコよく”をテーマとして、現在は生産の他、農産物の加工事業や、加工プロデュース、イベント出店なども行い、それに加え啓之さんは全国農業青年クラブ連絡協議会の第61代目会長を務め、安倍首相との官民対話や小泉自民党農林部長が主導する会議に参加するなど、わずかな年月で“これからの農業”の形を示す大きな存在感を発揮している。


子育てと農業を両立する女性農場長の仕事

 その啓之さんの行動に引っ張られる形で農業の世界に足を踏み入れたのが妻の薫さん。「最初は、農業をしたいと思っていませんでした」。元々ペットショップでトリマーの仕事に携わり、結婚、出産で仕事をやめていたが「復帰する可能性もありました。それが、思ってもみない方向に進むことになりました」。ニンジン作りの手伝いを始め、啓之さんの独立就農2年目、2人目の子供が1歳の頃、本格的に農業を始めることになった。「最初の1年目は分からないことばかりで、とにかく厳しくて、叱られながら、毎日泣いていた感じです」。笑顔で当時の様子を教えてくれたが、言葉の運びに、ニュアンスにその時の苦労が伺えた。楽しみや遊びのためにやるわけではなく、これで食べていく、そしてもっと先を目指していく。まだ何者でもなかった現状と思いの間にあったギャップを超える苦労だったに違いない。ただ「夫が向かう先を常に示していました」。それは歩みが止められないと言うことだが、涙には意味がありそれが報われる場所があるということでもある。啓之さんが思い描いていた農業が少しずつ形になる中で、日々を乗り越え、実力を蓄え、農場長の役割をしっかり担えるようになっていった。「今は農業が面白い」とスタッフやパートも抱え、積極的に営農に取り組んでいる。

 農場長の仕事は多岐に亘る。啓之さんは農業に関連した会合やイベントなどで農園にいないことも多く、その時は「全てお願いしていますので、生産現場では欠かせない存在です」と啓之さんの信頼は厚い。圃場の見回り、スタッフの作業指示、直売所の管理運営、作物の管理作業、収穫などなど。「作付けの計画も考えます」。薫さんの思いが農園に広がる。

 中でも楽しい仕事は「畑の見回りです。畑毎に様子が違い、その変化、作物の生長を見るのがすごく楽しい」。常に変化して止まない自然を相手にする仕事の喜びと言えそうだ。「外で働くのが面白い」。圃場での栽培管理では自ら耕うん機を駆って、中耕作業に取り組む。使用しているのはホンダのガス耕うん機ピアンタFV200。これを女性向けの専用機として使い、軽快な作業を行っている。「使っていて気持ちの良い機械です。操作が簡単で負担が少なくすごく楽。パワーもあります。少量多品目の農業では重宝します。それに可愛いし、女性なら使ってみたいと思う」と、女性に合った農機が農作業の大きな力になっているようだ。またこの他、ホンダの小型耕うん機F410が活躍している。

 農機を使用して肉体労働をこなし、作物の状況を把握してスタッフに指示を出すなど、男性農家と代わらぬ働きをする薫さんだが、女性農家ならではの悩みもある。その一つが子育てと仕事の両立。この世界でも他の業種と同じで、如何にその問題を解決していくかは、社会で女性が活躍する鍵ともなる。特に新規就農者を増やそうと思えば、夫婦で働く例は少なくないわけで、重要なネックと言える。薫さんは現在、7歳、4歳、0歳と、3人を子育て中。家で面倒を見てくれる人はなく「仕事中は保育園に預けて、その送り迎えもしています。ぎりぎりまで働いて家庭のこともしなければなりません」。女性農場長の負担は重い。

 また女性農家としては、服装にも気を遣う。農園周辺では非農家との混住化も進み、作業を見られることもあれば、直売所でレジに立つこともある。また「着替える間もなく保育園に迎えに行くこともあります」。見られても恥ずかしくない格好で農業をする。それは社会との繋がりをしっかりと意識していることでもあり、“カッコいい農業”に近づく一つの方法とも思えた。


生活者の視線を農業に

 女性はコミュニケーション能力が高いと言われ、鈴盛農園でも薫さんの存在が地域での対人関係を円滑に進めている。「一緒にいると、付近の農家がどんどん喋り掛けてくれる」と啓之さんの実感。また仕事が丁寧、袋詰めが綺麗など、男性農家に比べ得意なことも多い。その背景に生活者の目線を男性よりしっかりと持っているという事があるようだ。「袋詰めは店先で実際自分が手に取りたい物を想定しながら作業します。また形が悪くても味が変わらない物など、値段との関係でどこまでだったら許せるのか、その度合いを、買って下さる人と同じ視線で、感覚として分かります」。生産者が実需者でもあるわけで、より買い手の気持ちになった商品展開が可能となる。ニンジンの生産では独自の農法で糖度の甘い物を作っているが「子供が食べてくれるものを考えれば食べやすくて甘い物が良いなと思っています」。その生産に生活者としての気持ちが広がっている。その上で「これからは、マイクロキュウリ等、可愛いものを作りたい」。実需者の指向と自分の気持ちを重ねて感覚的に捉える。また加工においても、同農園の代表的製品である“にんじんジャム”は薫さんの発案。「毎日ニンジンを食べているのに、まだまだたくさんあって、それで何か出来ないかなと思って作り始めました」。有る物を無駄なく使う。生活者の感覚が活かされている。

 啓之さんは前職のサービス業での経験を活かし、需用者の立場になって商品展開を行い、カラフルニンジンの導入も進めたが、それでも「最初は自分だけでやっていて、何でもかんでも男っぽいものだったかもしれません」と自戒する。2年目に薫さんが農園に入ってきて、「常に意見を聞けるようになり、段々と実需者の女性に歩み寄ったものになった」。様々なことを薫さんというフィルターを通すことで、生活者の目線を真に感覚として取り入れた農園に変化していった。「世に出す前の門番です」。それが実需者の共感を呼ぶことに繋がっている。男性的なものが女性的なものを取り入れることは、あるいはその逆もまた、成長の一つの過程といえる。それが変化する社会に対応するための方法でもある。農業が女性の力を取り入れていく意義がそこにある。

 農業の世界に入ることは、薫さんの人生にとって思わぬ展開だったが今では「これが本当の生活だという実感があります」と気持ちが変化している。「畑に出て、太陽の下で働いて、野菜を作って、それをご飯にして食べる。その繰り返しで季節が変わっていく。そこに本物の生活が持つ厚みがあり、豊かさがある」。薫さんの語る情景に農業の持つ大きな魅力が伝わってくる。

 啓之さんの目標の一つは「農業をもっと身近なものにする」こと。その上で、「観光農園や直売所を集約した農業テーマーパークの様なものに辿り着くかもしれません」。その中で展開されるものの根底にはきっと薫さんが感じるような農業の豊かさがあるに違いない。本物の生活、現実の実感、そのようなものを伝える施設の価値は決して小さくない。

 女性農家は単なる労働力ではない。経営に参加することで、経営の質を変えていく。相克する者が互いの利点を取り入れ、乗り越えていくことで、新たな成長へと至るように、日本農業が女性農家を取り入れることで、持続性のある明日の農業へと変わっていく。そんな景色が目に浮かんだ。


“なると金時”のブランド力「生産者が競い合うことで強いブランドをつくる」

取材先:JA大津松茂 松茂支所甘藷部会 土佐晃 部会長
2016年8月号掲載

 

  “ブランド”と言っても様々な意味合いがあり、一口でその全容を指す事はなかなかできないが、プレミアムであることは、ブランドが持つ一つの側面には違いない。価値が高く、類似品から抜きん出て、独自性があり、他の何かで代替することが難しいもの。平凡なものと一線を画して区別されるもので、そうなればある種の“お宝”と言っても良いかもしれない。それを持続的に提供する事でしっかりとしたブランドが形成されていく。それは農産物でも同じことで、各地でプレミアムを提供する様々なブランドが形成されている。そこに日本農業が生き残る一つの道がある。

 

 
▲生産地▲移植作業▲なると金時

 

プレミアムブランド、なると金時

 “できれば高く売りたい”。誰もがそう思う。せめて費やした時間、労力に見合うだけのものを得たいと。しかしままならないのが現実で、一般的な農産物は基本、他の何かと代替可能で、供給サイドの意向だけで値段を上げていくのは難しい。また、日本経済がさらされてきた長年のデフレ傾向もあって、需給状況によって短期的に上がり下がりはするものの、長期的には約20年前に60kg2万円を超えていた米価が凋落していった軌跡に沿うようなものもある。しかしその中でもブランドを形成し、他から抜き出た価格で取引されているものもある。徳島の“なると金時”もそのひとつだ。その秘密を生産現場に探る。

 「なると金時は徳島県北東部に位置する鳴門市、北島町、松茂町、徳島市で生産されたもので、徳島の温暖な気候と海のミネラルをたっぷり含んだ砂地によって育まれ、高い糖度と栄養を含んでいます」。JA大津松茂の松茂支所で甘藷部会の部会長を務め、家族3人で約2haを経営している土佐晃(60歳)さんに、なると金時について、その実際をお聞きした。

 この地での甘藷栽培は徳島県鳴門市で明治初期に既に200ha以上を超え、昔から海砂が堆積していた鳴門市里浦地区や大毛島地区が中心となって生産していた。その後、昭和29年に、現在なると金時として栽培されている高系14号が、徳島県で試作され、昭和32年頃から普及。昭和46年度から米の生産調整政策が本格的に始まると、海砂を客土して水田を砂地畑に造成し、産地が周辺に拡がっていった。土佐さんが農業を営む松茂町ではその頃の5年ほどで栽培面積が約4倍に拡大した。また昭和56年頃に現在の系統の始まりとなる表皮の赤いものが優良系統として選抜され、これを“鳴門金時”と呼ぶようになった。その後「平成19年には地域団体商標制度に基づいて、“なると金時”の名称になりました」。

 また松茂町は他の産地に先んじて徳島県農業試験所が実用化した「甘藷苗のウイルスフリー化にいち早く取り組んだ」。ウイルスの防除が行えると同時に芋の肥大がよく、赤みが増し「表面が真っ赤っかになる」。この系統を他のものと差別化するために平成7年に“松茂美人”として商標登録を行い、現在はこの地で生産されるさつま芋のブランド名は“なると金時 松茂美人”となっている。

 「今では全国のさつま芋がウイルスフリーとなりましたが、畑、気候によって出来るものは様々。我が家で作っているものを山に持っていって育てたら、水分の多いべちゃっとしたものになります」。徳島のこの地域が持つ特有の気候風土のみが “なると金時”を育めるということのようだ。「この色、艶、形は余所で真似ができない」。現在、松茂町では約200ha、徳島県全体では1000haほどの栽培規模で、さつま芋の生産は全国5位。年間約2万4000tが栽培されている。

 なると金時の特長は、艶のある赤紫色の外観と上品な甘さのあるほくほくとした肉質。「市場に行って並んでいるのを眺めると、私たちの芋は光っています」と土佐さん。まるで宝石について語るかのようだ。芋の内部は薄く黄色みがかり、粉質で、口に入れると品のある甘さが広がる。見た目と味わい、それらが合わさって、他のものでは代え難い上質さを醸し出している。

 近年、そのなると金時に続けとばかりに、さつま芋の生産を導入する産地が増え、また安納芋や、紅はるか、シルクスイートといった新品種がその特性を前面に出して台頭してきたが、依然なると金時のブランド力は高く、取引単価は他のライバルを引き離している。「さつま芋の中では一番です。これだけの単価を出せるものは、なると金時の他にありません」。市場での信頼は厚い。


葉っぱと話をする高い営農技術

 そのブランドを支えている力が、知恵と工夫を積み重ねてきた日々の営農の中にある。

 「大体のスケジュールを言いますと私の所ではツルを4月7日に定植し、7月7日の七夕から収穫開始。それが12月24日のクリスマスまで続きます」。この他にも大根を手掛け、さつま芋を収穫した後、9月ぐらいから大根を植え付け、12月末から2月まで出荷。大根と芋の出荷時期が重なる12月が繁忙期となるが、効率的な畑の活用ともなっている。

 「栽培で一番難しいのは植え付け。手作業で1反約3000本、水平ざしというやり方で植えていきます」。ツルの植え方により、芋ができる数や大きさが変わってくるので、手作業の重労働をこなす体力と共に、長年の経験と技術が要求される。「早く掘るものや遅く掘るものなどがあり、微妙に間隔を1㎝単位で調節していきます」。他のさつま芋の産地では斜めざしというやり方で、一反に5000本を植えるところもあり、それを考えると明らかに量より質を重視した戦略であることが分かる。

 「さつま芋は地面の中に出来ますので、良い芋かどうかは掘ってみないと分からない」。それがさつま芋の難しいところでもある。定植から収穫までの3ヶ月の間、どのような気候にさらされるのか。またどのような土質で育てられるのか。「畑のpHは皆違います。6.5~7.5ぐらいまでがベスト。貝殻が入っている所は何年も貝殻が溶けていってpHが上がってしまい、土壌改良剤などが必要になります」。隣の畑とこちらの畑ではできが違うという事だ。それでも上の葉っぱだけを見て、その色などから中の様子を考えなければならない。「葉っぱと話ができなければダメ」。そこにブランド農産物を手がけるプロ農家としての技量が問われる。ただ、完全にコントロールする事はできない。人事を尽くして収穫という天命を待つ。

 収穫では機械が活躍している。まず収穫に邪魔となるツルを処理機によって芋と切り離し回収していく。その後に掘り取り機を畑に入れ、芋を掘り上げていく。土の中からは大きさや形もまちまちな様々な芋が現れる。「作る方としては大きくて形の良いものを沢山作りたい」。その思いに基づいた日々の営みがどこまで反映されたのか。掘り出して初めて価値が分かる。まるで宝探しのようでもある。「とびきりのものは、1~2割」。この後選別、調製して出荷となるが9月、10月くらいからは貯蔵を始め、収穫が終わった後も5月いっぱいぐらいまでは出荷することができ、収入の安定化が図られている。


価値を高め、市場で一番の単価

 ブランド品としての信用を守るためには、高い品質を安定して提供することが重要。なると金時の場合、比較的似たような色形のものが多数できる農産物とは異なり、多くの項目を設けて選別し等級分けすることが大切になる。

 まずは形状として、長さ、曲がり程度、二次成長の程度、肌の状態があり、色沢として、艶、色のりがある。合わせて6項目の外観品質があり、それがそれぞれ特秀、秀、優、格外の4段階に分類される。それと合わせて大きさの選別があり4L、3L、2L、L、M、S、2Sの7段階が設けられている。単純に掛け合わせれば168通りもの分類となる。それらを一個一個、人の目によって形状、色つやを判別し、重さを量り、ひげ根の処理を行い、高圧洗浄機で表皮を綺麗にしていく。「水をかけてブラシで磨けば、表面が真っ赤っかで、てかてかに光る」。細かな選別を行い、磨き上げていくことで価値を高め、市場で一番の単価へと結びつけている。その手間暇が農産物をブランド化していく。露天で掘り出してきたダイヤの原石を等級分けし磨き上げていくかのようでもある。

 販売は農協を通した市場出荷となっているが、特長は個選の個販を行っている所。「農協から先の出荷先について、自分たちで決めています。例えば特別良いものばかりを箱詰めして、高値で取引されている市場へ送ったり、市場が得意とする、長めであったり、丸いものであったり、そういう形状を集めて地域の求めに応じたりします」。荷を積めた箱には生産者番号が記載されているので、市場と個人がそれぞれ個々に信用を築いていくことになる。「真面目に誠心誠意取り組んでいかなければなりません」。それが、なると金時全体のブランドイメージを高めることになる。また、売り先を自分で決められるということは、出荷した市場で同じ地域の生産者同士の競合が起こることもある。そうなると「ライバルは隣人」。その関係は優劣を競うという事だが、互いに切磋琢磨するという事でもあり、少しでも良い物をと、栽培技術の向上へ結びついている。それは与えられた技術ではなく、自らの意思で獲得していったもので、ブランドの強さとも言えそうだ。

 一方で競い合うだけではなく、互いの技術を教えあう情報交換なども行っている。個々の畑によって、言われた通りにはならないことも多いようだが、地域の力を蓄えることになる。「少ない面積で良いものを沢山作り高い単価をとる」。それが理想だが、「そんなに甘くはない」とのこと。難しくもあり、またそこに伸びる余地が潜んでいるとも言えそうだ。

 なると金時を生産するということは、土の中からお宝を掘り出しているようにも思える。ただこちらの場合、お宝をタダで手に入れられるわけではない。プレミアムな農産物としてしっかりとした生産コストがかけられている。土壌消毒に使う薬液、機械装備費、暗渠などの圃場整備、水路の設置など、「一番の単価を取るだけのものが必要になる」。その中で如何に収益を出していくが課題だ。また地域では、勤める工場なども多くあり、都市化が進み、幹線道路の近くでは畑が姿を消していっている現状もある。「それをそのままにしておいてはいけない」。確固たるブランドを築いてきたが、それをこれからも持続するためには取り組まなければならないことも多いようだ。

 最近は市場から輸出向けに出荷もされ、台湾、香港、シンガポールなどアジアの富裕層を中心に販売し、販路拡大で、ブランド農産物としての広がりを見せているが、その根底にはプレミアムなものの強さがある。その強さは自然の恵みを受けた農産物にだけあるのではない。それを育んだ地域の人が努力して獲得したものでもある。農産物のブランドとはそれを作る人も含めて形成されるものに違いない。その2つの掛け合わせに日本農業の大きな可能性を感じた。


ファイティング・アグリ・スピリッツ「埼玉をヨーロッパ野菜の産地に」

取材先:埼玉県さいたま市岩槻区 さいたまヨーロッパ野菜研究会 副会長 小澤祥記
2016年7月号掲載

 

 TPPの発効が視野に入る中で、海外からの農産物がより競争力を増すと警戒を強めている生産者は多いが、ただ身構えているだけでは農業を守れない。目の前にある脅威に向き合い、立ち向かっていくことが必要だ。とは言え、正面からの力比べだけでは少々分が悪い。やり方を工夫するのも闘いの内だ。方法は多々ある。進化の歴史を見ても明らかで、大きくて力の強いものだけが生き残るわけではない。新しい環境に対応できる術を身に付けたものが生き残る。埼玉では国産のヨーロッパ野菜を作ろうという試みが行われている。外国の野菜を国内で作ってしまおうというもので、そこに新しい時代の新しい農業が始まっている。

 

 
▲生産者▲ヨーロッパ野菜の圃場▲印象的なカラフルな野菜

 

埼玉でヨーロッパ野菜を栽培

 「ヨーロッパ野菜を“さいたま”のブランドにしていきたい」と語るのは、“さいたまヨーロッパ野菜研究会”の副会長を務める小澤祥記さん(37歳)。2013年に設立され今年4年目を迎える研究会で、ルーコラ・セルバーティカやカリフローレ、フェンネルなど、聞き慣れない野菜が現在50品目ほど栽培されている。1年目にまずこの地で作れるかどうかの試行錯誤が行われ、2年目にはビジネスとして成り立つための採算に合う方法を探り、3年目には販売先の確保が行われ、そして4年目の今年は、安定出荷を大きなテーマとして取り組んでいる。その中で今年の4月に農事組合法人FENNEL(フェンネル)が設立された。組合員数11名で研究会に所属し共同出荷・販売を行う。個々の生産者が一つの法人となり、新たな段階に踏み出している。

 ヨーロッパ野菜に取り組むきっかけになったのは2013年の1月。さいたま市農政課の主催でイタリア野菜勉強会が開催され、そこに小澤さん達生産者が出席した。「埼玉でレストランを経営するノースコーポレーションの北社長やそこで総料理長を務める人の話がありました」。市内にはイタリアンやフレンチのレストランが数多くあり、国産のものを是非使いたいと思っているという話で、それを受け「それならばやってみよう」とヨーロッパ野菜への挑戦が始まった。実際さいたま市ではワインやチーズ、パスタの1人当たりの消費額が日本トップクラスであり、それらを背景に「ヨーロッパの野菜を栽培して地産地消する」試みが始まった。

 そしてその年の4月に“さいたまヨーロッパ野菜研究会”が結成。小澤さん達生産者に加えて、需要者となるノースコーポレーションなどのレストラン、日本向けに品種改良したイタリア野菜を普及させたいとしていたトキタ種苗、流通を担う業務用食材卸・青果卸の関東食糧、IGSなどで構成され、レストランを基本にホテル、結婚式場、介護施設、病院などに販売されている。レストランや卸は生産者から優先的に収穫物が供給され、生産者は、種苗会社から栽培方法などのアドバイス、新品種の情報提供を受け、レストランからは実需者としての意見や評価を得る仕組みとなっている。

 「1年目は生産者4人から始めました。種苗会社から種の提供と技術指導を受け、何度も勉強会をして頂いた。そして暑い夏といくつもの台風を乗り越え、11月ぐらいから収穫が始まりました」。ただ、商品として出せる歩留まりは3割ほど。「家庭菜園レベルで利益は全然上がりませんでした」。しかし、鮮度がよく、シェフによる味の評価も上々で、ここまでできるのかという声もあり、それならば「もう1回」と悔しさをバネに評価を励みに取り組みが続いた。

 そして研究会の生産者も2年目には4人から7人へ。栽培技術の向上と共に秀品率が向上。次は生産コストを考え採算がとれる栽培方法の確立が課題となった。3年目は生産者が10人となり、生産量も増え、4年目は11人に。その体制で、取引の拡大が進められ、その売り先に対して如何に安定的に供給していくかが大きな課題となっている。「最初の2年間は大変でしたが、とても面白かったですね。仲間で集まって作ったことのないものを作りあって、サークルのようでした。しかし、次第に先々の苦労と不安が増えてきました。多くの人に支持されていく中で、失敗ができなくなってきました」。期待する声は大きくなり、それに応えるプレッシャーは高まる。

 しかしそれは事業の成長を意味してもいて、旧態依然とした農業の中で厳しい状況に陥っている農家が少なくない中、農業を明日へと繋げている。

作れるかどうか、売れるかどうかも分からないリスクの大きさゆえ、農家として実績を積んできたベテランはあまりやりたがらなかった取り組みだが、後継者を中心とした若手が集まった同研究会では「親とは違うことがしてみたかった」との思いもあり、新しい事に踏み出す後押しになった。また学校を卒業して一旦一般社会で働いた経験を持つ者が殆どで「農家以外の生活を知っている」ことも、従来のやり方ばかりに捕らわれない柔軟な発想の一助になっているのかもしれない。現在は専業農家として親の世代が培ってきた農業にヨーロッパ野菜の栽培を取り入れる方法で、農業に取り組んでいる。さらに一歩進め、中には全てヨーロッパ野菜に切り替えてしまった生産者も1人いる。

 小澤さんの場合、長ネギの栽培をメインに季節の野菜を生産し、それらを量販店のインショップで販売するという農業経営を展開する中で、「連作障害を避けるため」もあってヨーロッパ野菜の導入が図られた。


地産地消を基本に展開する

 現在、研究会の事業規模は「年間で50品目ほど栽培し、埼玉県内の1000店舗、都内の120店舗で使って頂いています」。ヨーロッパと埼玉では気候が違い、土質も違う。当然同じものは作れない。だから、「真似をして同じものを作ろうとするのではなく、こちらに合ったもの作れば良いんじゃないかと思っています。埼玉の人が食べる、埼玉のヨーロッパ野菜です」。地産地消を基本に気候、風土そして食べる人の味覚にあったものが目指されている。シェフの評価は「幾つかの野菜はもう本場と変わらない」というものもあるし、あるものに関しては「香りが弱い」と指摘されるものもある。それらの意見を聞きながら肥料や管理、土作りの工夫を行っている。加えて生産者の顔が見えることによる食への安心、生産地と消費地が近いことによる鮮度の良さが魅力として付加されている。

 今、1000店舗を超えて同研究会のヨーロッパ野菜が供給されているが、その流通で大きな力となっているのが会員として加わっている卸の存在だ。出荷作業は大変手間のかかる作業で、多くの店舗に個別発送していくことは難しい。「今は月、水、金、土、と週4回の出荷で、分荷にも手間がかかります」。その中で運送会社使った発送や卸による集荷が行われている。流通に係る手間をなるべく削減し効率化していくことがより多くの生産物を出荷していくことにもなり、売上を伸ばしていくことにも繋がる。


安定出荷が大きな課題

 4年目を迎え、栽培技術が向上し、品質の良いものが作れるようになり、売上が出せるようになってくる中で、会員となっていた生産者11人で農事組合法人FENNEL(フェンネル)が立ち上げられ、生産部門の会員が個人から一つの法人になった。「大手さんとの取引における信用の問題や、共同使用する施設への投資ができるなどメリットは大きいと考えています」。また一方で、法人組織としての責任もしっかりと果たしていかなければならない。求められる一番大きな役割は安定出荷だ。「大切な事は確かな品質のものを予定通りに作って出荷するということです」。現在1人5品目程度を分担して作り、作物を専門化して栽培の習熟を早めるなどの取り組みを行っているが、1人しか作っていない野菜も何種類かあり、そこで生産計画が狂うと予定の出荷量を満たせないという事も起こる。また、どこにでもあるような野菜ではないので、他の産地で不足分を補うということもできない。「大きな案件を頂くことはありがたいのですが、失敗できないというプレッシャーもまた大きなものがあります」。今後の大きな課題だ。

 品質の高いものを安定的に供給する上で、各生産者の技術を等しくレベルアップすることも大切になってくる。「共同でやっているので、この人の野菜は良いけれど、この人のは駄目という事では、組合にした意味がありません」。出荷日に集まった前後や夜に行う定例会などで情報交換を密にし、レベルアップを図っている。仲間でやるからこそお互いの技術を高めあうこともできる。

 この他、共同で冷蔵庫を購入したり、集出荷場を設けたり、事務を担うスタッフを雇用することなど法人化するからこそできることも多そうだ。

 展示会などに出展すると、ヨーロッパ野菜に関心を持ってくれる人も多いようで、「今年3月には、興味を示して頂いている卸さんにお声がけをし、こちらで商談会をしました」。研究会に所属している2社の卸だけでは売り切れないものを流通させる販路の開拓となり、取引先が拡大。可能性と同時に責任も大きくなった。その先にヨーロッパ野菜の産地になる“さいたま” の姿があるに違いない。

 法人名となったフェンネルは日本ではウイキョウと呼ばれ、地中海沿岸が原産で、香味野菜として利用される。「作るのが難しくて販売も難しい野菜です。だけど、会員の皆がこの野菜が好きで取り組んでいます。それは私たちの取り組み全体にも似ているところがあります」。取り組む人が少なくて難しいけれども大きな魅力があるということだろうか。「これがうまく作れ、フェンネルと言えば埼玉のヨーロッパ野菜研究会と言われれば、この取り組みは成功だと言えるような気がします」。それは新しい作物がしっかりと根づいた証に違いない。

 小沢さんは子供の頃、農業が嫌いだったと言う。「遅くまで働いていて大変そうで、小学生の頃はやりたくなかった」。しかし農業を継ぎ、今となってはそういうイメージを次の代には、持ってもらいたくないという思いが強い。「泥臭くて大変で稼げないというイメージを、格好良くて稼げてクリエイティブなものにしたい。何でもできるんだよというプラスのイメージを持ってもらいたい」。フェンネルの取り組みがまさにそういうものであり、新しい作物への挑戦、柔軟な発想、売ることをしっかり考えるビジネス感覚、展示会での野菜のディスプレイも元フラワーデザイナーや花屋さんの経歴を持つ生産者が携わり他の展示とは一線を画すセンス、新しい時代の新しい農業が始まっている。従来の“その土地で作りやすいものを作る”から、“求められるものを作る”へとスタンスを変え、その上で新しい物を生み出すクリエイティブさを発揮。強い意志のある物づくりに格好良さを感じた。そこに環境変化に立ち向かうことができるファイティング・アグリ・スピリッツがあった。


新たな市場への挑戦「シンガポールでリンゴを売る」

取材先:長野県松本市ベストアップル輸出専門組合副組合長 榑沼 均
2016年6月号掲載

 TPPが大筋合意となり発効に向けての動きが進められている。品種によっては、すでに外国産農産物と競合しているものもあるが、新たに熾烈な競争を予想されるものもあり、安価な輸入農産物が日本農業にとって大きな脅威になることは間違いない。一方で、農産物を輸出する取り組みにとっては好機到来。当たり前のように消費していたいつもの食卓にある農産物が海外に持っていけば高級品となることもあり、良食味、品質の高さから日本産農産物の人気は高い。その上で関税がなくなれば強い追い風になる。新天地に農業活性化を探る動きを追う。

 

 
▲大規模なリンゴ畑▲シンガポールでの販売▲加工品にも取り組む

 

海外輸出という選択

 長野県松本市でリンゴの輸出を手がけているのがベストアップル輸出専門組合(二村守組合長)。同市の梓川地区22戸のリンゴ農家によって組織されたもので、リンゴの輸出を平成26年から始めて、今年で3年目。シンガポールに向けて自慢のリンゴを出荷する。2シーズンを経験したばかりで、まだまだ手探りの状態だが、現地での評価も良く、今後の大きな可能性が秘められている。同組合で副組合長を務める榑沼(くれぬま)均さん(59歳)に話を聞いた。

 同組合のある梓川地区は長野県有数のリンゴ産地。「この辺の専業農家はほぼリンゴです」。安曇平の南に位置し北アルプス連峰のすそ野、標高700m前後の段丘にリンゴ果樹園が広がる。「品種はシナノスイート、秋映、名月、サンふじ、サンつがるなど」。無袋栽培を主流に太陽の光を一杯浴びた品質の高いリンゴが作られている。

 この地では昭和5年にリンゴが導入されて以来、津軽、乙女の新品種を導入し、ワイ化栽培では、民間で初となる試験圃場1.1haを設置するなど、進取の気風に富み、SSなどで作業の機械化を図り、灌水施設の有効利用、土壌改良、着色技術の研究、優良系統の積極的導入、無袋栽培の完全実施などを進め、省力化と規模拡大によりリンゴ産地としての確固たる地位を築いてきた。昭和58年には日本農業賞を受賞し、翌年にはリンゴ栽培では全国初となる天皇杯を受賞している。

 そんな産地で育った榑沼さんが就農したのは20歳の頃。「地域でリンゴ栽培が盛り上がっていた時分で、新品種のふじが出始めて少し経った頃でした」。地域の産業としてリンゴ栽培が大きな存在感を持ち、農業と地域が緊密に重なるなか、その発展とともにリンゴ農家として歩んできた。当時を語る榑沼さんの表情にその頃の活気が窺われる。市場が成長していく中で如何に供給していくかを考えれば良く、生産者は作ることに専念することができた。しかし時代は移り変わり、「40年近くリンゴを作り、それまでは農協に出すだけで食べていけました。しかし段々と価格が安くなり、そうなってくると、ある程度自分で売らなければならないという時代になってきました」。そこで地域農業を発展させていくための一つとして、海外輸出という選択が浮かび上がってきた。


ベストアップル、シンガポールに見参

 「国内だけで売っていても先が見えている感じがありました」。成熟した市場の中で更なる発展を目指すためには、シェアを奪い合うか、市場を拡大させるかとなるが、より大きな可能性を持っているのは後者の方だ。何と言っても世界は広い。

 長野県では県内産農産物の販路開拓として海外に目を向けていたこともあって、県内で輸出に興味のある農業者を募っていた。そこに梓川地区のリンゴ農家が応じた。平成26年4月には梓川地区の農家22戸で輸出を目的にしたベストアップル輸出専門組合を設立。そして「シンガポールに輸出する話があって、幾つかの団体がシンガポールに行って話をし、私たちが選ばれました」。平成26年7月に行われた長野県主催のシンガポール商談会に参加し、輸出が決まった。ベストアップルにとって、シンガポールが新たな可能性を持つ新天地となったのだ。

 受け入れたのは、シンガポールにある日系高級百貨店高島屋で高級果物などの店舗を出す現地企業の㈱巨峰。それまでも富裕層向けに日本の他県産リンゴを扱っていたが「私たちのものを扱いたいと言って切り替えてくれました」。商品の魅力や商談に赴いたベストアップルの二村組合長の力が大きかったようだ。「英語を喋れるわけではないが、堂々と日本語で思うことを述べ、しっかりと気持ちを伝えた」とのこと。もちろん通訳はいるが、そういう言葉を超えたコミュニケーションも互いの理解を深めるためには必要で、輸出を成功させる秘訣なのかもしれない。

 平成26年9月にサンつがるを10㎏入りで85ケース初出荷したのを皮切りに、10月下旬に長野県オリジナルブランドである秋映、シナノスイートと共に同地区特有の蜜入り完熟名月を輸出。11月には現地フェアを実施し、翌年1月末までに蜜入りサンふじを含め1400ケース余りを輸出した。

 現地での値段は大きさにもよるが、2個入りで平成27年2月の販売価格が23.9シンガポールドル。平成28年5月17日現在のシンガポールドルは1ドルが79.7円なので、日本円にすると1個が950円ぐらいになる。国内の値段と比べ大きな差となるが、日本ブランドとして品質が認められ富裕層に向けた高級品として受け入れられている。我々の身近にある農産物の価値に改めて気付かされる。平成27年も順調に輸出を行い、今年で3回目のシーズンを迎える。規格に合わないものはジュースに加工され、これも昨年は120本ほどがシンガポールに輸出された。

 また、ただ品物を送るだけではなくベストアップルの組合員が持ち回りで現地に赴くこともあり、生産者として消費者に対面し商品説明を行いながら販売も行っている。榑沼さんも「1年目にシンガポールに行きました。日本語しかできませんが、売り場に立ち、トライ、トライと声をかけて試食してもらいました。一度買ってくれると引き続き購入してくれる人が多いようです」。また渡航の際には、梓川地区のある松本市からの助成もあった。渡航費や英語のパンフレット作りに利用し、松本市の観光案内を配るなどのPRも行い、市との連携も行っている。

 ベストアップルのリンゴは現地での評判も良いようで、「シンガポールの高島屋以外でも扱っている所はないのか」と、更なる購入機会を求める消費者の声も聞かれるとのこと。生産されるリンゴは「ごく普通の栽培方法です」というが、先人から積み重ねてきた智恵と努力の結晶がそこにあり、海外から見れば尚のこと、それは当たり前の物ではなくなる。また、標高700m前後の栽培地がもたらす「寒暖の差が気候的にリンゴ栽培に向き、その分糖度がのります」。栽培環境の優位は余所が容易く真似のできない価値であり、海外で充分通用する高い商品力となる。それはこの地のリンゴに限らず、日本各地の様々な農産物に当てはまることでチャンスはある。ただ、日本人の味覚と少し異なる部分もある。「シンガポールでは酸味のある物より甘いものが好まれます。酸味がある方が味わい深いと思ますが味覚が違います。ですから糖度の高い名月などがよく売れます」。食文化の違いを少し考慮に入れる必要がありそうだ。


農業のグローバル化をチャンスに

 輸出は9月の下旬から始まり、1月の半ばぐらいまで続く。「先様のオーダーに従って1シーズンに5回ぐらいの輸出を行います。現地まで船便で2週間」。そこでまず大きな課題になるのが鮮度の保持。ベストアップルでは作物のエチレン受容体に作用して果実の呼吸と成熟スピードを遅らせるスマートフレッシュ処理の施設と冷蔵保管技術を導入し、収穫後はこの処理を行って貯蔵し、神戸港から冷蔵コンテナでシンガポールに向けて出荷する。これにより食感、硬度、味、及び外観の保持に努めている。スマートフレッシュは品種によっては傷みが出る場合があり注意とのこと。シンガポールの消費者は、果物の傷に敏感で、「しっかり確認してから買っていきます。傷物があればお店から単価が引かれます」。日本よりその辺りはシビアだ。

 海外で農産物を販売しようとする団体や地域が直面するもう一つの大きな課題は、輸出の手続きだ。複雑で難しい書類作成などがあり、多くの知識とノウハウが必要なようで、経験のない者にとってはハードルが高い。ベストアップルにとっても同じことで、その難題を乗り越えるために取った方策は、輸出経験が豊富な企業との連携だ。「シンガポールの商談の時、組合長が、そこに来ていた和歌山の人から、輸出の手続きなどを代行してくれる業者を紹介してもらった」。和歌山県ではその業者を通してみかんなどを輸出していて、ベストアップルのリンゴも扱ってもらえるようになった。ここが書類作成から通関手続きまで全てを行っている。商品代金もこの業者を通じたものとなっているので、「入金もスムーズで全く不安はありません」。生産者が輸出に踏み出す場合、全てを自らが行っていたのでは負担が重く、大きな不安とリスクを伴う。自分たちに無い専門知識やノウハウを補う、頼れるパートナーを如何に見つけるかが大きな鍵になりそうだ。

 それがうまくいけば新たな展開が可能になってくる。「最近は円高が気になります。輸出する前は、全く関係なく円高を直接感じることはありませんでした。しかしいざ輸出を始めてみると、円高とはこういうことなのかと実感します」。円高になれば、価格競争力が低下し、円安になればその逆。為替の動向が生産者の収入に影響を及ぼす事になるわけで、まさに農業のグローバル化と言えそうだ。この場合グローバル化に巻き込まれるのではなく、それにあえて飛び込んでいくという感じで、この先TPPが発効し、関税が無くなれば追い風にもなる。日本農業が生き残る一つの道が見える。

 榑沼さんの夢は「輸出する国を増やして、手があいた時期にその国を訪れ、販売などを通して現地の人と交流し観光もしたい」ということ。シンガポールでの輸出事業が成功すれば大きな実績となり、その可能性は広がり、夢を実現することにも近づく。そんな楽しい農業の姿を若い人達に見せることができれば、農業のイメージは変わる。後継者として地域に入る人も増え、地域農業の持続に繋がるのではないだろうか。

 農産物を輸出するということは単なる物流の話ではない。生産者の意識を変え農業を国際化していくということになる。新天地に何が待ち受けているのか。もちろん危険もあり、行ってみないと分からないことも多いが、助けようと手を伸ばしてくれる人も少なくない。うまくいけば、大きな利益に繋がる。もちろんリスクはあるけれど、行ってみるだけの価値はありそうだ。今、日本農業におけるちょっとした大航海時代が始まっているのかもしれない。未知に挑む勇気が日本農業の明日を開いていく。

 



新しい産地をつくる力「若さを武器に魅力ある産地をつくる」

取材先:JAあづみ夏秋いちご部会 堀井勇司部会長(市場用)原口知明部会長(業務用)
2016年5月号掲載

 何事でも挑戦する姿は格好いい。新しいことであったり、高い目標であったり。研究や開発、記録の更新やアイデアの実現。それまで世の中に無かったものを生み出すわけで、目標までの過程は時に地味で歯を食い縛るようなこともあり、スマートじゃないことも多いが、未踏の地に足を踏み出していく姿はやっぱり格好いい。それが、新しい価値を生み出すことになる。農業でも同じことで、各地で新しい挑戦が行われているが、それは地域の活力を生み出すことに繋がったり、農業の魅力を高めたりしている。今回は長野県の安曇野を訪ね夏秋いちごを取材。その取り組みに地域農業の活性化を追う。

 

 
▲ハウスの中で育成▲安曇野の夏秋いちご▲豊かな自然が育む

 

夏秋いちごの産地、安曇野

 高い品質を誇っているのが日本のいちご。一般的には冬から春に収穫されるものが主流で、高い糖度と適度な酸味で輸入物に比べて格段に味がよく、果物屋や量販店では、各地のいちごがしのぎを削っている。栃木県の「とちおとめ」、福岡県の「あまおう」を始め熊本県、静岡県、長崎県など各産地が自慢のいちごを展開し、その切磋琢磨の中で品質も上がっていく。中には高級いちごと呼ばれるものもあって、独自にブランド化し一粒1000円を超えるような物まで売られている。しかし、一年を通して需要があるにも関わらず、これらのいちごは年中収穫できるわけではなく、夏から秋にかけてはアメリカなどからの輸入物がメインで、菓子メーカーやケーキショップ、スイーツを提供する店などの需要に応えている。

 その中で近年、国産の夏秋いちごが存在感を増してきつつある。かつて9割あった輸入物の比率が最近では8割ぐらいになり、いちごを扱う仲卸の中には、輸入物から国産に切り替えるという所も出てきているようだ。値段的には輸入物のほうが安いが、やはり国産の方が、品質が高く、安全・安心、安定供給、歩留まりの良さもあり、確かな引き合いに繋がっている。

 夏秋いちごは6月頃から11月頃まで収穫・出荷されるいちごで、北海道を一番の産地として東北及び関東以西の高冷地など夏場に冷涼な地域で生産されている。

 いちごの品種には冬春どり用品種の一季成性品種と、長日条件で花芽分化しやすい性質を持ち、夏秋期に人為的操作なしで花芽が分化して実をつける四季成性品種があるが、夏秋いちごはその2つを利用した方法があり、1つは一季成性品種を利用してクーラーなどで温度を下げ、さらに遮光材で日長を短くして花芽を誘導する方法。もう1つは、四季成性品種を使う方法。一般的には後者が主流となっている。また年間を通じて開花する四季成性品種でも夏場の高温には弱く、栽培コストを考えれば緯度の高い所や高地などの冷涼な地域が適している。その条件下、長野も栽培適地として、夏秋いちごの積極的な栽培に取り組んでいる。その中でも安曇野は県下1の生産量を誇る産地として大きな存在感を示している。

 中心となっているのはJAあづみ夏秋いちご部会。元々管内は米とりんごの産地だったが、10年以上前に長野県に夏秋いちごを普及しようとする動きがあり、その中で、安曇野でも新規作物として取り入れ、今では蔬菜部門の販売金額トップとなっている。


期待に応えて安定供給

 その部会で部会長を務めているのが、堀井勇司さん(35歳)と原口知明さん(39歳)だ。2人の部会長で、堀井さんが市場向け出荷用を担当し、原口さんが業務用の契約出荷を担当している。平成18年に設立され、今年10年目。若き部会長の元、今年は36名の部会員を擁し、平均年齢も30代半ばと若く、伸び盛りの勢いがある。当地の夏秋いちごは四季成性で長野県が育成した“サマープリンセス”と北海道で育成された“すずあかね”。現在の栽培面積は285.6aで、115tの生産量があり、出荷金額は1億8900万円になっている。

 「品種構成はすずあかねとサマープリンセスが約7対3の割合。すずあかねの方が収穫の量が比較的安定していて、栽培面積が多くなっています」と堀井さんが教えてくれた。「今年の収穫は6月の上旬ぐらいから始めて、一般的には11月末から12月頭まで続きます。夏秋いちごはその間、如何に安定して出荷するかということが重要になります」。

 堀井さんは地元出身で、大学の農学部の時から夏秋いちごの研究に携わり、卒業後香川県で1年間、冬いちごの研修を行ったあと、長野県にできた夏秋いちごの実証圃場の管理を2年間行い、部会ができた翌年の平成19年に就農した。「大学を卒業する時から安曇野をいちごの産地にするという目標がありました」と、夏秋いちごに対する思い入れは強い。

 堀井さんが担当する市場出荷では、今のところ関西方面が中心。心がけているのは鮮度の保持。しっかりとした選果が行われ、種一粒でもそのまわりが黒くなっていれば良品から取り除いていく。「収穫の時にチェックし、選別の時にチェックし、農協でチェックして出荷です。その後仲卸でチェックして実需者に届いていきます」。また、冷蔵庫の中で検品して保冷車で大阪まで送るなど、温度管理には細心の注意が払われている。「夏場ですので、ちょっと外に置いておいただけでも真っ赤になってしまいます」。それらの取り組みを積み重ね「パックで買ったら100%使えるように」することで、市場からの信頼を構築している。現状は生産量の制約から大阪方面に送るもので手一杯の状態だが、産地として力が付いてくれば「東京で勝負できるようになりたい」と、意欲は高い。

 業務用の出荷は原口さんが担当。大手洋菓子製造販売のメーカーへ契約販売し、経営の安定化が図られている。「業務用の場合は選別という作業がありませんので、一番大変なのは収穫になります」と原口さん。夏場のいちごを安定的に供給する産地として取引先から頼りになる存在となっている。通常市場出荷の場合、高値で売れれば利益も大きいが変動の波があり、生産環境の変化により価格が不安定になることもある。それに対して契約販売は実績を積み重ねた信用が変動を吸収することになり、産地の持続に貢献する。

 原口さんは、りんごといちごの複合経営。農業以外の仕事を経験した後、7年前に就農した。「実家は地元のりんご農家なのですが、周囲の耕地利用率が高く、面積を増やすことが難しい所です」。そこで、目に留まったのが夏秋いちご。早くから取り組んでいる人が近辺にいてそこで研修を始めたのがきっかけとなった。現在は父親がりんごを担当し、ご自身はいちごを担当。実家の農業をそのまま受け継ぐのではなく、新しい作物を採用することで経営の拡大と安定化を図っている。


団結が産地の力に

 今産地に求められていることは「6月から11月までのシーズン中、如何に安定して供給するかということです」。まだまだ成長の段階にある市場で、しっかりと生産に注力し継続的に安定して商品を出していくことが必要とされている。「そのためには栽培面積を増やすということが一つの方法です」と堀井さん。周囲に面積を拡大する余地はまだ充分にあるようだが、「それに伴ってどうやって労働力を確保していくのか」。考えなければならないことも多い。一方、5戸で発足した部会も10年で36戸。ここ1年では9戸の増加。若手生産者を中心に規模が拡大している。産地としての成長が安定供給に大きく貢献していきそうだ。

 「私たちの部会は農業一筋でやってきたという人が少ない。Iターンで東京から来た人もいますし、結婚相手の実家を継いだ人もいます」。多様な人材を惹き付ける魅力があるようで、JAあづみでもこれほど若い人が集まる部会はない。会議をやっても活発な意見が出るとのことで、「他の業種から入ってきている人の目がありますので、消費者の立場に近いのかもしれません。農家が持つ暗黙の了解的な所がなく、改めて指摘することで考え直す機会になります」。固定概念に縛られず、何でも試してみようとする自由さがあり、それが若い活気と相まって、端から見れば楽しそうに見える。そういう所に人は集まる。

 今課題となっていることは、生産面では1つに防除作業の省力化がある。「栽培の中で一番大変なのは収穫と防除。特に夏場、害虫の防除が週一であります。パートさん任せにせず、私自身が一株ずつ手振りで防除していきますので、かなりの重労働ですが、一番大事なところでもあります」と堀井さん。手が抜けない作業である反面、体力的にできればやりたくない作業でもあり、作業を省力化するための機械などの導入も検討されている。薬液をミクロの超微粒子にしてハウス内をくん煙するような機械もあり、うまくいけば労力と時間の大幅な削減に繋がる。

 また販売面の課題としては、規格外品をどのように有効利用するかがある。「加工に向けて部会単位で考えています。県の補助で新しい6次産業化商品を作る事業があり、昨年は試しでイチゴシュガーを作りました。部会が材料を提供し、地元の業者が加工するもの」。新しいことへのチャレンジが果敢に行われている。

 部会全体の挑戦もあれば、先述の新しい防除法を試すような個人単位の挑戦もある。しかしその成果は個人内に留まることなく、部会全体で共有されていく。「情報交換は日常的にやっていて、基本的にやり方を隠す人はいません。だから例えば10人がいてそれぞれ新しいことを試してその成果を持ち寄れば、1人で10年かかる試験を1年で終わらすことができます」と堀井さん。部会内の団結力は強くそれが大きな力になっている。

 “夏秋いちごなら安曇野”。そう言われるようになるのが産地の思いだ。全国的に夏秋いちごが少ない時でも、安曇野なら手に入る。そういう産地になるための努力が重ねられている。「それが目標でもあります。欲しいと言われるものに対して私たちが如何に答えを出していくのか」。そこに信頼できて頼りになり、地元では雇用を生み出す強い産地への道がある。

 しっかり自立し、固定概念に捕らわれない自由さと若さを持ち、確かな結果を出していく。それは“格好いい産地”と言えるに違いない。その取り組みを楽し気に進めていく姿は大きな魅力だ。その魅力が人を引きつけ産地を大きくする。それが新しく産地を作っていく上での大きな力になると感じた。


ファイティング・アグリ・スピリッツ「思考を重ね、改善を進める強さ」

取材先: 有限会社 エフ・エフ・ヒライデ 平出賢司代表取締役
2016年4月号掲載

 お腹を満たすものが充分あるのなら、それを巡る争いは起きない。しかし、私たちはエデンを追われ、古来より命を繋ぐ闘いを繰り返してきた。それは今も続いていて、ビジネスでも同じこと。限られた需要のもとで競争が生まれていく。生き残っていくためには強くなることが必要だ。自らを鍛え、技能を高め、知識を蓄える。農業も例外ではなく、それを取り巻く環境が大きく変わる中、競走がより熾烈さを増そうとしている。農業の持続を図るためには状況と向き合って闘わなければならない。日々挑戦を続けている農業者を取材し、そこにファイティング・アグリ・スピリッツを探る。

 

 
▲ダッチライトハウス▲大規模なユリ栽培を実践▲つぼみで出荷される

 

農業の数値化が大きな力に

 今回お訪ねしたのは栃木県宇都宮市で花卉の生産活動を続ける有限会社エフ・エフ・ヒライデ。ユリの栽培を大規模に展開し、国内生産量に対して1%弱となるシェアを確保している。「第1から第3圃場まであり、ハウス栽培で規模は約1.5ha、年間で約100万本になります」。強い農業を展開し明日へと歩みを繋げている。代表取締役の平出賢司氏(40歳)にこれまでの経緯やこれからの展望を聞いた。

 社名にあるエフ・エフとは生産者(Farmer)とフローリスト(Florist)を表し、花のプロフェッショナルを意味している。法人化は2001年だが、元々は米の専業農家。現会長で先代社長の平出孝司氏が1970年に家業である農業に就き、水稲単作にトマトの施設栽培を始め、裏作にフリージアを導入した所から花との関わりが始まる。「高度成長期の中、花の需要が爆発的に伸びていく時代で、先見性を持って花を導入しました」。作物もテッポウユリから、スカシユリ、オリエンタルユリへと様々な物を手がけ、花専作となり、栽培規模も着実に広げていった。背景となる時代も経済が伸び、消費の様も食べることだけではなく、次第に娯楽や文化へと広がり、花に対する消費も伸びていった。しかし、バブル経済が崩壊し、その後の長い経済停滞の中、花市場も低迷を始めた。ちょうどその頃の2000年、現社長の平出賢司氏が24歳で就農した。「私たちはロストジェネレーションの世代です」。経済が長く縮小していく中で青春時代を送った人達で、シビアに物を見ることを慣らいとし、その中で実際の農業と向き合うことになる。翌年の2001年に法人化。花の業界はすでにエデンの外にあり、如何に生き残っていくのか、厳しい闘いの中でのスタートとなった。

 そこで取り組んだのが、それまで営んできた農業をデータベース化して解析すること。「経験では先代にかなわないので、私が武器にしたのは数字でした」。当時、20~30種ほどのユリが栽培され、植えた時期、収穫した時期などの記録はあったものの、そこから有用な意味を見いだし、関連性を取り出すような分析は行われていなかった。そこで栽培履歴に販売実績や、球根の単価、流通経費といった生産原価の情報を結び付け、「本当に儲かっている部分はどこにあるのかを自分なりに探って解を求めていきました」。儲かっていると思っていたものが儲かっていなかったり、その逆であったり、漠然としたものがはっきりとし、新たな品種導入にも効果を発揮した。賢治氏は大学から大学院に進学し園芸学部で農学系の基礎研究を行っていたとのことで、ファンダメンタルな部分を重視し、原因と結果を明らかにしていこうとする姿勢がバックグラウンドに感じられた。

栽培環境を制御することで周年出荷

 そして次の大きな契機になったのが、オランダ製のダッチライトハウスとそれに付随した統合制御コンピューターの導入。「温度、湿度、照度を統合的に制御し光合成を最大化するように全ての機械が連動して動きます」。その制御システムが持つロジックから先進の栽培ノウハウを学ぶことができ、技術をワンステップ押し上げることになった。また細やかな栽培管理がコンピューターによって自動で行われ、省力化を実現しつつ、「少し離れた圃場で、誰かがいなくても栽培環境を制御できます。それにより急な環境変化が起きて植物が大きなダメージを受けるということがなくなりました」。さらに軒高約4.8mの大きな空間が急激な環境変化を吸収する余地となっていて、植物のストレス緩和に繋がっている。「特に夏場はユリにとって厳しい時期ですが、細霧冷却装置や自動で日差しを遮る自動シェーディングで夏場の生産も歩留まりが良くなりました」。栽培リスクを減少させると共に、品質の向上が図られている。

 それまで、周年栽培が実践され、ハウスには年間を通じて作物が育てられていたものの、面積的制約と夏場の品質低下などにより、年間を通じた商品の出荷はできていなかった。しかしこのダッチライトハウスとそれを制御するシステムを導入することにより、周年出荷の実現となった。「年3~4回の出荷」とのことで経営効率は高く、年間を通じて一定量の作業となり、周年雇用により労働力の安定と技能の維持にも繋がっている。現在労働力は本人、父、母の役員と社員1人、パート従業員12名となっている。また効率的な生産は賢司氏の栽培技量を向上させることにも貢献している。「年間100万本で15年間、約1500万本のユリ栽培に携わってきました」。年齢に対する経験値は高い。導入するためのコストはかかるが、それにより様々なメリットがあるようだ。

 栽培に関してはこの他に、有機肥料による栽培にも取り組んでいる。「温室は移動ができませんので土は財産です。特にユリは土耕ですので、土を傷めず維持しつつ、少しずつ良くしていく事を考えています。一作毎に腐植の部分は減っていきますので、最終的に辿り着いた答えが有機物だけで回した方が効率的だという事です」。また連作障害に関しては、「ユリは比較的少ないと言われていますが、園芸種では交配を重ね、弱いものも出てきます。それで当初は、薬剤による消毒を行っていましたが、今は温湯で土壌消毒しています」。圃場にシートを敷いて、土に温湯をかけ、土中の細菌、球根を含めた残渣を消毒していく。お湯で煮るような状態で「玉ねぎを炒めたみたいにドロドロになり、何日かするとワラのようにパラパラになります」。土に過度な負担をかけず、必要なものを手当しながら、10年後、20年後もしっかりと栽培できる土作りとなっている。農業の持続という観点ではこの他にも太陽光発電に取り組んでいる。球根の貯蔵や切り花の予冷など温度帯の違う冷蔵庫が複数必要で、将来を考えた場合「漠然と電力会社から電気を購入して消費しているだけで良いのか」という自問があり、電力の買い取り制度が始まったのを機に、ハウスの前や事務所の屋上にパネルを設置し発電を行っている。

 それらの取り組みの一つの結果として表れているのが、花卉の総合認証プログラムMPS-ABCだ。オランダで環境負荷低減プログラムとしてスタートしたもので、世界55ヶ国以上が参加する国際認証。環境負荷に対してどのようなアプローチがなされているかなどが細かく問われる。「2009年から参加し、昨年最高位のA認証を取得しました」。これがたちまち花の単価に反映されるということではないが、「グローバルスタンダードの中の自分たちの位置が測れ、内部改善に繋げてことができます。今できるベストをちょっとずつ積み重ねていきます」。それが未来を見据えた、強い経営へと繋がっている。

ニーズを把握して生産を行う

 販売ルートは市場出荷も含めた業務取引が9割り、エンドユーザーに向けたものが1割り。BtoBの部分では安定出荷が心掛けられ、BtoCの部分では花束やアレンジメントの製作も行っている。賢司さんの母がフラワー装飾技能士1級の資格を持ち自身も2級を取得している。「質の良いものをより安く提供していきたい」。その方針の中で必要な時に必要なものが出荷できる体制になっている。花の卸売市場に対しては、値付けやまとまった量の受け流しを期待するよりも、「決済とお客様とのマッチング、そして物流を求めています。特にお客様を繋げて欲しい」。ただ作ることだけを考え、販売は市場任せにしてしまうような方法が、農業の活力を削いできた原因の一つでもあるわけで、それらとは一線を画している。プロダクトアウトからマーケットインへ、そしてユーザーインへ。「お客様が何を求めているのかを把握した上で作る」。それを実行するための強さが、農業のデータ化や最新の生産設備導入などによって培われている。「私たちはこういう花がいつ頃出荷できかといった生産情報を、単価を含めて提供することができます。逆にお花屋さんからこの時期にこういう花が欲しいと仰って頂ければ、球根の購入から遡って対応し、またイメージに合った品種の提案をすることもできます」。生産環境、市場環境をしっかりと把握し、関与が可能なものに対しては積極的にコントロールを試みる農業が、そういった細かなニーズにも対応できる力を産みだしている。「色々難しいこともありますが、PDCAサイクルを回して少しずつ改善していくことです」。計画、実行、検証、改善、その軌跡が今の形を作っている。現在栽培しているユリは約70種類。オランダから球根を輸入し、オリエンタルユリ、スカシユリ、LAハイブリッドユリを手掛け、周年栽培で周年出荷、年商は2億1000万円。状況に向き合い、自らに問い、一つ一つの課題に挑戦してきた姿がそこにある。

花をもっと日用品に

 エフ・エフ・ヒライデには“花を通じて人々の豊かな生活を支えましょう”という経営理念があり、心の栄養として花を届けたいとしている。そのためには花が高級品ばかりでは、多くの人に届けることは難しい。花を愛でるのは文化であり、それを支えるためには、手に入りやすいものであることが必要だ。「花をもっと日用品にしたい」。それを実現するための高品質・低コスト生産でもある。「今花が売れなくなってきている中で、もうちょっと皆さんに花を手に取ってもらいたいなと思っています」。賢司氏が以前訪れたオランダでは「皆さん週末になると花を買ってきます。日本とオランダでは家にある花瓶の数が4倍ほども違うそうで、そういう余裕のある生活が素適だなと思いました」。春のお花見を見ても分るように日本人は花を愛する国民でもあり、需要を伸ばしていく可能性は充分ある。如何にマーケットを広げていくのか、智恵の出し所だ。「文化として花を飾ったり、花を送ったり送られたりすることがもっと広がれば良いなと思っています」。

 限られた需要をただ奪い合うのでは、産業自体の発展はない。競い高め合うのではなく、競い落とし合うような闘いは、互いの疲弊を招くだけだ。「産地間競争はつまらないことです」。闘うべき相手は別にある。消費者が生活を楽しむために使う限られた資金の中で、どれほどを花に使って貰うことができるのか。ライバルは、旅行であり、ゲームであり、スマホであり、ペットであり、それらと魅力を競い選ばれることが花産業の未来に繋がる。そういう努力を生産者だけではなく「バリューチェーン全体で考えていくべき」。一つの方向を向くことで大きな力になるはずだ。自らを鍛え、思考を重ね、改善を進め、そうやって獲得した強さが花産業の可能性を広げることに向かう。そこにファイティング・アグリ・スピリッツが見えた。

 


6次産業が地域を変えていく植物の力を引き出し地域を元気に

取材先: 株式会社 香寺ハーブ・ガーデン  
2016年3月号掲載

 農産物を原料にした様々な加工品が生み出され、それが私たちの暮らしを豊かにしている。小麦はパンになり、うどんになり、ブドウはワインになり、トウモロコシは燃料にもなる。花から蜂蜜を根から生薬を。農産物はお腹を満たすためにあるが、そのためにだけあるのではない。加工とはある状態のものを別の状態に変換していくことで、先入観に捕らわれない自由な発想で様々な見地から臨めば、多様な魅力を引き出すことができる。本質を捉え、それを価値として形にすると言い換えることができるかもしれない。農家は何も無いただの土から農産物を生み出すわけで、子を知る親のように農産物の本質を身近に知る立場にある。そこに6次産業の大きな可能性がある。

 

 
▲ハーブの収穫風景▲加工品を売るショップ▲充実した品揃えの店内

 

ハーブの魅力を引き出す

 今回お訪ねしたのは兵庫県姫路市香寺町の㈱香寺ハーブ・ガーデン。香りや薬効がある有用植物であるハーブを中核に様々な加工品を展開している。例えばハーブから抽出するエッセンシャルオイル(精油)を製造しているが、食用としてお腹を満たすものではないけれど、香りが神経に働きかけ、気分を調整し、生活を豊かにしてくれるものとして人気だ。日常では視覚と聴覚からの情報に頼り、それらから楽しみを受け取ることが多いが、犬など見ても分るように嗅覚も負けず劣らず多くの情報を伝達することができ、原始的な感覚系として、心身に直接的な働きかけを行うことができる。まだ充分開拓されていない領域であり、香りを効用とする製品の可能性は高い。エッセンシャルオイルなどは原材料の本質をしっかりと見極め、それを価値あるものに変えていく加工法で、農産物を育つままに任せるのではなく、そこに秘められた力を引き出すやり方と言えそうだ。子供の才能を伸すようなイメージだろうか。そこに農業が持続するための一つの道がある。

 香寺ハーブ・ガーデンは1985年、代表を務める福岡讓一氏(58歳)が脱サラをして設立した。当時は、ハーブに対する理解が充分とは言えず、レストランでも主となる食材の単なる添え物として扱われていたが、福岡氏は「何故ハーブを添えるのか」と興味を持ち、あちこちのレストランを回って勉強し、世界中も回った。ハーブを文化としている外国では、ある農家に宿泊したおり、「風邪をひかないようにとカモミールティーが出され、その茶がらを子供たちが引き取ってさらに香りとして利用している」など、ハーブの文化がしっかりと根付き、世代を越えて伝わっている現状を目にした。その中でますますハーブの魅力に曳かれていき、ついには福岡氏の父がお米を作っていた香寺町のその場所にレストランを開店。自ら栽培し、収穫したハーブを使った料理やハーブパンを提供し、フレッシュハーブを他のレストランなどに販売する事業をスタートさせた。

 しかしハーブの探求はそこに留まらず、「研究開発型のハーブ園」としてもっと深くへ、さらに先へと進み、大学の研究者などの協力も得てハーブからエッセンシャルオイルを抽出する装置を開発した。それによりハーブの香りを形として取り出すことができるようになり、6次産業へと大きく踏み出していく。

 同社で総務課長・企画課長を務める黒瀧陽子氏にこれまでの経緯や展望を聞いた。現在は農薬や除草剤を使用せずにハーブを育て、独自の発酵技術を組み合わせながら、エッセンシャルオイルを抽出している他、ハーブティーやパン、ケーキ、化粧品などを製造販売している。またハーブを使った“素肌美人茶”も開発するなどラインナップを広げている。

 その中で商品のブランディングも進め、地元播磨産の原材料にこだわり、しっかりとした生産履歴の元、安心して使用できるものを播磨物語として展開している。例えばゆずは隣町の安富ゆず組合から無農薬のゆずを調達し、“ゆずハーブティー”や“ゆずのエッセンシャルオイル”を作っている。地元生産者と連携することで、地域の活性化にも繋がっている。

 販売に関しては本店ショップ、姫路や大阪の直営店、ネットショップの他、大手量販店の東急ハンズ、医薬品メーカー、総菜製造会社等に及び広い取引となっている。商品の購入者層は、普段の生活や健康に高い関心を持っている人が多いようで、既存の商品では求めるものが得られず、心身の不調を解消したいとハーブの効用に期待している人も少なくない。「そういう方々に安心して使って頂きたい」との思いが無農薬栽培原料を使う等の商品作りに反映されている。それに応えて「ずっと使って頂けるお客様が多く、商品情報やイベントの開催が口コミで伝わっていく」。ユーザーに商品や企業に対する強い愛着を感じる。少しでも良いものを作ろうと研究を重ねている姿勢が評価に繋がっているようだ。また、海外の展示会にも出品し、その折に現地の人たちと交流を重ね、現在はフランスにも販路を持っている。高い商品力や「地域と連携している取り組みに共感して頂いている」とのことで、それもまた商品の魅力になっている。

ハーブを中核にした地域活性化

 ハーブの栽培に関しては自社農園で栽培しているほか、主力は近隣の夢前町山之内地区での委託栽培。「現在は1haの農地が露地で10ヶ所ほどになり、20種類ぐらいのハーブが育てられています。自治会が管理し、ここで作られたハーブはほぼ全量、香寺ハーブ・ガーデンが買い取っています」。元々は2011年に、廃校となった山之内小学校を姫路市から借り受け、そこで化粧品などの製造を始めたことがきっかけ。操業を続けていくうち、しだいに地域との関係が深まっていった。

 山之内地区は山間にあって、集落を後にする人も多く、若い人が減少する中で高齢化が進み、「限界集落と呼ばれる地域」になっていた。その中で耕作放棄地も目立つようになり、そこを活用する形で無農薬によるハーブの栽培が始まった。香寺ハーブ・ガーデンにとっては、ハーブの需要量を確保し、製造と販売に注力することの助けになる。山之内地区では集落内の荒れ地を減少することに繋がり、加えて利益を得ることにもなり、限界集落に仕事を生み出す取り組みとなっている。現在は工場の目の前でカモミールなどが栽培され、それを小学校内の工場で加工し、化粧水などが作られている。「鮮度が落ちないうちに抽出することで品質を高める」ことができ、また目の前に工場があることから、運送代などの「コスト削減」にもなっている。また「ハーブは栽培する場所、収穫の時期によってその香りが異なってくる」。加えて「空気と水が綺麗で、あまり暑すぎないのでハーブには良い環境」ということで、山之内地区ならではの個性豊かなハーブが生み出されることになる。余所にないものが作れるということで、商品にとっては、大きな魅力になる。これらを山之内シリーズとしてブランド化し、「その商品によって得られた利益の半分は山之内連合自治会へ還元しています」。6次産業を進める企業活動が地域の活性化にも大きく繋がっている。

本質を見据え現状を変えていく

 地域に対する取り組みは、それだけに留まらず、大きな広がりも持ち始めている。「毎年5月ぐらいに収穫体験として、地区で育てたカモミールを摘んで下さるボランティアを募っています。200人ぐらいが来てくださり、このときは、地区の平均年齢が10歳ぐらい若返る」。都市部と農村の交流が積極的に進められている。若者が集落を離れ、子供の数が減り、学校が統廃合し、近くの診療所がなくなり、バスも本数を減らしていくという、集落の存続が危ぶまれる限界集落の状態だが、農業の活性化が地域再生のきっかけにもなっている。「様々な連携活動を行う中で地区の皆さんに忙しいと言ってもらっている」。そこに漂う楽しげな活気が伝わってくる。

 ただ、70代、80代の高齢者が多いことは事実。仕事は喜びに繋がるが、大きな労働負荷は負担にもなる。ハーブは軽量な作物で、ミントなどは移植作業もなく、「地下茎を通して勝手に生えてくる」が、「現在収穫は全て手摘みで行っていて、収穫を省力化する機械などがないかと考えています」。加えて、除草剤を使わずに栽培しているため、下草の処理も大きな負担となっている。如何に作業を軽労化していくかは事業を継続拡大するための課題だ。

 またそれと共に地域を持続していくためには、地区に人を増やすことも必要だ。現在、香寺ハーブ・ガーデンと山之内地区では「ヒポクラテスビレッジ構想」に取り組んでいる。“食べることによって病を治す”という医学の父と呼ばれるヒポクラテスの考えに由来したもので、“農と医と食の融合”を掲げている。「神戸大学の医学部などと協力し、健康をチェックする施設を設け、それに基づいて食事などを提供する」。それぞれの人に合った食事・適度な運動・心の栄養・土に触れることで更なる健康増進を図るというもので、地域資源を有効に活用しながら多様な展開が検討されている。Uターン・Iターンした若者が農業で食べていけるような農業のイノベーションを考え、廃校となった幼稚園や小学校を活用した農家レストラン・農カフェを作るなど、外部との交流を積極化し、仕事を作り、若い力を呼び込む。地区が持続していくための仕組み作りが進められている。

 これらの取り組みの要となっているのが人と人との繋がりだ。山之内地区との繋がり、山之内地区を応援してくれる人達との繋がり、ユーザーとの繋がりなど、それは人が人を呼ぶように拡張し、海外への販路にも繋がっている。また研究者との繋がりも深く、様々な商品開発の原動力となっている。その中から生まれたものに、野菜から抽出した不凍タンパク質がある。「関西大学様との共同研究で、大根から不凍たんぱく質を抽出することに成功しました。でんぷんの老化を防止する作用があり、冷解凍時の水分離水を減らして冷凍食品の品質を保持したり、これまでの食品添加物に変わる様々な可能性があります。また壁紙の糊に添加してシックハウス症候群を防ぐことや臓器の保存液など医療関係でも使えるかも知れません」。様々な利用が考えられ、将来性のある有望な技術として商品化を進め、本格的展開を図っている。

 食品を単に食べるものとしてだけ考えるのではなく、本質を捉え、それを価値として形にすることに6次産業の大きな可能性があると感じた。その発想が商品に新たな魅力を見いだし、見慣れたもの、当たり前のものを、新しいもの変えていくことになる。それは地域に対しても同じ事で、地域を加工することとも言えるかも知れないが、本質を見据え、その中にある魅力を多様な角度から形として取り出していくことで、既存のうまくいっていなかった現状を新しいものに変えていくことになる。その歩みを重ねることが地域の活性化に繋がるに違いない。自身が作る作物、住んでいる地域、その現状にも可能性は潜む。

 


農産物の売れる仕組みを考える「地元野菜を高い鮮度で安定供給」
取材先:株式会社滋賀有機ネットワーク、栗東有機栽培グループ
2016年2月号掲載

 物がない時代に物を売っているのではない。加えてTPP以降は多くの国々から安い物が集まってくるわけで、まさにその状況が加速する。多々ある選択肢の中で、需要者から選び続けられることは容易ではない。食糧難の時代の農産物ならば出せば売れる。車やテレビが世に出た時も似たようなもので、その時は如何に効率良く大量に生産するかが重要で供給サイドのあり方が問われる。しかし今は需要者の気持ちが大切。ただ作るだけでは利益に繋がらない。分かっていても旧態を改めることは難しいのだが。農業を持続していくためには、売れる仕組みづくりを如何に構築するかが問われる。滋賀県で契約栽培を基本に、質良く鮮度の高いものを生み出す農業を取材した。期待に応え続けることで農業存続の場所を確保する。

 

 
▲有機農産物が作られるハウス▲水菜▲出荷前のほうれん草

 

環境にこだわった農産物などの契約栽培

 ㈱滋賀有機ネットワークは県内生産物の販売窓口として生産者の有志が出資し1994年に設立された会社。“食の安全”、“健康のための農業”、“環境保全型農業”を目指す農業者ネットワーク組織の生産と販売を統括的に行い、提携した生産者の“滋賀県環境こだわり農産物”などを『顔が見える、声が伝わる、産直』として、“生活協同組合コープしが”が展開する無店舗形態の宅配サービスをメインにして販売を行っている。“コープしが”と共同出資して建設した青果産直センターを集出荷の拠点として活動し、ネットワークには県内の生産農家約80戸が登録。消費者への産直を後押している。

 同社が出来る前から、各農協が県内の生協と産直取引を行っていたが、「21年前に県内4生協が合併することになり、それに伴って、消費者団体が大きくなるのなら、生産者も大きくならなければと各組織が連携して販売会社を作ることになりました」。同社の代表取締役を務める田井中年人(54歳)さんが教えてくれた。現在ネットワークには栗東有機栽培グループ、大中の湖産直連合、安土産直部会などの生産者グループが所属し、栽培技術の向上、産直流通の拡大と農産物の安定供給を進めている。

 出荷する作物は小松菜、水菜、ほうれん草、ミニトマト、トマト、ブロッコリー、キャベツ、大根、人参、玉ねぎ、信長ねぎ、豊浦ねぎなど多彩に取り揃え、その上で所属している各産地が競合しないように生産物の棲み分けが行われている。収穫された野菜は“コープしが”をメインに出荷されるが店頭には並ばず、「チラシなどを見て消費者の方が欲しい物を注文する形です」。地元でとれた鮮度の良いものが宅配で届けられる販売方法の中で展開されている。「21年やってきて、最近、数字的には順調です」と、生産者とのネットワークで質良く鮮度の高いものを契約栽培し販売する事業がこの地でうまく成り立っているようだ。ただ、ネットワークに属する産地の中には、後継者が少なく高齢化が進んでいる所もあり、根菜などの重量野菜は負担が大きいと農業を離れる人もいて、品目によっては減ってきているものもある。一方で小松菜、水菜、ほうれん草など葉物をメインに栽培している栗東有機栽培グループでは、20代後半の若手など非農家からの新規就農者もいて、20名が所属し、意欲的な農業経営が行われ、小松菜などの栽培規模も拡大している。

 変化していく農業環境の中で、良い材料も悪い材料も受け入れながら、ネットワークが持つ多様性を発揮し、全体としては明日に繋がる展開となっている。

 取り組みを始めた当初は、環境へのこだわり等が付加価値として大きかったが、時代と共に安全安心ということが「段々と当然のこととなってきていますので、最近はどちらかと言えば鮮度の高い産直という切り口です」。地元で作ったものの安心感、収穫から販売に至る流通距離の短さなど、地産地消のメリットを活かした販売が行われている。それは需要者の気持ちに寄り添ったものともいえ、その期待に応え続けようとすることが、売ることを意識した生産に繋がり、農家を単なる生産者から農業経営者へと変えていく事にもなる。

 ただ、期待に応えていくことは簡単なことではない。生産者サイドの課題としては、「契約栽培なので出荷量を安定させなければなりませんが、天候によって左右もされます」と、栗東有機栽培グループで会長務める藤田真吾(35歳)さんがその難しさを教えてくれた。「契約販売ですから例えば100の商品を持っていって、その中の一つが基準を満たさないものだったら、すぐに基準を満たす新しい商品を持っていかなければなりません」。最近は滋賀県の他、四国や北陸、関東などとも取引があるが、クレームがあれば「小松菜を5袋積んで、四国まで運送の人に走ってもらうということにもなる」。元来、農産物は様々な自然条件によって左右されるわけで、常に安定的な出荷を求められることに対するリスクは少なくない。しかしだからこそ、その課題に挑んでいくことが付加価値を産むことに繋がっている。

 藤田さんは非農家出身の新規就農者。現在は5年目でハウス1ha、路地4haで、小松菜、ほうれん草、水菜を栽培し、「専業農家として食べていける」状態だ。農業経営が難しい時代の中で、そういう状況にあることが、物を売る仕組みが有効に働いていることを示している。それが安定した農家経営を実現している。栗東有機栽培グループでは、新規就農者が継続的に入ってくる状態で、グループとしての活力は高い。若い新規就農者に幾ら情熱があったとしも、単独で一から農業を始めることは多大な困難を伴う。この地の取り組みのように、安定した価格で売る仕組みを持った組織に属することのメリットは大きい。

選ばれるためのマーケティング

 しっかりと売る時のことを考えてから生産を行う。これからの農業においては無くてはならない考え方だ。土地の条件に合うからと言って闇雲にどこにでもある当たり前の作物を作り、後はただ共同出荷によって市場の需給に従っていたのでは、時々の価格に翻弄され、持続的な経営は難しい。つまり農家としてやっていくためには売れる仕組みを意識して、生産を行っていくことが求められる。どのような生産物を、どのように作り、どのように販売していくのか。他の産業ではマーケティングとしてやっていることが、農業を経営として見た場合には必要になってくる。

 例えばマーケティングを実行するためには4Pという考え方があり、製品政策(Product)、価格政策(Price)、流通チャネル政策(Place)、広告・販売促進政策(Promotion)の4つの要素(頭文字がP)を組み合わせて実行していく。それに沿って、滋賀有機ネットワークの取り組みを考えてみると、まず製品政策として、他の農産物との差別化が行われている。“滋賀県環境こだわり農産物”などを基本にして、安全安心を確保し、地元産としての親しみや鮮度の高さを特徴として、消費者の選択を求める。また、実際に使われる場面を想定し、近年増えている「小家族向けに、少量のグラムバリエーションを設ける」ことや、「水菜などは、夏はサラダ、冬は鍋用と用途が違うので、それに合わせて、茎の太さを調整して栽培しています」と、ニーズに合わせた展開を行い、買ってくれる人の気持ちを反映させている。課題は、ネットワークとして「他の生産者団体とも組織的に広げていければと思っている」と、今扱っている品目以外の農産物を増やし、品揃えを充実させることなどが考えられている。

 価格政策においては、「契約栽培という形の中で価格が決まっていますので、経営の見通しが立ちます」と予め決められた価格の中で展開している。市場に出荷するのなら、需給動向を見ながら、品薄で値が上がる時を見計らい、“一発当てる”というように大きな利益を追求する方法もあるが、一方で価格が下落し、生産コストを割ってしまうリスクもあり、長期的な見通しを立てることは難しい。ギャンブル性を除くことで経営を安定化させ再生産を確実なものにしている。それは調製作業でパートとして働いている地域の人達にとっても、安心して働ける雇用先となる。ただ価格の柔軟性が少ない分、「大手量販店などでは、小松菜の値段を下げて、お客の呼び込みに使うこともあります」と、競争志向型の価格設定を行う量販店と消費者の選択を争うこともある。

 流通チャネル政策(Place)は、どのような経路で、どこに売るかということになるが、“コープしが”との強い繋がりを基本にした無店舗販売が大きな特徴になっていて、その方法が商品価値を高めることになっている。まず、地元で生産した物を地元で売るということが、生産物に対する信頼感の醸成に役立ち、鮮度の高い物を提供することに繋がっている。また店頭に並ばないことで、他産地の品との直接的な競合を避け、価格の維持に貢献している。課題としては柱となる流通経路が太いため、その環境変化の影響が大きくなるが、現在は京都、奈良、大阪、北陸、四国、関東にも販売先を広げリスクヘッジと売上げの拡大に繋げている。

 最後はコミュニケーション政策。どんなに素晴らしい商品でも消費者に知ってもらわなければ販売には結びつかない。どんな場所でどんなふうに作っているのか。産地では年に数回、産地見学として消費者に畑を見学して貰い、収穫体験などを実施している。また「学習会としてこちらからお伺いし、生協の組合さんとの交流会も行っています」。それらの取り組みが注文数にも反映する。

売るための仕組み、戦略が必要

 様々な工夫が売れる仕組み作りを構築しているが、キーとなるのは、“安心で新鮮な地元産を食卓に届ける” ということになりそうだ。これをしっかりと抑えることで、農業を経営として持続する道を確保している。また、地元産のメリットを活かすということは、他産地からの参入をしづらくさせるという効果もある。同品質の農産物であれば、親近感、鮮度の問題で地元の物が選ばれる可能性は高い。それを強固な流通チャネルの中で展開することで経営を安定化させていく。それが新規就農者を迎える素地ともなり、地域農業の活力に繋がるに違いない。

 物がない時代に物を売っているのではない。つまり幾らでも周囲に代替するものがあるということだ。消費者はその中で少しでも有利な選択を行う。価格や品質、利便性、あるいはステータスや人間関係も購入における検討項目になる。日本農業が持続していくためには売ることまでしっかり考えた農業が必要になるが、そのためには需要者、消費者に選択してもらえる、しっかりとした仕組み、戦略が必要だと強く感じた。


WCSの生産で耕種と畜種をサポート
取材先:滋賀県 株式会社グリーンサポート楽農、和田喜蔵さん、株式会社ウッドベル鈴木牧場
2015年12月号掲載

 それぞれの活動がお互いの利益に繋がっていく耕畜連携において、存在感を発揮しているのがコントラクターだ。両者の間に立つことで、連携を取り持ち、地域農業の維持や耕作放棄地の解消に貢献している。今回滋賀県でJAの子会社として設立されたコントラクターを取材し地域をサポートする活動を追った。その中から耕種・畜産・コントラクターそれぞれの三者の立場から見える耕畜連携が目指すものを探った。

 

 
▲機械を使って効率よく生産▲刈り取り、ロールの生産▲牛の喰いも良い

 

耕種と畜産を繋ぐコントラクター
 滋賀県にあって東を鈴鹿山脈、西を琵琶湖に接する南東部湖東平野を管内に置いているのがJAグリーン近江。その100%出資子会社が株式会社グリーンサポート楽農だ。JAと共同して地域の耕畜連携をサポートしている。グリーンサポート楽農がコントラクターとして、耕種農家や畜産農家から作業委託を受け、WCSの収穫作業を行い、収穫後のWCSはJAグリーン近江が畜産農家へ向けて販売している。滋賀県は麦・大豆を転作作物としている地域が多いが、グリーン近江管内の山間地は湿気が多く、麦・大豆が栽培しにくい。そこで、飼料用米やWCSでの転作を促している。グリーンサポート楽農設立以前も一部地域では耕畜連携が行われていたが、それほど活発ではなく、麦が作りにくい地域の農家からの“お金になる転作をしたい”や畜産農家の“もう少し飼料が欲しい”との声が形になっていなかった。そこで販売先を見つけるので取り組んでみてはどうか、と飼料用作物栽培の提案も行っている。
 グリーンサポート楽農は平成18年に設立されたものだが、設立時は今の形態ではなく、転作助成に関して小規模農家が要件を満たすための役割を担っていた。当時、規模の小さな農家は条件が合わず、転作をしても助成の枠組みには入れなかった。そこで同社が小規模農家をまとめ、制度の対象となってきたのだ。ところが、政権交代後、民主党政権が2010年度より農業者戸別所得補償制度を実施。認定農家でなくても助成対象となり、そこで新たな役割として「小さな集落や点在している農家に対して今までとは違う形で還元していくのはどうだろうとなり、WCS専用機や田植機などを購入し作業受託組織となった」とJAグリーン近江営農振興課兼グリーンサポート楽農職員の和田洋さんが教えてくれた。
 平成22年度よりWCS収穫作業の受託を開始し、当初は約5haだった受託面積は平成27年度には約42haと年々拡大している。8月下旬~11月中旬には収穫・ラッピング・納品作業を行い、280~300・/ロールほどのWCSを生産。タカキタの細断型ホールクロップ収穫機WB1030と自走ラップマシーンSW1110Wを使用している。収穫時期が長いのは、「青い内に刈ったものでも良い」や「しっかりと田んぼで乾かしてからロールにして欲しい」といった販売先である畜産農家の声に耳を傾けているからだ。また、従業員は専属ではなく、JAグリーン近江の職員が兼任で作業しているほか、アルバイトとして地域の農家にも作業を依頼している。現在ではWCSの収穫以外にも、畜産農家が作った堆肥を肥料として販売・散布したり、田植えや播種、耕うん作業なども行っている。その実際を知るため管内でも有数の栽培面積を手掛け、グリーンサポート楽農でオペレーターとして活動している和田喜蔵さん(67歳)を訪ねた。


WCSは機械化されて栽培しやすい
 和田さんは東近江市で、WCS9ha、主食用米36ha、酒米18ha、その他大豆、麦、ねぎなどの野菜を栽培している。飼料用として育てた稲がWCSとなって畜産農家にわたり、替わりに得た堆肥を1反当たり2tを播くなど循環型の耕畜連携を実施している。
 3、4年ほど前からグリーンサポート楽農にWCSの収穫作業を委託している。収穫は9ha全てを委託しているが、ロールの販売については、自己流通とJAグリーン近江への委託を半分ずつ分けている。以前は県の貸し出し作業機を使用して自らWCSの収穫作業を行っていたが、「委託するこで、コストは多少かかるが、作業機の保管場所とメンテナンスの必要性がないことがメリット」と話す。管内では、ロールの販売作業を独自に行い、収穫作業だけを委託する事例が最も多い。専用作業機を持っていなかったり、あったとしても経年劣化が進んでいたり、加えて作業者の高齢化などが主な理由だという。WCSの栽培に対しては「甘いものではない」と厳しい。現在1反当たり8万円の補助金が交付されているが、販売価格自体が安く、専用機を所有するにしても委託するにしても経費がかかるのが現実だ。しかし利点が多いのも事実だ。「栽培すると減反面積に数えることができ、収穫時期をずらすなど作業の分散にもなる。あとは麦・大豆が適地でない所でも作れ、放棄地にもなりにくい」。和田さんの周辺には耕作放棄地がなく、「むしろ取り合いになるほど」らしい。また、WCSの栽培作業は全て機械化されており、主食用米ほど品質を問われないことから栽培もしやすい。さらに、耕畜連携として国産の飼料を畜産農家に提供することで、安全安心な飼料の確保に貢献し、自給率向上に貢献している。その国産飼料を管内で最も多く購入している畜産農家にも話を伺った。
先進的経営の中にWCSを取り入れる
 近江八幡市大中町で酪農を営んでいるのが株式会社ウッドベル鈴木牧場。現在ホルスタインを215頭飼育し、先進的な取り組みを行っている。飼育方法としては、従来のような1頭ずつを柵で隔てて、紐で繋げる方法ではなく、小屋内で放し飼いを行い、牛にかかるストレスを軽減させることで、良好な健康状態の確保に努めている。搾乳作業に関しては1頭ずつ搾乳する方法ではなく、牛の一群を搾乳装置のある場所へ移動させ、1度に20頭を同時に搾乳する。この仕組みでは、オペレーターは屈まなくても作業が出来、腰を痛めず、作業の省力化、効率化も実現する。また、牛は1頭ずつ識別され、事務所のモニターには各牛の搾乳・繁殖状況などが適時表示されている。新しいことを積極的に取り入れた、酪農経営が行われている。
 その鈴木牧場では飼料として自作飼料を栽培しているほか、JAグリーン近江からWCSを購入し、月間120ロールほど使用している。通常、販売したロールは直接畜産農家へ運搬されるが、鈴木牧場のように大量に必要な所へは一時的にJAグリーン近江の各倉庫に保存される。そんなふうに施設を利用できるのはJAの利点だ。WCSの品質について同牧場の鈴木隆良さん(63歳)は「当初からしたらかなり良くなった」と話す。グリーンサポート楽農がコントラクター事業を開始した当時は、WCSの品質も各耕種農家によって異なっていた。そこで畜産農家の要望もあり、グリーンサポート楽農が耕種農家へ栽培指導することで品質向上に繋げた。また、ロールの購入だけでなく、同牧場は糞尿を堆肥化し、耕種農家へ販売している。鈴木さんは「堆肥化は畜産と直接関係ないが、耕種農家としてはコスト面などから堆肥を使うことが良いのでは。そのかわりWCSを安くして貰っている。持ちつ持たれつ、それが耕畜連携だと思う」と語る。同牧場では牛床に堆肥を播くこともあり、堆肥化する際には菌を注入し発酵を促している。「糞尿はそのまま処分できないので、使って貰って土地に還元できたら嬉しい」。
それぞれが目指す所は同じ
 この地域では一連の耕畜連携に携わる耕種農家、畜産農家、その間を繋ぐJAグリーンサポート楽農それぞれに取り組みの狙いがあり、それがうまくかみ合って連携が出来ていた。
 耕種農家は減反政策への対応と耕作放棄地の解消を目指し、畜産農家は安全安心な国産飼料の確保と糞尿処理を目的とし、その間を取り持つグリーンサポート楽農は耕畜連携を通して地域農業の維持を図っている。JAは地域の農家をサポートするのが役目であり、それを果たすためにも作業受託が大きな役割となっているようだ。各農家との繋がりを緊密にすることで、地域のつながりは深まっていく。グリーンサポート楽農の和田さんは「今は作業受託などの実作業を通して農家さんのお手伝いをしている。それがきっかけで足繁くやり取りする所も増えてきています」と繋がりが深まっていることを実感しているようだ。
 地域の課題としては米価や乳価の下落のほか、後継者不足が大きな問題となっている。耕種農家の和田さんは「地元で生産グループを作って、大手スーパーなどに野菜を卸せるようになり、若い人が取り組めるような農業を行うのが夢」とし、「かつては3Kと言われていたが、これからの農業は、みんなでたくさん給料を貰って戦わないといけない。農業は栽培や販売など課題も多いが、それを楽しみながらできる環境になれば」と話してくれた。
 畜産農家の鈴木さんは、目に見える形で周囲の同業者が減っていると言い、後継者がいないことが一番の理由と述べる。同牧場では現在、鈴木さんの息子さん3人が従事しており、「うちは後継者がいるから心配ないけど、酪農全体で見ると不安。酪農に夢が持てるというか、若い者にもやりがいが持てる仕事になれば、新規就農などで入ってくる人も増えるのでは」。同牧場は法人化したこともあり、「1週間に1度交代で休みを取っている。昔と違い今は休みをきちんと取れるようにしないといけない」と働く環境の改善も必要とした。
 耕種・畜産ともに、“夢を持てる職業”にすることが後継者不足を解消する一つの手段であり、現在の作業環境や経済状況の改善が望まれている。それを踏まえて「大規模でやらないとやっていけない時代になっている」と和田洋さんは言う。もっと組織的で効率を重視した集落営農を作らないといけないという。高齢化や後継者不足に加え、TPPが迫る中、個で立ち向かうことは心許ない。これからの農業では、力を合わせることが重要な要素となってくるようだ。
 また連携は生産者の効率や利益だけを重視していくのではなく、地域との繋がりも必要。「地域社会との繋がりが薄くなればそこに軋轢が生まれます。農業と縁が切れた人にとっては騒音や臭いが問題となり、農業がしにくい環境になる」と和田洋さん。農業は他の産業に比べ、地域環境への依存度が高い。それを十分踏まえて、地域に対する貢献や環境の維持が重要になってくる。耕畜連携はまさに、その取り組みをより積極的に行う活動とも言えそうだ。耕種には耕種の、畜産には畜産の課題があり、それを乗り越えるために懸命な努力が行われているが、目指す所は繋がっていると感じた。そこに辿り着くための方法として耕畜連携があり、地域農業の持続に大きな貢献を果たすに違いない。

 


スマート農業への挑戦
スマートを現場の力に 情報活用で地域農業を強く                        
取材先:滋賀県守山市JAおうみ冨士 ファーマーズ・マーケットおうみんち出荷農家パナソニック株式会社アプライアンス社
2015年11月号掲載

 街角で独り言を言っている人が実は小型のイヤホンマイクで携帯電話の最中なんてことがある。100年ぐらい前の人が見たらどう思うだろうか。まるで魔法だと思えるようなことが現実化している。小さな無人ヘリコプターは飛んでいるし、掃除機は自分で考えて勝手に仕事をする。その流れは農業の世界にも広がり、お米の品質は収穫とともにタンパクの含有量が判明し、圃場では無人のトラクタが動き始めた。スマートな農業が始まろうとしている。日本農業をどんな世界に導いていくのだろうか。生産現場に実証導入された事例を元に生産の現場で実際に役立つ力を考えたい。

 

 
▲小松菜をスマートフォンで撮影▲農業が盛んにおこなわれている▲指導員がタブレットでチェック

 

 

生産者と営農指導員を繋げる
 スマート農業とは何だろうか。あちらこちらでその名を聞くようになり、便利な農業というイメージだが、ハウスに自動扉をつけることではないし、エンジンをモーターに変えることとも違う。新しい技術を単に取り入れただけではスマートとは呼べない。しかし、温度を自動的に感知し、ハウスの窓をそれに応じて開閉するのならスマートだ。賢い農業とも言える。大きく捉えれば栽培から販売に至るまでの情報をデータ化し蓄積して利用することがスマート農業と言えるのではないだろうか。これまでの農機が手足の拡張とするならば、スマート農業は機械化に情報化を加え感覚と知性の拡張も備えたものと言えそうだ。それが農業の新しい扉を開いていく。
 滋賀県のJAおうみ冨士でスマート農業の実証試験が始まった。パナソニックが開発したクラウドシステム「栽培ナビ」を利用したもので、スマートフォンなどの端末を使用し、営農指導員と生産者を双方向に繋ぐもの。営農指導を強化することによって、生産者の技術力をあげ、それが所得の向上に繋がれば、地域農業の活性化にも結びついていくとして、この秋から60人超の生産者で実証試験が始まっている。大規模農家向けというよりも、中小規模農家の営農をきめ細かくサポートしていく。
 開発に当たったパナソニック株式会社アプライアンス社の新規事業開発部に所属する若林勇文課長は、「これからの日本を考えた場合、農業は欠かせない」と、農業分野に製品展開した意義を示す。開発したシステムは、“栽培日誌、栽培計画、農薬管理、営農ひろば”などから構成され日々の営農をデータ化し、効率的なコミュニケーションを図るものとなっている。
 例えば栽培日誌は作業の予定、実績を記録するだけではなく、音声データや画像も記録し、非言語的な記録も効率的に行うことができる。また圃場別、作物別に使用した農薬履歴も管理し、しっかりとしたトレーサビリティーの確保に貢献する。栽培計画では戦略的な立案を支援し、現場農家の実際に合った畝単位での年間栽培計画も可能となっている。農薬管理は生産者に使用できる農薬を推奨したり、地域に適合した農薬のデータベースとなる。そしてコミュニケーショに関しては、営農ひろばの活用があり、営農指導員と生産者を相互に結び付ける。
 従来病害虫が発生した場合は営農指導員がその都度現場へ駆けつけ状況を確認し、適切な対処を施してきたが、「現在1人の指導員が数百人もカバーしなければならない状況で、しっかりと対応する負担が多くなっています」と、今の現状についてJAおうみ冨士食育園芸部の川端均部長が教えてくれた。「不測の事態があれば、営農指導員と生産者がひざを突き合わせて相談するのが基本」だが、どうしても時間的に対処することができないこともあり、そこでICTの活用が大きな力となる。例えば圃場に虫が出たということであれば、生産者はスマートフォンで写真を撮り、その虫、あるいは被害にあった葉を営農ひろばに送る。すると営農指導員がそれを見て専門的知識からどうすれは良いのかの判断を行い、即時的な対応が可能となる。また、全ての営農指導員はその情報を共有できるのでベテラン指導員の知識を活用することもできる。それにより指導員全体の力が向上する。JAおうみ冨士の河野政博指導員は、「電話だけで状況を教えて頂くより、実際の写真を送って頂いてそれを見た方が分かりやすい」と、実際に使ってみてその効果を実感しているようだ。また農薬の使用履歴がデジタルデータとしてしっかり残されていれば、「適正な農薬が使われているかどうかのチェックが容易になる」と、指導員の負担軽減に繋がる。JAにとっては生産者の農薬在庫を把握することができ、適切な農薬使用を働きかけることができる。

現場生産者の要望に応える
 実証試験に参加している生産者の中で、まだ経験の浅い人たちにとって、その知識と経験を補うことのメリットは大きいようだ。JAおうみ冨士の直売所“おうみんち”に出荷する新規就農者は、「知らないことが多く、単に水をやるだけでも、どんな道具を使って、どんなふうにやれば良いのかがわからない」。そういう中で営農ひろばなどを使って、営農指導員と気軽に情報交換できることのメリットは大きい。また栽培日誌の中では、予定と実績を記録していくことができる。新規就農者の場合、経験が浅く、事前にしっかりとした予定を立てていかなければ作業が滞ってしまう事も少なくない。今蒔いた種がいつ収穫できるのか。それをしっかりデータとして残していくことが、計画的な農業経営に繋がっていく。また日誌は生産者のGAPで求められる履歴管理や資料の元データとして活用することができる。「事務作業にストレスがかからないようにして、時間という有効な資源を効率的に使って欲しい」と川端部長。
 先の新規就農者の場合、現在は手書きのノートで日誌を付けているが、出荷の際に求められる栽培履歴の作成では大変な手間と労力がかかっている。「ICTを使えば、検索が楽。整理された状態で情報が取り出せるようになれば、大変楽になるだろう」と期待は大きい。
 生産者の実際に即して役立つシステムとなること。それが最も大切なことだ。ICTの技術は年々高まり様々なことが可能となっているが、それを如何に求められる形にするかが問われている。開発は数年前から行われており、初期のバージョンは、生産現場の理解が浅く、その頃から試作品のユーザーとして参加している若手生産者の高寺智之さんにとっては、「使い勝手の悪いもの」だった。開発を担った若林課長は「最初は農業の事が全然分かりませんでした。それで、生産者の方々とヒアリングを重ね、実際の生産現場に入ってメロン栽培を体験するなどをして、使いやすいものにするためにはどうしたら良いのかを考えました」。まず、実際の農業を知る。そこから始め、様々な意見を取り入れながら、今回の実証試験に至った。「無茶な要望も取り入れて頂き、かなり使いやすくなっています」と高寺さん。例えば作付けされているものの管理では、区画ごとではなく畝ごとに作物を記録していくことができる。1枚の圃場で様々な作物を作っている実際の畑を踏まえたものだ。そのために手書きの入力も取り入れている。自然を相手にする農業の現場は「ばらつきが多い」。工業製品などに比べ、生産環境も生産物もより複雑で多様性に富んでいる。それに対応するためには、全てをフォーマットに落とし込むのではなく、有る程度臨機応変に対応できる自由な領域も必要な要件となるようだ。
 その領域を誰が担うのかでシステムの特性は分かれる。曖昧であやふやな状況を機械にやらせるのならビッグデータや人工知能(AI)の登場となるわけだが、それはもう少し先の話で、このシステムでは人間がその部分を担う。
 現場の情報整理に手書きの部分も取り入れたり、情報収集には、生産者の五感を活用する。そして情報の分析には営農指導員の知識や経験を生かす。例えば河野指導員は実際に現場に出かけ、圃場を歩いて足が沈めば湿気が多いと思い、ビニールハウスに露がついていればその下の作物の病気を心配する。機械ではなかなか難しいことだ。「システムだけで完璧を目指すのではなく、現場での判断を重視していく仕様にして欲しい」。それが現場から出された要望でもあった。それを受け、生産者と指導員のコミュニケーションを強化した、より現場に近いシステムが生まれた。


生産者の利益向上に貢献
 このシステムは知識と経験、あるいは記憶を補うことで、生産現場の効率化を図っていくが、その先は販売力の強化にも繋がりそうだ。
 高寺さんは出荷グループを形成し、契約栽培にもとづいて小松菜などの農産物を販売している。その中で、いつ、どれだけの量が収穫できるのか、その把握は経営を左右する重要事項だ。高寺さんは栽培ナビを使い、圃場ごとに収穫の時期、量を把握しているが、そういう機能がグループ全体で共有できればとも考えている。「グループ全員の状況がICTで管理できるようになれば、例えば来週出荷する量が用意出来るのか出来ないのか事前に分かり、仕入れの算段もスムーズに行える」。しっかり先を予測した計画を立てることが可能だ。また誰が、いつ、何を出荷できるのかが分かれば、仕入れる側にとっても購入しやすい。「例えば学校給食の入札にもかけやすくなるだろう」。生産者の利益向上まで図れれば、本当に役立つシステムとなるに違いない。
 地域のJAとしては、高齢化が進む中で、新規就農の割合を増やしその人たちの実力を上げていくことで所得を増やし地域農業を強くしていきたいとしている。その中でこのシステムの役割は決して小さなものではない。ベテラン農家にとっては記録を残すという事になり、新規就農者にとっては有能なガイドとなる。JAおうみ冨士守山営農センターの新野三代司センター長は「新しい人を惹き付けるためにはスマートさが大切。これからの農業にはそれが必要なんだろと思う」とし、川端部長は「農業が大変だという敷居を下げたい」と語った。栽培ナビはクラウドシステムのため、初期投資は低く、スマートフォン等があれば新たに用意するものはなく取り組みやすい。若林課長は、実証試験でさらにこのシステムを使い易くし「全国に展開していきたい」と意欲を見せる。
 高寺さんの夢は「農業を普通の仕事と変わらないように、会社員並みの給料がもらえる仕事にしたい」というもの。まだ独身だが、将来は家族を養って将来に夢を持てるような生活をということだ。食を生み出す意義ある仕事として、そうあるべきだと心から思う。また別の新規就農者の夢は「しっかりした利益と適正な休みがあって、自分が納得するものづくりができること」。それらの想いにスマート農業が一助となるに違いない。
 現場で収集するデータや栽培記録、作物の知識など、営農に必要な情報を必要な人あるいはシステムがストレスなくスムーズに受けとることができるようになること。それが農業の情報化、つまりスマート農業ではないだろうか。それが普及していく先に、生産者が活き活きと働く姿があるのかもしれない。少し前の人が見たらまるで魔法だと思うほど楽しそうな笑顔で。スマート農業に取り組み始めたこの現実の延長に、それがあることを期待したい。

 


有機で小さくても強い農業
人がつくるんじゃない、自然の力がつくる                        
取材先:山下農園 有機のがっこう『土佐自然塾』 2015年8月号掲載

 日本農業を成長産業にするとして、規模拡大が進められているが、それだけが日本農業を成長させ強くする方法ではない。世の動きを見れば、物事を統合、均一化し拡大化していく方向とは別に、大きく平均的な物から個性的なものへという流れもある。個人が発信者となるインターネットだってそうだし、様々なブランド化や林立する街角のラーメン屋だってそうだ。価値の多様化が進行している。農業も同じ事で平均点を超える価値ある農産物には大きな力がある。「そこに小規模農家の生き残る道がある」と語るのが山下一穂(65歳)さん。高知県の真ん中にある土佐郡で、農薬や化学肥料を使わない有機農業を実践し、ハイクオリティな農産物を生み出している。また、有機農業を普及するため“有機のがっこう『土佐自然塾』”も展開し、田舎からの国づくりを目指して人材育成に取り組む。山下さんは以前にも、本誌に登場した事があるが、その後の更なる展開にこれからのヒントを探る。

 

 

 
▲若者に思いを伝える ▲左が山下氏 ▲ホンダの耕耘機サ・ラ・ダ

 

 

自然の仕組みと密接に関わる
 48歳で新規就農。それ以前は東京でバンドマンとしてドラムを叩き、地元に戻って学習塾の講師も務めていたが、実家の畑を管理するうちに、有機農業の面白さに目覚める。「多種多様な生命が相互補完的に関わって循環していく自然の仕組みを、畑の中に凝縮し、再現するというクリエイティブさが面白い。僕の感性にフィットしました」。今は60種類の野菜を生産し「毎日が楽しい」と自然の仕組みと密接に関わりながら想像力に溢れた農業を展開している。
 その中から「マニュアルとルーティング作業の大規模生産からは生み出せないクオリティ」を実現した“綺麗で美味しい”有機野菜を生み出し、個人宅配や厳選した品物を扱うスーパー、品質にこだわるレストランに販売している。売上げは「10a当りの粗収益が、100万円を超しています。これならば小規模農家でもやっていけるはず」と、しっかりとした収益を確保する営農モデルを確立し、農業を持続していくための確かな実例を示している。現在は、注文に生産が追いつかない状況ともなっていて、「今の10倍ぐらいのオファーがきている」。
 幾ら品質が高くても、その価値をしっかりと認識してくれる消費者に届けなければ、価値に見合う対価を得ることはできない。各地で有機農業を実践する生産者、特に新規で始める者にとってはそこを課題とすることが多いが、山下さんの例を見ても、 “綺麗で美味しい”ハイクオリティな野菜を求める需要は決して小さなものではないことが分かる。求められるものを、求める人に届ける。至極当たり前で、それでいて困難の多い事だが、そういう規模で確かに需要者が存在するわけで、両者が繋がる方法は必ずどこかにあるはずだ。山下さんの方法も然り、その土地、その人に合った方法もまた然りだ。
 ただどういう方法を取るにせよ、農産物のクオリティを上げていくことは必須だ。山下さんの場合、自身で確立した“超自然農法”が大きな力を発揮している。
 「作物は人間がつくるんじゃない。自然がつくる。僕達がやれるのは畑の環境づくり」。雑草や緑肥を耕うん機などで土に鋤き込んで「畑をまるごと堆肥化」し、自然のサイクルを畑内に作り出して、生物多様性を確保する。これにより害虫を食べる天敵や、病原菌の働きを抑制する微生物が活動し、農薬や化学肥料を使わずに農産物が健やかに育っていく。自然界の仕組みを最大限活かし、人為的な事を極力少なくしていく方法だ。実際の方法は近著の「無農薬野菜づくりの新鉄則(山下一穂著・Gakken発行)」に詳しい。
 収穫された野菜は形が綺麗で雑味がなく、“優しい”味で、店頭に並べば他の野菜に先んじてどんどん売れていく。消費者の選択が評価を表している。そこには有機農業で栽培されたものだから買うといった行動もあるが、 “見た目が美しく、食べれば美味しい”という、消費者が素直な気持ちで選んだ購買の方が多いようで、「有機農業というくくりではなく、クオリティを問うことが大切」。そこに中山間地の農業が力強く生き残っていく術がある。それを学ぶ場所が“有機のがっこう『土佐自然塾』”。山下さんが校長を務め、今年10年目を迎えた。


自然の仕組みを学び、感性を磨く
 今年4月から9人の塾生達が学び始め、小規模でもハイクオリティな農産物を生産する農業に取り組んでいる。そこではマニュアルからは生み出せない品質が目指され、農業に対するセンスを培うことが求められている。「素足と素手で土と作物に絶えず触れ、五感を研ぎ澄まして光と影、風の匂い、季節の変化などを感じ取ることが必要です」。それは自然の仕組みと密接に関わって生きると言うことでもあり、「心を楽な状態にしていく」。自然塾は2006年から始めて今10期生。卒業生は100人ほどに上る。学校を卒業してからの就農率は70%台後半と高く、生徒の意欲は旺盛だ。第9期卒業の佐竹洋明さんは「市民農園で何も収穫できなかった私が、今では作った野菜が売れるようになり夢のようです」と県内の南国市で有機農業に取り組む。「自然の働きを習う農業を学ぶ中で、人と自然とのあり方を体で実感していくことになりました。これは問題が山積みのこれからの時代に最も大切な視点だと思います。土佐自然塾は混沌としていた自分の心に光を見つけられた場所です」と、進むべき道を見つけた。第8期卒業の田畑勇太さんは県内の長岡郡で「土佐自然塾はとにかく美味しくて綺麗な野菜ができる。“なんでこんなに美味しい野菜ができるんだろう”、“自分も作りたい”」と、卒業した今でも塾での“成功”を思い描きながら学び続けている。
 「有機農業を広めたいという思いがあり、農業そのものの再生を目指しています」と山下さん。卒業生の中には広く活躍する人も現れてきており、日本農業を変えていく力が育っている。
 実際の作業現場では、センスに加えて労働の質も重要になる。如何に綺麗に、如何に速く作業をするのか。それが収益にも関わってくる。そこで力になっているのが農業機械。労力が必要となる畦づくりや耕うん作業などにホンダの管理機と耕うん機サ・ラ・ダFF500が使われ、「有機農業でも10aを超えれば機械がないとやっていけません」と、作業に貢献している。「バランスが良くて直進性が良いから、真っ直ぐな畦が立てられる」と、評価も高い。塾生達のような初心者にも使い易いようだ。FF500で作業をした女性塾生は「最初は女性の自分でも使えるかどうか心配でしたが、いざ使ってみると、ターンも簡単にでき、バランスが良くて、とっても使いやすいですね。イメージと違って楽に使え、ちょっとびっくりしました」との感想。正逆転ロータリーで土を抱き込まずにパワフルな耕うんができ、スピーディに仕上げる。また大径タイヤなので安定した作業が可能となっている。
小規模農家が農業を変える
 「日本の国土の70%が田舎と呼ばれる地域と中山間地。その中で大多数は小規模農家です。その人たちが技術に目覚め、腕によりをかけた農産物を作る時代になれば、農業は変わっていく」。今大規模化が各地で進められているが、そのメリットを充分発揮する生産条件に恵まれている場所は限られている。そこを無理して「規模を拡大しても中途半端になってうまくいかない」。その状況を勘案すれば、今一度品質を見つめ直すことに小規模農家が生き残っていく道の一つがある。
 現在有機農業が全耕地面積に占める割合は0.4%。需要を満たすのに充分な供給力とはなっていないが、つまりそれは大きなチャンスでもある。需要があるにも関わらず、供給が及んでいないわけだから、市場としては有望だ。うまく掴むことができれば、持続する農業を構築することに繋がる。また、0.4%とはこれまでの農業の仕組みが対応できていなかったということも表している。既存の主要な流通に乗せるのが難しい農産物を、如何に消費者のもとに届けるかなど課題もあり、新しい仕組みが求められる。
 そんな取り組みに加えて、新しい農業を構築するためには、人材の育成も不可欠だ。山下さんは塾生に対し、「自分の個性に合った想像力を発揮して、自分なりの感性を高め、それを磨いて、自分の営農のビジョンを作ってくれれば」という姿勢で、従来の農業にとらわれず、目の前の土にしっかりと触れながら、技術を高め、ハイクオリティな農産物を生み出すことができる生産者が一人でも多く増えることに力を注いでいる。その積み重ねが日本農業を強くしていくことになる。
 塾生には様々な経歴の持ち主がいる。研究職から生産者へ方向転換した人や元経営コンサルタント、元客室乗務員など。その個性が山下さんの有機農業を学ぶ中で、頼もしく成長していく。どんな花を付け、どんな実がなるのか、その色合いが日本農業の可能性であり、課題解決に対する力となるに違いない。
小さな農業が生き残って行く道
 山下さんの夢は「日本の農業を変えて美しい日本を取り戻す」こと。そのために様々な取り組みを行っているが、「僕の代だけでできることではありません。長い時間がかかります。同じ志を持つ仲間を増やし、次の世代の若い人たちにその思いを託していく」と長期的な視野に立っている。それは自然の仕組みを凝縮し、生物の多様性が確保された美しい農地を、価値ある財産として次世代に残していくと言うことでもある。バトンが受け渡されて行く先には魅力的な景色が広がっているに違いない。
 そんな思いを繋いでいく取り組みの一つに有機農業参入促進協議会がある。山下さんが代表理事を務め、セミナーや営農指針づくり、調査事業など民間で有機農業を推進するための様々な取り組みを行っている。「開かれた形で、多くの人と価値感を共有していきたい」。それは、これまでともすれば閉鎖的になりがちだった有機農業において、立場や所属に関わらずその枠を越え、広く共有を図って行くことになる。連携を進め、共に前を向いて歩んでいくのなら、有機農業と日本農業の未来はその姿を重ねていくだろう。
 「自然の仕組みと密接に関わって生きていく」。それが山下さんの農業に貫かれている思いだ。“人がつくるんじゃない、自然がつくる”。自然に蓄えられている様々な力を存分に引き出していく事で、農薬も化学肥料も使わずにハイクオリティな農産物が畑から生み出されていく。確かにそこに小さな農業が生き残っていく一つの道があった。
 一般的な大規模農業が土地を集め、資源を投入し、均一で平均的なものを生み出していく中で、自然を味方につけ、消費者の気持ちに沿った農産物を生産していく。そこに農業の持続があると感じた。「そんな農業に取り組む人たちが増え、そこで作られた農産物が消費者に行き渡っていけば、自然の仕組みをうまく循環させていく“品のある日本”に変わっていくと思う」。魅力的な明日がそこにある。


 

 

 

新しい人がもたらす農業の持続力
ニューファーマーが持っているもの                        
取材先:滋賀県守山市 みよし農園 2015年6月号掲載

 スポーツの世界では、“新人の活躍によりチームが優勝する”ということがたまにある。ビジネスの世界でも特別の知識と経験を有している者が異分野から新人として飛び込むことで成功を収めることがある。農業の世界でもそれは大いに期待するところで、新しい可能性を拓くきっかけになるかもしれない。ただ一般的には、普通の新人がいきなり大きな成果を上げることはなかなか難しい。大概は、知識と経験を積んで始めて役立つ人材に育っていく。時間のかかる話で一朝一夕にはうまくいかない。チームで仕事をしているのなら周囲に負担をかけていることの方が多いだろう。しかし、新人だからこそ持っている力もある。農業においてはそれが持続を図る上の拠り所となるかもしれない。今回はそんな力を探る。

 

 
▲新規就農した二人 ▲すくすく育つ小松菜 ▲品質の高い農産物

 

農非農家出身の二人の挑戦
 滋賀県守山市で新規就農した夫婦がいる。深尾真人(まさと)さん(31歳)と円(まどか)さん(37歳)。今年独立して2年目のまだ30代の若手。非農家出身の2人で力を合わせ、小松菜、ほうれん草、メロンなどをハウス40a、露地20aほどで手がけている。お互いに社会人経験はあるものの、農業に活用できる特別な技術や経験を有しているわけではなく、栽培を始めて2年目の一般的な新規就農農者だ。就農の経緯や農業への取り組みを聞いた。そこに初心の中にこそある大きな価値が潜んでいる。
 真人さんは東京農業大学出身。北海道キャンパスで農業経営学を学んだが、卒業後は一般企業に就職した。「農業には興味があったんですが、その段階で就農する方法が全くわかりませんでした。周囲の人間も普通に一般就職していく中で自分もその流れに沿って就職しました」。勤務先は千葉、仕事は制御系のプログラマー。農業の道からは一旦離れて、社会人となり、日々の仕事を懸命に勤めるが、「自分が本当にやりたかった事とは違う」との思いが残り続けた。
 それで3年ほどしてから辞職。今まで進んできた道を少し離れて、しばし模索の期間を過ごし、そこで農業への思いが新たな道を指し示した。元々やりたかったことであり、本来の道に戻ったと言えるのかもしれない。出身地の滋賀県草津に戻り、地元にあった、法人形態で農業を営む有限会社クサツパイオニアファームに就職した。そこで初めて実際の生産現場と関わる。
 クサツパイオニアファームは水稲の栽培、作業請負、野菜栽培などを手がけ、有機で作った米や野菜を直売や生協での契約で販売している。後継者育成にも積極的で農業を志す人にとって、良い受け皿となったようだ。真人さんは葉物野菜を担当。現場では小松菜、ほうれん草を有機で栽培し、“滋賀有機ネットワーク”を通じて生協やこだわりのスーパーへ販売しているが、その取り組み中で様々なノウハウを学んだ。大学で学んだことよりファームで学んだことの方がはるかに多いようで、実際の現場から学んだ知識が今の真人さんの大きな財産になっている。
 真人さんにとって、自分が歩みたい道をようやく見つけたという事になった。少しばかりの回り道を経ての事で、そこから得るものも当然あるが、もし就職活動の時に農業生産法人が就職先の一つとして、しっかり組み入れられ、一般企業のように提示されていたのなら、また別の展開があったのかもしれない。真人さんの場合は色々あっても結局農業に辿りたが、学生で農業の志を持つ有為の若者でも求める場所